D (スポ花注意)

 下で、躯が跳ねる。細い革のベルトに飾られて、うまくは身動きできない躯だ。ぎちぎちと食い込むその革が、ところどころ血の流れを止めて、皮膚の色が変わっている。外した後に残るその跡を眺めるのが、舌なめずりするほど好きだ。
 動けば、それに応えて躯が跳ねる。ただ悦んでいるわけではないのはわかっている。ただ悦ばせるつもりもない。
 どんなに隠しても、目の辺りに浮かぶ恐怖と嫌悪と羞恥と苦痛の表情、それを下目に見るのが、何よりの愉しみだ。痛めつけられて、踏みにじられて、それでも壊れることのない丈夫さを、徹底的に嫌悪する、その表情。もっと顔を歪めろと、声を出させるために、もっとひどく押し込んだ。
 思った通りに反応する。そうやって飼い慣らして、仕込んだ。以前にも、同じことをされていたらしいが、今はオレのものだ。前よりももっと上手く、好みにぴったり合うように、そう応えるように、慣らし直した。
 苦痛を苦痛と感じて、その反応で、こちらを、そうしたいと思うように欲情させられるように、こちらをそそる仕草を、躯に叩き込んでやった。
 爪先の伸ばし方から、開いた──広げられた──両脚の慄わせ方から、胸の反らし方から、どんな時にどんな貌(かお)でどんな声を上げるべきか、何もかもだ、オレのために、すべてがオレのために在るように、躾け直した。
 他の誰かの記憶に上書きして、すべてを消す。憶えているのはオレのことだけだ。こいつはそうあるべきだ。こいつはオレのおもちゃだ。オレだけの、縛られて犯されて声を上げてオレを悦ばせる、自分で動くことのできる便利な道具だ。
 この道具には顔があり、声があり、少々わかりにくいこともあるが、言葉というものも持っている。ありがたいことに、オレの言葉をほぼ正確に理解して、そうしろと命じた通りにできるという、りっぱな脳も備えている。
 ただ柔らかくあたたかく包み込むしか能のない、その気になればどこででも見つかる人形ではない。生気のない目に、奇妙な飢えと期待ばかりをぎらつかせて、こちらを悦ばせようと必死になる、指先さえまともに動かせない人形ではない。そんな人形の相手も、たまになら悪くはないが、突っ込む最中に首を絞め上げたくなるのが困る。それにあの人形たちは、縛られたり体を傷つけられたりするのをひどく嫌う。翌日仕事にならないからだ。
 そんなところは、金でいくらでも話はつく。つくが、そんな金を払う価値もないのが現実だ。
 傷つけられるのはごめんだと言うくせに、その傷に耐えられるほど丈夫でもない。大抵の人形たちは脆くて、結局は首でも絞めないと、面白くも何ともない。
 仕事の絡みで人を殺すのは、銃がいちばんだ。音も匂いも後もひどいが、確実に殺せる。ナイフは扱いが難しい。下手をすれば、自分が傷つく。誰かを傷つけるのは愉しいが、自分が傷つくのはごめんだ。誰が親指のつけ根に、10針も縫うような傷をぱっくりやりたいもんか。幸い保険には入ってるが、どうせ行くのはモグリの医者のところばかりだ。ナイフはそれに、血で汚れる。血糊と脂肪のせいで、刃が鈍る。あれは洗っても取れない。一度刺せば、研ぎ直さない限り、それでおじゃんだ。たかがどこかの誰かを殺すのにいちいちナイフを無駄にするなんて、面倒じゃねえか。
 人形たちをやる時は、血を見るようなやり方はしない。後始末が面倒だからだ。喉の正面に、突っ込みながら、親指を重ねる。何もない時もあるし、喉仏がある時もある。喉仏がある時は、あんまり強くやると指が痛くなる。そこを潰せばすぐに逝っちまう──文字通りの意味だけではなく──とわかっていても、少し下か上かを押し潰す。その方が、長く愉しめる。
 殺すつもりがない時もある。そうすれば、躯が違うように反応して、面白いだけの時もある。だが、そんなところに手形を残して歩き回られるのは少々都合が悪いから、結局は口を封じることになる。
 だからって別に、あちこちで殺しまくってるわけじゃない。人殺しが趣味なわけじゃねえ。人形どもとやるのは、たいていが気まぐれの仕方なしで、別にそれを愉しんでるわけじゃねえって、そういう話だ。
 自分の好みに合うおもちゃを見つけるのは、案外難しい。そしてそれを、自分好みの道具に仕立て上げるのは、もっと難しい。使う最中に飽きることもしばしばだ。あるいは、おもちゃが先に壊れるか。あまりの脆さに、あきれることだってある。
 こいつは──と、下をまた眺める──いいおもちゃだ。ひどい目に遭うのを避けたくて、こちらの意に沿おうとはするが、媚びることはしない。こちらを悦ばせようと、下手な手出しもしない。欲情させるために欲情することを許されているだけだと、道具の分を見事にわきまえている。
 嫌悪の表情もいい具合だ。あと千回同じようにされても、同じ表情を浮かべるだろう。なぜ自分がこんな目に遭うのか理解できない、一体自分が何をしただろうかと訝しがっている、考えた挙句に、自分を責め始める。自分が悪いからだ、なぜだかは知らないが、これは何かの罰なのだと、そう考え始める。そうする方が楽だからだ。誰かを責めたところで──それが正当なことだとしても──、この事態が変わるわけではない。それなら自分を責めて、現実に与えられている苦痛よりももっとひどく自分を痛めつければ、現実の苦痛は上塗りされて、消えてしまう、気がする。気がするだけだ。苦痛は、現実に、そこにそのままある。
 二重の苦しみ。それに耐えられる人間は、そう多くはない。
 こいつは、一体どうやっているのか知りたくもないが、それに耐え続けている。どれだけ汚辱を浴びせても、それを身にまといつけているくせに、それをもう1枚の自分の皮膚にしてしまうことなく、それに飲み込まれずに在ることができる、存外貴重な存在だ。
 きっとそれは、こいつがいつも身に着けている、十字架と関わりがあるのだろう。手首や首筋すら見せない、普段の服装もそうだ。お守りのようにそれを手放さず、外したところで、その効用が皮膚から剥がれることはない。これは、そういう存在だ。
 そうして、その十字架のお守りの類いが、よけいに穢れを引き寄せている。オレは安心して、こいつを踏みつけて汚して傷つける。十字架が、それを癒してくれるからだ。皮膚の上に傷跡は残るが、背負い込んだ穢れは、いつかこいつが死んだ時に、一緒に浄化されるのだそうだ。冗談にもならない言い草だが、それはこいつを神聖な存在にはせずに、オレにとってますます都合のいいおもちゃにしてくれるだけだ。ちょっとやそっとでは壊れない、丈夫な道具だ。神様に心からの感謝を。素晴らしい贈り物をありがとうございます。
 こいつの耳に十字架をふたつ増やしたのは、その神様への感謝のしるしだ。そうして、お守りが増えれば増えるほど、もっと穢れを背負い込めるようになって、こいつはよけいに苦しむ。こいつが苦しめば、オレの悦びが増える。愉しいじゃないか。ほんとうに神様、どうもありがとうございます。
 胸からみぞおちにかけて伸びる、細い鎖に手を掛ける。強く引くと、面白いように、また躯が跳ねる。一瞬で、目の前の皮膚が血の色に染まる。まるで、水から上げられた魚だ。空気に溺れ死ぬのを待つのもいい。あるいは潔く、首を撥ねてもいい。にたにた笑うのをやめられずに、また鎖を引いた。
 胸に着けたふたつの輪を繋いで、そこから下へ伸びるその鎖は、犬の首輪に着けたリードと同じだ。こちらへ来いと引く。犬がそれに従う。坐れと言われれば腰を落とし、腹を見せろと言われればおとなしく仰向けになる。犬は濡れた大きな目で飼い主を見上げて、誉めるその手が自分の頭を撫でるのを、ひたすら辛抱強く待っている。犬を飼う方が、きっと自分は愛情深くなれるだろうと、目の前のおもちゃが声を上げるのを聞いて、オレはこっそり考える。
 間に十字架の揺れる胸のふたつの銀色の輪は、ひどく卑猥に見える。それをこうして眺めたくて、今では十字架を外すことを許さない。そうして、耳から下がった十字架ふたつと数を合わせるための、もうひとつの銀の輪は、醜悪で滑稽で、それに触れることすら許されない教義ゆえに、無用の長物以外の何物でもないそれを、無駄に飾り立てている。
 時々、ほんとうに時折、その銀の輪を歯で噛んで引っ張るついでに、そこを舐めてやることがある。反応するように触ってやることはほとんどないから、その時だけは、不似合いな硬さに形を整えて、物欲しげに反り返る。口の中に入れて、様子を窺いながら、噛み切ってやると嚇せばどうなるかと、頭の中で考える。
 怯えても、言葉に出して逆らうことはしない。そうして、すぐに諦めにたどり着く。そんなものがあろうとなかろうと、何も変わらない。むしろ、そんなものがあれば、余計に辱められるだけだと知っているから、いっそ噛み切るならそうしてくれと、茶色の瞳の片隅に、そう希うのが、はっきりと浮かぶ。
 口の中に収まった、輪郭を失った肉片、なまあたたかな血、噛みちぎったその傷口から、血をすするのをためらわないと、なぜだか確信がある。その痛みすら受け入れられるだろうおもちゃの前に、その血にまみれた舌を差し出してやる。唾液と混じったその血を、飲めと言えば素直に飲み下すに違いなかった。
 そんなことはしない。それはとても愉しい想像だが、実行することはしない。それを失ったおもちゃをいたぶっても、面白くないからだ。
 鎖を引くのをやめ、躯を引き抜いてやる。わざと、浅くこすりつけるようにすると、また開いたままの脚が震えた。その間で、無理矢理に拡げられた躯の内側が、昏く見える。間近に覗けば、赤い粘膜が見えるのだろうその眺めに、拾って来た女を、そのまま上に乗せてやった時のことを思い出した。
 ベッドの上に、縛ってひとり放り出されて、目隠しの下で不安気に視線がさまよっていたのが見て取れた。その傍で、ベッドの端に腰掛けたり手をついたりして、拾って来たその女とまず愉しんだ。胸と腰の厚い女で、特に良かったわけじゃないが、身動きできない誰かの傍で喘ぐのに、案外と興が乗ったらしかった。
 わざと中に出して、そのまま、そっちの上にも乗ってやれと言った時の女の表情が忘れられない。あれはまさしく、うっかり素足で踏みつけて半死半生にした虫を眺める時の目つきだった。
 声や気配の後で、女の手に触れられて、他愛もなく飲み込まれて、果てるのはあっと言う間だった。女が、ぶ厚い腰を揺すって、ひたすら柔らかく包み込む桃色の肉の中で、おれとおもちゃのそれを混ぜ合わせる。女の粘膜越しに、直ではないのにひどく生々しい触れ合い方をしたような気がして、女の中から流れ落ちてきたそれを、舐め取りたいと思った自分に驚いた。
 そして、おもちゃにそうやって触れることのできるその女──あるいは、すべての女──をふと憎んで、開いたままのその女の中に、またひどく突き込んでやった。女に触れたかったわけじゃない。おもちゃがうっかり吐き出した精液に、直にそうして触れたかっただけだ。
 そこに太い針を突き刺して穴を開けて輪を通してやったのは、そのすぐ後だった。
 お気に入りのおもちゃは、見せびらかしはしたいが、触られるのはごめんだ。自分だけではないことを愉しみたい時以外は。
 オレのものは、オレだけのものだ。
 躯のどこかを噛みちぎる代わりに、そうして血をすする代わりに、ひっくり返した肩の辺りに歯を立てる。首の近くだ。そのまま、また押し入る。噛みつかれた痛みに、おもちゃがうめく。噛んだ下の筋肉が硬張るのがわかる。もっと深く、歯を食い込ませる。
 後ろ手に縛った腕のつけ根の、柔らかいところへ移動する。また噛む。歯型がはっきりと残って、そこが赤黒く痣に残るほど、強く噛む。噛みながら、躯の中も犯してやる。背骨が全部、端から端まで波打つくらいに、押し込んで引いて、内臓を突き破るくらいにひどく突き立ててやる。
 少しでも楽になろうと、必死で膝を立てて脚を開いて、知らずにこちらに動きを合わせている。噛むのをやめて体を起こすと、背骨がうねるのがよく見える。中で動く自分の形が、見えるような気すらする。
 髪をつかんで顔をこちらに向けさせて、できるだけ不愉快な声で言ってやる。
 淫売。
 目に正気が戻って、ほんの一瞬だけ、ほんとうに、ほんの一瞬だけ、憎しみがそこに浮かぶ。剥き出しの、荒々しい憎悪。それなのに躯の内側は、犯されて悦んでいる。こうやって強姦されて、もっとひどくしてくれと、躯中がうねっている。
 歯型だらけの、革に縛られた躯は、無理矢理に拡げられて、犯されるためだけに在る。どれだけ自分を律して、襟の高い袖も裾も長い黒い服に身を包んでも、銀色の十字架で身を守っても、剥き出しにされたおもちゃの本性は、ただの淫売のそれだ。
 縛られなくても、自分で足を開いて、そこを拡げて、犯して下さいとねだる。唇は固く閉じられたまま、うねる躯がそれを言う。無言の言葉を聞き取って、道具を正確に、その使い道通りに使っているだけだ。道具がそうしてくれとねだる通りに、縛って、無理矢理に足を広げて、躯の内側を犯してやる。無残に犯されて悦ぶその様を見下ろして、嗤ってやる。
 どこまで耐えられるだろう。壊れずに、どこまで痛みを引き受けられるだろう。どこまで押し広げられて、どこまで晒すことに、耐えられるだろう。胃と肺しかない、1週間だけ生きられるみすぼらしい虫のように、そのためだけにある躯をたわめて歪めて、どこまでも受け入れながら、どこまでゆくつもりなのだろう。
 躯だけではない。何もかもだ。頭の中も、その、確かに存在しているけれど、きちんと機能しているのかどうか怪しい灰色の脳みその中まで、卑猥な音を立ててかき回してやりたい。
 そうしてもまだ、神の救いを信じていられるのかどうか、それを見たい。
 埋め込んだ、生殖にすら役立てる気のない肉の塊まりではなく、誰かを殴るために作る拳で、中に触れたい。手首を通り過ぎて、肘の辺りまで入り込んだら、そこで手を開いて、指と掌の全部で、内臓の中を探ってやりたい。すぐ下に血の流れる、粘膜に覆われた内臓の内側の熱さを、指先に覚え込ませたい。
 そこを引き裂けば、やっと壊れるだろうおもちゃの、際限もない底なしのしたたかさを、恐れてなどいない。
 壊れてしまったおもちゃを爪先で蹴りながら、どこへ捨てて来ようかと思案するのが面倒なだけだ。壊れて動かなくなったおもちゃと、空っぽになった自分の手を交互に眺めて、淋しさを感じるはずがない。
 なあそうだろう。
 耳元まで唇の端が裂けたような気がした。その唇の端を舐めて、おもちゃの口元を汚してやるために、にたにた笑いながら躯を引いた。