「SANKA」のマスターと別れた後、コンビニで買おうと思っていた物を二つも忘れて帰ってきた私はぼんやりとしていた。茫然自失としている私に、マスターは面白そうな、茶目っ気たっぷりな笑顔で、去り際にハロウィンのスペシャルイベントに誘ってくれたのだ。
仮装って言われても・・・
イベントはハロウィン当日ではなく、その少し前に行われるそうだ。「SANKA」では季節行事ごとにそうしたパーティーに近いものを催し、お客さんに心ばかりの感謝をするのだという。そのイベントに誘ってくれたのは、私が立派に「SANKA」のお客さん(この場合常連)と認められたと思えば嬉しかった。
嬉しかったが、パーティーは仮装参加が必須だという。さすがに仮装できるような衣装など私が持っているはずもない。マスターから浴衣や結婚式に出るようなドレスでは仮装にはならないとも言われてしまっていたから。お店の裏に着替えのスペースがあるので、来る客みんなが派手に揃えて来るらしい。
しかし、学生ではないものの食べるものに困らない程度の貧困っぷりな私には、一度きりと思われる衣装代を出す余裕はない。どこにも来て行けない服など買う気も起きない。どうしたものかと唸る。
あっ・・・よっちゃん!
大学生の彼女ならそういったイベントに詳しいかもしれない。けれど、すぐによっちゃんに借りるのは難しい事に気がつく。彼女の事だ、きっと参加したがるに違いないから。マスターの口ぶりではお店でも親しい客だけが来るようなパーティーに、私が勝手に呼ぶわけにいかない。
そして、よっちゃんが「SANKA」を見つけられなかったという話をした時に言われていた事を思い出す。
『やはり、苦労して見つけて下さったお客様に来ていただくのが宜しいでしょうね。そのお嬢さんがご自分で見つけられるまでは、申し訳ないのですがお連れにならないようお願い致しますね』
あっさり見つけて居座った私としては釈然としない。それに喫茶店がそんなに商売っ気のない事でどうする。けれど思っても、マスターにそうまで言われて連れて行けるわけもない。なので、連れて行けないよっちゃんを期待させてはかわいそうだ。
考え込んで、ふと思いついたのが叔母だった。仮装は子供達だけで塾で働く大人達はお菓子を配るだけだったが、今年は大人達も仮装してみてはどうかと提案してみよう。いきなりで驚くかもしれないけれど、よっちゃんの学祭を見て思いついたとでも言えば納得してくれるに違いない。
そうだそうだと、かなり楽観的に考え叔母に電話した私は、かくしてあっさりと叔母から仮装用の衣装代をせしめることが出来た。
叔母とわいわいとハロウィンの計画を立て衣装を買いに行く日を決め、他にも子供達に配るキャンディーやチョコレートの話で盛り上がった後、叔母から言われたのは痛恨の一言だった。
『こういう時に彼氏がいないと、変に気を使わなくて良いわ』
悪気の無い叔母なだけに痛い発言だった。もうちょっと乙女らしいウキウキとかあった方が叔母は安心なのか。無理だけど。どうにもあの空気が苦手だ。私だって、告白された事がないわけじゃない。でも好きでもないのに返事は出来なかったし、第一、私には『好き』というのが分からない。
うだうだと考えるのをやめて、明日にでもよっちゃんにハロウィンパーティーの話をしようと決め眠りについた。直前までハロウィンの事を考えていたせいか、その日の夢はかぼちゃおばけとダンスをし、篝火に囃し立てられるという笑ってしまうぐらい能天気な夢だった。
朝早くから夜遅くまでバイトがある日はすごく疲れる。遅くなればなるほど、週に二日程度でも次の日にまで引きずりそうで、いつもより塾から早く帰れるようにしているのだけれど。叔母とハロウィンの話をしていたら、お母さん方が聞きつけ、いつもよりも少しだけ遅くなってしまった。
今日はいつも通りに真っ直ぐ帰路につき、部屋の玄関を入ってから気がつく。塾に忘れ物をしたのだ。大したものじゃないと思いながらも、どうにも落ち着かず叔母に連絡を入れて自転車で元来た道を戻る。夜風が寒くて羽織っていたパーカーの前を心持ち上げた。
家からそれほど遠くない場所にある塾の玄関先に自転車を停め、途中で預かってきた鍵でがちゃりと開けた。真っ暗な場所は、さっきまで子供たちがにぎにぎしくしていた場所と同じとは思えないくらい静まり返って私を不安にさせる。
明かりをつけても、蛍光灯とシンっとした無音さが馴染む事はなく、足早に自分のディスクからポーチを取り出す。中に入ってるのは小さな鈴。別に誰にも取られやしないだろうけれど、手元にないと不安でしょうがない物の一つ。くだらない物の一つ。でも、私にとっては他のどんなものよりも価値がある。
ようやっと人心地ついて、さあっと玄関を出た時だった。向かいの通りをはさんで別側の道を足早に通り過ぎていく見覚えのある人。
彼だ。
一瞬見ただけだったが確かに彼だった。けれど、私が見たことのある彼と違って、その険しい顔に驚いた。
なんで・・・
私の胸の奥が「SANKA」以外で見た彼にソワソワする。何を急いでいたんだろう。そればかり気になって、気もそぞろに自転車を漕いでいた。気になるなら追って声でもかければ良かったのかもしれない。でも、私がそこまでするのもおかしいかも。でもけど、とお風呂場で考えていたら逆上せてしまった。
彼を見た次の日はバイトで入っている店が臨時休業するというので連絡網が回ってきた。古い店だからか水漏れしてしまい、仕事にならないそうだ。良い機会だからと全面改装に乗り切ったオーナーによって私たちバイトは二日の休みと他店へのヘルプに回る事となった。他店と言っても同じオーナーが管理している店で、スタッフも顔を合わせた事がある人ばかりだ。
私は二日の休みを月曜日と火曜日にあてることにした。普段から土、日はお休みをもらっているから、飲食店が忙しい金曜日に休みをもらうのは気が引ける。というだけではなく、ハロウィンは月曜日なのだ。
叔母に話をしたら快く同じ日に休みをもらえた。ハロウィンの仮装用の衣装が木曜日に来たらしい。らしいというのは、話を聞きつけた塾のお母さんで腕に覚えある方々が衣装係を買ってでてくれたから。採寸された時は恥ずかしかったが、今は出来上がりを楽しみにしている。お母さん方と叔母の話ぶりからして不安でもあるけれど。
そんな感じで、今日は衣装のお披露目が塾の後に行われる。私はよっちゃんと久しぶりにバイトの後でお茶しながら、明かされない衣装について愚痴っていた。
「どんな格好になるにしても奇抜じゃない、控えめなのなら良いんだけど、叔母さんの話だとどうも勘違いしてそう・・・」
「けど、面白そうじゃん!学祭って自分たちで用意するから、そういう楽しみないんだよね。うらやましいよー」
「楽しみは楽しみなんだけどね・・・あー、なんか想像がつかないっていうか、魔女じゃないって言われちゃってるから」
魔女かかぼちゃかと思っている私は、かぼちゃかもしれないという不安。
「ぷっ・・・かぼちゃは無いって、さすがに。羽がついた天使とかかもよ?」
面白がっていう彼女を軽く睨んでから私も笑う。
「それこそ天使はないよ。ほんと、どんなのだろう・・・」
私にしては珍しく気にかけているせいか、よっちゃんの目が優しくなった。
「叔母さんとお母さんたちが頑張って考えて作ってくれたんでしょ?嫌がるような格好じゃないと思うよ、きっと。それに多少おかしくたって、滅多に出来ない経験が出来るんだからさ、良い事じゃん」
進学しなかった私は、コンパだの学祭だのを少しだけ羨ましく思っている。
「たまにはさ、いつもと違う非日常を楽しんだほうが良いよ」
ね?って笑いながら言われ、私も思わずそうだねと笑ってしまった。こういうところが彼女は上手い。よっちゃんと別れて塾のバイトに向かい、着いて早々に小さなポーチをバッグから出した。小さな鈴の音がかすかにして口元が綻ぶ。慌しく動いていたそれまでと、夕方からのディスクワークとを区切る音を聞くと、自然と気持ちが切り替わっていった。
「塾長、今日は終わった後に衣装合わせですよね?」
仕事中は叔母さんから呼び名が変わっても身内の慣れは消えない。それすらも叔母は嫌がり塾長と呼ぶと嫌がる。こんな風に。
「他人行儀だわ!小さかった頃はえっちゃんって呼んでくれてたじゃない」
そんな呼び方をしていたのは本当に何も分からなかった頃だけで、記憶にすら残っていない事を引き合いに出されても困る。
「塾長は塾長ですよねー。えっちゃんなんて私も呼べませんよ」
崎谷さんが間延びした声で味方してくれる。塾の事務員は私と彼女だけで、私よりもずっと古株であり、塾創立当時から叔母と一緒に塾を切り盛りしている。のんびりとした雰囲気なのに海千山千なのだ。叔母は見た目もしっかり者という感じで、中小企業とはいえ、重役となっている叔父が立ち並ぶと影が薄くなる。
「まあいいわ。衣装合わせは子供たちが全員帰ってからよ。田崎さん達も、一度子供を家まで送ってから来てくださるって。ハロウィン前に衣装がばれちゃわないように気をつけてるらしいわ」
田崎さんというのは叔母の衣装を担当しているお母さんだ。お母さんといっても、塾に通っている子供はお孫さん。田崎さんは『うちは早婚の家系だから』とほがらかに笑っていらっしゃった。
小学5年生の理科の授業が終わった所で、本日の業務は終了。子供たちも解放される嬉しさからか、一応に顔が笑っていた。
「先生、またねー!!」
田崎さん家のケンちゃんが元気よく手を振ってくれる。でも、私は先生じゃないよ。田崎さん家はいつもおばあちゃん(つまり、田崎さん)がお迎えに来てくれる。けど、今日は珍しくケンちゃんのお父さんがお迎えに来ていた。ハロウィンの準備で役割を交替したらしいのだけれど、ケンちゃんはお父さんにぶっきらぼうにしながらも、どこか嬉しそうだ。
「子供たちはみんな帰ったようね」
後片付けをしていた崎谷さんがお茶にしましょうと声をかけてくれた。最後の一人を送りだして、田崎さん達を迎えるまでにお菓子やらの準備をする。もちろん、着替えのスペースなんかも確保して。叔母もそうだけど崎谷さんも稀に見るぐらいにウキウキした顔でいそいそと用意しているのが気になる。そこに塾の先生を務めている赤尾さんと、同じく講師の向井さんと矢沢さんがやってきた。
「仮装なんて何年ぶりですかね」
はきはきした感じの赤尾さんは30代半ばのお姉さん先生。算数の先生で、子供たちからはちょっと敬遠されてる授業が厳しい、美人な先生だ。美人が怒るとかなり怖い。でも、一生懸命な子には居残りまでして教えてあげる優しい先生なんだけど。向井さんは40少しすぎた気の良いおっちゃん先生で、いつもは理科の担当だけど時たま社会科を教えてる。本当は叔母が社会担当なのだけど、叔父さんの妻でもあるので抜けられない用事が入る事があるから、叔母がお休みする時の代役となってしまっている。いつだったか、代役が続いた時は、『崎谷さんが代わりに社会科を教えれば良いよ』などと笑っていたけれど、崎谷さんは教員免許を取らなかったらしく、叔母の主義で講師に出来ないんだそうだ。
「お菓子、これで全部ですかねー」
ちょっと心配性なのは矢沢さん。この中で私より少しだけ年上の30代前半のお兄さん。こんなとこで塾の講師をするよりも歌のお兄さんになったほうが良かったんじゃないかってくらいにカラオケが上手い。しかも顔も小奇麗なので女の子達から人気がある。ちっちゃくても女の子は女の子なんですね。って私が言うせりふじゃないけど。
「矢沢君の分もあるからねー」
「あはは、ありがとうございます。あっ、かぼちゃとか栗のお菓子もあるんですね。チョコレート系が充実してますけど・・・おせんべいとかって子供達食べますかね?」
「うん? ああ、それは田崎さん達の分よ。今日衣装をもってきてくれた時にでも、心づけと一緒に渡そうかと思ってね」
心づけって・・・
私もと言おうとした時、タイミング良くというか田崎さん達が玄関越しに顔を出すのが窓越しに見えた。お客様が来た時に応対するのも私の仕事の一つなので、誰に言われるでもなく玄関に向かう。
「こんばんわ。お待ちしてました、寒くなかったです?」
世間話をしながら、衣装係の田崎さん、吉岡さん、早坂さん、八嶋さんを迎え入れる。田崎さんは叔母と崎谷さんの、吉岡さんが赤尾さん、早坂さんが私で八嶋さんが向井さんと矢沢さんの担当をしてくれた。
田崎さんと吉岡さんはそれぞれの子供と仲が良いから塾の帰り際に話することも多いし、八嶋さんは向井さんと仲が良いので良く私なんかにも気軽に声をかけてくる。
この四人の中で早坂さんはすごく大人しく、あまり打ち解けやすいタイプの人じゃない。だから協力してくれると聞いた時にはすごく驚いた。早坂さんと赤尾さんが同級生というのも驚いた。
「本当、間に合って良かったわ」
「ごめんなさいねー、時間がこんなにかかるとは思っても見なかったものだから。でも、その代わりといっちゃなんだけどオプションも付けてみたから」
吉岡さんがうふふっと笑って赤尾さんに大きな紙袋を渡す。ちらっと中を見ながら、にんまりと笑う赤尾さんに何だか嫌な気がする。この顔は絶対に私をからかう顔だ。
「わおー、すっごい!吉岡さんったら力作じゃないですかー!! 早も頑張ったわね。これなら子供も父兄も大喜びよ!」
「でしょう? 早坂さんたら、意外と大胆なデザインにするからびっくりしちゃったわ。赤尾さんはスタイルが良いし、久しぶりに作りがいがあって楽しかったわよ」
吉岡さんの言葉に早坂さんが私を見ながら微笑んでいる。愛想笑いもひきつりそうになりながら、やっぱりかぼちゃなのかそうなのかと不安に襲われたのは言うまでもないような・・・
2008/11/21