いつか、まざる 胸がきしりと軋む。 どうしてだろう。何故か、金縛りにでも遭ったかのように顔が上がらない。体全体から嫌な汗が滲むのがわかる。そして、その汗の滲むところに視線を感じる。まっすぐで熱く、刺すような視線。毛が逆立ち、胸がきりきりと締め付けられる。 彼もこの世に生を受けて30年ほど経つ。その軋みがなにを示すか、大体察しはついていた。ただ本当にそれで合っているのか疑問であるのは、自分自身、己の気持ちを認めたくない節があるからだ。 ファルコは、愛用のブラスターの調整をしていたその手を止めた。 「・・・おい」 「・・・!」 どうしてもその胸のざわめきに耐えられず、ファルコは静寂を引き裂いた。 ――――ここは選手控え室。試合を数十分後に控え、出場選手たちが集まっていた。そこに居合わせていたのは、彼、ファルコにフォックス、マルス、そしてアイクだった。 これから始まる試合はチーム戦。ファルコ・フォックスチーム対マルス・アイクチームで試合が行われる。 「・・・そんなに俺が珍しいか」 自分で自分の声に驚く。思ったよりも鋭い声が出てしまった、言い終えてから少し後悔する。低く、ちくりちくりと棘の目立った声は、控え室にゆっくりと流れる静かな空気を引き裂いた。 どうしても、視線を感じる。ただただ一心に注がれるまなざしには耐えかねた。 そのまなざしのほうを見れば、視線の主アイクはなにやら考え込んでいるようであった。試合前の瞑想だろうか、はたまたただの考え事だろうか。彼自身に自覚はないのか、じっとこちらを見つめながら。 目線がかち合うのが怖くて、手元に目を落とす。 「・・・いや。少し考えごとをしていた」 「ふん。俺の知ったこっちゃねぇが、気が散る。むこう向け」 「ファルコ!」 彼の刺々しい言葉に、フォックスが制止の声を入れる。ファルコとアイクはあまり接点がなく、顔を合わせることも会話をすることもほとんどなかった。だから彼は気を使ったのだろう、ファルコは苦虫を噛み潰したような表情を作り、何の気なしにふと時計を見遣った。 ――――いつも、こうなんだ。気付いたときには相手を傷つけるだろう刺々しい言葉が口を突いて出ている。フォックスにもよく言われる、口が悪いと。それは言われずともわかりきっている。わかりきっていて、直せない。口の中で静かに、自分を嘲り笑った。 もともと重かった空気が、さらにずしりと重みを増す。 「いや、いいんだ。・・・悪かったな」 アイクはくるりと向きを変えた。 なんだか自分が悪いことをしてしまったようで、余計に心が苦しくなる。 「ファルコ、どうしておまえはいつもそうなんだ?」 「知るか」 「まったく・・・少しは相手のことも考えて・・・」 好きでやっているわけじゃない。 フォックスがなにやら懸命に説教しているのだが、どれも聞き飽きた。咎めの言葉は、ざるの目をすり抜けていく水のように通り過ぎていった。 はあ、というフォックスのため息に、マルスは声をひそめて苦笑した。 胸の痛みは、試合中に限って忘れられる。しかし一過性のようで、試合が終われば元に戻ってしまうようだ。ファルコはちいさくため息をついた。 ファルコ・フォックスチームはそのすばやい動きで相手を翻弄し、見事勝利をおさめた。 しかしアイクの調子がすこぶるよくないように見えて仕方がなかった。どこか上の空で、試合中ずっと心ここにあらずといったところだろうか、それはアイクをよく知らないファルコにもフォックスにもわかった。いつもならもっと豪快に大剣を振り回し、軽い敵なら一撃で吹っ飛ばしてしまうくらいであったのに。 マルスもそれを怪訝に思ったが、その理由を敢えて聞かないことにした。何も考えていなさそうな彼でも、彼なりに何か思う節があるのだろうと。悩みが深刻そうであれば、そのときに声をかければいい。乱闘を終えた控え室で、3人に挨拶をして部屋を出た。 「じゃあ、みんなお疲れ様。お先に」 「足を引っ張って・・・悪かった」 マルスとアイクのやりとりをそれとなく聞きながら、ファルコはベンチに腰を下ろした。 ブラスターを取り出して、膝の上に置く。試合前と同じように、彼はまたメンテナンスを始めた。先の戦いでそれほど酷使していない、むしろほとんど使っていないから、今手入れする必要は然程ないのだが、何故かここにもう少しいたくて意味もなくブラスターをいじる。 ファルコの横を、フォックスが通った。お疲れ、と声をかけて。それを横目で見送る。ドアの開く音が聞こえ、それから時間を置いて、閉まる音。ふう、と息をついて、はたと視界の隅を見遣る。アイクも彼と同じように、ベンチに腰を下ろし愛用の武器の面倒を見ていた。黙々と黄金の刀身を布で拭っている。 空気は、それほどまで重くない。しかし依然として沈黙であった。 接点の少ない彼と、せっかく二人だけになれたのだ。なにか話したい。しかしなにを話せばいいものか、頭がぐるぐると空回りするだけでそれらしい言葉が出てこない。 そうしているうちに、アイクが沈黙を破った。 「・・・さっきは、悪かったな」 「・・・別にもう気にしてねぇよ」 「そうか。・・・よかった」 あぁ、まただ。また冷たく返してしまった。こんなときどうすればいいのかまったくわからない。せっかく、彼のほうから口を開いてくれたのに。謝ってくれたのに。 そんなファルコに愛想を尽かしたのか、はたまたこれ以上は無駄だと諦めたのか、アイクは剣を支えにすっと立ち上がった。 なにか、なにか言わなければ。焦って、思わず声が漏れる。 「・・・っ、こっちこそ、」 「・・・?」 その声色はいかにも必死で。隠そうとしたものがすべて隠せていない、そんな声だった。 これではまるで、アイクを引き止めているようだ。否まさにその通りなのだが。 「・・・きつい物言いをして、・・・悪かった」 アイクに届くか届かないかというほど小さな声で、ぼそりと言った。言い終わって、なんだか自分が自分でないような気がして下を向く。顔に熱が集まってくるのがわかる。 どういった風の吹き回しだろうか。自分でもわからない。気付いたら、そう謝罪の言葉を述べていた。しかし少し考えるとその謝罪は正解であった。向こうが自らの非を認めて謝ってくれたのだから、こちらもそうするより他はない。とっさに出てきた言葉にしてはうまくいったように思う。よくやったと自分で自分を褒めた。 そんなことを思いながら、とくとくとうるさい心臓をどうにかなだめるべく、ファルコはまたブラスターをいじり始める。 「・・・!」 不意に、アイクの手が頭に載せられた。どきりと心臓が跳ねる。 いつの間に、こんな近くに。ずっと下を向いていたから気がつかなかったらしい。 載せられたその手は自分のそれと比べて無骨で、ごつごつしていて、あたたかい。 「お互い様、だな」 「・・・っ、・・・・・・」 顔が火照ってやまない。 やめろ、気安く触るな、その手をどかせ、・・・・・・ 否定の言葉が浮かんでは、消えていく。喉元まで出てきて、沈んでいく。その手を振り払いたいのに、腕が動かない。その手が撫でている間はどうにも自由に動けないようで。 気持ちいい。 このまま身を任せてしまえばどれだけ楽だろう。 「おっ、俺は子供じゃ・・・!」 最後のプライドの欠片が、やっと否定の言葉を紡いだ。 しかし、 「・・・嫌か?」 「・・・・・・・・・・・・」 それはもろくも崩れ去った。 嫌ではない。むしろ嬉しい。プライドが許さないだけで。 「仕方ねぇな、そんなに撫でたいなら撫でさせてやるよっ」 自分でもよくわからない台詞を口走ってしまった。アイクが笑いを含んだため息をつく。そのせいで余計恥ずかしくなった。相変わらず顔の熱が引かない。 なにがどうしてこんな状況になったのか、ファルコは思い返した。そういえば数十分前はぴりぴりしていたことを思い出し、それから、彼がなにやら考え事をしていたことも。 今まで気にならなかったのに、思い出してしまうと急に気になるものだ。 「・・・そういえばその、・・・考えごとって、何だ?」 「・・・あんたの言葉を借りるなら、あんたの知ったことじゃないさ」 「・・・・・・」 「気になるのか?」 そんなことも言ったような。ファルコは数十分前の自分を恨みつつ、アイクの言葉に頷く。 「そうだな、・・・あんたのことを考えていた」 「俺か?」 急に自分の話になり、思わず顔を上げた。その青い瞳と視線がぶつかる。 どうしてか鼓動が早く、大きく脈打っている。ともすれば胸を突き破り飛び出してしまいそうなほどに。彼に聞こえてしまうのではないか、そう思うとさらに心臓はばくばくと疾走している。 ――――もしかして。もしかすると。いや、それはいくらなんでも都合よすぎやしないか。 それを肯定するのかしないのか、アイクは言った。 「あぁ。それ以上は・・・またの機会に、だな」 急にアイクの顔が近くなったと思ったら、ファルコの額にその唇が押し当てられた。 「・・・!?」 頭の中がリセットされる。今までたらたらと考えていたことすべてが一瞬のうちに消し飛び、真っ白になる。しばらくの硬直時間を経て動き出した思考は、今の行動に込められた意図を探る。 そんな彼をよそに、アイクは壁に立てかけてあったラグネルを持ち上げる。マントを翻し足早に控え室のドアを開けて、出て行った。 「じゃあ、な」 「っ、待て・・・!」 しかしアイクの言葉は返ってこず、無情にもドアの閉まる音が静かに響く。 ひとり残されたファルコは、目を白黒させ真っ赤な顔で、そのくちづけの意味を必死に考えた。 あとがき。 → とけた氷は |