冷たさの奥にいる


■-1

 引き絞った唇を遂に開いた時、胸中で崩れる音を聞いた。
「なあ」
 歩きながらの声には明らかな強張りがあり、ジェイスンは思わず足を止める。自由時間を街で気侭に過ごす時、今ではいつもハーキュリーズと行動を共にしているが、此処まで緊張した声音を聞いた事は無かった。
「うん?」
 しかし努めて穏やかに返事をすると、ハーキュリーズは目を逸らしこそしているが、ジェイスンの服の裾を掴んで告げる。
「人気の無い場所に行きたい」
 ただならぬ雰囲気と同時に抑え込んだ強い感情が見えて、ジェイスンは頷くとハーキュリーズの手を引いた。少々治安は悪くなるが、路地へと入る。繁華街の雑踏が遠くなり、昼間の今でさえ薄暗くなるまで進むと辺りは貧民街の景色に様変わりした。
 影の中で足を止め、ジェイスンはハーキュリーズへ向き直る。此処ならばどのような話を聞かれたとて無意味になるだろうと考えての事だ。
「ジェイスン」
 改めて呼んだ後に、ハーキュリーズは震えた息をついた。単純に体調が悪い訳ではないのだと気付くと、意味するところが垣間見えてしまう。
「待って」
 思わずハーキュリーズを止めた。先を言わせるのも止めてしまうのも酷なのだとは解っている。だからこそ、代弁するしかない。
「つらい、のか」
「……ああ」
 僅かに差し込む光がハーキュリーズの瞳に切望を揺らしている。揺れ動いた所為で感情が檻から零れてしまう。
「偶に、どうしようもなくなる」
 両性具有の体は男女片方よりも衝動に襲われやすいようだ。普遍的に自己処理していたのだろうが、感情と混ざり合った衝動は抑えられないものとなってハーキュリーズを苛んでいた。
 ジェイスンはハーキュリーズへ腕を伸ばす。何の抵抗もせずに腕の中へ収まるハーキュリーズへの想いは、いっそ耐え難い。
「怖い思い、させるかもって、俺も怖かった」
 ハーキュリーズの過去の体験を今度は己が手で繰り返す、その愚行だけはと考える一方で、ジェイスン自身が欲している事を認めるしかない。どれ程嘆き悩もうとも止まりはしなかった。
「お前はいいのか? 私はもう、壊れているんだぞ」
 数々の実験の結果、子を成せなくなったハーキュリーズは一般的にはどう映るのだろうか。哀れな傷物とされるか、男の部分にだけ価値を見出されるか、どちらにせよ女の部分は最早無意味とされるだろう。
「そんな事言ったら、俺も結構怪しいもんだけど」
 悪魔と精霊の融合体であるジェイスンもまた、本当に男の機能が備わっているか疑問ではある。その点においては引け目に似たものを感じていた。
「それに……本当にハーキュリーズは、その、そっちでいいのか?」
 言葉に驚きの声を出しかけ、ハーキュリーズは顔を上げる。
「お前はどうなんだ」
 男として生きてきたジェイスンにとって苦痛ではないのだろうか。問われたジェイスンは一瞬茫然として、次にはしおらしくさえなった。
「えっと……別に嫌じゃ、ない……」
 言葉尻は弱々しくも確かだ。いつの間にかジェイスンを恥じらわせる形になっており、ハーキュリーズは苦笑するしかない。
「済まない。意地の悪い事を訊いた」
 恐らく赤くなっているだろうジェイスンの頬に触れてみると案の定熱くなっていた。ハーキュリーズは宥めるように撫でてから手を離し、ジェイスンの肩口へ顔をうずめる。
 組み敷かれる事には少なからず自尊心が関わるだろうが、それを身に受けても良いと素直に言われてしまってはハーキュリーズとて驚き、想いの深さに溺れるしかない。そして応えたいと願うのもまた同じ心から来るものだ。
「私が選んだのだから、心配するな」
「うん……」
 最後に小さく絡まっていたものがほどけた後には、膨らみ続ける望みだけがあった。



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