触れ合いたい2人に10のお題@空色アリス

1) 手を繋ぐ


 「花京院、手ェ出せ。」
 そろそろ寝るかと、少しぎしぎし言うベッドに、花京院が読みかけの本を手に入ったところだった。
 きちんとパジャマを着ている花京院とは対照的に、今花京院のベッドに片膝を乗せて、いきなり顔を近づけてきた承太郎は、寝る時はいつもその格好だけれど、下着だけだ。
 「手がどうしたって。」
 ページを押さえた手はそのまま、本を読みながら、花京院は承太郎に素直に右手を差し出した。
 承太郎は、まるで大きさでも比べるように、花京院の掌に自分のそれを重ねて、それから、花京院の指の輪郭を撫でる。
 よし、とよくわからない納得の声が聞こえて、それから、承太郎が、花京院から読んでいた本を取り上げた。
 「おい、何するんだ承太郎!」
 「うるせえ、隣りに聞こえる。」
 取り上げた仕草が唐突だったくせに、きちんとその本はサイドテーブルに置いて、承太郎は花京院のベッドに足を差し入れてきた。
 「ちょっと待てよ! ベッドを替えて欲しいならちゃんとそう言え!」
 「違う。うるせえ。騒ぐな。」
 狼狽して、ベッドを飛び出そうとしている花京院をしっかりと捕まえて、承太郎は低い声でひどく冷静に振舞っている。とは言え、どこか表情に戸惑いも見えて、これはきっと何かろくでもないことに違いないと思った花京院は、とても正しかった。
 「花京院、てめーの手を貸せ。」
 「何のために。」
 「黙って手伝え。」
 「何を。」
 承太郎に引きずり戻されたベッドの中に、微妙な距離を保って互いに向き合って、うまく噛み合わない会話が1分ほど続いた後、承太郎が、ついに意を決したように、花京院の手を自分の方へ引き寄せた。
 引き寄せられた先に花京院がぎょっとなって、手を引き戻そうとする。それを逃がすまいと、承太郎が肩をつかんで、自分の方へさらに引き寄せる。狭いベッドでばたばたと、ふたりで暴れていると、ついに花京院がハイエロファントを呼び出した。
 残念ながら、承太郎を殴ろうとしたハイエロファントの腕は、素速く現れたスタープラチナに捕らえられて、ふたりとスタンドは数秒睨み合って、何の解決にもならないと目顔で悟ると、ふたりは一緒にスタンドを引っ込める。
 「何のつもりだ一体。」
 「何のつもりもねえ。てめーの手ェ貸せって言ってるだけだ。」
 「・・・そういうことは、自分でやれよ承太郎。」
 「飽きた。」
 は、と思わず間の抜けた声が出る。
 「マスターベーションに飽きたも何もあるもんか! 想像力を使えよ! 頭の体操とでも思って!」
 花京院は、投げるぞと、頭の下の枕を、見せつけるように強くつかんだ。
 相変わらず花京院の手は掴んだまま、肘近くまで腕に血管が浮く。花京院のもっともな反応に、腹を立てているわけではなさそうだったけれど、苛立っていることだけは確かのようだった。承太郎自身が、この事態にどう収拾をつけようかと、焦れているのだなと思って、花京院は少しだけ承太郎に同情しそうになる。
 「こんな、女もロクに外歩いてねえところで想像力もクソもねえ。」
 少し目を伏せた承太郎が、ひどく重い口調で言う。確かにそうだと、うっかり同意したのが表情に出てしまった。
 こんなことのための想像の種など、拾っている暇のある旅のわけはなく、それにここらには、わざわざ顔と腕以外の肌を露出させて歩いている女性は、皆無と言ってよかった。
 そんなわけで、花京院の目の前で、花京院のベッドの中で、奇抜なアイデアではあるけれど、素晴らしいと評価はできない思いつきを実行しようとして、承太郎は進退窮まっている。おまけに相手が花京院となれば、断られて恥をかくだけならともかく、絶交を言い渡された上に戦線離脱宣言という結果すら招きかねない。
 なるほど、そこまで切羽詰っているというわけかと、極めて理性的な素振りで、けれど確実に必死さのにじんだ承太郎の態度に、花京院はあきらめのため息を吐く。
 親しき仲にも礼儀ありという、今はひどく懐かしい気のする日本語を思い出しながら、こんなことにも礼儀ってあるのかなと、花京院は、逃げようとしていた腕から力を抜いた。
 健康な十代の男なら、たとえ欲求がないにせよ、健やかな生理現象は如何ともしがたく、そのつらさは同じ立場で理解できるから、花京院は、この奇妙な旅に山ほど含まれる奇妙さのひとつだということにして、自分を納得させることにした。
 「下手くそだとか、そんな文句は聞かないぞ。」
 「・・・自分の手よりは何だってマシだろう。」
 「・・・黙れよ。」
 少し神妙になって、ふたりはやっと少し体を近づけると、何となく隠れたいような気分で、頭まですっぽり上掛けをかぶると、もぞもぞと手の位置を定めようとする。
 自分に向かって伸びてきた承太郎の手を払いのけて、花京院は、真っ赤になった顔を伏せた。
 「僕はいいから!」
 「・・・おれにだけ恥かかす気か、てめえ。」
 「恥だって思うなら、こんなことやらせるなよ。」
 有無を言わせない声の承太郎に、けれどぴしりと返して、承太郎の顔を見なくてすむように、あごの下辺りに顔を突っ込むと、花京院は承太郎の下腹に掌を這わせた。
 じかに触るにはもう少し勇気が必要で、下着の上から両手を添えて、けれど形が確かなものになるまで、大して時間もかからない。
 正直に大きさに驚きながら、花京院は戸惑いながらも下着の中に手を差し入れて、窮屈そうなそれを、外へ取り出そうとする。途中で引っ掛かってしまったボクサーを、承太郎が花京院を手伝って、自分で引き下げた。
 近々と寄った体が、熱い。
 しがみつくように、首に巻きついている承太郎の腕の筋肉が、花京院が手を動かすたびに、ぴくぴくと動くのがわかる。
 自分の掌に、こすりつけるように動く承太郎の固い腹筋の線が、いやでも下目に見えた。
 こんなふうになるのかと、自分のことを思い浮かべているうちに、妙な気分になってくる。
 頭上で聞こえる承太郎の呼吸が、短く切れる。唇を噛む気配が、髪に伝わってくる。花京院は、承太郎に対してではなく、頬を赤く染めていた。後でひとりでこそこそ処理するくらいなら、今やり合ってしまった方が、お互いに気楽かもしれないと考える。
 大体、言い出したのは承太郎の方だ。
 手の動きを少しゆるくすると、花京院は、少しだけ顔を上げて、赤く染まっているように見える承太郎のあごに向かって、小さく声を掛けた。
 「承太郎・・・僕のも・・・」
 花京院を、のろのろとした動きで見下ろした承太郎が、けれど素早く花京院の背中に腕を回して、そこからするりと指先を素肌に滑り込ませてきた。
 前へ移動させながら、パジャマと下着をまとめて引き下ろすと、何のためらいもなく、いきなり触れてくる。
 うっかり腰を引きかけると、承太郎の長い脚が絡みついて来て、花京院をもっと近く引き寄せた。
 「・・・てめ・・・」
 揶揄するように、承太郎が、短い息の下で、薄く笑った。
 すでに勃ち上がりかけている花京院のそれを、承太郎は右手に収めて、花京院の手の動きとは少しリズムをずらせて、少しばかり気忙しく追い立て始める。
 他人の、しかも自分のよりも大きな、ぶ厚い手に包み込まれて、嫌悪の湧かないことに、驚く暇すらなく、けれど素直に声を立てないことが、花京院の矜持だった。
 これは、単なる処理だ。怪我の手当てを互いにし合うのと、大した違いはない。そう思い込もうとしなければならない程度に、花京院はいつのまにか、必死で手指を使いながら、承太郎の掌に夢中になっていた。
 こんな時の、他人の声を、こんな間近に聞くというのは、羞恥と一緒に、妙な親近感を呼び起こす。親愛を含んだ、親密的な、共犯者とでも言うべきなのか、自分の手の中で、誰かが素直な欲情---一体何に対してなのかは、ともかく---を示していることに、不思議な嬉しさが湧いてくる。
 醜態と言ってもいい姿を、互いに、互いに対して晒し合って、承太郎はともかくも、自分の中に、承太郎に対する幻滅がないのが、奇妙な気分ではあった。
 承太郎の手だと思うだけで、ろくでもない想像力とやらの助けも借りずに、互いに、お世辞にも上手いとも言えないはずの動きだったのに、最後には自分でも驚くほどの声を立てて、花京院は承太郎の手の中に果てていた。
 承太郎は、花京院のそれで少し汚れた手を、そのまま花京院の掌に重ねて、自分の方を終わらせた。
 ほんのしばらくの間、少ししびれたようになっている体を横たえたまま、まだ互いの躯に手を掛けたまま、ふたりは呼吸が整うのを一緒に待った。
 先に体をずらして、そこで身支度を整えた承太郎が、そっとベッドから抜け出る。後姿を、上掛けから顔を出して追うと、バスルームに消えて行った。
 水を使う音がして、出て来た時には、手に、濡れたタオルを携えていた。
 上掛けから、目だけ出している花京院に、そのタオルを差し出して、使えと目顔で言う。花京院は、それ以上上掛けがめくれないように---顔が見えないように---気をつけながら、おずおずと腕を伸ばした。
 花京院が、少しべたべたする手をベッドの中で拭って、自分の後始末をする間、そのタオルをよこせと、承太郎が腕を伸ばしたままでいるので、そんな汚れたタオルを渡すのはどうかと思いながら、けれど今わざわざそんなことを言う気にはならず、そんなことを気にしている様子のない承太郎の、それは気遣いなのだろうと解釈して、花京院はそのタオルをそのまま承太郎に手渡した。
 そうして、また承太郎がバスルームに消えた後に、水音がして、ようやく部屋が静かになる。
 照れているせいなのかどうか、承太郎は終始無言で、バスルームから自分のベッドへ直行すると、ぎしりと音もさせずに滑り込んだベッドで、花京院にくるりと背中を向けた。
 花京院は、承太郎のその背中に目を凝らして、ベッドの中で身じろぎもせずに数分、ようやく思い切ったような表情で、枕を抱えてベッドを下りた。
 まだ眠ってはいないはずの、こちらに向いている承太郎の背に近づいて、そっと声を掛ける。
 「承太郎。」
 「・・・なんだ。」
 声に、不安な色が交じっているように聞こえたのは、花京院の気のせいだったろうか。
 「悪いけど・・・シーツが、汚れてるんだ。」
 誰の、何で、とは言わない。承太郎がそれ以上何も訊いてこないといいがと思いながら、花京院は頬を染めている。
 承太郎は、花京院を説得することに必死だったのだろうし、花京院は、事の成り行きに飲まれて無我夢中で、後のことなど考えてもいなかった。シーツを汚すというのは、初心者のやらかす失敗だ。そんなことをわざわざ知らせて、承太郎を侮辱したくもなかったし、自分の慌てぶりを自覚したくもなかったけれど、こんなことの後に、汚れたシーツを気にしながら明日の朝まで眠るということは---一晩中、起こってしまったことを反芻しながら---、花京院には耐えがたかった。
 そこまで言わなくても察してくれることを、花京院が祈っていると、大きな背中がくるりとこちらに向いて、今はなおさら仏頂面に見える顔つきで、承太郎が上掛けを持ち上げながら、ベッドの向こう側へ体をずらす。
 承太郎が空けてくれたスペースに枕を置いて、花京院は、小さな声で、
 「・・・ありがとう。」
と言って、なるべくこちらの端近くに体を滑り込ませた。
 承太郎は、動かした枕の位置を定めると、そこに顔を埋めるようにうつ伏せになり、顔だけはまた、あちら側に向ける。
 花京院は承太郎に背を向けて、たった今自分が抜け出たばかりのベッドを眺めていたけれど、その眺めに照れくさくて耐え切れず、仰向けになって天井を見上げた。
 それから、ようやく眠ろうと、いろいろとつい考えてしまうのをやめて、目を閉じた。
 静かな部屋の中で、自分の頭の中だけが、ざわざわとやかましい。承太郎の寝息が聞こえないことに、少しだけ安心して、それでも、今さら、起こってしまったことに対して、どうしようと、そんな気分が途切れずに湧き続ける。
 考えても仕方がない。お互いに合意の上でのことだったのだし、あのくらい、うっかりシャワー中と知らずにバスルームのドアを開けてしまったことと、大した違いはない。
 胸の前に組んだ両手が、やけに重い気がした。
 しばらくして、ふと、腿の辺りに触れる小さなぬくもりに気づいた。
 何だと、ベッドを揺らさないように顔をそちらに向けると、承太郎の腕がこちらに伸びて、その指先が自分に触れているのだとわかる。
 右手らしいと、思った途端に、花京院は自分を止められずに、おそるおそるその指に触れるために、自分の手を、胸の上から移動させていた。
 触れているのが人差し指だと触れて確認して、それから、掌に触っても、承太郎の手は逃げたりしなかった。
 耳に響く心臓の音を聞きながら、そこにしばらくとどまった後で、花京院は、まるで手を握るように、承太郎の指に、自分の指を重ねた。
 暖かいと、素直に思ったその時に、承太郎が、まるで待っていたように、花京院の手を強く握った。
 心臓が跳ねて、まだ胸の上にあった左手の下で、どくどくと音を立て始める。
 その音が聞こえてしまうのが恥ずかしくて、上掛けの下にまたすっぽりと顔を隠して、花京院は、けれど手をふりほどいたりはしない。手を握る承太郎の力の強さが、彼の必死さを伝えてきて、それに心の中で微笑しながら、花京院は、応えるように、承太郎の手を握り返していた。
 その夜、ふたりは、手を繋いだまま眠った。


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