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君と過ごした10題 (配布サイト閉鎖)

04.君が愛しくてしかたがない

 バレンタインは昨日だった。自分には関わりのない日だと、徐倫が2週間も前から騒いでいるのを横目に見るだけで、ウェザーを付き合わせて何やら秘密めかしく買い物に出掛けたのを、渡す相手はあの男かと、ちょっと気にはなりながらもそれについてはひと言も言わずにいた。
 その承太郎の書斎に、14日にはひっそりと小さなチョコレートの箱とカードが机の上に置かれ、きらきら赤い包みはひと目でそういうものだと知れて、何となく色彩のない承太郎の城で、そのまぶしい赤はひどく鮮やかに見えた。
 すぐには机の傍には寄れず、承太郎はしばらく部屋の入り口でその包みを遠目に観察し、ゆっくり──恐る恐る──近づいて、まずはカードを手に取った。
 "大好きで、とても大事な人である父さんへ。愛を込めて。"
 箱の大きさからして、丸いチョコレートが4つ、丁寧な包装で、きちんとした店で買ったものだろうと思うと、どれにしようかと背中を丸めてあれこれ手に取って選んでいる徐倫の、真剣な表情が容易に思い浮かんだ。
 こんなことを──わざわざおれに──しなくても。
 もっと大事なのはあの男だろうに。そう思う端から、あの男への箱はもっと大きいのだろうとか、カードはもっと飾りが多くて派手なのだろうとか、中には一体何を書いたのだろうかとか、そんなことが気になり始める。
 承太郎の好みを慮ってか、カードはシンプルで、ハートやピンクが散りばめられていることもなく、徐倫のサインの傍には、そのためか自筆の大きなハートが描かれていて、印刷されたハートよりもそのさらりとした線のハートの方が、強く承太郎の胸に迫って来た。
 まあいい、徐倫からこんなハートをもらえるのは多分自分だけだと自惚れて、承太郎はカードを大切な手紙類を入れてある引き出しにしまい、チョコレートの箱は、ちょっと迷ってからペン立ての隣りへ置いた。お気に入りの、どれも無骨な承太郎の筆記用具の傍では、きらきらしい赤い包みは異様ではあったけれど、すぐに開けたりせずにしばらく大事に眺めて、週末にでも開けてみようとそう決めた。
 そしてバレンタインの翌日の今日、徐倫の姿はまだ見当たらず、電話もない。バレンタインのデートの、まだ熱も冷めやらずにあの男と一緒にいるのかと、ちょっと苛立ち掛けてから、自分の書斎のチョコレートの包みを思い出して気分をなだめる。
 そんな承太郎の心中を読んでか、ウェザーがわざわざコーヒーを飲むかと声を掛けて来た。
 ああ、と返事を投げて、キッチンへ立つウェザーと入れ替わりにソファにどさりと腰を下ろし、コーヒーなぞ居間をうろつけばウェザーがいつだって何も訊かずに淹れてくれるのに慣れ切ってしまっていて、承太郎はそんな自分の無神経をちょっとの間日本人らしく恥じた。
 「徐倫は今日はエンポリオと出掛けてるそうだ。」
 こちらに背を向けたまま、ウェザーを声を飛ばして来る。
 ああ、とその背に気もなさそうに相槌を打って、承太郎はまた、エンポリオを間に挟んで、まるで親子のように出掛ける徐倫とアナスイの姿を思い浮かべて、ひとり勝手に小さく腹を立てた。
 ジョースターとSPWが丸抱えで、徐倫の恩人だからと言うことで世話をしている面々に、もちろんアナスイも入っている。このウェザーもだ。何十年も刑務所に閉じ込められた後で、ほいと世間に放り出されて生きて行けるわけもない。ことに、ほんとうに殺人犯のアナスイは。
 どこの世界に、脱獄犯──この点については再考の余地がある──で殺人犯の男が娘の恋人と知って、心中穏やかでいられる親がいるだろう。誰が見てもアナスイが徐倫にべた惚れで、間違ってもその殺人の衝動を徐倫に向けることはないと心のどこかで確信があるからこそ、承太郎は完全に賛成はしなくても、ふたりを黙って見ている。第一、徐倫にかすり傷ひとつでもつけたら、あの男は即座に命がない。ジョースターとSPWの財力能力すべて使って、そして承太郎自身のスタンド能力で、即刻草の根分けても探し出して息の根を止めてやる。そのことを、アナスイはきちんと知っている。
 アナスイのことを考えるたび、承太郎の思考は物騒な方向へしか行かず、そのこと自体にも苛立って、承太郎は知らずに神経質に踵で床を蹴り続けていた。
 ほんとうにその男でいいのか。承太郎は頭の中の徐倫に向かって問い掛けながら、同時に、自分自身にも同じことを訊き続けている。ほんとうに、許してもいいのか空条承太郎。
 不意に、こつんと承太郎の爪先を、ウェザーの足が軽く蹴った。神経症の発作のような貧乏揺すりが、それでぴたりと止まった。
 いぎたない寝姿でも見られたような恥ずかしさを表情には出さず、承太郎は黙ってウェザーの差し出してくれるコーヒーを受け取り、すぐにひと口飲んだ。ウェザーは承太郎の隣りへ腰を下ろして、それから、承太郎の膝の上に、気恥ずかしいほどピンクピンクしたハート型の箱をするりと乗せる。
 掌大の派手なピンクを見下ろして、承太郎の目元が知らずに険しくなった。世界中が自分──と徐倫の間に割り込む──の敵だと言う気分に襲われる。
 「──徐倫にもらったのか。」
 「違う、オレからだ。」
 「徐倫に?」
 「違う、オレから、アンタにだ。」
 会話がまったく噛み合わない。ウェザーはやれやれと言う表情を隠さずに浮べて、
 「オレから、アンタにだ、承太郎。徐倫がアンタに贈ったろう? アレと同じだ。」
 アナスイ──と承太郎──のために、あれでもないこれでもないと、様々な箱を手に取って悩む徐倫の隣りに、同じようにしているウェザーを置いてみた。意外と悪くはない眺めだと思った自分に驚いてから、承太郎は、自分と同じくらい滅多と表情を変えないウェザーが、一体どんな顔でこれを選んで買って来たのかと、その想像はうまく像を結ばなかったので、諦めてウェザーをただ見つめることにした。
 「・・・あれは昨日だ。」
 「昨日だったら、アンタ素直に受け取らなかったろう。」
 承太郎の反駁に、ウェザーがさらりと言い返して来る。その通りだ、図星だった。昨日の徐倫のアレだって、徐倫が直接手渡ししようとして来たら、受け取ったとしても、下らないことをするなとひと言付け加えずにはいられなかったろう。そうしてまた徐倫を怒らせて、父娘(おやこ)の溝は深くなる。毎度のお約束だ。
 それをつぶさに、間近に見ているウェザーは、だからこんな風に、お茶菓子の振りをして、翌日に承太郎に手渡すことを思いついたのか。それにしても恥ずかしいピンクだと、承太郎はまた膝の上の箱をちらりと下目に見て、ウェザーにあれこれ読まれていたことに動揺していることを読まれないために、よそ事を考える振りをする。
 「アンタがこういうことに興味はないのは知ってるが、徐倫が楽しそうにしてるのを見てたら、オレもアンタに渡したくなった。」
 ハートの箱の浮かれっぷりとは裏腹に、ウェザーの声は落ち着いていて、承太郎を見つめる瞳も冷静に見えた。
 「それだけだ。」
 そう最後に付け足したのが、ほとんど唇に触れそうな近さになって、チョコレートを差し出すだけで好きだと伝えることになるのなら、言葉の足りないふたりの間では有効なやり方だろうと、やっと承太郎にも思えて来る。
 ウェザーはまだ動かない承太郎を見て、驚いて固まっていると思ったのか、自分で箱に手を伸ばしてふたを取り、途端にふわっと漂う甘い香りの強さにちょっと目を見開いて、
 「・・・オレも手伝った方が良さそうだな。」
 そう言って、承太郎を見つめたまま、中のチョコレートをさっさとひとつつまみ上げて、自分の口へぽいと放り込んだ。
 承太郎もそれに倣って、伸ばした指先をちょっと迷わせて、何やら様々色や形の違うチョコレートのひとつを取り上げる。アーモンドがまるごと乗っているそれは、見た目と香りほどは甘くなかった。口の中で砕けたそれへコーヒーを注ぐと、舌の上で甘味と苦味がほどよく混ざり合う。ウェザーの淹れてくれたコーヒーが、いつもより香り高く鼻腔へ抜けてゆく。承太郎は素直に、うまいと表情に言わせて、わずかに目を細めた。
 ウェザーと一緒に、ふたつ目へ指を伸ばす。
 ふたり掛かりなら案外さっさと片付いてしまいそうなそのチョコレートを間に置いて、ふたりでコーヒーを飲みながら、それでも4つ目はやめておくかと承太郎が手を止め掛けた時、5つ目を口に放り込み掛けてから、ウェザーがそう言えば思い出したと言う風に口を開いた。
 「徐倫のチョコレート、もう食べたのか。」
 ウェザーがそうして喋ると、甘い香りがもっと強く辺りへ漂う。
 「いや、まだだ。」
 承太郎が答えると、ウェザーは指につまんだチョコレートの方を向いて、
 「賞味期限があるそうだから、急いで食べた方がいい。何ならそっちもオレが手伝おう。」
 徐倫のチョコレートの話になった途端、また承太郎が眉の間を寄せる。ウェザーはそれを見て、チョコレートを噛みながら珍しくにっこり笑った。
 「──冗談だ。」
 膝の上から箱を取り上げ、承太郎はそれを目の前のコーヒーテーブルの上に乗せた。コーヒーのマグも置いて空手になってから、ウェザーの膝へ左手を伸ばした。
 「冷蔵庫に入れておこう。明日にでも食べる。」
 「ああ、その方がいい。」
 顔を近づけると、互いの唇からチョコレートが甘く匂う。
 来月には、バレンタインのお返しの日がある。ここの習慣ではないから、気恥ずかしくならずに済むなと思いながら、承太郎はウェザーの唇に自分の唇を押し当てた。
 徐倫が好きだからと言う口実で、カプチーノマシンはどうだろう。ウェザーの淹れてくれるカプチーノはどんな味だろうかと、思うそれも、今はチョコレートの味と香りに塗り潰されている。
 チョコレート味のキスは、しばらくそのまま止まらなかった。

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