the way i feel
(5)
この間よりも、滞りも戸惑いも少なく、何をどうすると、いちいち話し合う必要もなく、頭まですっぽりと覆った毛布の中で、ふたりはじゃれ合うように抱き合った。
唇が重なっていなければ、互いの耳朶や首筋に触れていたし、そうしながら、指先は休まずに、剥き出しの皮膚の、あらゆるところを探っている。
ハインリヒが、物珍しげに、右手で、体中に散った傷跡を、ひとつびとつ確かめるようになぞって来るのに、時折くすぐったいとかすかに声を立てる以外は、ジェロニモは、ハインリヒの呼吸の音に耳をすませて、自分の指先のたどり着く先の正しさを、推し測ろうとしていた。
きわどく触れるのに、もうためらいはなく、互いに、開いた膝の間に、互いの手を遊ばせて、けれどもう少し、ゆっくり先へ進みたいと思ったから、相手を追い詰めるような触れ方はまだしない。
脇腹の辺りに掌を滑らせながら、ジェロニモは、ハインリヒの耳に後ろに、唇を押し当てた。頬の辺りに触れる、ハインリヒの銀色の髪の感触のかすかさに、こっそりと驚きながら、ふと、それに煽られるのを感じた。
いつにない、やや乱暴なやり方で、ハインリヒの、耳の軟骨を噛む。奇妙な形に折れ曲がり、人工で造り出すには骨が折れるという、その耳の流線を、食みながら、舌先でなぞってゆく。
胸の下で、ハインリヒの肩が慄えた。
ごく近くで、ほとんど吐息のような声が聞こえて、頬を上気させたハインリヒ──闇でも見える目に、心から感謝しながら──が、潤んだ水色の瞳で、自分を斜めに見上げているのに、ふと、首の後ろの辺りで、血が逆流する音をはっきりと聞いた。
壊す気遣いのない相手だという安堵に、ともすれば流されそうになるのに、ジェロニモは必死で耐えている。耐えなければと思いながら、けれど生まれて初めて、自分の忍耐力に疑問を持った。
なるほど、何もかもを取り去って、裸になって、そうやって初めて本性がわかるというものだと、それなりに高潔と言われる態度を保つことが当り前になっている日常と、これはまったく異なるのだと、ジェロニモは初めて自覚していた。
極めて非日常的だ。長い仲間と、今、こうして、その線を越えて抱き合っている。親愛というものを越えて、別の何かを、一緒につかもうとしている。
触れればあたたかいひとの体は、同性であろうと、にせものであろうと、自分ではない他人のものであるというだけで充分だと、ジェロニモは、心のどこかが深い満足感に満たされるのを感じた。そうしてそれが、誰か、自分が深い好意を持っている相手で、相手も同じ程度に、自分を好ましいと思っていてくれるなら、どんなことも正しいことと言い切れるのだと、そう自分の中で、ハインリヒとのことを、理屈ではなく納得できるような気がし始めていた。
誰かに判断してもらう必要はない。自分に訊けばいい。幸せかと。
ああ、幸せだと、胸の中で声がした。
ジェロニモは、自分の方へ肩を回してきたハインリヒの熱い躯を、力いっぱい抱きしめた。
抱いた腕の力をゆるめずに、重なっていた胸の位置をずらして、ハインリヒの右肩へ唇を落とす。
首の付け根の、鉛色の装甲との境い目を、下へ向かって舌先で探る。
ここを人工皮膚で覆う時は、きっと体温が均一になるように、人工血液の流れを変えるのかもしれない。皮膚の部分は温かく、装甲の部分は、見た目通りに冷たかった。皮膚と装甲と、同時に歯を立てて、ジェロニモは、みぞおちの近くに触れた時に、ハインリヒが我慢できなくなったように喉を反らして、わずかに声をもらしたのを聞いた。
掌を、脇から腰近くへ滑らせ、そうしながら、今度は皮膚ばかりの左側へ移る。生身ではないとは信じがたいような、見事に再現されたそちら側だった。それでも、左の掌に触れる、ハインリヒの装甲部分の感触を、それはそれで愉しみながら、ジェロニモはハインリヒの胸元に顔を伏せたままでいる。
血の気にまだらに染まった白い皮膚を、ほとんどまばたきをするまつ毛さえ触れそうな近さで眺めて、そこにかかる自分の息の生温かさが、ハインリヒの腹筋と胸筋を波打たせるのに励まされて、まるで食むように、今は張りつめている膚を、唇の間に挟む。
少し強く噛めば、跡さえ残る人工の皮膚だ。この間よりは、わずかではあっても余裕のある仕草で、大きな掌でハインリヒを撫でながら、少しだけ、唇の位置を上へ上げた。
いつも青白く見える唇よりも、さらにひと色淡いそこへ、まだ歯は立てずに、触れた。
尖りの硬さを舌先で確かめると、大きくハインリヒの肩が動く。逃がさないように、背骨の付け根辺りに触れていた手を前へずらしてきて、腰を引き寄せた。もがくように動いた脚が、ごく自然にそうなって、開いた間にジェロニモを抱き寄せる形になる。腰から掌を滑らせて、腿の内側へ触れながら、色の淡い尖りを、歯列の間に捕らえると、鉛色の手の甲へ唇を押し当てて、ハインリヒが必死に声を殺したのが聞こえた。
そこへ、濃く血の色を残す気はなかったけれど、痕を残してみたい気持ちに逆らわずに、唇を押し当てた。
ひどく意地の悪いことをしていると、そう思いながら、自分の下で、逃れようとしているのかどうか、身をよじり続けているハインリヒを、ジェロニモは、痛めないように、そっと押さえつけている。
鎖骨の辺りまで、触れたままの唇を滑らせて、それから、ハインリヒの喉を噛んだ。動物たちがじゃれ合う時と同じに、傷つけたり嚇したりするためではなくて、親愛を示すために、ハインリヒの喉を甘く噛んだ。
反った喉が、震えて、舌先に触れる。そのまま舐めながら、もう一度噛んだ。
背中や腰の辺りをさまよっていたハインリヒの両手が、不意に、ためらいのない動きで、ジェロニモの首の後ろを探り始める。引き寄せられているのだと思った時に、色の違う、生身に見える手とマシンガンの手が、同時に、ジェロニモの刺青の線を探り当てた。
うなじからずっと、あごの下まで続いている、その白く皮膚に刻み込まれている線を、ハインリヒの指先がたどる。剃り上げた頭部は、それでも体の他のどこよりも皮膚が薄く、細かな血管──ほんものではないけれど──が無数に走っているのが、ハインリヒの指先に伝わっている。ハインリヒの指先は、左右で温度が違うように、ジェロニモには思えた。
ジェロニモの、丸く盛り上がったまぶたに触れ、そこで目を閉じたジェロニモの、眼球の形をなぞって、ハインリヒの指は、静かに頬へ降りてゆく。唇のすぐ傍で、指先が止まった。
ジェロニモは、閉じていた目を、ゆっくりと開けた。ハインリヒを見下ろして、上気した頬と水色の潤んだ瞳が、この世で何よりもいとしいものに思えて、腕の位置をずらすと、ハインリヒの頬を、両手で挟む。触れるだけの口づけを落として、ハインリヒを、ただ抱きしめようとした時、不意にハインリヒが動く。
開いた唇から、濡れた舌が見えた。思う間もなく、肩の辺りにあった両手が首を引き寄せて、歯のぶつかるような勢いで、色の淡い唇が重なってくる。誘われるように唇を開くと、ハインリヒの舌先に捕まった。
腰に回した脚と、首に回した腕と、ジェロニモに絡みついて、ハインリヒの背中が、シーツから浮いていた。そのすき間に、ジェロニモは、ためらいもなく両腕を差し込んでいた。力を込めて互いを抱いて、汗に湿った胸が、紙1枚すら入らない近さに重なっている。
思わぬ形にハインリヒを抱き上げて、下腹の辺りに当たるハインリヒの熱さに、ジェロニモは、もっと近く、ハインリヒの腰を抱き寄せていた。
唇を重ねている最中に、不意にハインリヒの片腕が首から外れ、そうして、ふっと胸の間になまぬるい空気が入り込んでくる。汗に湿った皮膚を撫でて、そのすき間は、ハインリヒが絡めていた足を外すと、もう少し広がった。
どうしたかと、ジェロニモがふとハインリヒを見つめた。
その視線を、やや潤んだ瞳で受け止めて、そうして、ハインリヒの色の薄い唇の端がわずかに上がる。まるで、何かいたずらでも思いついた、子どものような表情に見えた。
また、ジェロニモの腿の辺りに足を絡めるようにして、それから、ハインリヒの体が左側へ回り上がってくる。鉛色の掌に肩を押され、素直にそれに従えば、ごく自然に足が絡まり下腹の辺りを合わせて、今度はハインリヒが上から見下ろす形になった。
同じ近さだというのに、何となく勝手が違う。ジェロニモはかすかに眉を上げて、ハインリヒは少しだけ目を見開いて、ふたりは黙って見つめ合った。どこか照れくさくて、それを隠したくて、ハインリヒが先に動いて、ジェロニモの頬を両手で撫でる。
胸の辺りから喉元にかけて、何か、突き上げるものがある。そこだけはジェロニモに触れていない胸を上下させて、ハインリヒは、大きく息を吐いた。
ため息のように聞こえるそれに、ジェロニモが、まるであやすようにあごを軽く上げて、ハインリヒに微笑みかける。
ジェロニモの微笑みに、苦笑のまざる微笑を返して、ハインリヒは、ジェロニモの両肩に置いていた掌を、二の腕に向かって滑らせた。
そこにも傷跡のある、他に比べれば皮膚の柔らかい腕の内側に、まるでこわれもののように指先で触れて、そうしながら体を起こしたハインリヒは、ジェロニモのぶ厚い腰をゆっくりとまたぐ形に両膝を開いてゆく。
そうすれば、もう隠しようもない躯だったけれど、闇でも見える目のことは今は忘れて、ジェロニモの視線が、あごの辺りからみぞおちへ素早く滑ったのには気づかないふりをしたまま、ハインリヒは、ジェロニモの肘の辺りを、両方一度にゆっくりと持ち上げた。
喉元に突き上げていた何かが、喉から胸へまた戻り広がり、そこから、背骨の方へ向かってゆく。熱い、と喉の奥でそうひとりごちて、ハインリヒは、ジェロニモの両腕を頭の方へ上げさせて、ゆっくりと、手首までを掌で撫で上げてゆく。
骨の太い、肉の厚い掌だ。そこへ、じれったくなるほどの時間を掛けて、自分の色違いの掌を重ねて行った。
指の間に、指先が入り込む。けれど、開いたまま、握り合うことはしない掌と指だ。合わせた掌が、ふたりの汗で湿っている。それはそのまま、ふたりの熱い躯だった。
「・・・ジェロニモ。」
こんな時に名を呼ぶのは、何か、とても特別な響きがこもる。こめかみの辺りに、血が上るのがわかる。
ハインリヒの、その特別な響きを聞き取ったのか、ジェロニモが、やや戸惑ったように──あるいは、照れたように──、返す言葉を考えあぐねて、半開きに唇を動かした。
そこで動く舌先に誘われて、ハインリヒは、ジェロニモの返事も待たずに、そのまま体を前に倒した。濡れて開いた唇が重なって、食むように、舌が触れる。呼吸を飲み込む音が、ふたりの喉の奥で鳴った。
ふたりの指先が、同時に、互いの掌を握り込んでいた。
指先に力を入れると、まるで合わせたように躯が揺れる。焦っているわけではなかったけれど、もっと近く躯を寄せたくて、ハインリヒは、それを伝えるために、ジェロニモの唇を軽く噛んだ。
折った指先で、ジェロニモが応えるように、ハインリヒの手の甲を撫でてくる。そんな小さな触れ方が、今はもっとハインリヒを煽る。
熱くなった辺りをこすり合わせて、ハインリヒは、夢中なふりでずっと考えていた。もっと近く触れたいと、自分の中で起こるささやきに、次第に耳を傾けながら、これ以上踏み込んでゆくことに不安も感じて、そこで踏みとどまるべきかどうか、ひとり迷っていた。
そうまでして、ひとの──男と女の──真似事がしたいかと、まるで嘲笑うような声が聞こえる。そうして、そう思って何が悪いと、やや小さな声で、言い返す言葉も聞こえる。
そんなに、他人のあたたかさに飢えていたのかと、もっともっとと先を求めてしまう自分に気がついて、ハインリヒは、まだ素直にはなり切れずに、サイボーグにされた自分の体のことを考えた。
生身を模した体だ。どこまでが限りなくほんものに近く再現され、どの辺りが用無しと見限られたのか、自分の体だというのに、きちんとは知らない。戦うため以外に必要なことなど、確認する暇もなかったからだ。生きるということは、ただ呼吸をして体を動かすということだけではなかったのだと、今思い知っている。
これも、ひととして生きるという、その一部だ。
ああそうかと、ひどく穏やかな気分にひたりながら、心のどこかで、小さな歯車が噛み合う音がした。その歯車が、ぎこちなくではあったけれど、ハインリヒの、鉛色の右腕を動かした。
「・・・ちょっと、動かないでくれ。」
ジェロニモが自分を見上げているのに、そう言い置いて、ハインリヒは、折った両膝をずり上げて、ぶ厚い腰をまたぐ形に体を起こす。湿って熱い腿の内側が、ジェロニモの、そこも傷跡だらけの皮膚に、滑って触れてゆく。
右手だということを気にしながら、後ろに手を回して、見事に筋肉の浮き出た下腹の辺りからもう少し下へ、そっと探って行った。
迷うこともなく、そこへたどり着く。そうやって指先と掌に触れれば、よけいに存在感の生々しいそれだった。掌の中の熱さに、ややひるみそうになりながら、手探りで、導こうとした。
胸元にあごの先を埋めるようにして、ハインリヒを黙って見守っていたジェロニモが、するりと触れた感触に、驚いたように目を細めてから、ハインリヒの腕の動きでそれを察知したのか、助けるべきか逆らうべきか、どちらか迷った表情を浮かべる。
「大丈夫か・・・。」
この場には、やや不似合いな台詞だったけれど、思わずそう口にして、ハインリヒの腰の辺りにそっと手を添える。
「・・・どうだろうな。」
始めた当の本人が、思っていたよりも難しいその動きに、下唇を噛んでいた。
「自分の体だってのに、どうなってるのか、ちゃんと確かめたこともないからな。」
少なくとも見た目は、きちんと再現されているようだ。けれど、自分ではよく見えないところはどうなのか、ジェロニモに触れたまま、ハインリヒはやや焦り気味に、自分の躯を探った。
こうやって、躯を繋げることは、不可能ではないはずだった。何とかなるだろうと、ハインリヒは、体の重みをジェロニモに預けようとして、まだ果たせずにいる。
触れるだけで、そこから先へは進まない。自分の上で、あれこれと悪戦苦闘しているハインリヒの右手を、ジェロニモが押さえて止めた。
不意に近づいて来た耳元で、まるで子どもをあやすように唇を鳴らす音が微かに聞こえて、思わず体の力を抜いたところで、強い手足が絡んで来る。
体の位置が入れ替わると、ハインリヒの耳元に唇を寄せたまま、ジェロニモの手が、腿の裏側を滑って行った。
首の後ろから腕が回り、胸に押しつけるように、抱き寄せられていた。まるで怯えたように縮まった両腕が、ジェロニモの胸に当たって、逆らうつもりもないのに、そこから逃れようと、うっかり体が動く。
肩から背中へ移動した掌が、耳元で聞こえる小さな声と一緒に、なだめるようにハインリヒの湿った肌を撫でていた。
指先が、そっと伸びて、触れた。震えかけた肩を、ジェロニモが無言で押さえた。ハインリヒは、声を殺して、ジェロニモの胸に顔を埋めた。
指の感触は、わかる。痛みと言うよりも、奇妙な違和感ばかりで、そこで、ゆっくりと先へ進もうとしている指先が、戸惑っているのが、皮膚越しに伝わってくる。
何か妙だと、すぐに気がついた。
改造されて以来、武器庫にされてしまった部分ばかりに目が行って、目立たない場所が一体どうなっているのか、考えたことすらなかったのだ。武器として役立たずな箇所が、機能すら与えられずに放っておかれていたとしても何の不思議もないのだと、なぜ今まで考えもしなかったのかと、突然湧いた悔しさに、ハインリヒは知らずに、ジェロニモの胸に鉛色の指先を押しつけていた。
「・・・やめておいた方が、よさそうだ・・・。」
なるべく感情は込めずに、素っ気ないというわけではなく、ただ平坦に、ジェロニモが静かにささやく。
そこから離れた手が、ハインリヒを抱きしめてくる。ジェロニモのぶ厚い胸に沿って折れ曲がるハインリヒの背中には、鋼鉄の背骨が通っているし、そこを抱くジェロニモの腕も、金属のにせものだ。今重なっている膚は、強化プラスティックでできているし、そこに流れる汗も、化合物の組み合わせの、本来は水分ですらない何かだ。
だから、あるはずの筋肉がなくても、粘膜や神経が根ごそぎ取り去られていても、何の不思議もないのだ。
わけのわからない金属とプラスティックと化合物で組み立てられた、空っぽの筒に手足のようなものをつけた人形なのだと、胃の奥──もちろん、それもにせものだ──をねじ切られるような痛みを覚えて、その痛みもほんものではないという、救いようのない気分に陥る自分を、ハインリヒは止められなかった。
唇を噛んで黙り込んでしまったハインリヒを、慰めるようなことは何も言わずに、ジェロニモは数分、ただ黙ってハインリヒを抱きしめていた。
首筋を撫で、頭を撫で、背中を撫でて、額や頬に、触れるだけの口づけを落とす。そうするうちに、ようやくハインリヒが、下ばかりを向いていた瞳を上に上げ、口づけにまた応え始めたのを確かめてから、足元近くまで蹴り落とされていた毛布を引き上げ、それでまた自分たちをすっぽりと覆うと、さらに奥へ潜り込み、ハインリヒのみぞおちの辺りへ、唇を押し当てた。
「何もしなくていい。」
そうささやく声が、熱っぽく皮膚に当たる。大きな掌が、皮膚と装甲の境い目にあった。つなぎ目に、指先が滑る。そうしながら、もう片方の手が、腿の裏側の方へ進もうとしていた。
その手を止めるべきかどうか、迷いながらハインリヒは、唇の辺りを手の甲で覆う。情けない表情を、さり気なく隠すためだったけれど、そうする前に、ジェロニモにはとっくにもうばれているだろう。
膝の辺りを撫でた後で、ジェロニモの掌が、脇腹を滑って腹に触れる。まるで包み込むように、ゆったりと指を広げたそこに、追い駆けるように唇が降りてくる。それから、硬いあごの線が、筋肉や骨の線をなぞった後で、まるで頬ずりするような仕草で、ジェロニモの刺青が、ハインリヒに触れた。
覆われた毛布の中で、ふたり分の熱がこもる。息と、体温と、長く憶えのなかった湿りと、息苦しさには気づかないとでも言うように、ひどく穏やかに、ジェロニモが、ハインリヒにそうして触れていた。
下腹や腿の付け根の、皮膚の薄い辺りは、こもった熱と内側からの熱で、かすかに湿りを帯びている。今はいちばん熱いそこを、ジェロニモが舐めて湿した唇で、静かに覆った。
ハインリヒは、はりつけられたように、動けなくなった。知らずに膝を立てて、ジェロニモがそうしやすいようにと、誘うつもりはなく足を開いた以外には、突然包まれたあたたかさに、噴き出すような熱がなだめられてゆくのに、時折背を反らして応えるだけだ。
追い詰めるようではなく、追い立てるようでもなく、ただひたすらの穏やかさで、ジェロニモがハインリヒを包んでいる。白い陽に、長々とぬくめられた、深い蒼碧の波間に手足を伸ばして漂っている。見上げた空は、果てしもなく青く、自分を押し包む自然の巨大さの前では、生身ではないことも、ひとではないことも、武器まみれの改造人間であることも、思い煩う必要すらないことのように思えた。
生身なら手探りのはずの闇の中で、狭まる視界の中に、ハインリヒは確かに空と海を見て、感じていた。
ゆっくりと、静かに、慰撫するように、ジェロニモが触れている。どこかの土地の、地面と同じ色をしたその膚の色が、ハインリヒに重なっている。
その地面に、雪が降り落ちることはないのだろう。白いのは、照りつける太陽の光の色だ。
熱い何かと、冷たい何かが、どこかで交じり合い始める。湧き出す熱が、体に通る鋼鉄の板を溶かし、闇色の視界に、緋い光になってちらつき始めていた。
先を急がずに、むしろ、それが目的ではないとでも言いたげな、ただ触れているだけの動きに、逆にひどく煽られている。焦れて、ハインリヒは、思わずシーツから背中を浮かせた。
促すように、躯の動きで伝えた。
そこで、応えるように、ジェロニモの舌が一度大きく動いてから、唇が外れた。外した勢いのまま、大きな体がずり上がってきて、ハインリヒの肩を返すと、背中から強く抱きしめに来る。太い腕が胸の前に回り、もう一方の腕は、さっきまで唇が触れていたところに戻る。首筋と肩に、濡れた唇が、噛みつくように押し当てられた。
背中と腰が重なる。押さえ込むように足同士が絡まり、抱き寄せられながら、ハインリヒも、腕を隙間からねじり上げて、ジェロニモを抱きしめる。
今は、大きな掌に包まれ、それが、自分を追い立てるのに、素直に従って、動いてずれた毛布が、床に落ちていることに気づかないほど、ふたり一緒に熱かった。
耳やあごにも、唇が触れる。それを追って、首をねじ曲げる。決して大きくはないベッドがきしんで、他には音のない部屋の中で、びっくりするほど騒がしく鳴った。
声を殺す。速くなる呼吸は止められない。シーツに顔を押しつけて、噛んだ。
数瞬、息を止めていた。吐き出す呼吸とともに体の力が抜けて、反り返っていた背中を元に戻すと、ごく自然にジェロニモの胸に寄りかかる形になる。
体の重さも忘れて、ジェロニモに背中を預けて、息を整えるのにしばらくかかる。ハインリヒの汗ばんだ体を、ジェロニモが、静かに抱きしめていた。
首の下に敷き込んだままの腕が、そこから胸に回り、姿勢を変える様子もなく、ジェロニモは、ハインリヒに、もっと近く体を寄せて来る。濡れた膚がぴたりと張りついて、まだ残る熱を、そこにこもらせる。
熱は静まってゆくけれど、溶けたように、体は離れない。
ハインリヒを抱いたまま、もう何度もそうしたように、ジェロニモが、今はかろうじてベッドの隅に引っ掛かっている毛布の端切れを爪先で手繰り寄せ、冷え始めた体をそっと覆う。
毛布の上からまた、しっかりと抱きしめられた。
まるで、身動きを封じるように、ジェロニモの大きな腕の輪の中に捕らえられて、ハインリヒは、困惑したように首を後ろにねじ曲げた。
おまえさんは、と口にしようとして、唇の端に、かすかな音を立ててジェロニモが口づけて来る。そこから先へは、進むことのない、触れるだけの口づけだった。
「・・・部屋には、まだ、戻るな。」
ひそめた声の、命令口調のくせに、ねだるような響きのある言い方で、ジェロニモにはまるで似合わないそんな声音に、ハインリヒは驚いて、もっと強く首を曲げる。
「朝までいても、別に誰も変には思わない。」
かすかに眉の端を上げて、ハインリヒは、ジェロニモの硬い肩に向かって頭を傾けた。
「そうだな、多分。」
それはつまり、大きくはないベッドで、こうしてぴったりと体を寄せ合って朝まで眠るということだ。それを、考えないでもなかったハインリヒは、まるでジェロニモに説得されたという素振りで、毛布の中へ体を少しずり下ろし、このまま眠るのにちょうどよい位置を探して、ジェロニモの二の腕と肩の上に、頭をさまよわせる。ごつごつとした腕は暖かく、まだ残る汗は、どこか南の土地の、雨の気配を含んだ、土の匂いを思わせた。
爪先を伸ばして、ジェロニモの足首を探る。胸と背中を重ねて、足を絡めて、できるだけぴったりと寄り添うと、ハインリヒは、眠れるかどうか不安に思いながら、そっと目を閉じた。
おやすみと聞こえる代わりに、耳の辺りに、また温かい唇が触れて、それはしばらくの間、寝息に変わることはなかった。
眠れないなら、また抱き合えばいい。互いに手を伸ばして、親密さを確かめ合えばいい。あたたかなひとの体が、こんなに近くにあるということに、気が昂ぶって眠れない。ふたりは、互いに気遣い合いながら、腕や足を絡め合ったままでいる。
そう言えば、明日の朝、どこでシャワーを浴びようかと、そんなことを不意に考え始めた頃、ついに睡魔が襲って来て、ハインリヒは、ジェロニモの胸に顔を埋める形に、いつの間にか眠りに落ちていた。
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