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時空のエトランジェ 〜Les etrangers qui ont transcende le temps〜 < 11 >

 翌日、シワひとつない純白の祭事服に袖を通したサトリは、謁見の間の絨毯を踏んでいた。
 一段高い正面の玉座には、武帝らしくがっしりとした大きな体格の国王と利発そうな少年が座っており、そ 
の立派な服装と物腰から、少年はこの国の王子であるのは間違いないと思われた。
「陛下、御目にかかれて光栄です」
 不本意ながらもサトリは一礼し、挨拶の言葉を述べた。
「その方、サトリと申したな。はるばる御苦労であった。さて、呼立てたのは他でもない。名医と呼び名の高
 いそなたに、隣に座すこの――我が息子ジェインの足を治療して欲しいのだ」
 年の頃は十三、四であろうか。王子は父親とよく似た鳶色の瞳を伏せ、自分の足元を眺めた。
「既に聞き及んでいるやもしれんが、王子は落馬の際に負った怪我が原因で立つこともかなわぬ」
 王は溜息をつく。王子は顔を上げ、サトリに向かって懇願した。
「お願いします、先生。ぼく、歩けるようになりたいんです。その為なら、どんな辛い治療でも耐えてみせま
 す」
「わかりました、お引き受けしましょう」
 権力に屈するのではない。ただ、目の前で苦しんでいる一人の少年の為に、サトリは治療を承諾した。

「そうと決まれば、只今より治療を始められよ。部屋は用意してある。そちらに移動し――」
「いえ、その必要はありません」
「うぬ?」
「この場で結構。では、王子様のお近くに参っても宜しいですか?」
「う、うむ、許す」
 とりあえず、治療前に診察をするつもりなのだろう。王はそう解釈して頷いた。
 サトリは王子の前で片膝をつく。
「先生、ぼくは靴を脱いだ方がいいのでしょうか」
「そのままでいいよ」
 少し緊張して頬を高潮させている王子に、サトリは笑いかけた。
「さて、とっととやっちまうかな」
「えっ。何か仰いましたか?」
「や、こっちの話。ちょっとばかしヘンな感じがするかもしれないが、痛くないようにするからな」
「はっ、はいっ」
「いい返事だ」
 サトリは眼鏡をくいっと上げる。最近、治療を開始する時についた癖だ。
 王子の足元にサトリは両手をかざした。みるみる彼の手が眩い光を放つ。
「おおっ!!」
 どよめきがおき、周りの者は呆気に取られて息を呑んだ。
(骨折の処置がまずかったらしいな。骨が変形してやがる。そのせいで関節にも負担がかかって、痛みで立
つこともできなかったんだろう。まず、組織を根本的に作り直す必要があるな)
 一瞬で診察を終えると、かざした手はそのままに、サトリは王に診断結果を説明した。
「と、いうことで、治療には少々手間取りそうです」
「そうであろう。城の主治医も治せなかったのだからな。王子、どうじゃ? 痛みはあるのか?」
「いいえ、父上。先生の手の動きに合わせて、その部分が温かくなる感触はあるのですが、痛くはありませ
ん 」
「左様か。して、サトリ殿、どのくらいで王子の足は治る見込みなのだ」
「そうですね……半時ほど、お時間を頂ければ」
「なっ!」「えっ!」
 王と王子は同時に驚きの声を上げた。
 城の主治医に一生歩けないと宣告された足が、たった半時で完治するというのか。
 改めて王は目前の若き天才医術師に舌を巻いた。
 光の中でサトリは王に視線を移した。
「私としても長居はできないのです。村に大勢の患者を残したままですのでね」
 眼鏡の奥に光る淡い碧の瞳は、不敵な輝きを放っていた。

 それから半時が過ぎた頃、サトリはやおら立ち上がった。
「終わったぜ。立ってみな」
 王子に片目を瞑ってみせる。
「今、ですか?」
「ああ。もう治ったはずだから確かめてみな。衰えた筋肉も完全治癒というわけにはいかなかったけど、まあ 、
軽い運動には支障ない程度に回復しておいたから」
「は、はい。やってみますね……」
 王子は、恐る恐る床を踏みしめる足に力を込めてみた。
「あ……!」
 何ということだろう。曲がっていた下肢の骨は、怪我をする以前のように真っ直ぐになっている。勿論、足の
付け根に走っていた痛みも全く皆無だ。これなら――。
 勇気を出して彼は玉座から膝を浮かせた。
「立てます!……ああ先生っ、ぼく、立てましたっ!」
 ふらつくものの、王子の二本の足はしっかりと床を踏みしめている。
「感動するのは早いぜ。次は歩いてみな」
 さあ、とサトリは後退りして腕を広げた。かつて、故国で妹を迎え入れた時と同じように。
 躊躇したものの、王子はほんの少しずつ交互に足を動かし、歩みを進めた。
 わあっと城内に歓声が轟く。鳴り響く拍手の中、家臣たちが涙を拭う。
 興奮さめやらぬ表情で王子ジェインはサトリに握手を求めてきた。
「ありがとうございますっ! 先生は最高の名医です!」
「よかったな」
 笑顔で王子の頭を撫でると、サトリは王に向き直った。
「御覧の通り、治療は済みました。これにて、おいとまを」
 軽く会釈した若き名医の顔からは、既に微笑みは消えていた。
「いや、褒美も授けないうちに、帰すわけにはいかん。貴殿には無理を押して来て頂いたのだ。王として、そ 
して父親としても是非とも礼がしたい。サトリ殿におかれては、暫し滞在し歓待を受けられるが良かろう」
「私は褒美など不要です」
 だが、王の意向は絶対だった。有無を言わさずサトリの両脇を衛兵が固める。
「よいか、先生を東塔の貴賓室へお通しするように」
「はっ」
「王、私はっ……」
「くれぐれも粗相のないようにな」
「御意」
「王!」
「ささ、医術師殿、こちらにどうぞ」
 サトリの訴えに誰一人聞く耳を持たず、衛兵たちは彼を引きずるように扉に向かってゆく。
「父上、お忙しい先生を無理にお引き止めしては……」
 連行さながらの光景を見かねて、王子は王に進言した。
「お前も先生に礼を尽くしたいのであろう? ならば口を挟むでない。このままでは後の世に、なんと礼節を
 欠いた王よ、と謳われるのだぞ」
「しかし……父上、これでは……」
 本人が望まぬ歓待を押し付けて、礼とは呼ばないのではないのだろうか。
 それに普段から王の口からこれほど礼節を重んじることなど、ついぞ伺った試しはない。
 王の真意を計りかねて王子は困惑していた。
「王子よ、せっかく歩けるようになったのだ。お前の歩く姿を城の者たちに見せてやるがいい。皆、お前のこと
 をどんなに心配していたことか」 
「はい……」
 気の乗らない返答をしつつ、王子は心配そうにサトリの消えた扉の方角を眺めた。


 野菜を満載した荷車の木の車輪がギシギシと軋んでいた。
 車輪は磨り減った石畳の窪みに取られてしまっている。にっちもさっちもいかない状態とはこのことだ。
 いくら鞭を振るっても、牛は悲鳴をあげるばかりで、荷車はびくともしない。
 どうしたものかと農夫は途方に暮れた。このままでは、納期の夕刻に間に合わないではないか。
 急に城で祝いの宴が催されることになり、一番近い畑の主である彼に白羽の矢が立ったのだ。
 この荷は晩餐会の材料。約束の時間までに届けられなければ、売り上げがパアどころか、お咎めだって受
けかねない。彼は必死だった。
「こん畜生! 城まで、あとちょっとって所でっ。気張れってんだ!」
 ぴしり。再び彼は鞭を振るう。牛は悲しげな声で鳴いた。
「おじさん、そんなに打ったら牛が可哀想ですよ」
 背後からした少年の声に農夫は振り返った。
「僕が手伝いますから。もう牛を打つのはやめて下さい」
「お前さん、手を貸してくれるっちゅーのか?」
「はい。力には自信がある方なんです」
 どこか育ちの良さそうな雰囲気を漂わせた、短い黒髪に青い瞳の少年は快活に笑った。
 顔立ちはまだ幼さを残しているが、彼の身の丈は自分を遥かにしのぎ、確かに体つきはがっしりしている。
「そりゃ、ありがてえが、オラ、そんなに礼はできねえぞ。そんでもいいのか?」
「お礼なんて……あ……」
 少年は荷車に積まれた麻袋の山を見て、何かを思いついたようだった。
「そうだ……袋! 人ひとり入れる位の大きな麻袋を一枚、頂けませんか」
「あん? そんな物が欲しいなんて、お前さんも変わり者だな。手伝ってくれるんなら、ホレ、袋なんぞここに
あるだけやるだよ」
 農夫は荷車の脇にある予備の袋を指して言った。
「いいえ、一枚だけでいいんです」
 少年は肩から大きな剣を下ろしながら、再び白い歯を覗かせた。
 

 
( 続く )  2009/1/1
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アレ?
次はナニか起こりそうな……いや、独り言ですw