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時空のエトランジェ 〜Les etrangers qui ont transcende le temps〜 < 13 >

 
 石の階段を昇る複数の軍靴の音が次第に大きくなった。
 ぴたりと足音が止み、扉越しに会話が漏れ聞こえて来る。
「医術師殿は、この中なのだな」
「はっ、将軍閣下。左様でございます」
「陛下のお許しを得ておる。扉をあけよ」
「かしこまりました」
 扉を叩く音が二回した後ガチャリと錠が外れ、入口から風が流れ込む。
「御苦労。持ち場に戻ってよいぞ」
「はい。では、何か御用がございましたら、何なりとお申し付け下さいっ」
 案内役の見張り兵は、敬礼をすると扉を閉め、塔の階段を足早に下りていった。
 背を向けたままベッドで横たわっているサトリに、ランプの灯りと大股で歩く靴音が近づいて来る。
 武具や勲章の金属類が、彼が歩みを運ぶに伴い共鳴を発した。
「医術師殿ですな。お初にお目にかかる」
 塔の最上階。遥か上部に明かり取りの窓が一箇所あるだけの小部屋は、まだ陽がある時間帯にも係わら
ず薄暗い。
 寝台に横たわった若者の後姿がジィニタリスの目に入った。
 淡いランプの光明に浮かび上がった純白の祭服は、織りの模様に微細な影を落としている。
 高級な絹と金糸の刺繍が、灯りの移動に合わせて輝きを放った。
 しかし、彼の目を奪ったのは祭服ではなく、刺繍よりも艶やかな金蜜色の髪が流れる、すらりとした体の線
だった。
「医術師殿」
 若者は微動だにせず、顔さえこちらに向けようとしない。
 よもや熟睡しているのだろうか。彼は、上から若者を覗き込むように再び声をかけた。
 ランプの灯りに照らされ、閉じられていた若者の瞳が開いた。眩そうに目を細める。
 ジィニタリスは思わず声を上げそうになった。
 透き通る湖の如く淡い碧の瞳に、長い睫が端正な横顔をますます引き立てる。
 高鳴る鼓動を抑え、不機嫌そうに見上げる若者に彼は微笑みかけた。
「――お休みのところ失礼。重傷であらせられた殿下を見事に半時で完治されたという名医である貴殿を、
是非ともこの目で拝顔したいと思いましてな」
「何者だ」
 若き医術師の声は、凛とした威厳を感じさせる。
 囚われの状態にありながらも怯えている風は微塵も無い。
 こいつはとんだ食わせ者かもしれぬ。ジィニタリスは暫く様子を伺うことにした。
「おお、申し訳ない。名乗るのが遅れましたな。わたしはジィニタリス。将軍にして国軍最高指揮官――
今より貴殿の上官にあたる者だ」
「軍に配属された覚えは無い」
「宜しい。ならば、この場で陛下より拝受した辞令を読み上げよう」
「従う気はない」
「医術師殿!」
 サトリの目の前でジィニタリスの剣が寝台を貫き、深々と突き刺さっていた。 
「言葉を慎まれよ。陛下の命に背けば、即刻死罪であるぞ」
 ぐいとジィニタリスはサトリの手枷の鎖を掴み、自分の胸元に引き寄せる。
 更に、若き医術師の顔を検めようと彼は力ずくで振り向かせた。
「これはこれは……」
 顎を取られ睨みつける医術師の顔は、まだ少年の面差しを残している。
 歳は二十に満たぬであろう。若いと話に聞いてはいたが、これほどまでとは。
 暗がりにも華やかさを失わぬ金蜜の髪に、輝く薄青色の瞳、すっと通った鼻すじに薔薇色の唇。
 整った顔立ちに、しっとりとした白い肌、そして撓やかな躰の線まで兼ね備えた若者の姿は、全てが
完璧としか形容のしようがなかった。
 陛下も粋な計らいをして下さる。今まで賜った中でも最高の褒美ではないか。
「その髪、その瞳――見かけぬ色だな。貴殿は、何処の出身だ」
「訊いてどうする」
「なに、彼の国が貴殿のような美丈夫揃いなら、今すぐにでも陥落させたいものだと思ったまでのこと」
 囁きつつ、彼は少年の頬から顎に指を滑らせる。
「てめえみたいな下衆に、何も話すことなんかねえよ!」
 敵意をむき出しにし、およそ優美な姿とは程遠い荒々しい言葉を発すると、少年は顔をそむけた。
「残念だな。では、貴殿が自ら話す気になるまで待つとしよう」
 ジィニタリスが壁のレバーを引く。
「うわっ!」
 ガラガラと音を立て、サトリの手首の枷に繋がっている鎖が天井に呑み込まれる。
 鎖が天井へと手繰り寄せられるにつれ、徐々に彼の手首は上へ上へと引っ張られていった。
 天井から吊られた状態になったサトリのつま先が、ぎりぎり床に触れている位置でレバーが元に戻され
る。
 鎖の吸い込み口が閉じ、がくんとサトリの体に衝撃が伝わった。
「きったねえ!」
 こんな仕掛けが隠されていたなんて、まさに不意討ちもいいところだ。
 左右に身を捩るサトリにジィニタリスが近づく。
「さて、入隊審査を始めよう。数々の不可思議な現象然り、出自然り――医術師殿には、問い質すこと
が山ほどある。ひとつひとつ、それらの謎を解明してゆくのもまた一興か」
 あせることはない。晩餐会までには、まだ時間がたっぷりと残されている。
 夜会の席に美しい恋人を披露するのも悪くはない。
 強情で少々手こずりそうだが、荒馬を手なずけるのには自信がある。
 圧倒的な力を見せつけ、優位に立てば良い。屈服させた後に優しい言葉をかけて撫でてやれば、調教は
終了する。
 誇り高き若駒よ、覚悟するがいい。
 ジィニタリスの厚く大きな手が、純白の祭服の詰襟に伸びた。
 

 厨房から城内に侵入するのに成功したロランは、時折物陰に隠れながらサトリを探索していた。
 このままのいでたちでは目立ち過ぎるのでどうしようかと考えていた矢先、ロランは運良く兵の控え室
を見つけた。
 室内を伺うと誰もいない。そろそろと忍び込んだロランは、まずは壁に無造作に立て掛けてあった鎧を
拝借した。
 城の兵士の装備一式を身に付け、ロランが廊下に出る。
 階段を駆け上ったその時だった。
「わあっ!」
 突然、階上から子供が落ちてきたのだ。
 ロランは素早く真下で身構え、子供をしっかりと受け止めた。
「君、大丈夫? ケガはないかい?」
「平気です……ありがとう」
 彼のかけた優しい言葉に、気が動転していた子供は落ち着きを取り戻し、小さな声で礼を言った。
 子供は男の子だった。年は十二、三ぐらいに見えた。
「よかった。びっくりしたよ」
 ほっとした表情でロランは男の子を床に下ろす。
 男の子は恥ずかしそうに、もじもじしながら話し出した。
「ごめんなさい。ぼく歩けるようになったのが嬉しくって。つい階段を一段抜かししていたら、足を踏み
外してしまったんです」
「ケガが治って嬉しいのは分かるけど、無理しちゃダメだよ」
 ロランはにっこりして男の子の頭を撫でた後、思い出したように「そういえば」と続けた。
「最近、凄いお医者さんがこの城に来たんだってね。君、知ってるかい?」
「はい。その先生が、ぼくの足を治して下さったんです」
「そうなんだ! 僕も診てもらいたいんだけど、そのお医者さんのいる部屋へ案内してもらえないかな。
つい先日配属されたばかりの新入りだから、勝手が解らなくてさ……君、名前は?」
「ジェインです。ええと……」
「僕はロランだよ」
 暫くジェインは鳶色の瞳でロランをじっと見上げていたが、やがて周りを見回してから、声を低めて
尋ねた。
「あの……ロランさんは、もしかして先生のお知り合い……ですか?」
 ロランは絶句した。
 ジェインには他意がないようだった。不審者を通報する素振りはない。
 少し間が空き、彼はジェインの前で頭をかいた。
「参ったな。君には隠し通せないか。うん、そうだよ。実は僕、サトリの友達なんだ。彼に会うのに協力
してくれるかい」
「ああ、やっぱり思った通りでした。ロランさん、どうか先生を助けて下さい。お願いします!」
「助けるって、どういうことなんだ? 彼の身に何が……」
「先生が東の塔に幽閉されてしまったのです。きっと父上は先生を戦地に送り込むつもりです。ぼくに
ついて来て下さい。こちらです!」

 まだ治ったばかりのジェインの足では、安定して走るのに無理があった。
 ロランは彼を背負い、人目につかない道を選んで城内を疾走した。
「君は、どうして僕がサトリを探しに来たと思ったの?」
「それは、あなたがこの城の兵士ではないからです」
「驚いたな。よく気付いたね」
「ふふっ。ぼく、王子なんです」
「ええっ!」
「いくら新入りの兵士でも、ぼくの名前を知らないなんて有り得ません」
「へえ〜、なるほど、納得したよ。城下町だったら王族の話題もよく出ただろうけど、僕たちの住んでた
村は田舎だったからね」
 ローレシアでも新しく入隊した兵士は、上官に伴われて必ず謁見の間を訪れたものだ。
 だがしかし、今は遠い出来事に思いを馳せる時間はなかった。一刻も早く東塔に行かなければならない
のだ。
 それにしても、彼を怒らせるなど愚の骨頂だ。 
 サトリが本気を出せば、この国など瞬きの間で制圧されてしまうのに。
 彼は即死呪文の使い手なのだから。


 
( 続く )  2009/3/15
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ここでの展開に長い間詰んでしまった。
当初地下で囚われる設定を、塔に変えたせいもあるのですが。

次こそは、ナニかがっ……ナニかが起こるとっ……w