路地裏の少年−後書き



 人を傷つけることを、何とも思わない人間がいて、小さないきものを殺すことに、心の痛まない人間のいる、現実。
 他の、呼吸をして、生きている存在を、愛しいと思える、そんな人間になれたらと、そう思うことは、決して当たり前ではないらしく。
 力のないものを、踏みつけにしなければ、自分を保てない、そんな人間もいたり。
 痛くて救いようのない現実を、わざわざ妄想混じりに、痛くて救いようなく書く必要はなかったとしても、多分、似たような人生を送って、自ら命を断つことを選んだ、Alice In ChainsのLayne Staleyに、勝手に捧げてみたり。
 4/5に、ヘロインの過剰摂取で死んで、腐敗しかけた死体が、自宅で見つかった彼の、らしすぎて、痛すぎる人生に、泣きながら乾杯。
 1年経っても、まだ、あーたの声が聞けないよ、Layneちゃん。

 いろんな意味で、(救いようなく)タイミングの素晴らしい連載でした。書くべきではなかったのかもと、思う部分もたくさんありますが・・・言い訳はなしで。
 いつも以上に、読んでいただいて、ありがとうございました。思いつめて書いた分、すべてが救いようのない結果になりました。すいません。
 自分で、後味の悪さに、何だか・・・(苦笑)。

 いつも通り、読んでいただいた方々へ、最大級の感謝を込めて。
 それから、書く書くと、わめいてた頃から、こいつのお調子乗りに付き合ってくれた、kiyaさんに、Special Thanksです(メーワクだと言う声が・・・苦笑)。
 
 お疲れさまでした。ではでは。


    





















 ここから、見苦しい言い訳

 書き終わって、ページをアップして、書き上げた昂揚感はあっても、納得が、ない。
 こうなるっていうのは、最初から決まってて、この、救いようのないラストのために、ここまで書いていながら、書き終わって、書き上げた脱力感はあっても、気持ちが納得して、ない。
 そんなものを人目に晒すなという声(怒号)が、自分の中で聞こえてたり・・・悶々と、1時間・・・。
 ストーリーは、このままでいい。でも、これは、自分の中にある42と、ちょっと違う。救いようがないのも、痛いのも、それはいい。でも、これは、自分が納得できる42では、ない。
 あるまじき行為ですが、補完します。別の、もうひとつの「路地裏の少年」の最後を、書きます。自分が、42として納得できる最後を、もうひとつ、書きます。
 どっちがほんとのラストかは、よくわかりませんが、少なくともこの、自分が納得できないという、後ろめたい気持ちを、自分勝手に救いたいと思います。
 すいません、自分で、納得したいです。話を大事にし過ぎて、自分の中の42を、彼らが動きたいように、動かさなかったツケです。
 色々、自分の中で、そういうのはずるいだろう、と言う声も聞こえますが、すいません、自分で納得したいです。
 あれは、あれでいい。でも、42として、自分が納得したい。
 そういうわけで、心優しい、時間のある方、もう少しお付き合いいただけたら幸せです。
 
 ミドルネームは自分勝手、みの字拝 2003/4/4