* リアル獣姦展開含 *
変化たちの森 2
母親が亡くなってからは、子守りのいない時はヤンは父親に連れられて、仕事先へ一緒に行くことが多かった。子どもがいて楽しい場所のはずもなく、部屋の片隅でじっとしているしかなく、そんなヤンに父親は本だけはふんだんに与えてくれた。
母親の読書好きを受け継いだのか、ヤンは本さえあれば何時間でも同じ場所でおとなしくしていることが苦ではなく、そんなヤンの静かさを、子どもらしくない、何を考えているのか分からないと気味悪がる大人たちもいないでもなかったけれど、当のヤンは本に夢中でそんな声は耳に入らず、家にひとりで置いて行かれるようになると、ヤンはますます本の世界へ没頭するようになった。
そうして、文字の書き方を習うようになると、読むだけでは足りずに本の中身を丸写しに書き取ることを始めて、自分の書き文字が新たに表したその世界に不思議な面白さを見出し、今度は本の中の世界を、一から自分で作り始めた。
誰にも知らせずに、ヤンは紙の上に、自分の作った物語を紡ぎ始めた。森の中に住む、世界中から恐れられている魔女の話、世界一と言われる武器を求めて、ひとり旅する少年の話、3人の男たちが、特に目的もない旅の間に、通り掛かりに潰れた街を再建する手伝いをしたり、襲って来る魔物を一緒に退治したりする話、ほとんどは、以前読んだことのある本の真似事のような、どれもどこかで読んだことのあるような話だったけれど、ヤンは自分の手で物語を生み出すことに夢中になって、他愛もない話をこつこつと書き続け、紙の束の保存に頭を悩ます頃には、学校で使うノートの半分以上は、ヤンが自分で書いた物語で埋まっていた。
ヤンのその楽しみに最初に気づいたのが、1学年下のダスティ・アッテンボローで、その頃すでに年下のくせにヤンより背の高かったアッテンボローは、図書館の本棚に背伸びしていたヤンの手から落ちて、床に開いたノートに綴られたヤンの物語を偶然目にして、それをぜひ読ませて欲しいとしばらくヤンにつきまとったのが付き合いの始まりだった。
ほとんど日記のように毎日何か書くヤンの、アッテンボローは熱心な読者になって、昼休みには目を輝かせてヤンのところへやって来る。目の前で、自分の書いたものを読まれる気恥ずかしさにはじき慣れ、アッテンボローの無邪気に喜ぶ顔は、ヤンの中に、誰かのために書くと言う、新たな楽しみを生み出した。
アッテンボローと、互いに読んで面白かった本の貸し借りが自然に始まり、学校の帰りにアッテンボローの家に寄ることが増えると、アッテンボローの両親は、父親が留守がちのヤンを不憫がって何かと夕食に加わらせようとする。彼らは、そんな気遣いを当然とする人たちだった。
思春期に入り掛けの少年たちの、親に対する秘密主義はすでに始まっていたから、アッテンボローもヤンも、ヤンの書き物の趣味については他の誰にもひと言も漏らさず、ヤンはまだ、アッテンボロー以外の誰かに自分の書いたものを読ませたいなどと言う欲望は一片もなく、この面白さを書いた当人のヤン以外の誰かと分かち合いたいと願うアッテンボローは、ヤンにそれはやめてくれと言われて、その禁が解かれるのを、ヤンの父親が亡くなるまで待たなくてはならなかった。
ヤンはまったく問題を起こさない分、学校では目立ちもしない平凡な生徒で、成績もそれなり、他の生徒の中に完全に埋没し、黒髪のとか東洋系のと言ってようやく周囲はぼんやりとヤンのことを思い浮かべるけれど、学校の外でヤンと行き合っても、わざわざヤンに声を掛けることもしなければ、そもそもそれをヤンと見分けたかどうかも怪しい、ヤンはそんな生徒だった。
問題がなく目立たないと言うことは、誰もヤンのことを心配もしないと言うことだった。ヤンは、誰にも構われない──アッテンボローの家族以外は──状態を、実のところまったく気にもせず、むしろ都合良く受け入れて、ひとりのびのびと好きに本を読み、物を書き、仕事に忙しくて干渉する暇もない父親と、それはそれなりに親子らしい情の交わし合いはして、ヤンは自分の置かれた状況に不満などまるでなかった。
ごくまれに、これを心配して質問などして来るのはアッテンボロー夫妻だったけれど、ヤンが困ったように苦笑して──この時だけは、年齢よりずっと大人びた仕草で──頭をかいて見せると、他人の家庭に口出しはどうかと、夫妻はごくまっとうな信条を思い出し、そこで口をつぐんでしまうのだった。
ヤンの状況が一変したのは、父親が死んで1年後、ヤンの16歳の秋のことだった。
「続き、書けたかい?」
隣りの席から、ジャン・ロベール・ラップが小声で話し掛けて来る。教師はこちらに背を向けて、黒板に板書中だ。ヤンはそっと周囲を窺って、誰も自分を見ていないことを確かめると、床に置いたバックパックの中から静かに取り出したノートを、こちらに差し出されたラップの手へ渡した。
ラップはいかにも熱心にノートを取っている振りで、ヤンから受け取ったノートを授業のバインダーの上に乗せ、音をさせないように目的のページを繰って探す。
それを横目に見ながら、ヤンは教師の背中へ視線を戻し、けれど心はラップに渡したノートの中身の、その続きへ飛んでいる。
日に1ページか2ページ程度書き継いでいるそれは、家族も友達もいないひとりぼっちの少年が、宇宙のある星を、とぼとぼ歩き続けて旅をすると言う内容で、時々妙な生き物に出会って連れになったりするけれど、彼らは大体旅の途中で自分たちと同種の仲間に行き合い、少年を置いてそちらに行ってしまう。少年は再びひとりになって、この星のどこかにいると言う両親の友人へ、両親が死んだことを知らせるための旅を、諦めもせずに続けるのだ。
今ラップが読んでいる分は、うっかり枯れた井戸に落ちてしまった少年が、特に絶望もせずにそこでひと晩過ごした後で、このままだと餓死するなと思い始めたところに、誰かが通り掛かって穴から這い出すのに手を貸してくれる、と言う辺りだ。
手を貸してくれた誰かと、一緒に行くのかその場で終わりになるのか、ヤンはまだ決めていなかった。
ヤンの読みやすいとは言えない手書きの文字を、進んでは戻り戻っては進みしているラップの視線の動きを、ヤンはちらりと確かめて、穴に落ちた主人公と手を貸してくれる誰かを、別に自分たちのつもりで書いたわけではないと思いながら、ラップはどう思うかなと、少し心配になる。
一緒に行くことにした方が、ラップは喜んでくれるかどうかと考えて、ヤンはまだ迷い続けていた。
ラップは、新学期と同時にやって来た転校生だった。
父親が軍人で、同じ学校に1年いたことがないと快活に屈託なく自己紹介したラップは、明るい金髪にそれよりも少し濃い金色の目で、クラス全体を臆しもせずに見渡して、黒髪が珍しかったのかどうか、ヤンの席で視線の動きを止め、一体何を思ってか、そこで大きく破顔した。思わずつられて、ヤンもラップへ、ぎこちない笑顔を返していた。
隣りの席になったのは偶然だったけれど、あっと言う間にクラスに馴染んでしまったにも関わらず、ラップはクラスの新しい隣人であるヤンに親しみを隠さず、ヤンが本を読んでいても何か書いていても、気にもせずに話し掛けて来る。
ヤンの両親がすでに亡くなっているのを知ると、気の毒にと同情するよりも、
「オレも、父さんがいつ死んで母子家庭になるか分からないからな、お仲間だな。」
と笑ってヤンの肩を叩き、それがまったく嫌味にならない、口調も態度もあたたかな少年だった。
引っ越しのタイミングが悪くて前年の期末試験の結果が悪く、この学年をこの学校でまたやることになったのだと、ヤンにだけはこっそり教えてくれた。
「次の異動はもう一緒に行かないって決めてるんだ。オレだけでもここに残って、大学に行くんだ。」
ひとつ年上の新しい友人は目を輝かせ、ヤンのひとり暮らしのことを尋ねて来る。訊かれてもはかばかしい返事もできず、ヤンが困ったように頭をかくのを、また可笑しそうにラップが笑う。
ヤンが何を言っても、バカにしたり軽く扱ったりしないラップは、ヤンの周囲と違う見掛けについて目にも入らないように話題にすらせず、それでも物珍しそうにヤンの髪に触れて、
「オレのと全然手触りが違うんだな。」
不思議そうに言うのが、ヤンには一向に不愉快でない。
ヤン自身に自覚はなく、誰とも摩擦や軋轢を起こさない人との距離の取り方の、それを乗り越えて来ようとする誰──稀にいる──に対しても、ヤンは即座に新たな距離を置くのだけれど、それを許した、ラップはふたり目の人間だった。
その貴重なひとり目のアッテンボローは、学校の校舎が、同じ敷地内とは言え別棟の上に柵で隔てられてしまった新年度以来、昼休みの訪問は絶えたものの、放課後を一緒に過ごすのは相変わらずで、それにもごく当然のようにラップが加わるようになった。
輪の中に入れてしまえば、ヤンの書き物の話を避けることはできず、アッテンボローがわざと口を滑らせ、ラップにも知るところになったヤンの秘密について、放課後延々と、ヤンの前でふたりがああしろこうしろ、ああなったらいいこうなったらいいと、好き放題を言うのが常になり、ラップは他にもすぐに友達を作ったから、3人必ず一緒と言うわけではなかったけれど、ラップの出現で突然目立つようになった風変わりなこの3人組は、あれは一体何の集まりだと、校内でひそひそささやかれることも起こるようになった。
ヤンはそうなっても、相変わらずいるようないないような、3人のうちの何とか言う黒髪の、程度の存在で、ラップにばれた後もヤンの趣味の話は3人の輪の中だけに限られていたし、ふたり以外に見せるつもりはないと言うヤンの意志はきちんと尊重され──だからこそ、このふたりはヤンと一緒にいられたとも言える──、どうして知り合ったのか分からない、学年の違うアッテンボローと転校生のラップのふたりに、なぜかくっついて一緒にいる東洋系のヤツ、と言う周囲の認識が改まる様子の一向にないことに、ヤンはむしろ安堵していた。
ヤンがアッテンボローの家族の、仮の一員として扱われるのは相変わらずだったけれど、母親が家に常にいるラップはそれに加わることはなく、代わりにラップは、ヤンのひとり暮らしの家によくやって来るようになった。
家族との距離を大きく取る時期に当たっていたこともあってか、ラップは親の目から逃れられるヤンの自宅が居心地が良いのか、楽しみと言って読書と書き物しかないヤンの元へ、小さなゲーム機やコミックを持ち込んで来る。ラップのためにと付き合いはしても、ヤンはそれらに、物を書く以上の興味を引かれることは特になく、誰にも咎められることなく延々とゲームを続けるラップの傍らで、ヤンは書いている物語の続きに楽しく頭を悩ませる、ヤンの週末は時々、そんな風に過ぎるようになっていた。
アッテンボローが、少年たちよりひと足もふた足も先に大人になっている姉たちに影響されてか、少々いかがわしい話題を持ち出すようになったのは、そんな話に乗ってくれるラップの存在があったからかもしれない。
学校では避けても、ヤンの家で3人一緒になると、大抵アッテンボローが口火を切ってラップがそれに乗り、内容が分からずに調子を合わせるヤンと言う風に、少年たちのする話には、その手のことが多くなった。
身近に女性のいないヤンは、学校ですれ違う少女たちにはまだ注意を引かれることもなく、彼女らもまた、ヤンよりも少し高い視界にヤンの姿は滅多と目に入らないようで、お互い異世界の住民と言う風に、並行世界で暮らしている異人類のような感覚でしかない。
その、今はまだ少女と呼ばれている異性たちに、アッテンボローもラップも成長期の少年の、極めて健全な関心を示して、足がどうの胸がどうの髪がどうのと、あるいはもっと露骨に、彼女らの裸になった姿について率直な意見を述べるのを、ヤンは頬を赤らめることすらせずに上の空に聞いていた。
ふうん、としか感想も浮かばず、確かにあのスカートは短過ぎるかもしれないと思っても、それはその少女の脚がどうのと言うことには結びつかず、寒くないのかなと、ぼんやり考えるだけだった。
「だからヤン先輩、早く可愛い女の子、出して下さいよ!」
何が一体だからなのか、アッテンボローが、近頃百回も繰り返したことをまたヤンに言う。
例の、死んだ両親の友人を探す旅をしている少年の話のことだ。少年の時折の旅の連れになるのは、トカゲみたいな生き物だったり、猫みたいな生き物だったり、性別も物語の中ではっきりしないまま姿を消してしまうから、可愛い──人間の姿の──女の子もへったくれもあったものではない。アッテンボローは近頃それが不満らしくて、物語が進んでそれを相変わらず喜んで読みながら、女の子がいなくて殺風景だと文句を言う。
「じゃあ可愛い女の子でも何でも、自分で書けばいいじゃないか。」
ヤンが、いかにも気乗りしない風に反論すると、
「オレが自分で書いたって面白くないですよ!」
そう言い返されてもヤンにはよく分からず、ラップ先輩もそう思いますよね?と話を振られて、
「ヤンの書く話だから、ヤンの好きに書くのが一番に決まってるじゃないか、な?」
ラップは、誰もが彼を好きにならずにはいられないあの笑顔を、ヤンとアッテンボローの両方に向けて、空気を険悪にせずに話をそこで切り上げると、ちょっと声を潜めて、また少年同士の、ささやくだけの話題へ戻ってゆくのだった。
夕食の時間を過ぎた頃に、アッテンボローが慌てて荷物をまとめ始め、ラップも同じように腰を上げ、ヤンがふたりを自分の車で送ってゆく。車中でも相変わらず、少々品のない調子の話はそのまま続き、アッテンボローはけれど車を下りてふたりへ手を振った後に、すでに玄関のドアを開けて息子を待ち構えている母親の姿を認めた途端、学校以外は無関心と言う息子の振りを取り戻して、ラップとヤンはそれを笑いを噛み殺して見送った。
ラップの家は街の中にあったから、ヤンはそこからさらに10分ほど車を走らせる。ヤンの運転も、今ではあまり危なげがない。
「ヤン、クリスマスはどうするんだ、おまえ、ひとりだろう。」
街の明かりをまだ先に見ながら、助手席でだらしなく体を伸ばして、ラップが訊いた。
「さあ、もしかしたら、アッテンボローのところに呼んでもらえるかもなぁ。ウチは元々クリスマスは祝わないから、別に関係ないし。」
ヤンがいつもの、感情の読み取りにくい声でそう言うと、へえと相槌だけ打って、ラップはそれきり黙り込んでしまった。
何だろうと思ったけれど、ヤンもラップへ問いを重ねることはせず、じきに街に入ってラップの家の前へ着くと、ラップはいつもと変わらない様子で、じゃあなと手を振って車を下りて行った。
ラップが、学校一の才媛と名高いジェシカ・エドワーズの自宅へ、クリスマス・イブの夕食で招待され、新年のパーティーにもふたり一緒に現れたと言う話は、冬休みの終わった瞬間にはもう学校中に知れ渡っていて、それを知らなかったのはヤンだけだった。