影日和の願い


■-1

 差し出された黒い石に触れる。途端に石は発光し、己の命の記録を始めた。記録には特に感覚も無いが、ただ淋しさが込み上げる。これが今生の別れとなるのだと、光がいやに語っている気がした。
 光が収まり、手を離す。
「ごめんなさい、我儘を言って」
 差し出していた手を引いて、石を見詰めながら零れた言葉は歪み、その弱々しさはかんばせへも及ぶ。せめて慰めてやりたかったが、生憎と方法が無かった。
 石は魔力で作られた使い魔である。鳥や魚に姿を変え、嵐にも負けず進み、内包した単なる手紙を届けるのだ。命の記憶を道標に進むそれは、記憶した命の尽きた時に止まり、現実を教えるのだという。恐ろしいと思うのは、現実を突き付けられた瞬間を考えてのものだ。
「我儘を言えるようになったな」
 頭を撫でてやり、慰められない代わりに成長を褒める。僅かな時の中で人としての自我を育んだ結果は、ともすると滅亡への第一歩なのかもしれない。それでも交流をやめなかったのは、泣きながら積み上げられた栄光への嫌気もあったが、単純に互いが寂しいと感じたからだ。
「どうか」
 願いは幾重にも絡まり合う葛藤の末に出来ている。相手を尊重するからこそ、頼りない一本を掴むしか出来なかった。
「自由でいて」
 これが三年前の出来事である。



 冬の寒さが堪える深夜、一週間振りに宿の部屋へ戻った時、閉まった窓からつつくような音がした。始めに部屋へ入ったアキリーズがその正体を察し、少し引き返して後方にいたパーシアスを手招きする。アキリーズの仕草を見るとパーシアスは頷き、表情こそ変わらなかったが足早に部屋へと入った。
 他の四人も入ったところで扉を閉める。各々が旅の片付けをしながら、窓へ歩み寄るパーシアスを横目で見ていた。パーシアスが雨戸を徐に開けると、黒い鳥が羽ばたきもせず宙に浮いていた。奇妙な光景には夜の闇でまず気付かれまい。
 両手を差し出すと鳥は中へ丁度収まり、急速に黒を縮める。やがて黒は小箱に取り付けられた小さな石になり、待機状態となった。
 雨戸を閉め、宛がわれた寝台に腰を下ろして小箱を開ける。予想通り手紙があった。
「最近、増えたな」
 片付けを終えようとしているハーキュリーズの言葉には微かな不安が滲んでいる。この場の者だけが手紙の訳を知っているからこそ、ただ事とは思えなかった。
 パーシアスは一枚目の手紙へ目を通し、眉根を寄せながら応える。
「これは……悩み、かもしれない」
 いつになく暗い声だった。シーシアスが己の得物である刀を手入れしながら予想を述べる。
「明確に解らねえって事は、そもそも明確に書かれてねえのかね」
「ああ。今まで隠し事も無さそうだったから……」
 その事実を聞いて、片付けの少なかったユリシーズがアキリーズの傍らで寝そべりながら口を開いた。
「隠す訳、おまえじゃ、ないの?」
「えっ」
 パーシアスの表情に驚きが広がる。其処へアキリーズの補足が飛んできた。
「悩みの元が君なら、君本人に明確には言えないんじゃないかな」
「そう、か……、そうなのかもな……」
 何か悩ませる事をしてしまったのか、己に失態が無かったか、パーシアスは記憶を漁るが特に心当たりが無く、重い呻きを漏らすしかない。
「あのさ」
 ジェイスンがそっと声を上げる。パーシアスにつられたのか、表情は沈んだものだ。
「パーシアスに隠したいんだったら、俺達が聞いてもいいんじゃないか?」
 文通相手との面識は無いが、言葉を交わし幸運を願い合う関係ではある。そして事態に巻き込まれると思う五人でもない。パーシアスとて五人は今や気の置けない人物であり、それは自身だけではないとも理解していた。
「どう、だろうか……」
 迷いが生じる。仮説段階だが自身が原因だとは思わず、動揺しているのだと自覚するしかない。自身に充分な力があるとは考えていなかったが、いざ力不足を突き付けられると己には弱さしかなく、無様だと認めざるを得なかった。
 思考の靄をその侭に二枚目の手紙を読み進める。やはり明確な悩みの正体は無かったが、一文に息を呑んだ。パーシアスの表情が驚愕に固まったのを見て五人は怪訝な顔をするが、決して手紙を覗き込みはしない。
「どうした」
 ハーキュリーズの問いにはかなり遅れて答えがあった。
「もしも近くに来たら、時間をくれって……」
 言葉にジェイスンは表情を明るくさせる。
「それって、会えるって事か!?」
「解らない……。けれど場所の指定もあるし、もしかしたら、するかもしれない」
 手紙を見詰めるパーシアスの声には僅かな震えさえあり、いつになく高揚しているのだと如実に語った。
「そういえば帰ってきた時、近くまでの依頼があったような気がするけれど」
 宿に入る依頼の張り紙群を思い出しながらアキリーズが呟くと、パーシアスは弾かれたように顔を上げた。
「明日朝一で確認してくる。無理そうじゃなかったら受けていいか?」
 五人は顔を見合わせてから頷く。
「仕事もやる気が出るってもんよ」
 意気揚々としたシーシアスへハーキュリーズが笑いを零した。
「心証に関わるぞ、と言いたいところだが、同感だな」
「終わるなら、いいの?」
 首を傾げるユリシーズの頭を撫でながらアキリーズが微笑む。
「究極はそうだね」
「あはは、そうじゃないといけないからなあ」
 ジェイスンの言葉は二重の意味だ。
「有り難う。絶対にあの場所に行こう」
 各々の言葉にパーシアスは温かさを感じながら、珍しく笑顔を浮かべた。



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