触れ合いたい2人に10のお題@空色アリス

2) 足りない


 いつのまにか、手ェ貸せ花京院、というのが、決まりの台詞になっていた。
 最初の時の、消え入りたいほどの気恥ずかしさは、もう失くなってしまっていたけれど、それでもまだふたりは、ぎこちなく互いの体に手を伸ばして、ぎこちなく終わった後に、ぎこちない沈黙に耐え切れないように、それぞれのベッドで、ぎこちなく眠ったふりを決め込む。そのうち、ほんとうに眠ってしまえば、翌日の朝には、いつもの顔でおはようと言うことができた。
 そんなことにあっさり馴れてしまえるほど、すれたふたりでもなかったし、馴れない方がいいのだと、暗黙のうちに理解し合ってもいたような気がする。
 もっと事務的にしてしまうこともできるはずなのに、ふたりはそうはせずに、他の仲間たちに、とても大きな秘密を抱え込んでしまったように感じながら、秘密だとそう思う気分によけいに昂ぶっているのだとは、まだ気づけるほど大人でもない。
 少しの後ろめたさと、少しの罪悪感と、いたずらを楽しむ少し子どもっぽい気分と、少しの共犯者の気持ちと、それから、互いに対する奇妙な親近感と、そんなものをない交ぜにして、互いに触れ合い続けている。
 今夜も、同じ部屋になって、承太郎が、花京院のベッドにもぐり込んできていた。
 下着やパジャマを汚したりしないように、ふたりとも、すっぽりとかぶった上掛けの下で、全裸になっている。ベッドを汚したりしないようにという気遣いもそれなりにしながら、けれどそうなってしまえば、もうひとつのベッドで一緒に寝るだけだ。
 裸で寝るという習慣すらない花京院---承太郎とは、違って---にとっては、何も身につけずに、誰かと一緒に寝ている状態というのは、未知以前の問題で、相手が承太郎ならと、少しずつでも慣れつつはあったけれど、それでもまだ、引き寄せられると皮膚の下に粟が立つような気がする。
 花京院のそんな馴れなさを、少しばかり歯がゆくは思ってはいても、面と向かって責めるという見当違いをするような承太郎ではなかったから、こんなことには慣れていなくて当然だという態度を崩さず、ふたりは、あくまで仕方なく助け合っているのだと、お互いを納得させていた。
 一度、あっさりと終わって、それから、二度目のために、少し時間を置いているところだった。
 承太郎と、真正面から向き合わずにすむ位置に顔を置いて、少しうつむいたままで、花京院は、少し思いつめたような声を出す。
 「承太郎・・・」
 「なんだ。」
 まだ少し、どこかかすんだような声で応えて、承太郎は、少しあごの位置を落として、花京院を見下ろした。
 「その、言いにくいんだが・・・。」
 言い淀んで、もっとうつむいた前髪が、ふたりの体温のせいで熱いその中で、少し湿ってくたりとしているのが見える。承太郎は、あまり気のないふうを装って、積極的には先を促さずに、じっと続きを待った。
 「・・・この姿勢は、やりにくい。」
 前置き通り、とても言いにくそうに、花京院がやっと言う。
 「そう言や、そうかもな。」
 いつでも互いに伸ばせるように、だらりとシーツの上に落ちていた腕を持ち上げて、承太郎は考えるように、頭の下に敷いた。
 それを休戦の合図と取って、ふたり一緒に、上掛けから顔だけ出すと、向かい合って、少しばかり真剣に、思案中の顔つきになる。
 「なんか、いい考えでもあるのか。」
 煙草でも喫いたそうに、唇をいじりながら承太郎が訊くと、花京院は、唇を曲げて頬を赤くした。
 「あるわけないだろう。こういうことは君の方が詳しいんじゃないのか。」
 今度は承太郎がむっとする。
 「・・・怒るなよ。」
 花京院は肩をすくめ、顔の下半分をまた上掛けの下にもぐらせると、ひとりで唇をとがらせた。
 「花京院、てめー右利きだな?」
 「ああ、君もだろう承太郎。」
 横たわって向かい合うと、どちらかの右腕が、必ず体の下になる。利き腕が動かしにくいのは、こんな場合には少しばかり困る。どうやらそれは、承太郎も思っていたことらしく、こんなことにいちいち意見を言うのかと、軽蔑されずにすんだらしいと、花京院は安堵していた。
 しばらくふたりで黙って考えた後で、承太郎が、ぼそりとつぶやいた。
 「右手が自由になりゃいいわけか、ようするに。」
 言いながら、体を起こして上掛けから半分だけすり抜けると、花京院の方を向いて、
 「起きろ、こっち向け。」
と、手で招く。
 「なんだって?」
 すっかり闇に慣れてしまっている目の前で、承太郎の裸体が、何か目的を持って動き始める。
 「こっち向け、花京院。」
 肩を押されて、上掛けを引き下げようとする承太郎の手を慌てて止めて、花京院は自分の体はしっかりと覆ったまま、承太郎の言うように体を起こして、承太郎と向き合った。
 たとえ肩や胸だけでも、承太郎の剥き出しの体は、目のやり場に困る。当の本人は、折った脚を軽く引き寄せて、とりあえず隠す気はあるようだけれど、全裸ということにはまったく頓着がないように見えた。
 花京院はうろうろと視線をさまよわせながら、承太郎に腕を引かれて、けれどまだ上掛けから手は離さない。
 承太郎が伸ばしてきた爪先が、花京院の膝を割る。驚いて逃げようとする花京院の腕はしっかりとつかんだまま、承太郎はそのまま、自分の両脚の輪の中に、同じように足を開かせた花京院を閉じ込める。
 互いの腰を、正面から両脚で抱き込む形に落ち着くと、承太郎はまだ事態を把握できずに、肩を縮めている花京院の背中を、大きな掌で、なだめるように撫でた。
 「取って食やしねえ。」
 「・・・わかるもんか。」
 体を離して下を向けば、いやでも互いの下肢が目に入る。そうしないために花京院は、しぶしぶ承太郎の肩にあごを乗せて、やり場に困った腕を、とりあえず承太郎の背中に回す。
 花京院が、まだ往生際悪くつかんでいる上掛けを、承太郎がそっと取り去った。
 隔てるもののない体は、もう少し近づけば完全に密着する。それだけはすまいと、花京院は両脚に力を入れて、全力で拒む準備をした。
 ほら、と承太郎が、花京院のあごの乗った肩を軽く揺すって、自分の背中から花京院の腕を外す。そうして、まず左手で、先に花京院に触れた。
 「・・・おまえも、さわれ。」
 触れられてびくりとして、けれどおとなしく承太郎の手に導かれるまま、承太郎に触って、承太郎の声が少しだけ震えていたのに、花京院は思わず苦笑をこぼしそうになる。
 ここまで冷静に、ひどくスムーズに事を運んでいるように見えて、けれど承太郎も、緊張しているのだと、掌の中に感触が伝えていて、花京院が不安なのと同じに、承太郎も戸惑っているとわかると、途端に少しだけ、気が楽になる。
 承太郎のぶ厚い体に比べれば、ずいぶんと貧相に見える---見えるだけだ---自分の体に触れて、承太郎が何を考えているかと、気にはなるけれど、これもまたきっと、承太郎も同じことを気にしているのだろうと思うことにする。
 自由に動く手を互いに添えて、花京院は何度も声を殺すのに、うっかり承太郎の肩に噛みつきそうになった。
 皮膚の一枚下がひどく火照って、汗が浮く。
 他人の手だということと、ひとりではないということは、こんなにも違う感覚を与えるのかと、もう何度も思ったことを、また感じている。
 承太郎が終わっても、まだ花京院は終わらずに、濡れて汚れた手を気にしながら、そのまま承太郎の首に片腕を回した。
 承太郎の体が熱い。こんなふうに伝わる体温に、みぞおちから下腹に、得体の知れない感覚が流れてくる。もっと近く体を寄せたいと、うつつに思いながら、ようやく花京院は、承太郎の両手の中に吐き出していた。
 息を整える花京院に、その間すら与えずに、また承太郎がすぐに花京院の手を取る。
 「おい、ちょっと待てよ、承太郎。」
 低くひそませた声が、耳元で咎めても、承太郎は花京院の手を離さずに、ひどく湿った、そしてどこかやるせない声で、言った。
 「・・・まだ、足りねえ・・・」
 ふたりの手はべたついていて、そして触れた承太郎も、まだ濡れている。掌の中の感触と、承太郎の声に、ぞくっと肩を小さく震わせて、花京院は、ああちくしょうと、口の中で小さく小さくつぶやいた。
 「君に付き合ってたら、このまま朝になりそうだ。」
 「やかましい。」
 承太郎の、ちょっと吐き出すような語尾が、花京院の動く手に合わせて、少し上ずる。
 左腕を承太郎の首に巻きつけたまま、花京院は、突き上げるような解放感に満たされて、承太郎の耳元にささやいた。
 「・・・僕も、足りない、承太郎・・・」
 承太郎の手が伸びてくるよりも少しだけ先に、ほんの少しだけ、承太郎に体をもっと近づけて、ほとんど熱が重なるくらいに、花京院は、剥き出しの体を承太郎に向かってすり寄せる。
 まだ濡れているそれを、少しべたべたする承太郎の掌が、包み込んでくる。
 ああ、ちくしょうと、今度は承太郎に聞こえるようにつぶやいて、花京院は、わけもわからずにこみ上げてくる笑いを、必死で耐えていた。


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