とけた氷は 胸がぴしりと痛む。 いつからだろうか。最初はただ、珍しい生き物だと見ていただけだったのに。ましてや食肉としてしか見ていなかったはずなのに。いつからか、それはだんだんと変わっていった。 内心で、自分の気持ちが次第に変わっていったのにはうすうす気付いていた。だがそれがなにを示すのかわからなかった。どうして胸が軋むのか、どうして それ を目で追ってしまうのか。否、わかりたくなかった。 「・・・おい」 「・・・!」 嫌に張り詰めた空気の中、急に声をかけられ、心臓がびくりと跳ね上がった。 ――――ここは選手控え室。試合を数十分後に控え、出場選手たちが集まっていた。そこに居合わせていたのは、彼、アイクにマルス、フォックス、そしてファルコだった。 これから始まる試合はチーム戦。アイク・マルスチーム対フォックス・ファルコチームで試合が行われる。 「・・・そんなに俺が珍しいか」 声の主は青い鳥、ファルコだ。声色から察するに、結構に不機嫌そうである。といってもいつも彼はそんな声なのだが、低く落ち着いた、それでいてすこし怒りを含んだような声にまたどきりとする。 どうやら、ぼんやり物想いに耽っている間彼の方を凝視していたようだ。 ファルコは試合前だからだろう、ブラスターの手入れをしている。ずいぶん入念にやっているようだ、それは近代の武器を知らないアイクにもなんとなくわかった。 その様子をぼんやり見つめながら。 「・・・いや。少し考えごとをしていた」 「ふん。俺の知ったこっちゃねぇが、気が散る。むこう向け」 「ファルコ!」 ファルコの刺々しい言葉に、フォックスが制止の声を入れる。ファルコとアイクはあまり接点がなく、顔を合わせることも会話をすることもほとんどなかった。だから彼は気を使ったのだろう、しかし当のファルコは少しばつの悪い表情を作っただけで、つんとそっぽを向いた。 もともと重かった空気が、さらにずしりと重みを増す。 「いや、いいんだ。・・・悪かったな」 アイクはくるりと向きを変えた。それから、途切れてしまった考えごとの続きを考え始める。 「ファルコ、どうしておまえはいつもそうなんだ?」 「知るか」 「まったく・・・少しは相手のことも考えて・・・」 フォックスがファルコを説教する様子は、まるで父親と思春期の少年とのやりとりのようだった。しかしファルコは聞く耳を持たず、手元に視線を落としてブラスターのメンテナンスに夢中だ。 はあ、というフォックスのため息に、マルスは声をひそめて苦笑した。 アイクの考えごとは、試合中も試合後もずっと脳内で展開された。 そのおかげでマルスの足を引っ張り、アイク・マルスのチームは見事惨敗。ふたりは、時代は違えど同じ世界の出自ということで、よくチームを組んで一緒に戦う。しかしこれほどまでに惨敗を決め込むことはなかった。むしろアイクはその腕力で大剣を振り回し、次々相手を吹っ飛ばすのが常であったのに。 怪訝に思うマルスだったが、その理由を敢えて聞かないことにした。何も考えていなさそうな彼でも、彼なりに何か思う節があるのだろうと。悩みが深刻そうであれば、そのときに声をかければいい。乱闘を終えた控え室で、3人に挨拶をして部屋を出た。 「じゃあ、みんなお疲れ様。お先に」 「足を引っ張って・・・悪かった」 アイクは通りすがり際のマルスに一言、謝った。にこりと微笑みで返され、ほっと息をつく。 ベンチに腰を下ろす。心なしかいつもより重く感じられるラグネルを持ち上げ、膝の上に乗せる。刀身の冷たさが布を通して伝わった。ラグネルに、その身を納める鞘はない。手近な布で丹念に汚れを拭く。 アイクの横を、フォックスが通った。お疲れ、と声をかけて。それを横目で見送る。ドアの開く音が聞こえ、それから時間を置いて、閉まる音。ふう、と息をついて、はたと視界の隅を見遣る。ファルコも彼と同じように、ベンチに腰を下ろし愛用の武器の面倒を見ていた。そのぶっきらぼうな物言いからは想像できないが、試合前にも手入れしていたあたりもしかすると結構几帳面な性格なのだろうか。また怒られるのも嫌なので、しばらくの後に視線を剣に落とした。 空気は、それほどまで重くない。しかし依然として沈黙であった。 接点の少ない彼と、せっかく二人だけになれたのだ。なにか話したい。しかしなにか話を切り出したところで、冷たく会話を切られるのは目に見えていた。それでも、アイクは口を開く。 「・・・さっきは、悪かったな」 「・・・別にもう気にしてねぇよ」 「そうか。・・・よかった」 やはり、短く終わってしまった。心中でため息をつく。 二人とも口数が多いほうではない。むしろ用件がなければほとんど口を開かない。アイクはこれ以上話を続けることを諦めて、ラグネルを支えに立ち上がった。 ファルコがふっとブラスターから視線を離す。 「・・・っ、こっちこそ、」 「・・・?」 少し焦ったような、喉から声を搾り出したような、そんな声だった。 まるで、アイクが控え室を出ようとするのを引き止めるかのような。 「・・・きつい物言いをして、・・・悪かった」 最後の方は本当に小さく、消え入りそうなほどだったが、アイクはそれを聞き逃さなかった。 フォックスの説教は効果があったようだ。 言い終わって、ファルコはうな垂れた。またそそくさと愛器をいじりだす。うつむいたファルコの顔には少なからずの朱が差していた。 そんな彼の不意をつくように、アイクはファルコに忍び寄って頭に手を載せる。 「・・・!」 「お互い様、だな」 その青い羽毛の流れに沿って、そっとやさしくなでる。その羽毛は、彼の性格に似合わずふわふわと柔らかい。 「・・・っ、・・・・・・」 ファルコの顔がさらに赤くなる。 きっとなにか否定の言葉を述べようとしたのだろう。アイク自身、否定され手を振り払われるだろうと思っていた。だが言葉が出なかったのか拒否できなかったのか、ファルコは押し黙った。ブラスターをいじる手も止まっている。 気にせずふさふさの毛が手にまとわりつく感触を楽しむ。あたたかいのは羽毛のせいか、それとも体温のせいだろうか。 「おっ、俺は子供じゃ・・・!」 「・・・嫌か?」 「・・・・・・・・・・・・」 嫌だ、と言わないから嫌ではないのだろうか。だが喜ぶしぐさも見せない。撫でてほしいのかやめてほしいのか、どちらを望んでいるかいまいちわからずに、アイクは手を止める。 「仕方ねぇな、そんなに撫でたいなら撫でさせてやるよっ」 (素直じゃないな・・・) やれやれと少し笑いを含んだため息を漏らす。一度は止めた手だが、またぐりぐりとファルコの頭を撫でてやる。相変わらずうつむいたままされるがままになるファルコ。 ――――こうして触れることができるなんて、数十分前は遠く叶わない夢だった。しかし今はごく自然に、こうしていられる。 次はいつ触れられるかわからない。アイクはてのひらに伝わるぬくもりを、柔らかな感触を、忘れないようにしっかり手のしわに刻み込んでいく。 「・・・そういえばその、・・・考えごとって、何だ?」 「・・・あんたの言葉を借りるなら、あんたの知ったことじゃないさ」 「・・・・・・」 「気になるのか?」 ファルコは黙って、こくりとひとつ頷いた。 孤高で人のことを気にかけない性格とばかり思っていたが、一概にそうとも言えないようだ。素直じゃないというか、ひねくれているというか。アイクは思わず口元を綻ばせる。 撫でていた手をふと、止める。 「そうだな、・・・あんたのことを考えていた」 「俺か?」 「あぁ。それ以上は・・・またの機会に、だな」 ずっとうつむいていたファルコが顔を上げる。やっと視線がぶつかる。 ――――展開は、彼が思っていたよりあまりに急すぎた。 あとどれほど想いを募らせればいいのだろう。あとどれほど胸の痛みを耐えればいいのだろう。いっそのこと、胸の奥底に閉じ込めて忘れ去りたいとすら思ったほどだったのに。 今日、それこそ急に、ここまでに至るとは到底考えが及ぶはずもない。 だからこれ以上を言うのは、躊躇われた。否、躊躇われるというより、その勇気がないと言ったほうが近いか。 アイクはファルコの額に、そっと唇を押し当てた。 「・・・!?」 目を大きく見開いて、ぴしりと固まるファルコ。 そんな彼をよそにアイクは先より幾分か軽いラグネルを持ち上げる。 「じゃあ、な」 これ以上追求されても困る、マントを翻し足早に控え室のドアを開けて、出て行った。ドアを閉める寸前、ファルコの戸惑った、焦ったような声が聞こえた。 「っ、待て・・・!」 しかしアイクの言葉は返ってこず、無情にもドアの閉まる音が静かに響く。 ひとり残されたファルコは、目を白黒させ真っ赤な顔で、そのくちづけの意味を必死に考えた。 あとがき。 → いつか、まざる |