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30日間好きCPチャレンジより

03 - Gaming/watching a movie / ゲームをする、映画を見る

 何だってくれてやる、と承太郎は思った。おれが持ってるものなら、何でもくれてやる。何だっていい、何だってくれてやる。
 目でも腕でも舌でも足でも、爪でも皮膚でも、骨でも胃でも心臓でも肺でも、何だっていい、欲しいならくれてやる。必要なら差し出してやる。
 あの胸糞の悪い吸血鬼野郎がそうしたように、おれの首か、それとも首から下全部か、あるいはその両方の、おれのすべてか、必要なら取ればいい、欲しければ奪えばいい。何だっていい、おれが差し出せるものなら、何もかも差し出してやる。
 承太郎は、花京院を抱きしめている。意外に持ち重りのするその体を両腕の中に抱えて、ぴくりとも動かない首筋や唇や胸の辺りへずっと目を凝らし続けて、寝顔と見間違うはずもない血塗れの額や頬の、しんとした静けさへ向かって、心の中で叫び続けている。
 何だってくれてやる。また承太郎は思った。
 心臓が動きを止めて、血の流れも止まり、どろりと流れたまった血が、制服や地面に奇妙に弾力のある表面を見せて、それは花京院の命の断片のように、花京院の体を離れて温度を失い始めていた。
 それを集めてすくい取って、花京院の体に戻せばいいのか。そうすれば、すでに空気に触れて固まり掛けている花京院の血は、再び花京院の血管の中をめぐり始めるのか。
 めぐる血があたたかさを取り戻し、心臓を通り、酸素と二酸化炭素を入れ替え、そのために、肺が呼吸をして、その呼吸のついでのように、花京院が承太郎に微笑み掛ける。
 やあ承太郎。
 まるで、目覚めた朝の挨拶のように、花京院がそう承太郎に微笑み掛ける。
 花京院。幻の微笑みに向かって、承太郎はかすれた声で呼んだ。 
 服に染み込み、地面に染み込んだ血は、二度と体の中には戻せない。それはもう、花京院であって花京院ではないものだ。
 承太郎の血も皮膚も骨も心臓も、花京院の腹にぽっかり空いた穴を塞げない。すでに流れる血もないその大穴は、承太郎の命全部ですら塞ぐことはできない。
 覗き込めば、体の内側の薄闇に透かして、承太郎の膝近くの地面の見えそうな、ぽっかり空いたその穴は、承太郎が差し出す何も受け付けずに、まるでブラックホールのように承太郎の叫びをすべて吸い込んでゆく。こだますらなく、飲み込んで消し去って、端から存在すらしなかったように、承太郎の滴り落ちる涙も、つるりとどこかへ滑って流れて、血塗れの薄闇の一部になる。
 その闇の中に、承太郎は微笑む花京院を見ている。やあ承太郎、そう言って、煙草を吸いにゆく承太郎に付き合うために、右側へ立って一緒に歩き始める花京院の、驚くほど優雅に動く手足の描く線を、承太郎はそこに見ている。
 自分の体を叩き壊して、小さな破片にして、この穴に詰め込めればいいのにと、承太郎は思う。自分の全身でこの穴が埋まり、そして花京院は何事もなかったように目覚めて、やあ承太郎、と、もう塞がった自分の腹を見下ろして微笑む。
 なぜ、命を分け与えることができないのだろう。腕1本分、肺ひとつ分、そうやって、命を分け与えることが、なぜできないのだろう。
 手を握り、指先や掌から、自分の命を注ぎ込む。相手に必要な分だけ、自分の命を分けて、与えて、どうしてそんなことができないのだろう。腕の1本も肺のひとつも、あるいは心臓でも首ひとつでも、そうできるなら即座に差し出すのにと、承太郎は思う。
 腕1本で足らないなら、命ごと、何もかもまるごと、全部だっていい。この穴が塞がって、花京院がまた目覚めて微笑んでくれるなら、自分をまるごと差し出してやる。承太郎は考え続けている。
 傷だらけで、へし折れた腕か脚でも抱えて、笑い合いながら日本へ帰る、そんなことしか想像していなかった。日本での、打って変わって平凡な、静かな日常の中へ、ふたり一緒に戻るのだと思っていた。
 何となく一緒になる登下校に、授業の愚痴でもこぼし合って、試験の前の週末には一緒に図書館に行ったり、暇な週ならただぶらぶらと街を歩き回ったり、好きな音楽や映画の話をし、読んだ本の感想を言い合って、互いの好きな本を貸し合ったりもする、ゲームの好きな花京院に付き合って、小さなボタンを押し続けてもいい、そうやって、穏やかさを取り戻した世界の中で、ふたり肩を寄せ合ってゆくのだと思っていた。
 時を止められても、時を取り戻すことはできない。起こったことを変えることはできない。承太郎の命を全部注ぎ込んでも、花京院は還っては来ない。
 腕では足りない、脚では足りない、心臓でも脳でも足りず、どこかにあるはずの心でも命でも、足りはしない。
 命はひとつきり、取り替えも継ぎ足しもできない。ぷつりと切れて、そこで終わる。終わってそうして、それきりだ。
 声を放って泣く承太郎の、その絶叫を余さず吸い込んで、それでも花京院の腹の穴はしんと静まり返っている。乾き始めた血の表面は、承太郎の叫びの揺らす空気に、時折ふるりと揺れるように見えて、それはまるで、花京院の命の名残りのあかしのようにも見えた。
 承太郎が、空へ向かって声を放つ。何もかもくれてやると叫んでも、どこにも届かずに、誰にも聞こえずに、人一倍の承太郎の激しさもすっかり飲み込んで、花京院の腹の穴は昏い闇をいっそう濃くするだけだ。
 永らえた自分の命を、承太郎は持て余している。花京院に分け与えることのできない自分の命の確かな熱さを、承太郎は今ひとりきりで持て余している。花京院の分には足りない、けれど承太郎ひとりには多過ぎる命の熱は、花京院に注いだところで、この穴からだた漏れこぼれてゆくだけだ。
 承太郎の命はどこへも行かず、承太郎の内にとどまり続ける。どれほど望んでも、それを取り出して誰かに──花京院に──分け与えることはできないのだ。
 承太郎は泣き続けた。流れを止めた花京院の、もうぬくもりのない血の代わりのように、体温のままあたたかい涙を、ひとり流し続けた。
 なんだってくれてやる。持って行け。おれから取って行け。全部くれてやる。
 叫びが、花京院の腹の穴を、風の気配すら起こさずにただ通り過ぎてゆくだけだった。

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