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30日間好きCPチャレンジより

24 - Making up afterwards / 仲直り

 夕べ、ちょっとだけ諍いをした。大した内容ではない。遅く帰って来た承太郎が、玄関に靴を脱ぎ散らかしたまましていたと言う、それだけの話だ。
 それを、寝る前に見つけた花京院が、あーあーと言いながら爪先をドアに向けて揃え直して、その声を聞き咎めた承太郎が、きっと疲れていたせいだろう、嫌味かと口に出して言って、花京院のこめかみで血管がぴくりとした時には、もう手遅れだった。
 ふたりの小競り合いは、いわゆり怒鳴り合うと言うことには滅多とならず、大抵は互いに不機嫌にむっつり黙り合い、それでも数時間後には、どちらかがコーヒーを淹れるとかパイを出すとかして、何となく仲直りすると言うのが定石だった。
 けれどその時はもう深夜を過ぎていて、花京院はベッドへ行くところだったし、承太郎は疲れの限度を超え掛けていて、互いに互いの不機嫌をなだめられる状態ではなく、花京院はそのまま黙ってベッドへ入り、寝入ってずいぶん後にやって来た承太郎は花京院に背を向けて、結局仲直りのきっかけの掴めないまま、ふたりともに夢見の悪い夜になった。
 翌朝、驚いたことに、花京院が目を覚ました時にはもう承太郎は起きていて、キッチンからはいい匂いがしていた。
 「弁当持って行くんだろう。夕べの残りもん詰めたが、良かったか?」
 小さなテーブルの片隅には、大きさの少し違う弁当箱がふたつ。中身は同じだ。大きい方が承太郎、わずかに小さい方が花京院用だ。
 まだおはようも言わず、花京院はちょっとぼんやりそれを眺めて、何かじゅーじゅー音を立てて焼いているらしい承太郎の、ちょっと丸まった大きな背中を見やった。
 「いい、匂いだな。」
 「味噌汁できたら食える。坐ってろ。」
 花京院に背を向けたまま、ぶっきらぼうに承太郎が言った。
 言われた通りに素直に坐って待っていると、じきに目の前に、どこかの食堂かと思うような手際で、承太郎が茶碗にご飯をよそい、味噌汁をその隣りに並べ、次に出て来た大皿には、大きなハムが2枚に目玉焼き、花京院の好みに、黄身は固めに焼いてある。承太郎の方の皿は、いかにもやわやわとした艶のある、半熟の黄身だった。
 「いただきます。」
 「おう。」
 声には出さずに、花京院と一緒に承太郎も手を合わせ、ふたりは同時に箸を取った。
 味噌汁の具は、油揚げに豆腐、それから春菊。油揚げはきちんと油が抜いてある。朝から手間の掛かることだと、花京院は傾けた椀の縁に、思わず浮かんだ笑みを隠す。
 承太郎は半熟の黄身を箸の先でさっさとつぶし、とろりとあふれた中身をつまんだ白身につけ、それをご飯の上に一度置いてから一緒に口に入れる。入れて舌に味わった瞬間、口の動きが一瞬止まって、濃い緑の瞳がかすかになごんだのを、花京院は自分も食べながら見逃さない。
 厚く切ったハムは、1枚丸ごと口へ運んでから、食べる分だけ噛み取る。承太郎は同じことをしながら、毎回黄身をその端へつける。花京院は小さく切り取った白身と黄身を交互に、ハムと一緒に口へ運ぶ。
 「今夜また遅いからな。」
 ご飯をかき込みながら、承太郎が何気なく言う。
 「分かった。夕飯はどうする。」
 「今夜はいらねえ。食ってから帰る。」
 「そうか。分かった。」
 まだ、夕べの諍いの名残りが消えずに漂っていて、ふたりは言葉を交わしながら、互いを見ることをしない。
 それでも同じテーブルについて同じ食事を取っていると、なだめられた空腹と一緒に、夕べ理不尽に湧いた怒りも、確かになごめられてゆく。
 花京院は音をさせずに茶碗と椀を持ち替え、味噌汁の中から、大きめに切られた豆腐を箸の先にすくった。
 「あさってな──」
 もぐもぐ、まだ口の中にハムと目玉焼きの切れ端を入れたまま、承太郎がぼそりと言う。
 「ああ。」
 承太郎をまだ見ずに、自分の手元へ向かって、花京院は相槌を打った。
 「どこかにメシでも食いに行くか。」
 空になった口でそう言った後、承太郎はそこへまたご飯を放り込む。
 花京院はもぐもぐ、豆腐と春菊を一緒に噛みながら、ご飯を参加させようかどうか、ちょっと迷っていた。
 ご飯の再突入に待ったを掛け、口の中をちゃんと空にしてから、
 「それでもいいが、ウチで食べてから、デザートでも張り込んで、一緒に映画でも見るかい。2、3日、君のコーヒーを飲んでないから。」
 「何か見るもん、あったか。」
 「この間録った、スピードの続編、まだ見てないだろう。」
 承太郎が、ハムの最後のひと口を味わいながら、真っ直ぐ花京院を見て来た。
 花京院は汁椀を置いて、茶碗をまた取り上げる合間に、さりげなくその承太郎の視線を受け止める。
 「──それでもいいな。」
 きちんと黄味のついたハムを飲み込んでから、承太郎が言った。
 「ああ、そうだな。」
 茶碗に残ったご飯を丁寧に集めて、花京院はそれを口へ運んだ。
 最後の白身のひと切れで、最後まで残した黄身を丁寧に皿から拭い取り、承太郎はそれをまた丁寧に口の中で噛む。味噌汁を終わらせながら、花京院は承太郎のその顎の力強く動く様を、こっそり眺めている。
 承太郎と一緒に食べる朝ごはんは、夕べの小競り合いにも関わらず、花京院をいつもと同じに幸せな気分にしてくれる。大切な誰かと差し向かいで食べる朝ごはんは、何がどう特別かきちんと説明はできないまま、花京院の中でとても特別だった。
 豆腐と油抜きした油揚げは、花京院の好物の味噌汁の実だったし、厚切りのハムは承太郎の好物だ。目玉焼きの黄身の焼き加減は、うっとりするほど完璧で、もうひとつ焼いてくれたら、昼抜きでもいいくらいだと、花京院は頭の中でだけ考えている。
 朝食は抜くべきではないと言う、花京院の両親の方針で、花京院は朝ごはんを作るのをそれほど苦にはしていないけれど、それを楽しいものにしてくれたのは承太郎だった。
 ひとりで食べるそれは、単なる空腹を満たすだけの習慣だ。けれど、美味いものを楽しく食べることを、盛大に楽しむ空条の家の空気を知った後で、花京院は、承太郎と一緒に食べることの楽しさを学んだ。
 承太郎と一緒に食べるのは楽しい。承太郎と一緒だから楽しい。承太郎とだから楽しく食べたい。承太郎と食べると、何でも美味く感じられる。今では、ひとりきりの食事さえ、承太郎を向かいに想像すると味が変わるような気がする。
 承太郎を好きになったことで、花京院の世界の在りようは確実に変わり、それは、食事の味さえ変えてしまった。
 ああ、やっぱり僕は、君のことが好きなんだなあ。承太郎の皿に、かすかに残った目玉焼きの黄味の染みを見て、君と思いながら、頭の中でそれを黄味とも字を書き換えている。
 君と黄味かあ。どちらも美味しいなあ。
 かけらとも言えない大きさの、小さな小さな黄味の粒を、いつもならそのまま洗ってしまうのに、今朝に限って花京院は箸の先に引っ掛けるようにして取り、ほんとうに、きれいさっぱり皿を空にした。舐めたように、大皿は白く輝いて、ちょっぴり残った油の跡だけが、確かにそこに承太郎の丁寧に焼いてくれた目玉焼きとハムがあったのだと伝えて来る。
 花京院は、知らずその皿の白さに向かって微笑んでいた。
 「ごちそうさまでした。」
 いつもの朝よりも、ずっと丁寧にそう言った。
 箸を置き、手を合わせて軽く頭を下げる。食事に向かってと、そして作ってくれた承太郎に向かってだ。
 花京院の仕草にそれを読み取ったらしい承太郎が、ちょっと肩をすくめておうと言う。声に照れ臭さが滲んでいて、花京院はもう一度微笑んだ。
 上唇と下唇を、ちょっと行儀悪くすり合わせて、そこに残る油を拭い取る。まだ黄味の味が残っていて、花京院はそれを追って、こっそり舌の先で唇の端を舐めた。
 それを見て目を細めた承太郎と目が合い、それからその朝ふたりは初めて笑い合って、卵の匂いのするキスを交わしたのは洗い物の後だった。

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