◇それは暁の◇Capter08


 あくる朝、早くにオクニを出た一行は予定よりも早くフーア村に着いた。途中、険しい山中に生きた心地がしなかった夜理だったが、フーアに着いた途端に息を吹き返した。絶景が目の前に広がっている。
 オクニと違い、フーアは村としてふさわしいぐらい人気が少ない。馬と自分達の水分補給にと休憩に立ち寄ったものの、あからさまに村人達から遠巻きにされるとさっさと出発したくなるものだ。
 ヤルノ達はどこかへ出かけていき、馬車の中は夜理一人だ。先に用を済ませ水ももらったのでやる事がない。うとうととしていたら、側から話し声が聞こえてきた。
「この馬車には人がいるのかい?」
「ああ、なんでもお嬢様がいるらしいよ」
 夜理は外の会話に平身低頭してしまう。あの二人が大事に箱入り(馬車箱だが)させているぐらいだと人は思うのだ。真横にいるらしい声に夜理は意味もなく身を屈めた。
「あんなにカッコイイ騎士様が連れてらっしゃるんだから、さぞや美人だろうね」
「当り前さ。そうじゃなけりゃ、かっこがつかねえってもんよ」
「そうかあ? 俺は一度王都まで行ったことがあるけど、そんなに綺麗な人は見なかったぞ」
「馬鹿だね、あんた。お嬢様がそうそう見られるわけがないじゃないか。あんたが見たのはあたしらと大差ない連中だよ」
― すんませんすんませんすんません。大差ない連中でごめんなさい。次からはもうちょいましな、大分ましなのが乗っかってるだろうから許してやって。
声なき声は彼らには聞こえぬまま、会話は続く。見えてないとはいえ、夜理の精神では死んだふりでもしないと気が済まない。いらぬサービス精神とも言える。
「お嬢様と言えば、先の大戦で落ちぶれたアナンの貴族がこの国のどこかに流れて来てるって話、聞いたか?」
― アナン?
「ええ! 本当かい、そりゃ」
「噂だよ、噂! けど、本当にいるんだったら・・・・・・」
 不自然に途切れた声に冷や汗が流れる。人の好奇心ほど、恐ろしいものはない。だが、有り難いことに扉が開けられることは無かった。夜理に配慮してというよりも、見目良い騎士様達のおかげだろう。
「アナンもなあ。あんなことが無けりゃあ、今だに続いていただろうにもったいねえ。金持ちの考えることは分かりゃしねえよ」
「本当にねえ。みんな散り散りになったって言うじゃないか」
「仕方ねえよ。国が無くなっちまったんだ。悲惨なのは貴族だろうと貧乏人だろうと関係ねえさ」
「まあねえ。お貴族様はほとんどが亡命して命拾いしてるようだけど、可哀想にねえ」
「そうだけどよ。連中が国境を超えて来た時は、ここだって大荒れだったろ? いつもは人なんて知れてるのに、バケツをひっくり返したみたいな騒ぎになったじゃないか」
「そうだった、そうだった。あん時は大変だったなあ。食わせる物がなくて。なのに、我儘放題の連中で腹が立ったなんてもんじゃなかった。そういや、あん時に可愛い子が一人いたよな? ほら、あの優しい子。今、どうしてんだろうなあ」
「まあった、あんたは!」
 男の悲鳴と笑いが聞こえてくる。扉を開けて確認したいが、藪蛇にもなりかねない状況と、噂話をもっと聞いてみたいという下世話な欲求が夜理を固まらせていた。
「おいおい、そこらへんにしておいてやれよ。それに、あん時の子も可愛かったが一緒にいた男だって、なかなか大したもんだったろ? お前だって騒いでたじゃねえか」
「まあ、そりゃあね。あれだけの良い男が来れば誰だって騒ぎたくもなるってもんじゃないの。背が高くてスラっとしてて、礼儀正しくて頭も良い男だったよ。あたしらみたいなもんにも優しくて・・・」
 段々とうっとりした声に変っていった女に、男がうんざりしたような声色で言った。
「人のこと言えねえや」
 その一言に、男がいつまで経っても女より上になれないのが分かった気がする夜理だった。
「お前達、こんなところで何してるんだい!」
 しゃがれかけの声が聞こえた後は、散り散りになっていく音が聞こえた。久しぶりに息が出来る。
― 背が高くてスラっとしてて頭が良くて、かなり可愛い子と一緒の貴族くずれか
 いつものことだが、夜理の口の悪さに閉口したくなる課長の気持ちもわかろうと言うものだ。万年課長と言われても笑っている、人の良さでは世界で戦えるレベルの人にも関わらず。
― 大戦があったってことは、それなりに文明が発達しているのも頷けるかも。全くの原始だったら生きてないだろうしな、私が。
 自分の生命力の高さを信じてはいても、能力の低さは納得している。日を追うごとに無力さを感じてはいても、表には出ないだけだ。
― 後どれくらいかかるのかな。早くしないと睡魔に襲われて、襲って? いやいや、襲われて。
 裏にも無いのが夜理の夜理たるところだ。
「お待たせ。悪かったね、思っていたよりも時間がかかってしまっているようだ。出立の用意がもう少ししたら整うから、それまでは我慢していてくれるかな。そうだ! こんなものでも暇つぶしにはなるだろうから」
 顔を見せたヤニスが取り出したのは、一冊の絵物語だった。写真のような精巧な機械はまだなく、写実絵と言っても過言ではないようなグロテスクとリアルをいったりきたりしている本表紙が夜理の目に飛び込む。字が読めないとは言えず、にこやかに頷いて受け取った。
「それじゃあ、また後で」
 そのまま、ひらひらと手を振り何が書かれているか解らない本を読むことにした。文字が読めなくとも、絵なら何とか理解できるだろう。
― ありきたりなファンタジーかな? 王子様とお姫様とか・・・にしては、暗い。
 ペラペラと読み進めていくうちに、結末がよろしくない方向でよろしくなっていくのが分かってしまった。
― 子供向けの説教くさいのもどうかと思うが、おどろおどろしくなるのもどうなのか。しかも、ちょっと血生臭さすら感じる結末。
 白雪姫もシンデレラも、本当は血生臭くてハッピーさは薄いが、それでもお姫様は一頃よりも幸せになれる。夜理が見ているのは、それすら無さそうな方向に話がどんどん進んでいくのだからたまらない。
― 気持ちの悪いばあさんかと思ったら、これじいさんだ。分かりにくい絵だこと。こっちの召使みたいな人は何だろ・・・
 いつの間にか真剣に絵を目で追っていたら周りの気配に気づけなくなっていた。がちゃと戸が開く音に、思わず肩が大きく揺れる。
「おや、失礼。お嬢さんがいるとは思わなかった」
 目が合って逸らせずにいるのは礼儀だからとかではなく、本能が危険をつけているせいだろう。蛇ににらまれた蛙とはこの事だ。
「本当に失礼した」
 いくぶん視線を下げたがそれ以上の礼を取る気はないようだった。よくよく見ればヤニスと同じ隊服に見えなくもない。さっと男に目を通した夜理は不覚にもうつむいてしまった。というのも、目の前の男の声に聞き覚えがあったせいである。
「僕はジル・アーネスト・ド・ランチェスター・エイモン。ジルと呼んでくれて構わないからね。ヤニスがいるって聞いて挨拶にと思って来たんだけど、君みたいな子と一緒にいるなんてね」
― おおっと、斜め四十五度を上回るセリフ。刺激的だけど遠慮したいなあ。
 気安く話す割に、大して仲良くしたいわけではなさそうだ。いや、むしろ敵視されている気がしなくはない。なのに、呼び捨てを推奨するあたり罠にかけられている気がしてならない。
 沈黙は金だが、この場合は雄弁に銀を選んだ方が良さそうである。下手に激昂させてベールをむしられてはたまらないからだ。もちろん、良家の御子息がそんなことをするわけがないと思いながら、夜理は防衛本能に従った。意識によって思うのと無意識の違いである。
「はじめまして、ジル様。御無礼とは存じますが私につきましてはヤニス様からお聞き願いますよう。なにぶん、このような事は不慣れで、私自身も戸惑いを隠せぬことです。貴方様に失礼があっては良くして下すっているヤルノ様、ヤニス様に申し訳がたちません」
 なるべく語尾を濁しつつ、夜理はそれとなく下々ですと主張する。それに、真実、夜理はどこまで話していいのか判断がつけられない。夜理のような身の上の者に優しくすることでイーガン家の人々が侮られるような事があってはならないことだけは分かっているのだが。
「・・・そう。ベールも脱がず、名乗りもしない方がよっぽど失礼だと君は知っておいた方が良いよ」
 そう捨て台詞を吐くなり、さっさと戸が閉められた。ジルは不愉快な態度を一切隠さずに行ってしまう。夜理はヤニスの居場所を知りたかったのではないかと疑問に思ったが、すぐに小さな村を思い納得する。きっとジルには思い当たる場所があるのだろう。
― 危険人物との遭遇率、高すぎやしないか・・・本当に無事に滞りなく普通に過ごせるんでしょうか、夜理は不安で仕方ありませんお母様。
 浸ってみたところで現状の変わらなさがどうにかなるわけではない。馬鹿馬鹿しいと分かっていることにすら縋りたくなるのは人間の性なのだろうか。
 決して好意的とは言えないジルの態度に焦りも出てくるが、どうにかなるものでもない。ヤルノ達なら勝手に判断して夜理の良いように言い繕ってくれるだろうと期待しているが、実は下手を打っていて三人揃って興味津津でこないとも限らない。
 こちらに来てから、夜理に災難がとめどなく溢れてくる。夜理は至って凡人にすぎないというのに気を張らないと一日が過ごせない。元の世界でぬるい生活をしていた夜理には神経をすり減らすことばかりだ。
― 後で読んだ方が良いかな。
 熱中しすぎると周りを遮断してしまう悪癖を夜理は自覚していた。このまま最後まで読むには状況が悪すぎる。中盤に差し掛かった本をさくっと閉じて目を閉じた。寝てばかりいる夜理だが寝る気はなかった。目を閉じて思うのは亡国アナンのことだ。
― 国が無くなったなんて大事なのに、その割にはここらの人たちは呑気だし、結構前のことなのかな・・・領地はどうなったんだろ。この国が侵略したってわけでもなさそうだし、別の国のいざこざに割りを食った感じかねえ。
 夜理にはこの国に少しでも利があったのかすら分からない。そもそも、この世界で知っていて当然の歴史を知らないのは致命的だ。聞くわけにもいかないが、ましてや読むわけにもいかない夜理に残されてる道は一つしかない。
 さて、問題をひとまずは置いておいて、気にかかるのはもう一つ。
― ジルなんとかは良い奴なのかもしらんが、嫌な奴だったなあ。お近づきになりたくないタイプだし、あんな奴と知り合いなだけならまだしも、ヤルノ達の友達とかにだったら付き合いづらい。
 あの様子ならまだ夜理の複雑な事情は知られていないのかもしれない。淡い期待に縋るしかないが、ヤルノ達が余計な口をはさまない限り上手くいく。
― 最悪、ちょっと変更させなきゃいかんかもなあ。
 心神喪失という名の記憶喪失設定に。
― 自分が可愛いのは当然だけど、ややこしすごてもボロが出そう。
 少なくとも、現状ですらメモに頼ってる始末なのだ。これ以上の設定が増えると自分で自分を見失った、本当に残念な人扱いが待っている。
― それに・・・
 イサク達には簡単に伝え、それ以上の話をはぐらかしたのも、細かい設定までは考えていなかったからだ。この世界を良く知ってから作ろうと思っていたからだったが、その前に事が露見しそうな雰囲気がぷんぷんしている。
 仕方なしに痛むこめかみを押して、目を開けると持ちこんだバッグからメモを取り出して、つらつらと考えうる限りの夜理自身の問題を書き出してみる。
― 家族は両親のみ、二人ともヨーク出身でダートに移住。場所は・・・ヨーク出身者がそこそこのカポ領地近くの辺境で事故死。と、こんな感じか。
 架空でも人を簡単に殺すなんてと言っていた口で、あっさりと事故死にするあたり、夜理も見境がなくなってきていた。大人の矜持が邪魔をしているだけで、夜理の疲弊も極限まできているのかもしれない。
 そういえば、とふと思い出したかのように夜理がメモを後ろからめくるとびっしりと階級制度と爵位にまつわるものが書き込まれている。
― ジル・アーネスト・・・となんだったっけ? まあ、いいか。アーネストは侯爵・・・へえ、意外とお偉いさんなんだ。
 爵位だなんだと、母国では全く関係のない代物もここでは必須。細かい事は別にしても、市井と貴族は区別して扱わなければ切り捨てご免にされても文句は言えないと夜理は思っている。
コツコツと戸をたたく音がしたので、急いでメモをバッグにしまいながら返事をした。
「やあ、悪かったね待たせて。さっきジルと会ったんだ。ヨリが退屈しているようだと言われて慌てて来たんだけど・・・その様子だと本は気に入ってもらえなかったのかな?」
 ヤニスの言葉にはっとして件の本を見ると、可哀想に裏表紙のまま足元に転がっていた。おかしい。さっきまでは膝上にあったはずなのに。
「いえ、大変面白かったのですが、途中で眠くなってきて・・・ごめんね」
 気が動転していて口調が丁寧になってしまう。言い繕っている感じが嘘くさいのだが、ヤニスは笑顔で受け止めた。
「いいんだ。ジルが無理をいったんだろ? 全く、自分の思うようにいかないからって拗ねるなんてね。ヨリは気にしないで。あいつの我儘は今に始まったことじゃないんだ。それに、出立の準備も出来たから」
 オクニを出たのが朝方すぐだったので、それほど日は高くなっていないが、ナスカで夜理が行わなければならない手続きは時間がかかるものだからと先を急いでくれている。夜理は申し訳なく思いながらも、穏やかな時間が早く訪れることを願った。

2011/04/15