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 上に乗った花京院が、承太郎の躯のあちこちに触れる。
 両の掌と指と、舌と唇と、爪先や肩や胸や腹や、ありとあらゆるところを使って、承太郎に触れる。
 承太郎はほとんど体を投げ出して、時々腕を持ち上げて、花京院の肩や首筋を撫でるだけだ。
 浅く息を吐きながら、承太郎の皮膚に歯を立てる。そうして、自分の痕を残しているように、あるいは、視覚ではなく触覚で、承太郎のすべてを憶えていようとするかのように、またあるいは、何かの甘い菓子のように、舐め溶かした承太郎を、自分の身内に収めてしまおうとしているかのように、花京院は他のことなど何も目に入らない態で、承太郎を貪り続けていた。
 他の誰かが相手なら、それは愉しみなどではなく、ただ強いられる拷問だったけれど、承太郎にだけは、いつまでもこうしていられればいいと、花京院は思う。
 自分で自分に触れるのは、あまり好きではなかった。自分のことはどうでもいい。触れられるのは、辱めと征服の意味しかなく、そうして躯が屈服してしまえば、それをまた辱めの理由にされるだけだ。
 承太郎が、こちらに伸ばして来る手を、さり気なく避ける。承太郎に触れて、反応はしているけれど、それを今はどうこうする気はなく、むしろ、どう触れようと萎えたままでいる承太郎の方に、花京院はずっと触れていたかった。
 そのことを、気の毒と思うからではなく、同情しているわけでもなく、ただ、承太郎をいとおしいと思うと同じに、掌の中でわずかな熱を持って、水ももらえずにしおたれている花のような承太郎のそれが、いつだっていとおしいだけだ。
 熱を返さないそれは、花京院にとっては、安全な躯の部分でしかない。
 いつだって自分の躯の柔らかな内側を痛めつけるためだけに使われるそれを、承太郎は決してそんな風には使えないし、使えたとしても、使わないだろうと、花京院は思う。
 これは、花京院を傷つけるための行為ではない。承太郎を辱めるための行為でもない。何も持たないふたりが、互いへのいとおしさを表現するために、花京院はこれしか知らず、承太郎もまだ、他の術を学んではいない。
 さまざまなものを背負い込まされ、背負い込んでしまっているふたりは、まずそれを脱ぎ捨てなければならなかったから、こうして閉じこもって、ふたりきりで、気配を消して抱き合う。ひっそりと躯をこすりつけ合って、最後には自分に触れる承太郎の手指を受け入れるにせよ、何よりもまず、承太郎へのいとおしさを、できる限りで表さなければ気がすまない花京院だった。
 触れられることは、屈服させられることだったし、触れることは、屈服を受け入れたあかしだった。それ以外にどうやって人と関わればいいのか、花京院は知らない。
 傷つけられるために存在する人間もいるのだと、どこかで信じ込んでいた。そうやって、自分を肯定しながら生きて来た。承太郎に触れながら、ただ触れたいのだと思うことが許されていることが、いまだ信じられずに、今触れている承太郎が、突然空気に溶けて消えてしまうかもしれないと、そう恐れることをやめられない。
 あるいはいつか承太郎も、自分を痛めつけようとする人間たちの側へ行ってしまうのかもしれないと、そんなことも考える。
 根拠のないそんなことすべて、自分の心を痛めつけているだけだと気づいていて、それをやめられないのは、あまりに穢され過ぎてしまった自分に、承太郎が嫌気を差して去ってゆくその日を、予感せずにはいられないからだ。
 失うその瞬間のために、心の準備をしておかなければならない。捨てられて当然の人間が、永遠を信じることこそ傲慢なのだ。
 ここまで落ちて来た承太郎だからこそ、花京院にその手を伸ばし、その手で触れ、そして花京院が触れることを許している。
 これは、確かに現実だ。けれど、とても甘くて優しい、現実の夢だ。夢はいつか覚める。そうでなければ、どこかで悪夢に変わる。だから、いつだってしっかりと目を見開いて、夢であることを覚えておかなくてはいけない。
 これは夢だ。今は幸せな、いつかは終わる、続きのない夢だ。
 続きがないから、今この時に、承太郎に思う存分触れておきたい。夢が終わった後も、ちゃんと思い出せるように。夢の後にまた訪れる、踏みつけにされるだけの現実に耐えられるように。
 承太郎だけがすべてだ。承太郎だけが、花京院の手のひらの中にある、確かでリアルな存在だ。
 道具だって、夢を持つ。夢を見る。ひとである彼らは、花京院を嘲笑うだろう。承太郎だけがきっと、その夢を、一緒に掌に乗せて、笑わずにいとおしんでくれるのだ。
 承太郎の上で躯を起こして、花京院は承太郎の両手を取った。そうして、自分の頬を包ませる形に、掌の、まだふっくらとした輪郭や小指の骨の硬さに目を細めて、そこへ、そっと感謝の口づけをした。
 そこで微笑む花京院を見上げていた承太郎が、手の位置をそのままで、花京院を自分の方へ引き寄せる。躯を倒して来た花京院を、くるりと位置を入れ替えて、自分の下へ敷き込む。
 抵抗はさせずに、長い手足で押さえ込んで、おとなしくなったところで、締めつけるように抱きしめた。
 勃ち上がっているのに、触れられていなかった花京院のそれに、腰を押しつける。そうすれば、逃れようと花京院が躯をねじる。
 そこは放っておいてくれ。頼むから。
 口にはしない。けれど、花京院はそう伝えたし、承太郎は確かにそれを聞いた。
 だから、花京院の上に乗ったまま、膝を滑らせて、胸も腰も触れないように、躯を持ち上げた。
 触れている。すべては触れてはいないけれど、まだ触れたままでいる。
 腿や腰に、花京院の掌が滑る。筋肉の薄くなってしまったその辺りに、花京院が、慈しみの指先で、慰めるように触れる。
 承太郎、とつぶやいた。
 無言のまま、承太郎が、花京院の頭をそっと抱え込んで、唇を重ねた。
 貪るような触れ方ではなく、怯えたようにあたたかさを求めるやり方でもなく、花京院の慈愛の仕草を真似て、承太郎が花京院に触れる。
 承太郎の唇からこぼれる湿ったあたたかな息に、花京院は、慈雨、という言葉を思い出していた。
 恵みの雨だ。その雨に、濡れて、包まれている。
 躯の表面だけではなく、内側も、そうして承太郎に満たされるのだ。
 欲しいのは、躯ではない。体温を持った肉体ではない。欲しいのは、ただ承太郎そのものだ。
 喉を反らして、もっと深く口づけを誘う。承太郎の優しさに満たされたくて、花京院は、ねだるように唇を開いた。