Revolution
Calling A 数日、そんなことが続いた。 売人に会う代わりに、同じ場所でDIOを待つ。車の中では何も言わず、黙ってあのビルへ運ばれ、ほとんど言葉も交わさずに、承太郎はDIOの手渡すそれ を、ただ受け取って軽くうなずくだけだ。 今住んでいるところを、いつ追い出されてもおかしくない承太郎には、DIOが渡してくれる金は心底ありがたかったし、1日分には多少足りない分量の薬 も、自分の住み処にただ閉じこもるだけの1日を過ごす---DIOに会う以外は---口実を、承太郎に与えてくれた。 小さなアパートメントの地下にあるその部屋は、他の部屋よりもさらに小さく、湯を沸かす以外には何もできそうにないストーブと、承太郎の膝ほどしか高さ のない、ビールを6缶入れれば他には何も入りそうにないほど小さな冷蔵庫と、埃が積もった食事のための丸いテーブルに椅子、シャワーだけのバスルームと、 それから、すっかりスプリングのいかれたマットレスの乗ったシングルベッド、ひと回り見渡せば、それで何もかも把握できる、そこが承太郎の住み処だ。 申し訳程度に作ってある小さなクローゼット---承太郎は、中に入ることさえできない---には、開いた小さなスーツケースが放り出され、その中に、承 太郎が持つすべての衣類がただ放り込まれている。 ベッドから、大きな歩幅で6歩も歩けば廊下に出れる、そんな狭さはけれどもう気にならない。 地下特有の湿気で、壁も床もいつも湿っていたし、クローゼットもバスルームも、カビの臭いがなかったことがない。小さなシンクはいつもカラカラに乾いて いて、食器が使われることなど、滅多とない。 ここはただ、承太郎が薬を打って、そのハイを楽しんで、そして眠ろうとするための、それだけの場所だ。 もっとも、ハイを楽しめたのは最初の数ヶ月で、今では、ごく普通に機能するためだけに薬が必要になってしまっている。 薬がある限りは、ここに閉じこもることを気にはしない。けれど薬が切れたり禁断症状が始まったりすれば、ここは即座に監獄になる。湿った冷たい空気に肌 を刺されて、吐き気を抑える薬や寒気や熱のための薬などない---ごく普通の売薬など、承太郎には用はない---この部屋で、ただひたすらに、ひとり耐え るだけだ。 床を転げ回り、狭いシャワールームの中に膝を抱えて小さくなって何時間も冷たい水を浴びて、空腹すら感じなくなった麻痺した体で、痛みだけはそのまま、 体中を引きずりながら、ついに外へ出る。何とか、馴染みの売人のいる場所へ、死にかけながらたどり着く。 滅多とそんなことになるまで、禁断症状を放置することはなかった。病院へ送られるわけには行かなかったし、何よりもあの苦痛が、全身を、真っ赤に焼いた ナイフで切り裂かれながら殺される方がましだと思わせてくれるあの苦痛が、承太郎を用心深くさせてくれる。 過剰摂取で死んだ顔馴染みは、おそらく両手足の指でも足りなかったけれど、彼らのようになる気も、また承太郎にはない。 死ねるならいい。けれど、生き延びてしまったらどうする。もっとも、ここに閉じこもっていれば、誰が探しに来るわけもないから、発見されるのはどうせ死 後数週間だ。腐臭に気づいた誰かが、親切に騒いでくれるだろう。腐りかけた、ガスに膨らんだ体。皮膚の色は変わり、もはやそれを承太郎だった誰かと、見分 ける人もいない。 身分を証明できるものを持ち歩かなくなって、久しい。この部屋は本名で借りているから、身元はすぐに分かるだろう。そうして、失望と絶望に満たされた、 家族の表情が浮かぶ。自分たちを責めるだろう彼ら。承太郎を救うことができなかったと、肩を寄せ合って、ただひたすらに嘆く彼ら。 やめてくれ。承太郎は、天井に向かってつぶやいた。 誰のせいでもない。承太郎を救えなかったのは、他でもない承太郎自身だ。 恵まれ過ぎた家庭に、どうしてか馴染めないまま、貧しい家族がやっと稼ぐ年収の、5倍も学費のかかる大学へ通ったのは、ほんの半年だ。望めば何でも手に 入るのだと、そう言われ続けて、けれどそれが正しいことではないと、ずっと考え続けていた。 自分の幸福が、誰かの不幸の結果である事実が、承太郎にはどうしても受け入れられなかった。 選ばれた、ごく少数の人間たちよりも、こうして、社会の底辺でやっと呼吸を許されている弱者たちの方が、自分により近いと感じるのはなぜだろう。どんよ りと濁った目で、考えることはただひとつ、次はいつハイになれるかということだけだ。 自堕落とすら表現できないそんな生き方を、けれど承太郎自身は、この社会に対する抵抗だと認識していた。 選んで、こんな生き方をしているのだ。自分たちを搾取する社会と政府に奉仕することを拒んで、自分ひとりが胸を張るために、あえて弱者になったのだと、 承太郎は思う。踏みつけにできるならすればいい。そんなことでおれは負けない。名無しの死体になってたまるか。もっともっとみすぼらしく生きて、みんなに 見せつけてやる。こんな薄汚い存在から目を背けて、きれいごとばかり目の前に並べられて、おまえたちは騙されてるんだ。おれたちを支配して、おれたちから 搾り取って、誰かが高笑いをしている。指1本動かさずに、すべてを手に入れて、貧しい連中にわずかばかり施して、慈悲深い神のような面(つら)をしてい る、そういう穢い連中だ。 おれはそれを拒む。連中にとっては、何の旨味もない存在になって、そして、この世界がそうやって回っていることを、みんなに知らせてやる。おれからは、 何も奪えない。おれという存在そのものが、この世界の暗部だ。普通の人々には、決して知らされることのない、存在していることすら隠される、醜い暗部だ。 おれはそれをみんなに知らせるために、薄汚く生きてやる。できるだけ長く。 ヘロインのゆるく回った頭の中で、承太郎はぐるぐると同じことを考え続けた。 DIOのくれる薬は、承太郎がいつも手に入れていたものよりもはるかに純度が高く、量を気をつけなければ、飛び過ぎて後でひどい目に遭う。 腕も脚も注射の跡だらけで、もう長い間、夏でも肌を出したことはない。その手足を体に引きつけて、胎児のような姿勢で、承太郎はベッドに転がっている。 汚れたシーツには、いやな匂いの汗が染み込んでいる。そのシーツに、承太郎は頬と額をこすりつけた。 まるで、普通の人間のような気分だ。シャワーを浴びて、何か食べた方がいい。今ならきっと、肉を食べれば肉の味がするはずだ。チキンスープの温かな匂い が、ふっと鼻の奥に蘇る。何かあたたかいものを体に入れようと、承太郎はようやく、のろのろと体を起こした。 「気分が良さそうじゃないか。」 愉快そうに、DIOが言った。 相変わらず机の向こうに坐り、承太郎はあのソファに腰掛け、今ではたまに、軽口を叩いたりすることもあるふたりだった。 「悪くはねえ。」 肩をすくめて、承太郎は素直に応えた。 「それは良かった。」 まるで家族のそれにように、DIOの声が承太郎の耳に心地良い。最初の時に比べれば、飼い猫のような柔順さで、承太郎は、DIOに向かって目を細めた。 相変わらず両手はズボンのポケットに入れたまま、両足を組んで、けれどソファの適度な固さに、体はリラックスしている。喉を伸ばして、眠りには結びつか ない小さなあくびを、承太郎は時折こぼした。 今日は、すぐには金と薬を渡さずに、高校の校長のような様子で、机に坐って承太郎を眺めている。DIOは、まるで子どもを甘やかすようなその視線を、承 太郎から動かさない。 「君は、ただの馬鹿じゃない。」 不意に、穏やかな声が言った。 何を言われたのか一瞬わからず、承太郎は眉をひそめた。 机の上に両手を組んで、それに向かってDIOが体を前に乗り出して来る。薄い青とも紫とも見分けのつかない瞳が、どこか赤みを帯びて、承太郎をいっそう 強く見つめて来た。その不思議な色に引き寄せられて、承太郎は、落ち着かなく足を組み替える。 DIOが、形の良い唇を、笑みに曲げた。 「薬に溺れて野垂れ死にするような、君はそういう人間ではない。君の目には、意志がある。何かとても強い意志だ。それが何か私にはわからないが、助ける ことはできないかと、そう思っている。」 驚きを悟られないために、ゆっくりと息を吐く。わずかにうろたえて、つい空をさまよおうとする視線を、かろうじてDIOの眉間の辺りに据える。今言われ たことに心当たりなどないと示すために、承太郎は平然という精一杯の振りで、ただDIOを見つめ返した。 DIOは、そのまま黙って承太郎を見つめていた。視線が、雄弁に語っているから、言葉は必要ないのだ。そして、DIOのその、音のない言葉に引き寄せら れて、承太郎はうっかり口を開いてしまう。 「おれを、助けるだと。」 どうやって、と訊く口調が、好奇心を隠せない。 この男が、何を考えているのかを知りたい。なぜ承太郎を、こうやって手元に置いておくような真似をするのか、知りたい。どんな思惑と下心を、きれいに手 入れされた貌の下に隠しているのか、引っぺがして明らかにしてやりたい、承太郎は、うずうずと、DIOの答えを待った。 明らかに、世界のあちら側に属しているDIOに対する反発だ。そしておそらく、嫉妬でもある。そこには気づかない振りをする。 そんなDIOが、自分のような存在に興味を持ったということに、承太郎は興味を抱いている。もしかすると、あちらの世界にも、承太郎のような存在を無視 したくないと思っている、世界のすべてを見通す目を持った人間がいるのかもしれないと、そう思うのは承太郎の弱さと甘さだ。 DIOが、承太郎のその弱さを見透かしているのだと、気づけない愚かさを、承太郎自身がもちろん知るはずもない。 絡む視線に、様々なふたりの思惑がこもる。にらみつけるように、息を潜めて答えを待っている承太郎に向かって、DIOが微笑した。 それを合図にふっと緊張が途切れ、承太郎が息を吐いたタイミングを狙ったように、椅子から立ち上がったDIOは、机の前に回って来て、そこへ斜めに腰を 引っ掛ける。そこでまた体を乗り出すようにして、ソファに腰掛けた承太郎への距離を、ごく自然な仕草で縮めてしまった。 怯えた態度をちらとでも見せれば、頭からがぶりと食われる。DIOといると、承太郎はいつもそんな風に感じていたから、やっとの思いでズボンのポケット から両手を取り出し、片方を組んだ足の上に、もう片方をソファの背に投げ出して、大きな体をさらに大きく見せるために、DIOに向かって全身を開いた。 「君は被害者だ。」 強い言葉が、重々しく耳を打つ。同情と親身さと力強さが、程好く混ざり合った、心地良い発音だ。承太郎は、酔ったように、ゆっくりと一度瞬きをする。 言葉も動きも、人を魅きつけるために、計算され切っている。生まれつきのものか、訓練によって得たものか、わからなかったけれど、承太郎はもうDIOか ら目が離せなかった。 「誰かが、君を、君が今いるところに突き落としたんだ。そうして、君がずっとそこへとどまるように、彼らの邪魔をさせないように、君を徹底的に踏みつけ ている。そうじゃないか?」 平静を保っているつもりで、両拳を、ぎゅっと握りしめていた。 なぜ知っている。おれが、自分の中でだけ考えていたことを、なぜ、知っている。 誰かと、そんなことを語り合ったことはない。家族にさえ、一言だって言ったことはない。人たちはただ、承太郎を薬物中毒の負け犬だと、そう思っているだ けだ。 それなのに、ほんの1週間前に会ったばかりのこの男が、なぜ承太郎の頭の中を読み取りでもしたように、承太郎の考えるそのままを口にするのか。 「思い知らせてやりたくはないか? 君をそんな風にして、嘲笑う価値さえないと君を見くびっている連中を、見返してやりたくはないか?」 ゆっくりと話すDIOの声は、まるで音楽のようなリズムで、承太郎を胸を打ってくる。 今まで、ひとりきりの抵抗だった、巨大な象に立ち向かう1匹の蟻の攻撃に過ぎなかった承太郎のその抵抗に、力を貸すと、DIOはそう言っている。 最初の狼狽は去り、今は新たな狼狽が、けれど最初のそれに比べれば少ない衝撃で、承太郎の体を貫いていた。 背筋を伸ばして、承太郎はDIOをまた見つめた。 「なぜおれに、そんなことを言う。」 「君ならきっとやり遂げると、そう思うからだ。」 即座に、DIOが言い継いだ。 夏の日に浴びる水のように、DIOのその言葉が、承太郎の中に確かに染み込んでゆく。 汚泥の中を這いずり回る虫けらのような承太郎を、DIOはそこから救い上げようとしている。救い上げ、その生に意味を与え、今承太郎がやっている恐ろし いほど無力だろう抵抗に、力を分けてくれようとしている。 「政府の連中は、君のような人間には一瞥もくれない。道路で蹴飛ばす石程度にすら認識していない。正直なことを言うなら、やつらは君みたいな人間を、 いっそ焼却場に送ってしまいたいと思っているだろう。彼らが興味を持つのは、この国の行方でも、この国に住む人間たちの生活でもない。やつらはただ、己れ の力を大きくすることに、浅ましく腐心しているだけだ。」 その通りだ。承太郎はこの国で、透明人間ですらない、ただのゴミだ。汚物である承太郎は、ただ黙ってトラックに詰まれ、どこかへ埋め立てられる運命を、 おとなしく汚物らしく受け入れることしか許されていない。 おれをそんなところへ連れてゆくな、おれはゴミじゃないと、長い手足をばたばたと振って、承太郎はひとり惨めな抵抗を続けている。それを見抜いたDIO を、承太郎は、今ではすくい上げるような視線で、熱っぽく見つめている。 「テレビ局だって何だって、所詮は政府の犬だ。我々が本当に知るべきことなど、絶対に電波には乗せない。我々は消毒されて切り貼りされて、元の面影など かけらもない情報とやらを与えられているだけだ。何もかもだ。やつらのコントロールが効かないところなんてないんだ。私は、そのことを何とかしてぶち壊し てやりたいと、ずっと考えて来た。」 承太郎の方へ乗り出していた体を伸ばし、思わせぶりに、後ろへ首をねじる。どこか離れたところへ視線を投げて、DIOはまた顔の位置を元に戻した。 「そのために、私は死に物狂いで金を得て、そして、力を得た。やつらにどうにかして対抗するためにだ。」 熱弁がそこで止まり、DIOは唇の形を淋しげな笑みに変えて、それをたっぷり時間を掛けて承太郎に眺めさせた後で、長い悲しくなるようなため息をこぼ す。広い肩がそれに合わせて上下し、DIOは承太郎からふいと視線を外すと、机から下りて、また椅子の方へ戻って行った。 どさりと、投げ出すように椅子に坐り、やや自堕落に体を伸ばす。そんな仕草は、とてもDIOを疲れているように見せた。 頭が痛むとでも言うように、指先をこめかみに当てて、力を失くした視線が、また承太郎を射る。それからまた、ため息が聞こえた。 「残念ながら、私の攻撃は無意味だった。やつらは強大過ぎて、そして数も多過ぎて、正攻法ではとても通じない。」 ゆるく、頭が揺れる。金色の髪が、ひどくきれいに、DIOの広い額で乱れた。 「だから私は決心したんだ、誰かがやつらを倒そうとしているなら、それに手を貸そうと。どんな尽力でもする。やつらを無力にするために、やつらを、のう のうとのさばっているところから引きずり下ろしてやるために、誰かが何か思い切ったことをするつもりなら、私はそれを精一杯助けたいと、そう決めたん だ。」 少し弱くなった声が、にもかかわらず、承太郎を深く深く包み込んでくる。薬で得る昂揚感とは違う、ゆったりとあやされているようなぬくもりが、承太郎の 胸の中に広がり始めていた。 DIOに見つめられていたはずの承太郎は、今はDIOを自分の意志で見つめている。DIOの視線に萎縮することなく、いつの間にか対等の目線で、ふたり は同じ世界を、同じ視線で見ているのだと、理解し合っていた。 「そうして私は、君に出会った。」 声がひと色、強さを取り戻す。明るい、弾むような希望の色が、DIOの声ににじんでいた。それを、承太郎はまっすぐに受け入れた。 「君ならやれるはずだ。君はずっと、そう考えていたはずだ。踏みつけられている人たちのために、奪われて、自分を傷つけるしか術の残されていない人たち のために、そして何より君自身のために、この世界を変えたいと、ずっと考えて来たはずだ。そうだろう、承太郎。」 まるで懇願するように、DIOが、承太郎の名を呼んだ。今にもその身を投げ出して、承太郎の足に取りすがろうとしかねない、DIOのすがるような視線 が、承太郎をとらえている。 この世界の勝者に違いないDIOが、負け犬である承太郎の、決して育まれることのなかった意志の力を、今引き出そうと必死になっているのだ。 もう長い間感じたこともない、すっかり忘れていた、何か熱いものが、身内にみなぎってくる。いつの間にか背中を伸ばして、承太郎はDIOの方へ身を乗り 出していた。 「おれに、何ができる・・・?」 深い濃い緑の瞳に、生気が甦ってくる。薄く紗のかかったような視線が、ひとらしい強さをたたえて、言葉以上のものを、DIOに投げかけていた。 DIOが、微笑んだ。無邪気な笑みは、まるでクリスマスの朝の子どものようだった。 机の引き出しを開けて、DIOが取り出したのは、1丁の拳銃だった。黒光りするそれを手に、DIOがまた承太郎の目の前にやって来る。手を伸ばし、ずっ しりと重いそれを受け取り、承太郎の目に、冷たい光が浮かぶ。それを、DIOが満足そうに見ている。 「君は救世主になるんだ、承太郎。この世界を生まれ変わらせる、救世主に、君がなるんだ。」 引き金に軽く指を掛けて、拳銃を、目元に持ち上げる。その重さが、承太郎の決意を、より強固にしてくれるように思えた。 DIOの並べる言葉が、今では何の抵抗もなく頭の中に流れ込んでくる。 たった今、承太郎の生に、意味と目的が与えられたのだ。 おれが、この世界を救う。この腐れ切った、膿み爛れた世界を、おれが救う。 銃を目の前に据えたまま、それ越しに、DIOを見た。穏やかな笑みを浮かべて、DIOも承太郎を見ていた。 「・・・誰を殺ればいい?」 ごく自然に、そんな問いが口をついて出た。DIOの赤い唇の端がめくれ上がり、牙のような白い犬歯が覗く。その笑みを、卑しいとももう思わず、つられた ように、承太郎もにやりと笑う。 「急ぐことはない。先は長いんだ承太郎。」 そうだろう。この世から消すべき人間の数は、膨大なはずだ。 DIOは、また穏やかな微笑に表情を切り替えると、まるで昨日の夕食のことを尋ねるようなさり気なさで、 「君は、銃を扱えるのか?」 と訊いた。 いいやと、素直に頭を振ると、DIOが今度は苦笑を刷いて、 「なら、私の秘書に習うといい。何も心配はいらない、彼らが全部手取り足取り教えてくれるはずだ。何もかも。」 言いながら、机の上に体をねじり、腕を伸ばして机の引き出しを探る。 体の向きを元に戻して、承太郎の手から、そっと銃を取り上げた。 「これは今から君のものだ。まだ私が預かっておくが、いつでも取りに来ればいい。」 必要な時は、とわざとらしく付け加える口調に、共犯者特有の馴れ馴れしさがにじむ。それをもう、不快にも思わない承太郎だった。 ふたりは今確かに、目的をひとつにして、結ばれ合っていた。体のどこかが繋がって生まれた双子のように心を繋げた、世界に歯向かう危険を物ともしない男 がふたり、密約を交わした証拠が、DIOの手の中で黒い艶を放っている。 承太郎は、またにやりと笑った。 視界から霧が晴れたように、世界が明るく見える。これから承太郎が救うはずの世界が、突然確かな手応えを持って、承太郎の周囲に在った。 承太郎の中は満ち足りている。力にあふれて、自分が為すべきことに向かって、希望に輝いている。 両の掌を膝の上に開いて、それを、承太郎は力強く握りしめた。その中に希望を閉じ込め、決して逃がさないとでも言うように。 抑えようとしても浮かび続ける笑いが、口元から消えない。 世界に繋がっているのだ。承太郎は今、もう決して誰も無視できない、踏みつけにはできない存在になったのだ。 そんな承太郎を、DIOがじっと見つめている。見守るように見つめるその視線が、けれど邪悪に満ちていることに、承太郎は気づかない。 絶望だけに形作られた希望は、より深い絶望への道標(みちしるべ)に過ぎないのだと、承太郎はまだ知らなかった。 |