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勇者覚醒せし時
 
 静まり返った砂浜に、波の音だけが響いている。
 少女は杖をしっかりと握り締め、夜空に浮かぶ月明かりの下に立っていた。

 菫色の瞳を閉じた彼女は、呪文を口ずさみ、魔力を集中させる。
 パァンと小さな弾ける音に、彼女は膝を折り崩れ落ちた。
「ああ……だめだわ……」
 何度繰り返しても、魔法は発動しない。
「どうして……なのかしら」
 溜息をひとつ。
 膝を抱え、彼女は月を見上げる。
「どこか呪文の解釈が間違っているのかも、ね……」
「解釈は間違ってないと思うよ」
 背後からの声に彼女は振り返る。
「サマルトリア王子!」
「一人で出かけちゃ危ないよ」
「探しに来てくれたの」
「うん。目が覚めたら君のベッドが空で、なかなか戻って来なかったから」
「心配かけちゃったわね」
「夜風に長く当たると毒だ――帰ろう」
 そう言いながら、彼は王女の肩の上から自分のマントを掛けた。
 彼の温もりがじんわりと伝わる。
 王女はマントにくるまり、ぽつりと呟いた。
「練習してたの」
「新しい魔法だね。僕も最初はなかなか上手くゆかなくってさ」
「見ててくれる?」
「うん」
 立ち上がり、砂を払うと王女は呪文を唱え始めた。
 はじめこそ空気中にシュウン! と大きな音がしたが、みるみるうちに音は小さくなり、やがてポッと儚く消えて
しまった。
「もう……イヤ! どこが間違ってるのかしら」
「ほら、夜中だし……きっと精霊も眠っているんだよ。僕は、近い内に凄い魔法が見られるような気がするけど
な」
「早く覚えなくてはならないの!」
 王女は下を向いた。
「え……?」
「早く戦いを終わらせて、ムーンブルクを元の平和で美しい国に戻したいの!」
 王子は王女の震える肩にそっと手を置いた。
「大丈夫。君ならきっと完成する」
「本当に?」
「ああ……君の魔法使いとしての腕は、僕が一番よく知ってると思うけど?」
「そうだったわね。王子の目に狂いは無いものね……ごめんなさい、私ベッドに戻るわ」

 二人は連れ立って宿に向かって歩き出した。
「歩くと月も一緒についてくるように見える。不思議だね」
「ええ」
 王子はいつも穏やかで優しい。彼の笑顔を見ただけで幸せな気持ちになる。
 でも、今夜は少し淋しげな横顔のように感じる。彼女が問おうとすると彼から話を切り出した。
「さっきの君を見ていたら……母上を思い出した」
「お母様を?」
「僕は母上を喜ばせたくて、毎日一生懸命ホイミの練習をしたんだ。それで、やっとマスターしたのと同時にね
……」
「……」 
「……母上は病に倒れた。枕元で僕は毎日、ホイミを唱えたよ。子供だったから、回復魔法であるなら何に
でも効くと思ったんだね。それでも母上は『王子のおかげで、とても楽になったわ』と言ってくれた。ホイミは病気
に効くはずないのに!」
 王女は声をかけることもできず、ただ王子の話を聞いていた。
「結局、母上は天に召された。でも、最後にね、母上はこう仰ったよ。『そんなにがっかりしないで。王子のホイ
ミは病気には効かなかったかもしれないけれど、母の心を癒してくれたのですよ』って。だから君も、君の呪文も
何か他のことに役立っているかもしれないよ」
「他の役に?」
「カニ!」
「え……何?」
「穴の中に入りそこなってもがいている所を、君の呪文で空気圧が変わって、すぽっと穴に入った!」
「まさか!」
 カニが失敗した魔法のおかげで助かったですって? そんなおかしなことがあるのかしら?
 王女は笑った。笑い転げた。
「ふふ……やっと笑った。やっぱり笑っている君の方がいいよ」
「! ということは、カニの話は……」
「ごめん。僕の作り話!」
 王子は片目をつぶった。
「でも、母上の話は嘘じゃないから」
「あなたのお母様の仰った通りだわ。王子が心も回復できるって」
「戦闘に役立たないことばかり得意なんだ」
「ううん、そんなことない。ローレシア王子が前だけ見て戦えるのも、私が呪文に集中できるのも、真ん中にい
るあなたがいて安心できるからなの」
 王子は褒めても何もあげられないよと笑い、宿屋のドアを静かに開けた。

 内陸部を進むにつれ魔物は強くなり、戦いが激しくなってきた。
 薬草は尽き、魔法を操る二人の魔力も限界に近い。
 二人の王子が魔物に切りかかるが、頑丈な皮膚に阻まれ、切り傷をつけるのがやっとだ。
「くッ!」
 ローレシア王子が敵の攻撃を受けた。血しぶきが飛ぶ。
「回復を!」
 駆け寄ろうとする王女を、ローレシア王子は血に染まった腕を伸ばして制する。
「前に出るな!」
 歯を食い縛り、王子が渾身の力で剣を魔物に叩き込む。
 サマルトリア王子も加勢し、剣を振るいながら呪文を唱える。
 素早く王子に回復魔法を施され、ローレシア王子の傷が癒えた。
「お前も怪我してるじゃないか。回復しとけ」
「いや、あと一回スクルトで守備力を上げておくよ。それで魔力が限界だ」
「いいのか? 死なないようにしろよ」
「そうする」
(みんなが危ない!)
 王女は意を決した。
(勝つには、強力な攻撃魔法しかないっ)
 懸命に紡ぐ呪文の言葉。高位であればあるほど呪文は長くなり、複雑に絡み合う。
 単語ひとつ違っただけで魔法は発動しない。すべての苦労は泡と消えてしまうのだ。
 肩で息をしながら、王女の前でサマルトリア王子がスクルトを唱える。
 まばゆい光の加護がパーティ全体を包み、敵の攻撃から防御する力を増していった。
(そうよ。みんなの為に負けられないわ!)
 必死に口ずさむ呪文。目の前で繰り広げられる死闘。
(早く! 早く!)
「ううっ……」
 剣を弾き飛ばされたサマルトリア王子にのしかかった魔物が、鋭い牙を王子の喉笛に向けた。
(王子……ッ!)
 王女は悲鳴をあげそうになった。
「だ……めだ……今呪文を切ったら……」
「!」
(気付いていたのね……私があの魔法を使おうとしていること)
 牙をむく魔物。王子が魔物の顔を掴んで押し戻しているが、長く続きそうにない。
 ローレシア王子は前線の魔物で精一杯だ。
「頑張れ……君なら……君なら出来る!」
(不安なの。もしうまく発動しなかったら、あなたは……)
「君も……ロトの血を引く勇者なんだ! ……自信を持って!」
(そうだったわ。私にもロトの血が流れている。私も勇者の一人なんだわ!)
 王女は最後の呪文を結んだ。
(お願い! どうか!)
 きっと魔物を見据え、長い髪が乱れるのも構わず彼女は杖を振り上げた。

「 イ オ ナ ズ ー ン ! ! 」 


 ……その瞬間のことはよく覚えていないの。
 ただ、王子達と喜んで抱き合って。
 おめでとう! って頬にキスされて。
 いっぱいいっぱい笑った気がする。

 
 私はムーンブルクの王女。
 ロトの血を引きし、亡国の姫。
 悪の大神官ハーゴンを倒すべく、私の旅は続く――――。
( 完 )  2003/09/28
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優勝者最萌トーナメント2回戦支援。
呪文覚える苦労を想像してみました。