the way i feel


(7)

 「ギルモア博士、話があるのですが。」 
 ひっそりとジェロニモが去って行って、1週間が経っていた。
 ひとり決心が決まるまでに数日、どうやって切り出そうかと、さらに悩んで数日、結局のところ、あれこれ考え込んだところで、率直に言う以外ないという結論は、最初から明らかだったから、イワンが寝ついて、ジョーとフランソワーズがふたりきり散歩に出掛けて行った夜、ハインリヒはようやく意を決して、ギルモアの部屋を訪ねて行った。
 机に向かって、何か書き物をしていたらしいギルモアは、ペンを持つ手を止めてドアの方へ振り返ると、ひとり掛けのソファをハインリヒに勧めて、まばたきをしながら眼鏡を外した。
 「何か、あったかね。」
 直した後の体に、何か不具合があるかと、そう訊いている口調だった。いいえと、それに頭を振って、ハインリヒは椅子に腰を下ろして、床に視線を落とした。
 「体は、大丈夫です。」
 さて、ここからが問題だ。さらりと口にしてしまえれば、それがいちばんいいとわかってはいても、ごく普通にある体の不調のことではないのだ。武器云々の改造の話でもない。言ってみれば、サイボーグとして、何よりも優先性の低い話だということと、何しろジェロニモが関わっている──わざわざ、それを言うつもりはないけれど──ということが、どうしてもハインリヒの口を重くする。
 どう切り出そうかと、ハインリヒは話の糸口を探した。
 言い迷っているハインリヒを見て、特に先を急かしもせずに、ギルモアは完全に机に背を向けてしまうと、椅子の中にゆったりと体を伸ばす。外したまま手にしていた眼鏡を、机の上に置いて、静聴、とでも言いたげな仕草で、手を組んだ。
 「・・・何か、言いにくい話かね。」
 ギルモアから視線を外したまま、ええ、まあ、とハインリヒは唇の端を下げた。
 「何と言うか、その・・・ようするに、俺だけのことではないのですが。」
 その分野の話をしておくのは、他の仲間たちのためでもある、というのがいちばん説得力のある説明ではあったけれど、ハインリヒが求める方向は、やや特殊だったから、詮索をされずに、相手を戸惑わせずに、きっちりと話をするのはどうすればいいかと、この場になってまだ思いつけない。
 いっそ悩むのは諦めて、ジェロニモとふたりがかりで訴えるのがいちばんだったかもしれないと、そんな物騒な考えもうっかり浮かんだ。
 「実は、俺の体のことで、少し質問が・・・。」
 ようやくそう口にしたところで、ギルモアの肩の辺りに、突然ふわりとイワンが現れた。
 ──生殖器ガドウトカ、何ダカヨク分カラナイケド、ソウイウコトラシイヨ。
 肩口でいきなりそんなことを言われ──正確には、テレパシーだけれど──、ギルモアは驚いて椅子から飛び上がった。
 「イワン! 心臓に悪い現われ方をせんでくれんか。」
 ──はいんりひガアンマリウルサク悩ンデルカラ、助ケニ来タダケダヨ。
 そこから腕を伸ばして、そうしてどうしようとしていたのか──多分、首根っこをつかんで、黙らせようと思ったのだろう──、ハインリヒは椅子から浮きかけていた腰を、力なく落として、頭を抱えた。
 なるほど、ここ数日あれこれと考えていたことが、イワンには大声に聞こえるほど筒抜けだったらしい。
 よりによってイワンにかと、ハインリヒは、膝の間に、いっそう深く頭を垂れた。
 「いやまあ・・・助かるが・・・そうなのかね、ハインリヒ。」
 イワンをややたしなめる口調は消さずに、ギルモアも少々重い口振りで、うなだれているハインリヒに確認した。
 ため息を隠すこともできず、ハインリヒは赤くなった頬の辺りを右手で覆いながら、黙ったままうなずいた。
 それで、とギルモアがひげを撫でながら、かすかにため息を交ぜて口を開く。
 「具体的に、その問題とやらのことを、話してくれんかね。」
 イワンの口ぶりと、ハインリヒの口の重さに、事の次第は一応悟ったらしいギルモアは、それでも詳しい説明が必要なのだと、まるで自分を奮い立たせるように、椅子の中で背を伸ばした。
 ハインリヒは、もう数瞬床とにらめっこをした後で、ようやく顔を上げる。
 「その、つまり、俺の体が、完全じゃないらしいという話で。」
 しようとしたことができなかった、ということを、きちんと伝わるように言うには、結局はっきりと言うしかなく、傍にいるイワンを気にしながら、ハインリヒは起こったことを必死で説明した。
 気づいたのは自分だけではなく、確かめるのに一役買った誰かがいるということは、勘違いではないということを強調するために言う必要があったけれど、それが一体誰であるかは、別に詳しい説明の中に入れる必要は、今はないはずだった。
 恥ずかしさばかりが先に立つ内容を、それでも説明し終えるまで、ギルモアは特に口も挟まずに、きちんと真面目な顔で聞いてくれた。
 世の中にはいろんな趣味の人間がいる。ハインリヒがそれを試そうとした相手が、また男とも限らないという理解の仕方をしたのかどうか、ギルモアは、それを確かめる質問をすることはしなかった。
 ふむと、あごを胸に引きつけて、ギルモアは椅子から立ち上がると、ドアから見れば右手の、天井までの壁をすっかり覆う本棚の、一番窓に近い辺りへ行って、軽く背伸びをしながら、あるところへ手を伸ばした。雑誌などをきちんとまとめて立たせておくための、上半分を切り取ってしまった箱のようなものを引き出して、中に入っている色とりどりのフォルダーから、ひとかたまりを取り出す。箱の背に、004と書かれているのが、ギルモアの掌の陰からちらりと見える。
 ひとつをもう開きながら椅子へ戻って来て、そうなれば他のことは目に入らない研究者の顔で、中の書類をあれこれとくり始めた。
 目当ての書類を見つけたのか、机の方へ肩を回して、さっき外してしまった眼鏡を取り上げる。
 どうやら、自分の体の構造についての説明らしいと、ハインリヒは、膝に乗せていた両手を、少し緊張しながら軽く組んだ。
 「キミたちの体は、もちろんその、戦闘のために改造されたわけじゃが、それはそれとして、なるべく生身の時に近く再現するというのが、ワシらの一致した意見じゃった。ワシは人工皮膚や骨や関節、それに手足が主な担当じゃったから、その辺りのことは詳しくはわからんのじゃが、サイボーグのキミらの体の機能の一部は、特に重要ではないという結論で、再現率が100%である必要はないということになったようじゃな。」
 眼鏡に指先を添えたまま、ギルモアが、隠せない同情の表情を、口元に浮かべる。
 「・・・戦闘能力に関係ないところは、特にその傾向が強かったようじゃ。」
 言いにくそうに、そうハインリヒに告げて、ギルモアは手にしていたフォルダーを閉じた。
 イワンは、特に何の表情も浮かべずに、ギルモアの肩の辺りに漂って、どうやらそのことは、皆が改造された時に承知していたのか、ギルモアが眺めていた書類には、興味の様子も示さない。
 膝に置いたフォルダーの上に両手を置いて、まるで叱られている犬のように肩をすぼめると、ギルモアは、上目にハインリヒを見る。
 「・・・言い訳するわけではないが、当時のワシらの技術では、おそらく改造で再現し切れなかったんじゃろう。キミらに責められても仕方はないが。」
 10年前なら、椅子から立ち上がって黙って出て行ったろう。ギルモアに、一生負い目を忘れさせないような、軽蔑の一瞥を投げて、後で、所詮は機械人形でしかない自分に罵りの言葉を吐いて、どうせこんなことだろうと思ったと、そこですべてを投げ出したに違いなかった。
 流れた時間が、ハインリヒを穏やかにしたのか、それとも理由はあの男なのか、どちらと決めつけることはせずに、ハインリヒはただ肩をすくめて見せる。
 ギルモアが負い目を感じているなら、それにつけ込むのがいちばんだ。喜び勇んで改造されるのも癪だし、ハインリヒがこれからも耐えることになるだろう羞恥の分、ギルモアが少々心を痛めるなら、それはお互い様だと、ギルモアに対する同情を、ハインリヒは冷静に無視した。
 「それで、今なら、大丈夫なんですか。」
 今度は、イワンが空中で肩をすくめた。赤ん坊の外見のイワンにこれをやられると、無性に気に障る。
 ──ボクラノ専門外ダカラ、少シ調ベルノニ時間ガイルヨ。
 ギルモアの心の中を読んだのか、ギルモアの代わりに、イワンが答える。つられたように、ギルモアが小さくうなずいた。


 1週間ほど経って、静かな午後に、ハインリヒはギルモア博士の部屋に呼ばれた。
 前の時と同じく、ギルモア博士は椅子に腰掛け、書類らしきものを手に、肩の辺りに漂うイワンまで、そっくりそのままだった。
 「いいニュースですか。」
 唇の端を軽く上げて、やや茶化すように、ドアを閉めながら訊く。ギルモア博士は、苦笑のような表情を目元に刷いて、ちょっと肩をすくめて見せた。
 「悪いニュースではないよ。どうやら、君の望む通りにはなりそうじゃな。」
 それはそれはと、両方の眉を上げて、ハインリヒはそう勧められる前に、ひとり掛けのソファに腰を下ろす。
 「コズミ君がな、協力してくれるそうじゃ。」
 今度は、両目が大きく開いた。椅子からずり落ちそうになったのを、必死に肘掛けをつかんで止めた。
 「・・・なんですって?」
 ちょっと待ってくれ。イワンがしゃしゃり出て来て、この上誰が首を突っ込んでくれるって?
 こういうことは、知らない誰かにやってもらう方が、気分的には気楽でいい。改造する側も、遠慮や妙な良心の呵責がなく、される側も、単なる処理だと割り切れる。自分を良く知る誰かに体の中をいじくられるほど奇妙な気分になるものは、実はないのだ。
 もちろん、場合が場合だと、ハインリヒは今までそれを口に出したことはない。
 よりによってこんな改造に、あのコズミ博士が首を突っ込む──いや、協力してくれるというのは、正直ありがた迷惑だ。
 けれどそれを顔には出しはしても、はっきりと言葉にできるような立場ではなく、ハインリヒは椅子の中に体を収め直して、自分とギルモアの間の床に、ふらふらと視線を迷わした。
 「生体工学はコズミ君は専門じゃしな、ワシひとりでは少々頼りない。」
 ──ボクニハ、知識ガ足ラナイシネ。
 ギルモアの、どこか申し訳なさそうな語尾を引き継いで、イワンがしれっと付け加える。
 そんなことは、いちいち言わなくてもいいと、胸の中だけで思って、イワンを睨みつけてやりたい衝動に、ハインリヒは必死で耐える。
 何だか、思っていた以上に大ごとになりつつあると、血の気の引いていく頬が、いつもよりも白いような気がした。
 「そうですか。」
 喜んでいるわけではないし、事の成り行きを全面的に受け入れているわけではないと、声音に含ませるのが精一杯で、ハインリヒはそう相槌を打った。
 「それで、候補の素材を使っていくつかサンプルを作ってから、君の体に試すという方法を取りたいんじゃが。」
 かまわんかねと、すくい上げるような上目が、眼鏡の隙間から見える。こういう質問は、単なる礼儀上のものだけれど、ギルモア博士の声に、負い目のようなものがきちんと感じられることを確認してから、軽い憤りと緊張をやや緩めて、ハインリヒは、
 「ええ、かまいません。」
 「また少し時間がかかるかもしれんが、大丈夫かね。」
 「大丈夫です。仕事の方は、いくらでも都合がつけられますから。」
 ここまで来て、時間がどうのと言っている場合ではない。すでにひと月以上になっている滞在を、もう少し延ばしたところで大した違いはない。
 どうしても改造したいというよりも、ここまで打ち明けておいて、結果が得られずに終わるなんてことは有り得ないという、どちらかと言えば開き直りに近い感情だった。
 自分のこと──そして、ジェロニモのことも──を知っている人間に、ひどくデリケートでプライベートに関わる改造を任せるというのは、まったく気が進まない話だけれど、少なくともギルモアもコズミも、その分野では超一流の研究者であることだけは間違いのないことだったから、結果が望まない形になるという不安はなかった。
 後は、くれぐれも口をつぐんでおくようにと、イワンにきちんと言い聞かせておくだけだ。
 地下の研究室で、事前の検査をしておこうとギルモアが言うのに、促されて椅子から立ち上がりながら、フランソワーズ辺りから、こっそりイワンの弱みを聞き出しておくことを忘れないようにしようと、ハインリヒは、頭の隅にメモをした。


 この件に関係のある書類やメモ、それにノートとペンをごっそりと抱えて、ギルモア博士は地下の研究室へ下りて行った。
 イワンは、ゆりかごに乗ったままで、ふわふわとその後を追ってゆく。
 誰かに聞かれたい話ではなかったから、ギルモアはきっちりとドアを閉めて、わざわざ部屋の一番奥へ向かって、電話を引っ張って行った。
 ここの電話は、上の電話とは線も番号も違う。誰かが受話器を取り上げても、ここでの電話は聞かれることがない。改造室で交わされる会話は、ごく普通の一般人が興味を持つはずのない内容だったし、興味がある誰かがいるとすれば、それはここでの秘密を守るために、真っ先に排除しなければならない存在ということになる。
 サイボーグたちは、内緒話なら脳内通信装置を使えばよかったけれど、生憎とギルモアにその機能はない。この電話の相手にも、ない。
 さてと、椅子に座って、膝の上にノートを開いて、電話を掛ける先はただの1件だ。
 「コズミくんかね。」
 向こうで、やや甲高い、けれど快活な声が応えた。
 短く、相手の健康を気遣う挨拶を交し合った後で、ギルモアは早速本題に入った。
 「例の件は、どうなっておるかね。」
 イワンが、目の前にふわりと浮いて、ギルモアの方をじっと見ている。
 ──粘膜の形成には問題はないよ。人工内臓を造ることよりも、移植先の拒否反応の方が心配じゃな。
 「それはワシも少し心配しておるが、過去のデータによれば、やや機能に不具合があったという以外には、今まで改造や移植時に特に問題があったことはないらしい。」
 ふむ、と受話器の向こうで、コズミがりっぱなひげを撫でているらしい気配がした。
 ──それで、人工胃とは繋げるのかね、それとも独立した器官として、そこに在るというだけにするのか・・・
 問い掛ける形で声が小さくなったコズミの語尾へ、ギルモアは小さくため息をついて、椅子の肘掛けに向かって、首を傾けた。
 「・・・それなんじゃが。彼らの場合、排泄という機能がないから、消化器官に繋げたところで、意味がない。他の内臓と繋げるとなると、その辺りの調整に時間もかかるし・・・」
 ──繋がっているように、外見だけ整えるという手もあるがね。
 至って平たい声でコズミが提案するのに、ギルモアがどう思うかねとイワンに視線を投げかけると、イワンは、さあという風に肩をすくめて見せる。こういう、実際的な機能に関係のない部分には、まるきり興味を示さないイワンに、ギルモアはちょっとだけ唇をとがらせて──ひげに隠れて、よく見えない──、また小さくため息をこぼした。
 「今現在きちんと機能しておるなら、なるべくそれを妨げん方法が一番だと、ワシも思う。キミの言う通り、見た目だけにしておくのが、一番なんじゃろうな。」
 賛成しながら、声がやや弱くなる。コズミが苦笑をこぼしたらしい、小さな音が聞こえた。
 それからしばらく、どういう風に移植するべきかということを議論し合ってから、コズミが、学者らしい平坦な口調で、いちばんデリケートな問題に触れてきた。
 ──ワシとしては、性行為のための改造なら、それに特化してもかまわんと思うのじゃがね、ギルモア君。
 膝から、メモを取っていたノートを持ち上げて、ギルモアは足を組んだ。椅子の背もたれが、体重を受けて、ぎっと鳴る。
 コズミに賛成の意を示すように、イワンがほんの数センチ、電話に向かって近づいて来る。そのイワンを、ちらりと上目に見てから、ギルモアは、わずかな迷いを表して、肘掛けをとんとんとペンで叩いた。
 確かに、ハインリヒの説明によれば、ある種の性行為のためということが主だという印象だった。けれどギルモアには、あれが、こんな中途半端な改造をされる謂れはないと、ハインリヒが憤っているようにしか見えなかった。
 生身ではない、武器庫として改造されたということに、仲間の誰よりも深く傷ついているからこそ、少しでもひとらしく──振りでしか、ないとしても──ありたいと彼が願うその強さに、ギルモアはいつも言葉を失くすのだ。
 誰かとごく普通に触れ合いたいと、彼が望むのに何の不思議もないし、むしろ今まで、彼があの体をもっと生身に見えるようにしてくれと、そう頼んで来なかったことの方が不思議だ。
 機能向上のための改造を嫌う彼が、自分からギルモアのところへやって来て、しかもこんな個人的な頼み事をしたということの重大さを、ギルモアはきちんと理解していた。だからこそ、できるだけハインリヒの意に添うように、今回のことには、精一杯の尽力をするつもりでいる。向こうがどう思っているかはともかくも、まるで親と子のように、サイボーグたちと長い間接して来たギルモアにとっては、これは単なる彼らの利便のための改造ではないのだ。そして、研究者の好奇心や探究心を満足させるための実験でもない。
 それはいずれ、きちんと顔を合わせた時にでもコズミには説明しようと思いながら、ギルモアはまだ、椅子の肘掛けをペンで叩き続けていた。