あとは羽虫となれば良し
■-2
各々が宛がわれた寝台に座り、ジェイスンは身を縮こまらせて二人を交互に見る。やがてパーシアスがシーシアスに軽く手を挙げて合図し、その侭口を開いた。
「単刀直入に訊いたほうが良さそうだな」
ジェイスンが緊張に生唾を呑む。普段ならばシーシアス辺りが茶化すのだろうが、今はそれも無くパーシアスの言葉が続いた。
「ハーキュリーズと事に及んだ時、おかしなところは無かったか?」
話題は薄々予想していたが問いは全くの予想外であり、ジェイスンは恥じらいも忘れて訊き返す。
「おかしな、って……?」
「何でもいい。怖がったとか、逃げ出しそうになったとか」
「ううん……、ちょっと怖がってたとは思うけど、おかしいっていうのは無かったかな……」
思い出す程にジェイスンの顔が赤くなり、同時にその程度だと物語る。その様子にパーシアスがシーシアスへ目を遣ると、シーシアスが悩ましげに唸って口を開いた。
「んー……、まあなんだ、ちょいと昔話すっかね。けどその前に」
ただ事ではないと察知し、ジェイスンは居住まいを正して真っ直ぐにシーシアスを見る。
「お前さんは、ハーキュリーズの過去をどんくらい知ってんだね?」
「大体知ってると思う。研究所と見世物屋で、凄く酷い目に遭ったって聞いたよ。魘されて暴れてた時期もあったって」
「そりゃ話が早えな。昔話ってえのはその魘されてた時、俺らがハーキュリーズを見世物屋から買い取った辺りの事だ」
研究所から見世物屋へ売り飛ばされ、それまで尊厳を全く守られてこなかったハーキュリーズが初めて人として歩み始めた頃、まだその過去はハーキュリーズを襲い続けていたと聞いたが、襲われていたのは当人だけではなかったようだ。
本来ならば本人の了承無く話す内容ではあるまいとは、この場の全員が解っているだろう。それでも話すのは互いの、そしてジェイスンとハーキュリーズとの信頼関係による。
「毎回、死にたくない、孕みたくないって暴れてな。俺達を引っ掻きまくったもんさ。俺達がこうして五体満足なのは、そんだけ余裕が無かったんだろうよ。宿のやつらからも暫くは煙たがられて、人間不信も相当なもんだった」
劇毒の爪をいつ出されてもおかしくない状況に加えて、同宿の者から狂人としての扱いを受け、三人の肩身は狭いものだったのだろう。それでもハーキュリーズを見捨てなかったのは、二人の責任感や義理堅さによるのだと想像するのも容易かった。
パーシアスが疲労と安堵の混じる溜め息をついて述べる。
「トラウマは大抵が完治しなくて、本人がそれと付き合っていくしかないからな。こんな事は話すのも野暮だろうけれど、その方面は特に心配だったんだ。けれど何も無かったなら、正直ほっとした」
知識については医療の心得から来るものだろう。延々と痛み続ける心的外傷と付き合う難しさを承知しているからこそ、ハーキュリーズへの不安も増したのかもしれない。
ジェイスンは二人の抱え続けた不安を思いながら、目を逸らさずに口を開いた。
「俺、今までハーキュリーズの事だけ考えてた。でもハーキュリーズは、たった一人じゃないって解ったよ。こうやって心配してくれる人達がいるんだって、その人達にも応えられないとハーキュリーズがつらい思いするんだって、やっと解った」
ジェイスンの手が膝の上で決意に固められる。この頼り無い手でも、繋ぐと決めたのだ。
「だから、俺は二人の気持ちも大切にしたい。そのほうが多分、ハーキュリーズも嬉しいかなって思うんだ」
ジェイスンの言葉にシーシアスはばつが悪そうに頭を掻く。
「お前さんにゃ勝てねえわなあ」
「本当にな」
パーシアスも笑い混じりに続けた。二人の言葉には微かだが無念が滲んでおり、当時からハーキュリーズを大切にし、且つ尊重している事が窺える。
シーシアスが払うように片手を軽く振った。
「俺達は、あとは小煩い羽虫にでもなれんなら充分だ。そんくらいお前さん達には強くなってもらわねえと困るってもんよ」
尊重の上でのこの言葉は、一種の別れのものなのだろう。其処には苦しみも含まれているが、乗り越えねばならないと決断したものだ。強い覚悟を受け、ジェイスンは頷いて応える。
「うん。負けないようにするよ」
「俺からも、どうか頼む」
頭を軽く下げたパーシアスの短い言葉も確かな願いであり、期待を寄せても良いと判断する程にジェイスンを信頼している事がありありと伝わった。その心に応え、ジェイスンは敢えて頭を上げさせずに一つ力強く頷く。
「誰も悲しまないでいいようにする。絶対に」
時には力及ばず嘆きたくなるかもしれない。しかし、嘆いている暇はもう無かった。
三人で一階への階段を下りると、こちらに気付いたアキリーズが軽く手を振る。ハーキュリーズもつられて目を向け、安堵したような顔を見せた。
酒を飲み直そうと三人がカウンターへ注文してから席に着いたところで、アキリーズが口を開く。
「無事に終わったのかな?」
「ああ、何事も無く」
パーシアスの返答にユリシーズが首を傾げた。
「警戒が、もう無い、のに、無かったの?」
確かに張り詰めていた空気は無くなっており、ユリシーズの言葉は一理あるとシーシアスは笑う。
「成る程なあ。こりゃやっぱでけえ事かもしんねえわな、ははは」
言い終わりに運ばれてきた酒を手に取り、一気に呷る姿は上機嫌なものだった。その様子にハーキュリーズが呆れて小さく笑う。
「やっといつもの調子になったな」
「お陰様でな」
応えたパーシアスが珍しく笑顔を見せた。余程安心したようだ。
ふとジェイスンは酒を飲むのを止めて、寛ぐ面々をじっと見遣る。其処にハーキュリーズが言葉を投げかけた。
「どうした?」
「やっぱりこうじゃないとなあって」
言葉には馴染みが込められており、前まで一人でいたジェイスンも今やこの場に安心を感じているのだと知る。
「そうだな」
向けられたハーキュリーズの嬉しそうな微笑みにジェイスンの胸中が騒がしく跳ねた。
時は楽しく過ぎてゆき、それこそが貴重なのだろう。そう知る事が出来るのもまた、掴み取ったものの一つだった。
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