影日和の願い
■-3
僅かに揺れる影を囲み、光の中で腰を落ち着ける。字の読めないユリシーズにも伝える為、パーシアスが読み上げながらの会話だった。
ハーキュリーズが影をまじまじと見ながら尋ねる。
「この影は本体と繋がっているのか?」
『今はまだ。戻った時に全てを伝えるよ』
答えにジェイスンが感心しかけてから心配を零した。
「へええ……って、じゃあ今本体のほうは会えてるって知らないのか」
『うん。きっとやきもきしてるだろうね』
文字が一旦解け、別の文字となる。
『だから、沢山思い出を持って帰らないと』
「そっか……、そうだよな!」
影は肩を揺らし、恐らく笑っているのだろう。次はシーシアスが尋ねた。
「そういやあさ、俺らの事は何処まで伝わってんのかね? 自己紹介でもすっかね」
『殆ど知らないかも。それに、私も自己紹介しないとだね』
「おっと、そっか。そんじゃ一番槍といこうかねえ」
シーシアスに続いて各々が名と軽い情報で自己紹介する。終わったところでシーシアスが一通りを見守っていたパーシアスを話題に上げた。
「んで、最近パーシアスはツチノコの世話してんだわ」
『伝承の? またどうして』
ハーキュリーズが影の知識に感心し、笑いを含んで告げる。
「ふれ合っている内に懐かれたんだったな」
『パーシアスらしいなあ』
「お前までそう言うのか」
パーシアスの反応へ楽しげに揺れる影を見ながら、ユリシーズが言葉を零した。
「おまえ、だからこいつが、大切なんだろう?」
影は一瞬迷うように動きを止め、次には素早く文字を綴る。
『パーシアスに、私は甘えているのかもしれない』
影はよく見れば俯いていた。文章が続く。
『だから、本当はいけないのかも』
「おやめよ」
アキリーズが影の言葉を遮るように言葉を投げかけ、小さく首を横に振る。
「そうだね……。パーシアス、少し席を外しておくれ」
「ああ、解った」
アキリーズへ素直に従ったのは、手紙の内容を思い出しての事だ。一旦場を離れるパーシアスの背中を、影がじっと見詰めていたのを五人は見逃さなかった。
長く待ち、気付けば随分と時間が経っていた。日はそろそろ赤みを帯び始め、昼食も取らずにいる腹はかなり寂しさを訴えている。
これで手紙にあった悩みは解決するのだろうか。そもそも悩みの正体は何なのか。そして何故、あのような言葉が出てきたのだろうか。
逡巡するものは苦しいが、決して放り出したくはない。相手を思えば思う程に出来なかった。
ふと風が吹く。振り返るとユリシーズがいた。
「呼びに、来た、呼んでる」
「有り難う」
短い受け答えだったが、深くを言わない事にも感謝する。己の全てで確かめたかった。
歩を進め、あの場所へと向かう。光はまだ差し込んでいたが、徐々に暗闇が迫っていた。影を見るのも限界の時間だろう。
影だけが其処に座り込んでいる。パーシアスは隣に腰を下ろし、何と言葉をかけたものか悩んでしまった。其処に文字が現れる。
『ごめんなさい、みんなに、あなたに心配をかけて』
影は膝を抱え、身を丸めた。よく見た姿だった。
「いや。お前が一人で悩んでいたのに比べたら、何て事無いさ」
影は動かない。
「驚きはしたけれど、お前がちゃんと何かを悩めるようになって、安心もしたな」
すると緩々と文章が綴られ始める。線は僅かに歪んでいた。
『私は、あなたが大切で』
線の先が迷いに止まる。だが、後押しを受けて続きがあった。
『だけどこれは、あなたに迷惑がかかるかもしれない』
言葉にパーシアスは衝撃を受け、出かかる声を寸でのところで呑み込む。
『そう考えただけで、怖くて堪らなかった』
文字はすぐに消え去ってしまい、限界を訴えていた。
パーシアスは思わず作っていた拳を解き、影に手を伸ばす。触れた感覚は返らなかったが、触れるように手を動かし、その頭を撫でた。
「有り難う」
思いの奔流から、少しずつ言葉を掬い上げていく。
「お前に何も出来ない俺を、そう思ってくれる事はとても嬉しい」
影がかぶりを振る。何も出来ない訳が無いと言いたいのだろう。パーシアスは思いを汲み取り、微笑む。
「俺もお前が大切なんだ。お前は俺を認めてくれて、尊重してくれた……本当はつらかったのにな。お前が俺に甘えているなら、俺だってお前に甘えているんだ」
言葉の途中から、影の肩はしゃくり上げていた。
「だから……」
言いかけて気付く。日が沈もうとしており、影が闇へ呑まれようとしている。
『もう』
その一言も視認しづらい。
パーシアスは語調を強め言い放つ。それは誓いだった。
「さよならなんていらないんだ!」
影が形を崩していく。輪郭も保持出来なくなったようだ。
「またな! 必ず!」
影は最後に大きく揺れ、闇へ溶けた。
「パーシアス、おい、パーシアス」
ハーキュリーズの呼び声で意識が現に戻ったのだと気付く。あの後はまた近くの宿へ戻り、明朝早くに国を発つ予定だった。
パーシアスは上体を起こし、茫然と視線を落とす。力無い己の腕があるだけだ。
「何か魘されていた、が……」
ハーキュリーズの言葉が眼前の光景に止まり、何事かと振り返った四人も言葉無く固まる。
初めて見るパーシアスの涙は、止め処無く溢れていた。
ハーキュリーズの目配せに応えて五人は部屋を出る。残されたパーシアスはやがて嗚咽を抑えられなくなり、両手は拳を作った。己には拳を作る力程度しか無い。
これはある種の甘美な呪いなのだろう。脆弱な自身は永遠を縛り付け、永劫苦しめるしか方法を知らない。残酷極まるものを、受け入れるしか出来ない相手を解って事を為す己の愚行は、最早暴虐でしかなかった。
「セリスレイ……」
思いに反し、歯噛みさえ無様だった。
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