いつか幻でさえ


■-1

 どうして女というものはこの手の話題に耳が早いのか。そしてずかずかと心に上がり込んでくるのか。ハーキュリーズは疲れを隠さずに溜め息をついたが、囲んでいる女達は全く気にしていない様子だった。
 高速に変わる話に呑まれて溺れかけているハーキュリーズへまたも質問が浴びせられる。
「もし着るんだったら、何色がいいの?」
 そんな事はまず金銭的に不可能であり、両性具有であるハーキュリーズがそれを着ていいのかは疑問だが、ふと気になった点を気付けば尋ねていた。
「白以外にあるのか?」
 聞けば最近は様々な色も増えたらしい。そして明確に意味を持つ色を知り、知ってしまえばあとは悩むだけだった。



 風が落ち葉を運ぶさまを目の端に捉える。『朽葉通り』と名の付く道に相応しいと考えるのは余裕からだろうか。此処のところ引き受けた仕事自体は比較的穏やかなものであり、身体的な負担は然程かかっていなかった。
 考えを巡らせ、ふとハーキュリーズは傍らを歩くジェイスンを見る。
 以前はこの通りをパーティ全員で歩いたが、今回は二人での買い出しだ。魔力の篭もったアンティーク店に新商品が入荷したとの噂を聞き、前に訪れた事もあり大荷物にはなるまいとの結論から駆り出された形である。しかし、特にハーキュリーズの小舅と自覚のある二名の事を考えると、ジェイスンと二人きりで過ごす時間を作ってくれたのだろうと想像するのは容易だった。事実ジェイスンも鈍感ではなく、表情には僅かな緊張が見える。逐一感情を揺さぶられているジェイスンの姿に思わず笑みが零れ、ハーキュリーズは己もまた感情が大いに刺激されている事を知った。
 やがて辿り着いた目的の店は相変わらず静かに、しかし確かな存在感を持っていた。多少身構えてしまうのは篭もる魔力の所為だけではないのだろう。そっと吹いた冷たい風がやまない内に入り口のドアノブを掴んで引くと、ドアベルが奥深い音を鳴らした。
 入るだけの行為に慎重になりながら足を踏み入れると、やはり店内に人の姿は無い。その代わり何かの気配に満ちており、誰かが見ている感覚さえある。もし品物を盗む事があれば何かしらの報いを受けるかもしれない、やけに明瞭な想像が出来てしまうのは不思議だが納得してしまう点だった。
「新商品かあ……」
 ジェイスンは呟きながら商品を探そうとして、店内に入ってから足を止めているハーキュリーズに気付く。
「ハーキュリーズ?」
 呼ばれてハーキュリーズはジェイスンへ顔を向けたが、表情は上の空だった。
「何か、聞こえないか」
「え? いや、何も……」
 ジェイスンの言葉も終わらない内にハーキュリーズは店の奥へと進む。ジェイスンは一瞬呆気に取られてしまったが、ハーキュリーズの背中が商品の森に隠れてしまわない内に後を追った。
 いつの間にか古時計の音と早鐘を打つ胸が重なる。不安が首筋まで這い上がり、奥にあった扉の前で佇むハーキュリーズに追い付いた時には恐ろしささえあった。
「ハーキュリーズ……?」
 黙った侭のハーキュリーズの手がドアノブを掴む。扉の横に設置された札を見ると保管室とあり、取扱注意品が収められている部屋だと知った。開かれた部屋へ無遠慮に入るハーキュリーズを追って入ると、薄暗いが埃っぽさはまるで無く、却って不気味だった。
 迷い無く進んでいたハーキュリーズが立ち止まり、じっと見詰める先のものにジェイスンは驚くしかなかった。添えられたキャプションも読まずにハーキュリーズの背後からそれを見る。
 薄暗い中でも解る、黒地に金の刺繍が施された荘厳なヴェールがただ其処にある。それだけだが、ジェイスンは幻を見てしまう。ざわつくものは誰の為なのだろうか。
「それ、欲しいのか?」
 気付けばハーキュリーズへ声をかけていた。少々値は張るが、買えないものではない。
「欲しい、かもしれない」
「かも」
 不明瞭さがハーキュリーズらしからぬもので、ジェイスンはつい復唱する。
「呼ばれている気がした」
 魔力の満ちる空間と、魔法生物であるハーキュリーズだからこそ起きた現象なのだろうか。物から選ばれたという不気味とも取れる事象に、ハーキュリーズ本人でさえ気圧されているような様子だった。
 ジェイスンは説明の付かない出来事に困り果て、説明を求めて添えられたキャプションに目を遣る。
「……一応、役には立つみたい、だけど」
 隠蔽の力をもたらすらしく、ヴェールで覆ってしまえば誰にも気付かれないものとなるようだ。隠密行動には向いている。
「それじゃないと駄目なのか? 二階に白いのもあったけど……」
 ジェイスンが指すものは、レースで飾られたものと金の刺繍が施されたものの二種類だ。どちらも白いヴェールである。
 ハーキュリーズは小さく首を横に振り、黒のヴェールに触れた。
「呼んでいるのはこれだけだ」
 ハーキュリーズは購入を決めて個人の財布を取り出したが、ジェイスンに手で制止される。
「俺が買うよ」
「いいのか?」
「買う」
 語調に篭もる力の理由が解らず、代金をサイドテーブルに置くジェイスンの傍らでハーキュリーズは首を傾げた。



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