the way i feel


(8)

 改造手術やメンテナンスで眠ることになるのは、いつも不愉快な不安がつきまとう。
 目覚めないかもという不安ではなく、目が醒めた時に、見下ろす自分の体がどうなっているのか、その瞬間までわからないからだ。見た目が、わかりやすく変わっているかもしれない──目を背けたくなるような方向へ──し、目の届かない辺りか変わっているのかもしれないし、あるいは、説明されて初めてわかる、体の内部のどこかなのかもしれない。どこがどう変わったと、終わった後で説明されるのも、実は業腹だった。
 それでも今日は、少なくとも自分から望んだことなのだと思えば、少しは気も楽で、ハインリヒはいつものように術着に着替えて、手術室の固いベッドの上で足をふらふらさせながら、ギルモアがあれこれと準備をする背中を、黙って眺めている。
 試作品のいくつかは、すぐに出来上がって来た。けれど、それをいちいち移植して試している時間はないということで、イワンとギルモアとコズミが、それ単体であれこれと実験をし、今日はそれから選ばれたものが、ハインリヒの体へ移植される。
 誤作動や不具合の心配はほとんどなさそうだと説明を受け、拒否反応については、1週間ほど様子を見ようと言われ、いつもより神経質になってはいるけれど、手術それ自体はいつもに比べれば簡易なものだったから、ハインリヒは不安を覚えることもなく、その時を待っていた。
 試作段階の話し合いで、できれば目的に特化するために、ある程度形状や粘膜の再現具合などの当たりをつけておきたいとギルモアとコズミに乞われて、ハインリヒは今回の改造の目的の相手がジェロニモであることを白状させられていた。
 ハインリヒが言わなくても、どうせイワンがそのうちばらしたに違いない。イワンに先を越されるくらいなら、自分の口から言った方がマシだと、半ば自暴自棄で、ハインリヒはジェロニモの名を口にした。
 そのことを、心の片隅でいまだ後悔しながら、改造した後で会いに行っても、会ってくれるかどうかの保証がないことに、今さら思い当たってみる。
 ジェロニモは、怒るだろうかと、手術の開始を待ちながら、ハインリヒはまた考えていた。
 あまり大っぴらにしたいことではないだろうから、しばらくはここへふたりがかち合うことは避けた方がいいかもしれない。手術それ自体とは関係のないことをつらつら考えながら、待つ時間を潰している。
 仕方がない。もうここまで来てしまっては引き返せない。引き返すつもりもない。
 どういう目的かは明らかに、ギルモアとコズミが、ジェロニモのデータをあれこれと引っ張り出していたのを知っている。
 彼らは学者だ。研究の対象としての興味は湧いても、下世話な想像の対象にはしないはずだと言う希望的観測の元に、彼らが自分たちのデータを仔細に眺めながら、ふたりだけが知っているはずのことに、あれこれと考えを及ばせたはずはないと、ハインリヒは信じたかった。
 恐らくハインリヒは正しいだろう。
 だから、こんなふうに羞恥にまみれる必要はないのだ。
 何をどう改造されようと、双方にとって、これは単なる処置に過ぎない。車を直すのと同じだ。エンジンを解体されてあれこれ中身をいじくられるからと言って、車が恥ずかしさに身悶えるわけもない。車の中身を見たからと言って、設備工がそれに優越感を覚えるはずもない。
 考えれば考えるほど、赤くなるばかりの頬を、自分でぱしぱしと叩いていたところに、やっとギルモアがこちらへ振り返った。
 「さて、それでは、始めよう。」
 一瞬、肩の辺りの線が固まった。
 深呼吸をして、手術台の上に両足を上げて、ギルモアの指示に従おうと、そちらを見る。
 術着を脱ぐようにと手指で示され、それから、うつ伏せにと、ギルモアが小さな声で言った。
 痛覚を切られて、頭のどこかで何かが起こり、まるで気絶するように眠りに落ちてゆく。
 始まったと思う間もなく、ハインリヒは全身の力を抜いていた。
 手術の間に夢を見た。ジェロニモが出て来たことは覚えていたけれど、彼が笑っていたか怒っていたか、ハインリヒには思い出せなかった。


 地下の研究室にわざわざ下りて、ギルモアがいつも使う電話の方へゆく。
 ギルモアには許可が取ってあるから、別にこそこそする必要はないのだけれど、ジョーやフランソワーズには、あまり気づかれたくない電話だった。
 元気でいるかと、一度手紙を出した。便箋1枚程度の、ただ近況を尋ねるだけの内容だった。あのことには一言も触れず、ただ、まだもうしばらく日本へいることになりそうだと、それだけを伝えて、受け取ってすぐに返事を書いたならそういうタイミングだろうと思われる頃に、葉書が届いた。大きな体には似合わない、小さな丁寧な字で、元気でいると記してあった。やはりあのことには触れず、それでも、深いいたわりを行間から感じずにはいられず、その葉書は、今ハインリヒの膝に上にある。
 これへの返事という口実で、電話を掛けるのだ。
 どこまで話してしまうか、決めていない。改造手術の内容を、今伝えてしまった方がいいのかどうか、判断がつかない。おまえのためにやったんだと、そんな風には絶対に取られたくはなかった。
 こんなことのために、ギルモアの手を煩わさせてと、軽蔑されるだろうか。
 改造手術から、もう10日経っている。拒否反応は今のところなく、体の調子もいい。2、3日中に一度、検査をしようと言われているけれど、おそらくそれで問題が見つかることはないだろう。そうしたらもう、どこへ行ってもいいと、許可が下りる予定だった。
 実のところ、すぐにドイツに帰るつもりはない。改造後のチェックを理由にして、もうしばらく、向こうへは戻らないつもりでいた。
 まだ誰にも話してはいない、ハインリヒのひとり決めではあるけれど、ジェロニモに会いに行こうと、こっそり考えている。
 訪ねて来られても困ると、言うような男ではなかったから、忙しくて相手にできないと断っても、来るなとは言わないはずだ。顔を見られればそれでいいと、ハインリヒはそう思う。
 あのことを、何よりもうやむやにしてしまいたくはないのだ。ごく普通の周期なら、メンテナンスで会えるかもしれないのは、運が良ければ1、2年後だ。何事もなく平和なら、数年会わないことも不思議ではないのだ。そういう彼ら──仲間たちみんな──の関係だった。
 そんな時間の流れに埋もれてしまって、まるで何事もなかったように振る舞わなければならないとしたら、ハインリヒはそれに耐えられない。突然、足元をすくわれたように始まってしまったことだからこそ、きちんと始まっていることなのだと、確認したかった。それを終わらせるなら、それはふたりの選択だ。
 ふたり、とごく自然に思って、いきなり頬が赤くなる。
 自分のことを考えながら、当たり前のように、ジェロニモがそこへ入り込んで来る。まるで、ふたりでひとりであるように、ハインリヒはもう、自分ひとりの行動など、考えられなくなっている。
 体を変えたのは、自分のためだ。ジェロニモに会いたいと思う、自分のためだ。会って、もっと近づきたい。親(ちか)しくなりたい。互いのことを知るために、もっと相手の中へ深く入り込むために、そのために変えた体だ。
 それを、ジェロニモが受け入れてくれるだろうかと、また考える。
 会いたいと思うのは、自分だけなのかもしれないという恐れが、ハインリヒをためらわせる。
 拒まれるなら、それはそれで仕方がない。けれどその後に来る悲しい気分に、耐えられそうになかった。
 何とも気弱だなと、電話を前にひとり笑った。
 会いたいと、また思って、止めようもなく落ちてゆく気分を引き上げることができず、こんな時に声を聞いたら、ろくでもないことを言ってしまいそうだと、ハインリヒは電話の前から1歩、後ろに足を引いた。
 葉書を手に、それを読み返すために持ち上げることが、今はどうしてもできず、数日後に行われる検査を待とうと、突然決める。
 検査の結果を知らせる電話にすればいい。リハビリ代わりに会いに行ってもいいかと、そう軽く訊けばいい。何も求めない。何も期待しない。いつだって、そうだったように。
 未練がましく受話器に手を触れてから、引き剥がすように、ドアに向かって肩を回した。