森の中で
3) ボクはだあれ?
きゃべつをわけてもらうために、ハインリヒは、コズミさんの穴へ行きました。
コズミさんは、大きな穴に、ひとりで住んでいます。昼間は、たいてい外で、畑のそばの木のベンチに腰かけ、本を読んだり、誰かの話し相手になったり、白と黒の石を使って遊ぶ、ゴー碁ーというゲームをしていたりします。
今日はコズミさんは、まだ、穴の中にいました。
「やあ、ハインリヒ、ひさしぶりに、碁でもするかね?」
にっこりと、長いたっぷりとした白いひげの奥で、コズミさんが笑います。ハインリヒも、にっこりと笑顔を返しました。
「今日は、きゃべつをわけてもらいに来ました。」
「きゃべつかね。」
コズミさんは、穴のいちばん奥へゆくと、大きな木の箱を開けて、そこから、きれいな淡いみどりのきゃべつを、持ってきてくれました。
今年のきゃべつは、にんじん同様、いつもの年よりも小さく、どっしりでも、ずっしりでもなく、ふわんと、ハインリヒの前足に乗ってしまいます。
コズミさんは、少しだけ、申し訳なさそうな顔をしました。
ひげを撫でながら、
「今年の冬は、大変かもしれん。」
ぽそりと言って、ほんの少しだけ、心配そうに目を伏せます。
「・・・森から、ブルーベリーを、いっぱい見つけてきます。」
コズミさんを励ますように、ハインリヒは言いました。
それにうなずいてから、コズミさんが続けて言いました。
「森では、変わったことはないかね。」
ハインリヒは、ちょっとの間、どう答えようかと考えました。
山犬さんのジェロニモのことを、言った方がいいのかな。
けれど、ジェットが言ったこと---山犬はうさぎをくう---と、ジェットが、ジェロニモをこわがっているらしいことを思い出して、ハインリヒは、まだ、コズミさんには何も言わないことにしました。
「別に、何も。」
頭を振って見せると、それに合わせて、ふるふるとたれた耳が揺れます。
その仕草を見て、コズミさんが、少しだけにっこりしました。
「ねえ、コズミさん。」
最近、ずっと考えていることを、代わりに訊いてみようと、ハインリヒは思いました。
「なにかね?」
「ボクは、どこから来たんですか?」
コズミさんがまた、困り顔を見せます。笑い顔は、どこかへ消えてしまいました。
「さあ、どこだろう。森の入り口で、まっしろい赤ん坊うさぎを見つけた、それしか、ワシは知らんよ。」
「森を抜けて、あちらがわに行ったら、ボクそっくりのうさぎが、見つかるでしょうか。」
コズミさんは、悲しそうに、首を振りました。ぴんと立ったままの短い耳は、動いても揺れません。
それを見て、ハインリヒは、ほんの少し悲しくなりました。
「・・・やめておきなさい。森のあちらがわに何があるのか、誰も知らんよ。この村のうさぎなら、他にどこへゆく必要もない。」
まるで言い聞かせるように、コズミさんはゆっくりと言います。
ハインリヒは、少しだけ、唇を突き出して、引っ込めて、しぶしぶとうなずきました。
「森にゆくなら、気をつけて行っておいで。」
それにまたうなずいて、ハインリヒは、もらったきゃべつを抱えて、コズミさんの穴を後にしました。
ハインリヒが、いつもの木の根元にゆくと、そこにジェロニモの姿はなく、ハインリヒは驚いて、辺りを見回しました。
ジェロニモがいつも坐っているところは、草が少しへこんでいて、匂いもまだ残っています。
ハインリヒは、ぴすぴすと鼻を鳴らして、森の空気の中に、ジェロニモも匂いを探そうとしました。
かごときゃべつを地面に置いて、ジェロニモの姿がどこかに見えないかと、ぴょんぴょんと飛んで、遠くを見ます。高く飛ぶと、たれた耳が、はたはたと揺れるので、慌てて両手で押さえました。
30回も、そんなジャンプを繰り返した頃、森のもっと奥の方から、こちらへゆっくりと歩いてくる、ジェロニモの姿が、遠くに現れました。
ハインリヒは、思わず、そちらへ駆け出してゆきました。
ジェロニモは、走ってくるハインリヒに気づいて、驚いたように足を止め、ハインリヒは、思い切りジャンプすると、ジェロニモの肩に、飛びつきました。
薬草の匂いのする、傷ついた方の腕で、ジェロニモがそんなハインリヒを受け止めてくれます。
「どこかに、行っちゃったかと、思った。」
はあはあと、息を少し切らせて、ハインリヒは、ジェロニモに言いました。
ジェロニモが、おかしそうに、すまなそうに、苦笑いして、肩に乗ったハインリヒに向かって、小さく首を振ります。
ハインリヒを肩に乗せたまま、ジェロニモは、いつもの木の根元に向かって、ゆっくりと歩き出しました。
「どこへ、行っていたの?」
前を向いたまま、ジェロニモが、別の手に持っていたものを、軽く上げて見せます。
大きな葉っぱの上に、真っ赤な実が、たくさん乗っていました。
「一緒に食べる。」
「ボクにもくれるの?」
ジェロニモが、大きくうなずきます。
ジェロニモが歩くと、木の根元に、すぐに着いてしまいました。
ハインリヒを下ろして、ずっと坐っていた場所に、また腰を下ろし、ふたりが向かい合った間に、ジェロニモは、抱えていた真っ赤な実を置きました。
ハインリヒは、持ってきたきゃべつを、その傍に置きました。
「これはなあに?」
真っ赤な実を、一粒取って、ジェロニモに訊きます。
ブルーベリーよりも、もっと大きくて、もっとつやつやしていて、もっと甘い匂いがします。
ジェロニモも、一粒取りました。
「クランベリー。」
「くらんべりー?」
ジェロニモが、微笑んで、先に口に放り込みました。ハインリヒも、大きく口を開けて、真っ赤な実を舌に乗せます。
甘い匂いと果汁が、口の中にあふれました。
「おいしいね。」
クランベリーの山に、また手を伸ばします。
3粒続けて食べた後、ハインリヒは、今度はきゃべつに手を伸ばしました。
ぱりぱりと葉を取って、1枚を、ジェロニモに差し出します。ジェロニモは、指先でつまんで、きゃべつの葉を受け取って、大きな口の中に、まるごと入れてしまいました。
ハインリヒは、両方の前足できゃべつの葉を持って、ぱりぱりと、前歯でゆっくりかじります。
きゃべつが、半分くらいの大きさになった頃、ジェロニモが、クランベリーをつまむ手を止めて、疲れた様子で、後ろの木にもたれかかりました。
「あした、雨、降る。」
上を見上げて、そう言いました。
ハインリヒは、きゃべつの葉をかじるのをやめて、思わずつられて、上を見ました。
空は、いつものように、青く透き通っていて、黒い雲など、どこにも見えません。
そんなふうには見えないなあと、思いながら小首をかしげると、ジェロニモが笑って、ほんとうだ、と言うようにうなずいて見せます。
きっと、山犬のジェロニモには、うさぎのハインリヒにわからないことがわかるのでしょう。
ハインリヒはまた、ぱりぱりと、きゃべつの葉をかじりました。
「おまえの目、空と、同じ色。」
突然、ジェロニモがそう言いました。
それは、村の、他のうさぎたちがそう言う時とは、なんとなく違う気がする、そんな言い方でした。
気にしたことはなくても、そう言われるたび、いつも、ほんの少し悲しい気分になるのに、今は、しっぽの辺りがむずむずするような、なんとなくくすぐったい気分で、ハインリヒは、たれた耳をぴくぴくさせながら、思わず肩をすくめて、くすんと笑ってしまいました。
ありがとうと言いかけて、ありがとうと言うべきことなのかどうか、よくわからなくて、ハインリヒは、またくすんと笑って、軽く頭を振りました。
空の青さに誘われたように、ハインリヒは、きゃべつの葉を最後まで食べて、それから、ちょっとだけ考え込んで、ずっと聞きたかったことを、口にしました。
「ジェロニモは、森の外からやってきたの?」
間を置かず、ゆっくりとジェロニモはうなずきました。
「森の外には、ボクみたいなうさぎがいるの?」
今度は、うなずかないまま、ジェロニモが、じっとハインリヒを見つめます。
ハインリヒは、その、濃い茶色い瞳から目を反らさずに、また重ねて訊きました。
「森の向こうには、ボクみたいなうさぎがいて、それから、コズミさんが言うみたいに、おそろしいいきものもいるの?」
ジェロニモは、まだ答えずに、今は傷のふさがった腕を、目を伏せて見下ろしました。
それから、傷のない方の手で、顔にある線を、そっと撫でます。
ハインリヒは、しんぼう強く、ジェロニモが何か言うのを待ちました。
「うさぎ、知らない。おそろしいいきもの、いる。」
ハインリヒは、大きく息を吐き出しました。
自分がどこからやってきたのか、やっぱりわからないのだろうかと、ほんの少し悲しくなりました。
森の外へ行っても、おそろしいいきものに出会ってしまえば、どうなるかわかりません。
コズミさんの言う通り、ひとりだけ姿の違うあの村に、ずっといた方がいて、自分がどこから来たのかなんて、探さない方がいいのかもしれないと、ハインリヒは思いました。
ジェロニモが、残ったクランベリーを、乗っていた葉でくるんで、残りのきゃべつを、一緒に取り上げました。
「雨降る。動く。」
うつむいて、考え込んでいたハインリヒは、立ち上がったジェロニモに驚いて、慌てて一緒に立ち上がり、どこへ行くのか、歩き出したジェロニモの後ろを、とことことついてゆきます。
ジェロニモは、ハインリヒに合わせて、ゆっくりと歩きます。ハインリヒは、ジェロニモの横を、一生懸命歩きます。
鼻先に、ふっと、あの、真っ赤な実の匂いが届いてきました。
ジェロニモがそこで足を止め、目の前を指差しました
「あそこ、クランベリー。」
繁みに目を凝らすと、あの、真っ赤な実がぽつぽつと見えます。
ハインリヒは、思わず、わあっと声を出して、飛び上がりました。
よく見えれば、そこに広がる、背の低い大きな繁みには、全部赤い実がなっています。
「摘んで、村に持って帰ってもいい?」
ジェロニモを見上げて、弾んだ声で聞くと、ジェロニモは、にっこりと笑って、ハインリヒを見下ろします。
それからまた、今度は、繁みの左の方を指差しました。
「あそこに、穴、ある。雨降る、あそこにいる。」
言われた方へ首を回すと、確かに、穴の入り口が見えました。
うんうんとうなずいてから、ハインリヒは、クランベリーの繁みに、突進しました。
みんなが喜ぶといいな。冬のことを心配していた、コズミさんの顔を思い浮かべて、ハインリヒは、一生懸命赤い実を摘み始めます。
穴の方へ行って、クランベリーときゃべつの残りを置いてから、ジェロニモが戻ってきました。
背の低い繁みに、大きな体を傾けて、ジェロニモも、クランベリーを摘み始めます。摘み取った実を、ハインリヒのかごに入れてくれました。
ふたりで、一緒にクランベリーを摘みながら、空はまだ、ハインリヒの瞳と同じように、澄んだ青のままでした。
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