◇冬の記憶◇Act03


 彼と会話を交わしてから二週間が経とうとしていた。先週はバイトが忙しくて「SANKA」に行けなかった。今週も週末にいけるかどうか。バイトを二つもかけ持ちしているから休みの調整が難しいのだ。
 私の年であれば大学生としてキャンパスライフを謳歌するのだろうけど、大学へ行ってやりたい事のない私は最初から大学という選択肢を考えていなかった。出来の悪さを知っている親も何も言わずにいてくれたおかげで、フリーター街道まっしぐらだ。そんなわけで、バイトに勤しむ日々を送っている。
 よっちゃんはバイト生活の潤いとも言っていいくらい、私が大好きなふわふわとした綿菓子のような外見の女の子。もちろん中身だって大好きで。そうでなければ、こんな風にバイトの合間をぬってお茶したりしない。一つ目のバイトから次のバイトへ行くまでの時間は一時間程度しかないのだから。
 その彼女に、バイトが終わってから「SANKA」での話をするのが最近の日課になっている。花火大会の後にぽろっと彼の話をしてから、この間の再会と現在に至るまでの経緯をマスター以外で知っている唯一の子だ。
 この次のバイト先では同年代の子が少ない上、人見知りな性格だから打ち解けた話は出来ない。それに男性と縁のない私は女の子同士が交わす恋話というのが苦手なせいで、こういった話をする相手が限られている。
「でもさ、気持ち悪くない? いくら顔が良くたって私だったら引くよ」
 あけすけなのがよっちゃんの良いとこだ。誰よりも可愛らしい外見のくせに彼女の言葉はどこか毒があって、それがバイト仲間に人気なのだった。ギャップに弱いのは男の子も同じらしい。
 そんな彼女なので、私と彼との出会いも最初はナンパだと言われ続けたのは気にしていない。だって、そんな甘やかな空気は微塵も無かったのだから。
「前に会話したわけじゃないのに、一方的に話しかけてきてさ。ナンパと一緒。大体、男でそこまで髪が長いってのも」
 長髪の男は怪しいというのがよっちゃんの持論で、腰まであるというのは異常生態なのだそうだ。髪の綺麗さだとか、僅かでも人となりを知っている私は異常だとは思わないけど、それもよっちゃんにとっては不服で。それよりも、もっと不服なのが、
「再会した時は短かったから」
「問題じゃないの! そこは!!SANKAってお店だって私がいっくら探しても見つからないんだよ? 一緒にいた彼氏と喧嘩しちゃったし。あ〜あ〜、せっかく噂のマスターを見れるかと思ったのに」
 どうにも私が楽しそうに「SANKA」でマスターから貰うチョコやクッキーが羨ましくて、シフトが休みの時に彼氏とデートそっちのけでお店を探していたらしい。チョコレート大好きな彼女らしい行動だけど、彼氏に少しだけ同情した。
 不思議な事に、私が花火大会の日にすぐに見つけたお店をよっちゃんも彼氏も何時間もかけて探したけれど見つけられなかった。よっちゃんには道を詳しく説明して地図まで書いて渡していたのに、何度探してもそんな店は無かったと。
「喧嘩って・・・大丈夫?」
「ああ、へーきへーき。いつもの事だもん。こっちはヒールだっていうのに、全然、気にしてくれないからムカつくんだよね。男って、そういうとこ気が利かないっていうか」
 それっきりよっちゃんは彼氏への愚痴へと突入していった。大学生でもある彼女は彼氏と友情の両立が大変らしい。彼女に男友達が多いから、彼氏がやきもきするのも分かるのだけれど、それにしたってヤキモチ屋すぎだろうと私も思うくらい煩い。
「年が近いからなのかもしれないけど、たまに息が詰まるんだよね。年上ならもっとこう、包容力を!」
 1つ違いにそんなものは無理だと思うんだけど・・・
 思っても言葉にしない優しさなら、私にもある。
「シフトだって、うるさい彼氏がいるからってみんなにかなり融通してもらってるっていうのに、それでも会う時間が少ないから削れって言われるし。そのくせ、自分の都合が悪いときは会えないって自己中だよね!」
 よっちゃんと同じバイト先は、シフトの自由が利きやすいからという理由で大学生が多い。話しに聞くと、この時期はどこの大学も試験期間らしい。おかげでよっちゃんもテストやレポートに追われ、気兼ねない休みが取れないと言っていた。
 みんなが試験期間や長期休暇に合わせて休みを取るから、休みが被りがちになる。それでも助け合いの精神で乗り切ってるけれど、彼女のように恋人がいる人はデートの時間を捻出するにも大変だ。ただでさえ気を使うシフトの代替は、試験期間中はすごく嫌がられるから。
「その人だったら、こういうウザイ事言わなそうだよね」
 よっちゃんの愚痴に黙って頷いていたら、矛先がこちらに向かってきた。彼の場合、束縛するタイプではないのは確かだろう。お互いに番号もアドレスも交換していないという事実はあるけれど。それだって、こんなに間を空けずに連絡を取ろうと思えばマスターを介して出来るはずで。少なくとも、よっちゃんの彼氏はそうするタイプだ。
「言わないだろうけど。次に会う約束も連絡先も教えてくれないんじゃ、どっちもどっちじゃない?」
「それもそっか。って、相手からじゃなくて、自分から連絡先ぐらい聞けば良い話しじゃん。自分で言えないっていうなら私に連絡して。アンクのチョコで懐柔されてあげるから」
 彼女の中でチョコレートにかける思いも熱い。そして、あれだけ怪しいと言っておきながら彼と連絡を取れという。
「長髪は危ないんじゃなかった?」
「でも、気になるんでしょ? それに話しに聞くかぎりだと、ストーカーっていうわけでもないし、顔もかっこ良いみたいだし。どっちにしろ、またって言われてるんだからお店に行けばまた会うだろうから、その時に連絡先ぐらい聞いておけば?」
 異性に及び腰になっている私と違い、よっちゃんは積極的なんだと思う。外見に似合わず、平気で男の子に声をかけていき、すぐに仲良くなる。
 異性どころか同性にすら人見知りする私は、相手から積極的、かつ継続的にアプローチされ続けないと親しくなる事が出来ない。こればかりはと諦めている私を、彼女はじっと見て言った。
「せっかくの機会なんだし、彼氏が出来るとかじゃなくても、友達ぐらいにはなれるかもしれないんだから頑張ってみれば良いじゃん。彼が信用出来るって言葉、私も信じるから。上手くいけば彼氏いない暦に終止符が打てるかもよ」
 真面目な顔でいらぬ背を押される。彼とそういう関係になろうと思っていない私には、よっちゃんの熱い眼差しが鬱陶しい。冗談とわかっていても。
 異性への関心が無いわけではないけれど、どこか遠くに感じる私は、女の子と話をすると必ずこういったすれ違いがある。そのせいで、私が女の子同士の恋愛話が苦手なのを誰よりもよっちゃんは良く知っている。
 それなのに、あえてそう言う彼女に、私は口をモゴモゴと動かした。
「うーん・・・まあ。でも本当、そんな感じじゃないから」
 よっちゃんは苦笑して、
「まっ、お店に行くのが先決だよね」
 そう逃げ道を作ってくれる。毒舌でも根は優しい。
「今週末に行く予定なんでしょう?」
 よっちゃんが可愛らしく首をかしげて聞いてくるので、素直に頷く。どうでも良いことだけれど、彼女のこういう所が少し私は羨ましい。私には絶対まねの出来ないしぐさだ。
 彼女が言うように、地元の有名誌に載ったせいで、ここの所忙しかったバイト先のお店も落ち着きだして、通常通りのスタッフ数で回せるようになってきていた。この分なら週末に休みをもらっても大丈夫だろう。
 それに、夕方から入るバイト先は叔母が経営している塾で、事務とはいえ仕事のほとんどが雑用と小学生のお守りだ。
 受験を目指している子もいるけれど、この時期でものんびりした地域なのかガツガツした印象はない。元々、土日は休みの塾だ。金曜の生徒数はそう多くないから文句は出ないはずだ。
「週末に行ってみようとは思ってるけど・・・マスターの話だと、どこか会社の偉い人みたいだから・・・」
「えっ、なにそれ!? 聞いてない!!」
 俄然、興味津々なよっちゃんに笑ってしまった。
「私も詳しくは知らなくて。でも、マスターの口ぶりからしてそうみたい。って言っても、偉いっていうのがどれくらいなのかも分からないくらい、何にも知らない、私。それに彼と会うのはSANKAで、・・・」
「あー、いっつも同じ黒のスラックスに白と青のストライプシャツだっけ?社会人なのが分かる程度だよね。安っぽいのでも毎日違う服着てるケンの方がまだお洒落かも」
「よっちゃんの彼氏は十分にお洒落。服じゃなくて、まだ二回しか会った事無いのにって話!」
 たまに彼女の話は一足飛びに進んでしまう。ケンというのは件の彼氏だ。よっちゃんのフワフワしたのに合わせる事もせずに着たい服を着ている。
 彼女のちょっとした不満が安っぽいなんていう言葉になって出るけれど、私から見たら学生のわりにお金をかけている方だと思う。
「週末、行くだけ行ってみようかな。会えるか分からないけど」
 会えない可能性の方が高い。この間はたまたまタイミング良く居合わせただけ。
 以前に彼をあのお店で探していた時、常連の客に『夢の上得意客』と言われているのをたまたま聞いた。聞けば、彼のまとっている硬質な空気がまるで中世の騎士を思わせ、私たち下々には並んでお茶をすることは『夢の』ようだという事らしい。(常連のおじいちゃんが教えてくれた。おじいちゃんも昔はあれくらい格好良かったそうだ)、その後、かなりな頻度で通っていても滅多に見る事がないからという理由もついたらしく、両方の意味をかけてそう呼ばれているとのことだ。
 彼の近寄りづらい雰囲気に声をかける人はほとんどいないが、一人で佇む姿もまた硬派な雰囲気にあっていて人気があるらしい。
『開店した時の最初のお客様で、通い続けられていらっしゃるのはあの方だけです』
 滅多に来ないのに上得意客なのは何故かと問えば、マスターが目尻を下げて嬉しそうに応えたのを思い出す。
「そうそう!考えるより行動!!」
 ふわふわで華奢な体つきに色白の、まさに女の子らしい彼女だが、意外と男らしい性格も持ち合わせている。私よりも行動派なのに見かけで信じてもらえない。必ず彼女より私の方が短気なように見えるのだ。損なのはこの場合どっちだろう。新しいバイトの子には彼女の洗礼が待っていた。彼女は怒ると同時に手と足が出る。
 「あっ!時間!」
 よっちゃんがワタワタとするのを見ながら、私は週末の予定を算段していた。



 私がその翌日、塾のバイトが終わった後にいつもと違うコンビニに行こうと、足早に人通りの少ない道を歩いていた時だった。
「お嬢さん」
 こういう時に振り返ってしまうのが私の悪い癖だ。悪質なキャッチは減ったけれど、人通りが少ない所で声をかけられ後を付けられた事もあるというのに。
「お久しぶりです」
 大きくはないがすっと耳に入ってくる声とミドルに届くかどうかといった顔立ち、何より優しい微笑が「SANKA」のマスターであることを証明していた。
「あっ・・・ごめんなさい」
 不審者を見るような目つきで振り返った私は、とっさの事に頭が混乱していた。お店以外で会ったマスターの格好は、長袖のラフなライトベージュのサマーニットにディープグレーのコットンパンツという、色の組み合わせが難しいスタイルだ。髪もお店と違いセットされていないせいか、お店で見るよりも少し若く見える。
「いえ、急に声をかけたのですから。それにしても珍しいですね、こんな所でお会いするとは・・・お仕事の帰りですか?」
「ええ。この先にあるコンビニで夕飯でも買おうかと」
 声をかける時ってほとんどが急だけど・・・
 彼の優しさから出た言葉に思わず頬が緩んだ。マスターの気遣いは嫌味にならずに私を喜ばせる。
「そうでしたか。お仕事はお忙しいんですか?」
 そう聞かれて、私はまさかものぐさで夜は料理をしたくないからコンビニ弁当だとは言えない。マスターに取り繕っていたいわけじゃなかったけれど、それでも一応は女なのだ。そして、敬愛しているマスターには少しぐらい良い格好がしたかった。
「ちょっと最近ばたついてて。クタクタなんです」
 私が嘘にならない程度の言葉をつむいで苦笑してみせると、彼は「大変ですね」といたわりの目でゆっくりと頷き微笑んでくれる。しかし、更に続いたマスターの言葉に私は固まるしかなかった。
「随分、通って下さっていたので見かけないあなたを常連のお客様と心配していました。私のお店、結構あなたのファンがいるようですよ」

2008/11/17