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時空のエトランジェ 〜Les etrangers qui ont transcende le temps〜 < 8 >
 
「連れて行かれた? サトリが?」
 泣きじゃくるセリーナをなだめ、食卓の椅子に座らせたロランは箪笥の引き出しをあけた。
「はい。診療を始めてすぐ、帝都から遣わされた使者に」
 ハンカチで涙をおさえ、彼女は背後で足早に動き回る彼の気配を、ぼんやりと感じていた。
「それは、おかしいな」
「え?」
 振り返った彼女は、曇った視界の中で上半身裸のロランに気づき、頬を染めて慌てて視線を食卓に置いた手元
に戻した。
「サトリがおとなしく連れて行かれるなんて、変だよ。彼は強い。たとえ兵士が束になっても、彼には適わない
はずだ」 
「使者が携えた国王陛下の文に、サトリ様が招聘を拒否するならば、村の税を十倍に課すとの一節があったので
す。それでサトリ様は……」
「そうか」
 チャキッと重厚な金属音が部屋に響いた。
 彼女の前に立ったロランは、かつて彼女が森の中で初めて出会った時と同じ、深いブルーの服に大剣を背負っ
た姿だった。
「セリーナ、城への道を教えてくれないか。あと、馬を一頭用立ててくれるとありがたいんだけど」


 黄色い砂煙を上げ田舎道を走る馬車は、ガタガタと揺れていた。
「先生、窮屈でしょうが御勘弁下さい」
 窓の外を眺めていたサトリに、シラールは声をかけながら飲み物を勧めた。
 サトリは横に手を軽く振り、辞退する旨を伝える。
 拉致されたとはいえ、サトリは王の賓客として常に最上級のもてなしを受けていた。
「そろそろ俺を喚んだわけを話してくれよ」
「私は先生の腕が噂通り本物ならば、帝都へお連れするよう命ぜられただけで、理由は存じません。ただ――」
「ただ?」
「先達て王太子殿下が大怪我をされたことと、何か関係があるかもしれません」
「ふーん」
 こんな片田舎の村医者を引っ張り出したのも、全て息子可愛さからなら頷ける。
「寒村に奇跡の名医ありと、帝都は先生の噂で持ちきりでしたから」
「げ。まいったな……ひっそりとやってるつもりだったのに」
「なんでも、先生のおかげで数々の医者も匙を投げたほどのひどい腰痛が治ったと、それは嬉しそうにソリュト
卿が晩餐会の度に吹聴して回っておりましたから」
「あの腰痛貴族のオッサンが震源地かよ……」
 サトリは額に手をやると天を仰いだ。


 ひとまず、ロランとセリーナは彼女の父――村長に事の次第を報告しに向かった。
 村長は話を聞くと、急いで村一番の駿馬を用意するよう家人に言いつけた。
「おおお、何ということだ。恐れていたことが現実になろうとは! 先生がどうか無事であられれば良いのだ
が」
「サトリなら大丈夫です」
 悲嘆する村長を勇気付けるように、胸を張ってロランは答えた。
「しかし、一度帝都に召し出されたら、おいそれとは帰してもらえまいて。下手をすると一生、ということもあ
りうる……いや、すまないロラン君」
「いいえ。僕が絶対にそんな事はさせませんから」
「私も君と行きたいが、村長として村を離れるわけにもいかんのでな。せめて、これを――」
 村長は袋にずっしりと入った路銀をロランに贈った。
「皆の気持ちだ。旅で役立てて欲しい」
 ロランが謝意を述べると、村長は診療所を開設させた自分にも責があると言って、目頭を押さえた。
「お待たせいたしました、ロラン様。地図をお持ちいたしましたわ」
 帝都への地図の書かれた羊皮紙をセリーナが手渡す。
「ありがとう」
 広げてみると、途中の街や山賊の出る危険箇所に印がついている。細やかな心遣いの施された地図を、ロラン
は大切に懐に押戴いた。


 村はずれ。
 村長を始めとした大勢の村の人々が、ロランとの別れを惜しんでいた。
「私、サトリ様が連れ去られる時に何も、できませんでした。サトリ様は村をお庇いになって、無抵抗のまま
……ロラン様、どうか、どうかサトリ様を……!」
「ロラン様、先生を宜しくお願いいたします!」
 セリーナとミランダが涙を浮かべてロランを見送る。
「約束する。サトリは必ず連れ戻すよ!」
 彼も罪作りだよなあ、と心の中で呟きながら、馬上のロランは彼女たちに微笑んだ。
「道中気をつけてな!」
「旅先では、くれぐれも水に気をつけなされ!」
「坊、いいかい。しっかり三食、食べるんだよっ!」
「はい。行ってきます!」
 力強く答えるとロランは馬の腹を蹴った。
「ロラン君、皆、待っておる! 君たちの帰りを一日千秋の思いで待っとるからなあ――!」
 疾走する少年の背に叫んだ村長の声が、うっすらと雪冠を頂いた青い山々にこだまする。

 僕たちの美しい村――心優しき人々……。
 彼と帰りたい、この村に。再び!

 手綱を取るロランの瞳は、真っ直ぐに前を見据える。
 目指すは帝都。
 サトリはそこにいる。 
 
( 続く )  2008/5/19
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美少女の涙はいいものです。