パラレルコプヤン。天涯孤独のヤン少年の異種同種恋愛譚。ラップ×ヤン。
* リアル獣姦展開含 *

変化たちの森 4

 ジェシカ・エドワーズと付き合い始めたと噂が流れても、ラップは相変わらずアッテンボローとヤンとも一緒にいて、アッテンボローが興味津々にジェシカのことを訊いても、別に得意気でも思わせ振りでもなく、まあなと短く言ってそれきりだった。
 それでも、3人でいる時にジェシカが通り掛かれば、ラップはジェシカへ向かって手を振り、ジェシカもラップへ思い切り親しんだ笑顔を送って来て、それから礼儀のように、他のふたりへも向かって微笑みを残してゆく。
 それまで、校内ではとびきり美人だけれど成績の良さで近寄りがたいと言う評判だったジェシカへ、アッテンボローは新たなときめきを覚えたのかどうか、
 「オレも、彼女が欲しいな・・・。」
 15の少年にはまだ少し早い、けれど切実なつぶやきをこぼして、ラップの方を振り向き振り向き立ち去るジェシカの姿を、ラップと一緒に見送っている。
 ヤンはラップのその横顔を見つめ、視線をたどってジェシカの、すっと伸びた背中を見て、ラップの視界にいるジェシカへ、今まで感じたことのない、何か言葉にしがたい複雑な気持ちを抱いていた。
 彼女を、間違いなく校内で1、2を争う美しい少女──2つ上の彼女は、ヤンにとってはすでに大人の女性だったけれど──と思って、そして明らかに彼女に恋い焦がれているラップを観察して、ふたりの恋の行き先を物を書く人間特有の目で想像していることにヤン自身は自覚がなく、ふたりの幸せな姿と、いかにも切なそうな姿を両方思い描いては、自分が一体どちらにより心魅かれているのか、ヤンには見極めがつかないのだった。
 幸せになって欲しいに決まってるじゃないか。かけがえのない友達の、大事な人を、自分だって大切に思うのは当然じゃないか。
 ラップが恋をしている相手であるジェシカへ、自分が抱く気持ちを、今まで誰にも感じたことがない──とヤンは思った──感情なのだと悟った先で、ヤンはそれをほのかな恋だと考えた。
 それが、当然のように異性に魅かれるアッテンボローとラップへの、ある種の意図を含んだ歩み寄りの態度であり、誰もが美しいと認める女性である彼女へ恋するのが当然だと思い込みたい自分の願望の表れなのだと言うかすかな、けれど確かな自覚へは、しっかりと蓋をする。
 友達の恋人へ恋すると言う罪悪感など一片も浮かばず、ヤンは、ジェシカを見つめ続けるラップの横顔から、目が離せないままだった。


 1月の末に、アッテンボローが盲腸を起こした。幸いに手術は軽く済み、経過は良好とさっさと退院させられたアッテンボローはそれでもしばらくは自宅療養を命じられ、退屈だから会いに来てくれと、言われなくてもラップはコミックを手に、ヤンは書き物の続きのノートを手に、年下の友人の不幸を笑い飛ばしに見舞いに行ってやる。
 パジャマをめくって、まだ生々しい手術の痕を見せびらかし、麻酔が効いて眠りに落ちる瞬間を覚えておこうと必死になったのに、一瞬で眠ってしまったと、悔しそうにアッテンボローが歯ぎしりして見せた。
 ヤンはこっそりアッテンボローの傷跡からは目をそらし、手術の前後の話を微に入り細に入り熱をこめて語るアッテンボローへ、話を合わせて笑顔を作りながらも、伸ばした背筋の肩を、無意識に後ろへ引いている。
 頬の辺りが冷えて、青冷めているのを自覚して、ヤンは話に相槌を打ちながら、作り笑いを保つのに内心で必死だった。
 笑うと傷が痛むと言うアッテンボローを、次はラップが冗談を言って散々笑わせ、アッテンボローの母親へ、静かにしなさいと揃って叱られた後は、お決まりの、声をひそめた少年同士の話題に落ちる。
 手術をしてくれたのが女医で、銀縁の眼鏡を持ち上げる指先の反り返り方が妙に色っぽかったとか、体温を測りに来た看護婦のナース服の胸の厚みがとんでもなかったとか、顔も体もどうってことはないのに、ふくらはぎの線がやたらに扇情的な看護婦がいたとか、アッテンボローもラップも、異性と言うだけで彼女らに、この世界では特別な輪郭と色が与えられているように映るのか、そんな話ばかり延々と出て来る。いつも通り、興味のない話題だったけれど、盲腸の手術の話からそれて、ヤンはひそかに安堵していた。
 「目のやり場に困ったなんてもんじゃなかった!」
と言いながら、自分のまだ薄い胸の前へ、やや丸めた両手を添えて見せるアッテンボローへ、ラップが声を殺して笑っている。
 「こっそり写真でも撮っときたかったなあ。」
 いかにも惜しそうに、アッテンボローが言った。
 「いいじゃないか、女なんて別に病院にだけいるわけじゃなし。」
 「ラップ先輩はジェシカ女史がいるからそんなのんきなことが言えるんですよ。」
 ヤンに同意を求めて、アッテンボローがこちらを見て来る。ヤンはいつものように、困った顔で頭をかき、その場では浅くうなずいておいた。
 「あーあーオレもいつか可愛い恋人ができるのかなあ。」
 情けなさそうに、天を仰いでアッテンボローが言い、心配するなってと、ラップが笑いながらその肩を叩き、今度はラップが、ヤンに同意を求めるように見つめて来る。アッテンボローの時のように上手くは反応できずに、ヤンはなぜか頬の熱くなるのを感じて、それを隠すためにうつむきながら、ああ、と妙に強い声で返事をしていた。
 いつもなら夕食を一緒にと言い出すアッテンボローの母親が、今日はアッテンボローのはしゃぎようを心配してか、そろそろとやんわりふたりに帰宅を促したのを潮に、ヤンとラップは素直に腰を上げる。
 ラップを送る車の中でヤンは妙に無口で、ラップもヤンの機嫌を取るようなことも特に口にせず、なのに家に着くと、ラップは寄って行けと強引な口調で言い出した。
 「何か、話したいことがあるんだろう? 言っちまえよ。」
 押し付けがましさなど、これまで一度も見せたことのないラップが、車のキーを取り上げてヤンの腕を引き、ヤンはラップに心の底を読まれていた怯えで、抗いたいのとラップに何もかもをぶちまけてしまいたい気持ちの両方に襲われ、結局ラップの手を振り払えずに、初めてラップの家へ足を踏み入れる。
 今日は母親は留守なのか、無人の、しんとした家の中を、ラップは脱いだ靴をごろんと転がしてさっさと進んでゆく。ヤンも脱いだ靴を、とりあえず玄関の片隅に寄せて、慌ててラップの背中を追った。
 階段はない家の、廊下の一番奥の部屋がラップの部屋で、入って横に長いそこには、本棚と机とベッドと言う、いかにも高校生の部屋らしい見栄えだった。
 ラップは床にバックバックを投げ、ヤンもそれに倣って自分のかばんをその傍へ置き、すでにベッドに坐っているラップが、自分の目の前をぽんぽんと叩くのに、ベッドの端近くへ、ヤンは横顔を見せる姿勢にそっと腰を下ろす。
 「ヤン、おまえ、アッテンボローが手術したのが、そんなにショックだったのか。」
 間を与えずに、ラップが単刀直入に突っ込んで来た。ああ、やはりばれていたと思いながら、ヤンは膝の上に乗せた指先を、考え込む時の無意識の癖で、組んだり外したりまた絡めたり、視線はぼんやり壁に這わせたままだ。
 「手術が、ショックだったわけじゃないよ。」
 「じゃあ何だ。」
 うつむいて、いつもより聞き取りにくいぼそぼそした喋り方をするヤンへ、恐らくそれがラップの思いやりの、容赦のない追求が続く。
 親指の先を重ねて、それをじっと見下ろしたまま、ヤンは丸まった背中を寒気でもしたように震わせた。
 ラップの強い視線を横顔に感じて、それに焼かれているような心地になる。ジェシカのことも、こんな風に見つめるのかと、ヤンはふと思った。思って、胸のどこかがひどく痛むのを感じた。
 やっと、唇が動く。
 「人は、簡単に死ぬんだ。ほんとうに、呆気なく、死んでしまうんだ、ラップ。」
 きちんと整えられたベッドの上を、ラップが腰を滑らせてヤンの傍へ寄る。肩へ手を置きながら、ラップは下からすくい上げるように、ヤンと視線を合わせようとして来た。
 「盲腸なんかじゃ人は死なない。」
 「分かってるよ。アッテンボローは死んだりしない。でも、そんなの、誰にも分からないじゃないか。」
 母親は死んでしまった。父親も死んでしまった。次がアッテンボローでないと、誰が言えるだろう。
 切り開かれる皮膚、あふれる血、それが必ず止まり、傷はきれいに塞がると、そう無邪気に信じられる人たちを、ヤンは羨ましいと思った。アッテンボローはあの傷が、きれいに治ると信じ切っている。そうだろう、その通りだろうとヤンも思う。けれどそこにひと筋、ほんとうに?と疑いが湧く。治らなかったら? 今日はあんなに元気なアッテンボローが、明日もしかしてまた具合が悪くなったら?
 母さんがそうだった。父さんは、痛いとと思う間さえなかったろう。この世に確実なことなど何ひとつなく、自分は生きているけれど、明日どうなっているか分からない。明日、もしかすると、さよならさえ言えずに、ラップやアッテンボローの前から姿を消すかもしれない。
 誰も必ず死ぬ。それも突然に。呆気なく。自分も。アッテンボローも。ラップも。
 瞳だけを動かして、自分を見つめ続けているラップを視界に入ると、ヤンの胸に、矢の突き立つような痛みが走る。その痛みで、自分は今ここで死んでしまうのだと思いそうになった。
 ヤンは不意に目を大きく見開いて、ラップを正面から見つめた。
 「人は、ほんとうに、簡単に消えてしまうんだ、ラップ。」
 「誰も死なない。おまえを置いて行ったりしないよ、ヤン。明日もオレたちは一緒にアッテンボローに会いに行くんだろう?そうだろう?」
 空いた手をヤンの頬に添え、ラップはヤンの顔を自分の方へ引き寄せる。
 こんな近さで見ると、黒でも濃い茶でもなく、深い暗い青みの、鋼鉄を思わせるヤンの瞳が、今にも泣き出しそうに潤んでいるのにラップは胸を突かれたように思って、思わずヤンの涙を受け止めるように、ヤンを胸に抱きしめていた。
 ごつごつと背骨が服の上からも分かるヤンの薄い体を抱き止めて、ラップはヤンが自分の背中へも腕を回して来るのを、より近くヤンを自分の方へ抱き寄せる。
 ヤンは結局泣きはしなかったけれど、ラップに抱かれたまま、長い間嗚咽のように喉と背中を震わせていた。ラップは、ヤンが落ち着くまで、辛抱強くそうして背中を撫で続けた。
 ラップは心優しい少年だった。親のないヤンは、優しさに飢えていた。ヤンはその飢えに、自分で気づいていなかった。
 抱きしめられて、自分が欲しかったのはこの──ラップの──ぬくもりだったのだと知って、ヤンは恐らくその時、普段なら絶対に開かない心の扉を開き掛けていた。ラップは、ヤンがそうせずにいられないほど、ヤンの心を確かにあたためてくれた。
 ラップ、と額を乗せた肩の上で、ヤンは震える声で呼んだ。ラップは背中を撫でる手を少し強め、何だ、と小さな子にするように、ヤンの黒髪へ頬をこすりつけた。
 ヤンは、ラップの肩を掴んだ指先に、服の生地に跡が残るほど強く力を込める。
 「好きだ──。」
 不意の、ヤンのかすれた声へ、返事はない。代わりに、両肩に手が掛かり、額と前髪がこすれ合う。
 それは多分、一瞬だけ弾けた、熱のようなものだったのだろう。ひと時だけの本気。続きはしない。ぶつけた唇がただ痛かった。触れ合った唇を開くと言う知識もなく、彼らは押し付け合った唇を外すタイミングを図る知恵さえなく、どうしていいのか分からないまま、互いに触れる腕をほどきはしなかった。
 大事な友達を慰める術を、他に思いつけないだけだった。
 好きだと言うのは、もっと別に誰かに対してではなかったかと、ふたりは同時に、別々に、その誰かのことを思い浮かべている。その別の誰かが同じ人物であることを、ふたりは知っていたけれど、口にする勇気はなかった。
 呼吸のために、唇をようやく外し、それでも額を触れ合わせたまま、絡めた指先はほどけずにいる。
 上目に見つめ合って、ラップがもう一度、ヤンの髪の中へ片手の指先をもぐり込ませた時、ラップが吐息交じりに呼んだ自分の名の響きを、ヤンは永遠に忘れないだろうと思った。

 戻る