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天  弓
 
「おーい、飛ぶぞ! 来いよ!」

 その塔の最上階にある高窓によじ登ると、ローレシア王子は叫んだ。
 彼は、古ぼけたマントを身につけている。

「今行く!」
 サマルトリア王子は返事をすると、わたしの方を振り返った。
「僕の背中の上に、君の足を乗せて」
「え、でも……」

 自分を踏み台にして登れという、彼の親切はありがたい。
 けれどそれって、もしかしたらローブの中が丸見えになってしまうのではないかしら。
 わたしは頬を染めて、彼と高窓を交互に眺めた。

「じゃあ、こうしよう。僕は目を閉じてるから。それなら多少お転婆な事をしても、恥ずかしくないでしょ」
「ありがとう」

 宣言通りに目をつむった彼の背を踏み台にし、窓に向かって手を伸ばす。
 ローレシア王子がわたしの手を掴み、引き上げる。
 窓の縁に立つと、わたしは余りの高さに足がすくみそうになった。
 続いてサマルトリア王子がよじ登ってくる。

「どう?」
「う〜ん。本当にこのマント、大丈夫だろうな」
 ローレシア王子がマントをつまみ、ひらひらと揺すぶる。
 確かにそれは風のマントといわれる滑空の可能な特殊な物には、とても見えない。
「ここまで来たら、信じるしかないよ」
「そうだな」
「怖くない?」
 サマルトリア王子が心配そうに、うつむいたわたしの顔を覗き込む。
 多分、わたしの顔色は真っ青なのに違いない。
「だ……大丈夫よ!」
「王女は強いんだね。僕は、ちょっと怖いよ」
 くすっと王子が笑い、つられてわたしも笑った。
 同時に、不思議と恐怖感が消えていった。

 風が吹く。
 対岸に、めざす大地が果てしなく広がる。
 うねる河川のきらめき、連なる稜線。
 城の周囲の世界しか知らなかったわたしには、何もかもが初めて見る風景。

 マントの紐をギュッと引っ張って確かめ直すと、ローレシア王子が真一文字に唇を結んだ。
「みんな、心の準備はいいな」
「ああ!」
「いいわ!」
「上等!!」
 王子の逞しい腕が翻り、力強くわたしとサマルトリア王子の手を掴む。
「行くぜっ……!!」

 わたしたちは、同時に窓の縁を蹴った。




 ムーンペタに降る雨は、灰色の雨。
 あの日……ムーンブルク城が落城してから、その炎上の煤を含んでこういう色になったのだと、街の人々は
噂していた。

 わたしは、この国を統べるムーンブルク王の娘。
 そう、少し前までは。
 今は、濡れそぼつ被毛から雫を滴り落としている、ただのみすぼらしい野良犬に過ぎない。

 軒下に座るわたしの足元には、水溜り。
 枯渇覚える卑しい犬の姿と成り果てたわたしであっても、未だ王女の心は残っている。
 泥水をすすることは、わたしの誇りが許さなかった。

 赦すまじ、ハーゴン。
 最愛の父を亡き者とし、わたしに与えた、この屈辱。
 復讐心だけが、唯一わたしを生かす原動力だった。

 夜が近づき、ますます雨音が強くなる。
 寒風が、冷え切ったわたしの心と躯を容赦なく苛んだ。

 戦乱の街では、人々は生きるのに必死だ。
 裸足の少女が、破れかけたポケットから、ひとかけらのビスケットをわたしに差し出す。
 涙がこぼれた。

 ごめんなさい。わたし王女なのに、あなたに何もしてあげることができない。
 国の民の力となり、幸福な世にするのが、わたしの理想だった筈なのに。
 ふと気が付くと、一人の足がわたしの前で止まっていた。
「可哀想に……おいで」

   あ――――。

 刺すような冷気に震えていたわたしは、一人の旅の少年に抱き上げられた。
「よしよし、怖くないよ」
 雨に濡れないよう、彼はわたしを懐に仕舞い込む。
 忘れかけていた、暖かな人肌のぬくもり。心地よい胸の鼓動。

「こりねえな、お前も」
 やれやれといった風情の連れの少年が、諦め顔で小さく溜息をつく。
「静かにしててね。宿の人に見つかったら、泊めてもらえなくなるかもしれないから」
「一晩だけだぞ。どのみち、旅には連れてゆけないんだからな」
「わかってるよ」
 雨に濡れた服の裏側から、何かの模様が透けて見える。

 不死鳥ラーミアの紋章!
 ロトの一族にしか身につけることが許されない、その気高い証憑――!!

 やっと……逢えた。

 彼らは、わたしの遠い親戚に間違いなかった。


 その晩、わたしは久しぶりに食事らしいものを口にした。
 二人の少年はベッドに向かいあって腰掛け、明日からの旅について相談している。

「何はともあれ、ムーンブルク城に行かなくちゃな」
「そうだね。この街で新たな情報を得るのは望み薄だし、城で手掛かりを探すしかないと思う」
「手掛かりか……見つかればいいけど」
「見つけるしかないよ、何としても。王女を探す為に!」

 わたしはここよ! ここにいるわ!

 わたしは、彼らの足元に前肢を揃えて座った。
 真っ直ぐに彼らを見上げ、そっとそれぞれの靴の上に触れる。
 二人が、穏やかな瞳でわたしを見下ろす。

「……僕たちを励ましてくれてるみたい」
「明日でお別れだ。お前も元気でな」

 逞しい少年の大きな手が、包み込むようにわたしの頭を撫でた。


 朝――旅立つ少年たちを、わたしは街の入口で見送った。

 いつか、きっと……。
 あなたたちを信じてる。
 元の姿に戻るまで、生き延びてみせるわ。
 苦しむ民を救うためには、まだ死ぬわけにはいかない。
 それがわたしの王女としての試練というならば、受け入れよう。

 わたしは彼らの後姿に、そう誓った。




 ―――――いつしか、雨はあがっていた―――――

 あれから、幾つの月の満ち欠けをわたしは眺めたことだろうか。

 暖かな日差し。
 少年たちが、わたしに向かって駈けてくる。
 小脇に丸い鏡を大切そうに抱えて。

 夢にまで見た光景が、今は確かにわたしのもの。

 鏡が砕け散った時、目の前に飛び込んできた鮮やかな七色の洪水を、わたしは生涯忘れないだろう。
 空には、大きな虹が架かっていた――。


「見てごらんよ!」

 想い出に浸っていたわたしは、サマルトリア王子の声で我に返った。

 めざす対岸に、風にそよぐ緑の草原が広がる。
 そして、王子の示す方角には、大きな虹。

「すげえ!」
 ローレシア王子が感嘆の声を上げる。
 わたしも思わず叫んだ。
「きれい!」

 あの時と同じくらい?
 いいえ、あの時より、もっときれいかもしれない。

 仲間の笑顔と、あたたかな手のぬくもり。
 ラーミアのように天翔けるわたしたちは、互いの手をしっかりと繋ぎ直す。


 虹の祝福の中、新たな決意を胸に秘め、わたしたち"ロトの末裔"の冒険の旅が、今、始まる―――!
( 完 )  2002/12/05
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優勝者最萌トーナメント1回戦にも支援として出した作品。
健気な王女さまは萌えます。