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時空のエトランジェ 〜Les etrangers qui ont transcende le temps〜 < 3 >
 
 人々の談笑や乳飲み子の泣き声、おまけに車を引く動物たちの鳴き声も加わって、教会の前は今日も賑やか
 だった。
 長い列が村の入口まで続いていて、その様は何かの初売りのようだ。
「うわ〜……」
 サトリは裏口の陰から大行列を垣間見て、うんざりした。はあ、と溜息をつく。
(どうしてこんなにいるんだ)
 毎日増え続け、長くなる人の列。
 その時、元気な女の子の声がした。
「先生! いらしてたんですか。おはようございます」
「おはようございます、サトリ様……どうかなさいましたの?」
 白いエプロン姿の二人の若い女性が頭を下げて挨拶した後、怪訝そうにサトリを見つめる。
「ミランダ、セリーナおはよう。いや……あんまり人が多いんで驚いていたんだ」
 彼女たちは仕事場の助手だ。
 有能な可愛い娘さんが二人もいて、職場環境的には文句のつけようもないのだが、こうも毎日忙し過ぎるのは
気が滅入る。 
「もともとこの近辺に医療施設がないのに加えて、噂を聞きつけて遠くの村からも先生に診て頂こうと、この村
に患者さんがいらっしゃるのですよ」
「……へえ」
「順番待ちの人々相手の商売や宿泊客も増えて、村の経済も大助かりです。父も常々申しておりますわ。『村が
豊かになったのはサトリ様のおかげだ』と……ああ、やっぱり!」
 そこまで話すと、サトリをまじまじと見回していたセリーナが突然感嘆の声を上げる。
「昨日お届けした服を、早速お召しになって下さったのですね。よくお似合いですわ! 私が父と一緒に見立て
たんですのよ」
「ありがとう。村長さんにもお礼を言わなきゃな」
「いいんですのよ、お礼なんて……サトリ様は私の命の恩人ですもの」

 きらきらした瞳で俺を見つめる長い栗色の髪をしたこの娘は、俺の助手の一人。名はセリーナ。
 村長のひとり娘で、森の中で木苺摘みに夢中になっていたところを草陰から這い出た毒蛇に噛まれ、彼女は
倒れていた。
 そこへたまたま通りかかったのがロランと俺。ロランがすかさず毒蛇を退治し、俺は倒れていた彼女に毒消し
の魔法を使ったってわけだ。
 俺たちはそれが縁でこの村にいる。かれこれ一年になるかな。

「森の中で誰に知られることもなく、たった一人で私は死んでゆくのだと絶望しておりましたの。サトリ様が
いらっしゃらなかったら、私……あの時、本当に神様が降りて来て下さったのだと思いましたわ」
 大きな咳払いがして、セリーナの回想は打ち切られた。
「お話はその位で。患者さんがお待ちかねですよ」

 てきぱきと診療開始の準備を整える、翠の瞳の娘の名はミランダ。彼女も俺の助手をしてくれている。
 彼女の父はこの教会の神父だった人で、父親の死後、彼女はたった一人で神父不在の教会を切り盛りしてきた。
 教会の一部を診療所に提供してくれたのは彼女だ。
 俺が治癒や解毒の心得があるのを知った村長のたっての要望で、俺は診療所長に任命され、改築資金は村長が
出してくれた。
 さすがはこの地方の名士として、人々に敬われている村長だ。
 診療所が完成したら、何故か同時に助手が――彼女たちのことだ――二人もできた。なんでも人々のために
無償奉仕したいのだという。
 治療は慈善活動で原則無料だが、少し裕福な患者は治療後に心付けの金品を置いてゆく。
 そんな収入は有難く頂戴して、照明用の油や教会の維持修繕などに当て、残りは三人で平等に分けることに
している。
 ロランも村中の力仕事を手伝っては、お礼に食料を山ほどもらって来る。普段の生活はこれらで充分賄える
というものだ。
 なにしろ長い旅をしていたから、俺たちは本来の王宮の贅沢な暮らしを忘れてしまうほど、慎ましやかな暮
らしぶりが身にしみついている。
 自分たちで魔物を倒した金で、宿代や武器防具を三人分確保しなければならなかったのだから。
 国交もない遠い異国を巡り、本国からの支援を当てに出来なかった俺たちのやり繰りは、実に板についたも
のだった。
 診療所の給金で、たまに村を訪れる行商人から雑貨などの生活必需品を購入し、俺たちは何不自由なく暮ら
していけた――。


 いつものように診療が始まった。
 サトリは治療前に銀縁の眼鏡をかける。
 度が入っていない伊達眼鏡だ。何故わざわざ眼鏡をかけるかというと、少しでも年上に見られるようにという
配慮からだ。
 老練でない者の治療を受けるのに、中には不安を覚える患者もいる。
 もっとも、治療を受けた後にサトリの若さに驚くことはあっても、苦情を言う者は皆無だったが。
 次々と痛みを訴える人々との患部にサトリはそっと手をかざすと、温かな光が患部に注がれる。
 するとたちまちのうちに彼らの痛みはなくなり、固かった表情はみるみる和らぎ、血色も良くなってゆくの
だった。
 中には板に載せられ、はるばる運ばれてきた老女がいたが、治療を受けた直後に一人で杖もつかずに歩いて
診療所から出て来たのは、人々のどよめきが起るのに充分だった。 
 酷い腰痛で、どんなに高額の薬を処方され、名医の治療を受けても治らなかった長患いの貴族さえ、この片
田舎の年若い神父の膝に頭を擦り付けて、幾度も十字を切り、長年の苦しみから解放されたことに感謝の涙を
流したものだ。

 陽が真上に来ると、一旦診療がお休みになる。
 患者たちも地べたで順番に座ったまま、思い思いに昼餉をとるのだ。
「ふー……」
 診療室ではサトリが大きく伸びをした。
 さすがに低位魔法とはいえ、休みなく呪文を唱え続けるのは辛い。
 魔法を使い過ぎると頭痛がしてくるものなのだ。こればっかりは魔力を持った者しかその辛さは分からない。
「お疲れ様です、先生」
「お、ありがと」  
 サトリは眼鏡を取り、ミランダから受け取った濡れタオルを額に載せると目を閉じた。こうして冷やすと、
非常に気持ちがよいのである。
「お昼にいたしましょう。今日は腕によりをかけてきましたのよ」
「あら。私も今日は旬の食材で彩りも良いお弁当を作って参りましたの」
「私はお弁当といえど、きちんと栄養のバランスや健康に良いものを選んでお献立を組んでおります。ささ、
どうぞ遠慮なさらずに召し上がって下さい、先生」
「サトリ様っ、私の、私のお弁当をどうぞ!」
 二人は互いに競い合って弁当の包みを開いた。
 色とりどりにずらりと並んだ料理。とても食べきれないほどの量だ。
「どれも美味しそうだな……でも」
 サトリは頭をかいた。
「二人とも悪いな。じきにロランが弁当届けてくれるんだよ」

 
( 続く )  2007/10/20
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二人とも、すっかり田園生活に馴染んでいる模様。