甘い屍


■-1

「そういやあさ」
 食事中、シーシアスが酒を呷った直後に口を開く。食堂での話である、軽い世間話だろうとして誰も食べる手は止めずに視線だけを寄越した。食事をしないユリシーズも同様だ。
「お前さん達、死んだら体はどうしてほしいかって決まってんのかね?」
 思ったより重い内容に今度こそ食べる手が止まるが、食事が不味くなりまではしないのは職業柄だろう。
「そういうシーシアスは決まってるのか?」
 悩ましい顔をしたジェイスンが問うと、シーシアスは一つ頷く。
「おうよ、迷惑はかけっけど。俺は海に流されてえな」
「お前らしいな」
 ハーキュリーズの言葉にシーシアスはわざとらしく胸を張った。シーシアスの恋人が海に住まう人魚である事を考えると納得いく願いであり、此処からは遠方の海まで運ぶ点で実現は難しく、だからこそ切実な願いなのだろう。そして願うのは自由だとも示していた。
「うーん……どっちにするか……」
 パーシアスの呟きにジェイスンが感心して告げる。
「どっちって事は、二つは決めてるんだ」
「ああ。海でもいいし、土でもいいし。あいつの思い出せるところに行きたいとは思う」
「いやはや、これも究極の選択ってもんだねえ」
 シーシアスも感心した様子だ。パーシアスの示す場所は友人の治める国だろう。不自由極まる文通を誠実に続けている仲は他も知るところだが、海については友人との内緒話に関する内容なので明確に言及せずにおいた。
「アキリーズはどうなんだ?」
 パーシアスから振られ、少し考えてからアキリーズは普段の何ともない調子で答える。
「体が残るかどうか解らないけれど、まず炭の欠片になるまで焼いてほしいかな」
 アキリーズの体が人間であれば残るのだろうが、堕天使の作ったものとなると残るかさえ大いなる謎である。
「炭? しかも欠片?」
 なかなかの火力を必要とするその先が見えず、パーシアスが尋ねてジェイスンも首を捻るが、納得した表情のシーシアスとハーキュリーズは感付いているようだ。
「単に食べやすいかなって」
 言いながら傍らのユリシーズに微笑む。ユリシーズの体内に未だアキリーズの右眼球が揺蕩っている事実からすると、納得するしかない願望だった。ユリシーズも言葉に締まりの無い喜びを見せる。
「そしたら、えへへ、ずっといっしょだね」
 二人の望みは叶うのか、死んで尚も意地で叶えそうだと他四人は思う。
「そうなるとユリシーズこそどうなんだ? 精霊は死んだら水や元素になるし」
 パーシアスの問いにユリシーズは、尋ねられる理由が解らない不思議そうな顔をして答えた。
「世界になって、それでいっしょ」
「流石、スケールでけえなあ」
 シーシアスの感想は、ユリシーズが世界の主導権を手にする気でもいると解ってのものだ。
「残り二人も、僕達と似たような仕組みなのかな」
 アキリーズに指名されたハーキュリーズとジェイスンは顔を見合わせ、まずジェイスンが口を開いた。
「そうかも。アキリーズと同じで、俺もどうなるかは解んないな。でも、残ったらどうしてほしいか考えた事無かったな……」
「それじゃあ、追々考える形だね」
 悪魔と精霊の融合体であるジェイスンは、仮に精霊寄りであれば体は残らず、悪魔寄りであればどうなるかさえ解らない。悪魔を討伐した事はあるが、死体が残るものとそうでないものに分かれていたのだ。
「ううん……。ハーキュリーズは?」
 悩みを引き摺りつつジェイスンがハーキュリーズへ話を振ると、ハーキュリーズは平然と告げた。
「私は死ねば灰になるからな」
「そうなのか!?」
 立ち上がらんばかりの勢いでジェイスンは驚いたが、小さく謝って続きを促す。
「流れた血も長時間放っておけば灰になるしな。死後の処理も何もありはしないだろう」
「その灰を袋にでも詰められたら、どうされたいのかな?」
 アキリーズの問いかけにハーキュリーズは首を横に振る。
「非常に細かい灰だ、麻袋程度では容易く通り抜けるぞ」
 意味に気付いたのは果たしてどれ程だったのか。



 血で汚れた眼球は確かにこちらを捉えながら、徐々に濁っていく。
 名も無き己を見る名も無き者は、真に何を望み、何を言いたかったのだろうか。言語の知識を与えられなかったばかりに呪詛の吐き方一つ知らない。
「死ぬな……」
 掠れた声の懇願さえ届かず、やがて肉が崩れ始める。血肉だったものは灰となり、石造りの床と埃に混じって解らなくなるだろう。
 烏合の衆であろうが、孤独のもたらす絶望感からは救ってくれた。しかし最近は数が減る一方であり、忍び寄る絶望は濃度を増している。これ以上絶望を足されてしまえば、いよいよ自我は保てそうになかった。



 誰かが起きる物音を二種類聞いてから、シーシアスは静かに身を起こした。ちらりと見遣ったパーシアスは熟睡しているようで、朝まで目を覚まさないだろう。小さく息をついてから窓へ目線を移そうとした瞬間に声がかかる。
「そう心配しなくてもいいんじゃないかな」
 若干驚いて声の方向を見れば、ユリシーズの翼に包まった侭横たわるアキリーズがいるが、表情は隠れて見えない。
「あー……。知らねえやつでもやっぱ気付くよな、あれっぽっちで、色々と」
「とても細かい灰を見た経緯はさておいて、ね」
 これまで、ハーキュリーズの出血が灰に変わる瞬間を見た事は無い。生きていれば血が灰に変わるまではかなりの時間を要するのだろう。そして灰が袋から漏れる事実も、恐らくハーキュリーズの経験から来るものだ。
「奴さん、昔からあんまし夢見が宜しい時がねえんでね。最近は落ち着いてたもんだがなあ」
 まだ三人パーティだった頃、眠る度に魘されて怯えるハーキュリーズを宥める中で悟り、真にハーキュリーズを支えられる存在を求めていた。シーシアスとパーシアスでは、ハーキュリーズの中にある二人への恩義が何処か遠慮を呼び、頼りはしても凭れてはくれなかったのだ。
 アキリーズの手がユリシーズの頭を撫でる。睡眠が不要なユリシーズは全てに気付いていたのだろうが、介入するのはアキリーズが止めたのだろう。
「ジェイスンに任せていいのかい?」
 手厳しい指摘の含まれた言葉がシーシアスの胸中を幾許かつついた。
「はっは、なかなか意地悪だねえアキリーズ」
 シーシアスの苦笑いは己に対してのものだ。溜め息の後に言葉を続ける。
「ねえもんはねえって認めるしかねえ。ハーキュリーズが望むんなら尚更だ」
 ただ単純に支えたいと願ったからこそ、不可能を見せ付けられれば多少なりとも己の力不足への嘆きは抑えられない。その種の嘆きは封じておくほうが良いともシーシアスは知っており、アキリーズに見透かされた。
「くく、こういうのを小舅というのかな」
「意地悪くありゃあしませんぜ」
 シーシアスは軽く笑い、今度こそ窓の外へ目を遣ると決定的な言葉を零した。
「一丁頼むぜ、ジェイスン少年よ」



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