呼び声の作法


■-2

 それなりに貴重である紙を使っている以上、書籍も冒険者にとっては多少値の張る品物である。仕事帰りにパーシアスは一人で寄り道し、書店で様々な表紙を隅々まで見てみるが、どの本が目的に適しているのかまでは読み取れない。立ち読みをしない理由は、壁に貼られている仰々しい字体の注意書きに込められた店主の怒りが恐ろしい事に尽きる。
「――其処のお兄さん」
 呼ばれて横を向くと、まさに店主が側に立っていた。鳥の羽根を束ねたはたきを肩に凭せかけている。
「済みません、なかなか決まらなくて」
 悩むあまり長居してしまったらしく、パーシアスは慌てて頭を軽く下げた。だが店主の顔に険しいものは無い。
「そうだろうと思ってね。どういった本をお探しだい」
「ええと、名付けのこつが載っているものを、特に動物向けの」
「ふむ、では」
 パーシアスの要望を聞くと、店主は迷い無く一冊を手に取り差し出す。
「これがいいだろう。特集が組まれていて、そのページも多いよ」
 話を聞きながら横目で値段を見ると、予算以内の数字が確認出来た。
「それじゃあ、これにします」
「まいどあり。いい名前になるといいねえ」
 代金を渡しながら、どういった動物かを問わなかった店主へ密かに感謝した。



 宿へ帰り着き、片付けと明日への備えをしたところで夕食の為に階下の食堂へ向かう。やがて到着した食事をパーシアスは本を読みながら食べ進めていた。
「夢中になる程のいい案はあったかい?」
 アキリーズの声で気付けば食べる手が止まっており、パーシアスは漸く硬パンを手に取りながら答えた。
「ああ、幾つか例はあった」
「ほー、どんなんがあるんだね?」
 シーシアスの問いにパーシアスはまた本へ目を戻す。
「まず、鳴き声からっていうのがあるらしい」
「あー、犬だとワン、だからワンダ、みてえな?」
 笑いながら例を出したシーシアスへパーシアスは頷くが、あまり気乗りしないのか悩ましい表情はその侭だ。
「それだと何だか、しっくり来るものが浮かびにくいというか……」
「ちー、という響きではないのだな。他の案はどうだ?」
 ハーキュリーズに尋ねられ、パーシアスは一つ頷く。
「見た目からっていうのもあって、ツチノコの名前の由来にも繋がるな」
 布を叩く槌に似ているのでツチノコと名付けられたらしいとシーシアスから聞いていたが、其処から一部を取るにしてもやはり何か違うらしい。
「違うって、どんな感じに?」
 ジェイスンの言葉にパーシアスは悩ましげに唸る。
「何となくだけど、その侭っていうのが引っかかるんだろうか……」
 それを聞いてユリシーズが首を傾げた。
「その侭だったら駄目、なら、その侭じゃなかったら、いいの?」
「その侭じゃない、って?」
 パーシアスへユリシーズは乏しい語彙を振り絞りながら答える。
「えっと、使う言葉は沢山あって、だから同じ言葉が別の幾つになるんだよね?」
 同じ意味を持つ言葉が複数ある、つまり他言語と言いたいのだろう。
「他の言語か……確かにそうだな。有り難う、いいヒントになった」
 礼の言葉に不思議そうな表情でいるユリシーズの頭を、アキリーズは小さく笑いながら撫でた。



 後日、パーシアスは言語の本を漁る。言語学であれば図書館の蔵書が頼りになり、直接本を購入するよりは安価に済ませられた。仕事の合間を縫い、方言から古代語まで様々な言語を求め、彷徨うようにページを進めていく。やがて辿り着いた一つを練る段階になった頃には二週間が経過していた。
 今日の仕事を終え、部屋で仲間が寛ぐ中でパーシアスは今日も一人思案を巡らせていたが、遂に決心の篭もった声が漏れる。
「よし……、よし」
「どしたよ……いや、そりゃまさか」
 察するシーシアスへパーシアスは頷いて応える。表情には何処か緊張があった。
「ああ、ツチノコの名前が決まった」
 言葉に他の四人の目も向く。パーシアスは定位置である寝台下の箱にいるツチノコを抱き上げ、膝の上に乗せた。やはり大人しく、円らな瞳でパーシアスを見ている。
「お前の名前、マル、でいいか?」
 ツチノコは動かずにまばたきをした。目を白黒とさせたのだろうか。
「駄目か……? マル」
「ちー!」
 頭をもたげ羽をばたつかせるさまに嫌悪は感じられない。もし拒否するならば強力な頭突きの一つでもあっただろう事を加味すると喜んでいるようだ。
「あはは、気に入ったみたいで良かったな」
 今まで気にかけていたのだろう、ジェイスンの言葉には安堵があった。
「どうしてマルにしたんだい?」
 皆の疑問を代表したアキリーズの問いに、パーシアスはツチノコことマルを撫でながら答える。
「木の槌を古代語の綴りに直して、其処から一部取ってみたんだ」
「古代語か! 伝承の生物ってえのにも合うってもんよな」
 感心するシーシアスの言葉に若干の照れ臭さを覚え、パーシアスは小さく笑いを零した。其処へ様子を微笑ましく見守っていたハーキュリーズが告げる。
「お前が思う以上に、名前を付けられる側には色々と伝わるものだぞ」
 名前を後付けされた者の言葉は当時の心境を語るからこそ信憑性があった。更にユリシーズが続く。
「解って、それでいいから、嬉しいよ」
 他者からの干渉と認識した上で受け入れるものを呑み込む事は難しい。僅かでも受け入れられなければ即座に拒否を選択したであろう二人の言葉は非常に重く聞こえ、同時に思いが見えた。
「そうか……。マルもそうだったら嬉しいな」
 パーシアスがマルへ目を戻すと、撫でられていた為か眠たげに目が閉じてきていた。そっと抱き上げて巣箱へ戻すと、暫くして小さな寝息が聞こえ始める。いびきをかくのはツチノコの特徴だが、小動物である為か騒音になる程ではない。
「おやすみ、マル」
 安心しきった様子に自然と笑みが零れた。
 何かが大きく変わる訳ではない。しかしこれからへ込めた願いは、僅かでも日々に彩りを添えるのだろう。



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