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時空のエトランジェ 〜Les etrangers qui ont transcende le temps〜 < 7 >
 
 あくる日も、うららかな天気だった。
 いつものように寝ぼけ眼のサトリを起こし、いつものように送り出したロランは洗濯籠を手に村の共同洗い場
へと出かけた。
 水汲み場より下流に位置する洗濯場は、作業しやすいように石畳が敷かれており、朝食の片付けを終えた村の
奥さんたちが既に集まっていた。
 澄んだ冷涼な流れに衣類を浸け、賑やかに談笑する彼女たちと他愛のない会話をしつつ、ロランは手際よく衣
類を洗い上げてゆく。
 力仕事が得意な彼にとって洗濯は苦にならない。かえって力を入れすぎて布地を傷めてしまわないように、彼
は手加減しなくてはならなかった。
 大物や厚手の生地の洗濯に苦労しているのを見ては快く洗濯を引き受けてくれる心優しいロランは、村のご婦
人たちの人気者だった。
「坊は綺麗好きだねえ」
 しわくちゃの目尻を細くして、孫ほどのロランに向かい、老婆が話しかけてきた。
「そうでもないですよ」
 ニコッと白い歯をのぞかせてロランは笑った。
「毎日シーツを洗うなんて、なかなかできるもんじゃない。感心だよ」
「えっ、あっ、いや、これはそのぅ……僕、汗っかきなんで」
「ああ、そうかもしれんね。ウチのセガレも坊ぐらいの年の頃は、しょっちゅう汗だくになっとったな」
 汗だけじゃなくて、他の成分も……。
 むしろ他の成分の方が、洗濯しなきゃならない一番の理由なんだけど……。
 言えるわけもなく、ロランは黙って老婆に笑顔を返した。


 ロランが洗濯していた頃、診療所では大変な事態が起こっていた。
 診療を始めて一時間も経たないうちに、診療所に兵たちが突如押しかけてきたのである。
 セリーナとミランダを後ろにかばい、サトリは居並ぶ兵たちを睨みつけていた。
「先生……」
「サトリ様……」
「大丈夫だ。俺に任せろ」
 武器はないが、この程度の人数なら素手でも充分だ。できれば魔法は使いたくない。
「失礼した。ご挨拶が遅れて申し訳ない」
 声と同時に、身構えるサトリに合図するかのように兵たちの頭上で分厚い掌が振られた。
 兵が一斉に敬礼し、後ずさって道を空ける。奥から現れた人物を見てもサトリは驚かなかった。
「やはりアンタか。治療なら順番に並んでくれないと困るぜ」
 サトリの前に立っているのは、昨日の診療終了間際に駆け込みで受診した立派な体格の男だった。
 彼は昨日の平服とは異なり、今は肩章のついた礼服をまとっていた。兵士長階級といったところか。
「いいえ、本日は診療に訪れたわけではありません」
「では何しに来た? ここはケガ人の為の施設だ。どう見ても、アンタらに治療は必要なさそうに見えるけど
な」
「私はシラール。王都よりの招聘の文を携えて参りました。貴殿の治療の腕をお見込みになられた国王陛下の命
であり、辞退は許されません」
「成る程な。昨日は実際に噂を確かめに来たってことか」
「お腹立ちはごもっとも。しかし、この手の奇跡話には眉唾物が多いということは、貴殿にもご理解いただける
でありましょう」
「ああ。だが、あいにく俺は誰の命令も従うつもりはない」
 きっぱりと言い放つサトリの言葉を聞き、彼の背後の娘たちは口々に叫んだ。
「わっ、わたくしはこの村の長の娘セリーナです。サトリ様を連れてゆくなんて許しませんわ!」
「まだ大勢の患者さんが順番を待っているというのに、いくら国王陛下でも横暴すぎますっ!」
 シラールは、眉根を寄せ少年たちをゆっくりと見回し小さく溜息をついた。
「左様ですか。残念です。できれば穏便に済ませたいと思っておりましたが」
「俺もだよ」
 サトリは眼鏡をはずし、机の上に置いた。


 パンッ!
 青空に白いシーツが翻る。
 すぐ傍にあるハーブの畑を踏み荒らさないように用心しながら、ロランは洗濯物を干し終えた。

 今日は何をしよう。
 冬の間に食べる保存食を作るのはどうだろう。
 燻製肉はこの間作ったし、となると野菜の酢漬けか。
 ただの酢漬けはサトリが好きじゃないから、香辛料をきかせた方がいいな。ちょっと辛味をつけたら寒い冬に
合うかもしれない。きっと彼も気に入るだろう。
 考えを巡らせながらロランはわくわくした。

 雪がしんしんと降り積もる、静かな冬。
 真冬は診療所は休みだ。つまり、二人っきりの冬を思う存分満喫できる。
 暖かな暖炉の前で、サトリは本を読み、のんびりとくつろいでいる。
 僕は自慢のお手製ジャムにクラッカーを添え、彼と午後のティータイムを楽しむんだ。
 決して彼には勝てないけど、チェスやカードをして過ごすのもいい。
 『お前とやっても、結果が見えてるからつまらない』って言われそうだけれども。

 洗濯籠を浴室の入口に置き、ロランは戸棚から保存容器を幾つか選ぶ。
 そして手篭に鋏を一丁放り込むと、彼は庭の一角にある野菜畑に出ていった。


「ロラッ……ロラン様あーっ!!」
 上機嫌で畑から野菜を吟味していたロランは、セリーナの尋常でない叫び声に顔を上げた。
「どうしたんだいセリーナ、そんなに急いで。あっ! 危ない!」
 土手の所でつまづき、転びそうになった彼女をロランは抱きとめた。
 腕の中で苦しそうに彼女の喉がぜいぜいと鳴った。彼女は余程全力で駆けてきたらしく、暫くは声を発するこ
とも出来ないでいた。
「大変ですっ! サトリ様がっ……!」
 そこまで言うと彼女は激しく咳込んだ。慌ててロランは家の中から水を一杯汲み、彼女に与えた。
「落ち着いて話して。サトリがどうしたって?」
「サトリ様が、帝都の兵士たちに連れて行かれてしまいました! どうしましょう、ロラン様ぁ……」
 彼女はわあっと泣き崩れた。
 
( 続く )  2008/5/5
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やっとストーリーが動きました。
遅すぎる感もありますが、じっくり熟成してヤマ場に突入するのが好きですw