遠き赤と彼方の望み
■-1
荒れ果てた室内に漂う冷えた空気は、不安へ重々しくまとわり付く。高まる不気味さにも押し潰され泣き声を上げる者もいたが、蓄積する疲労に反して何も変わらぬ現状によって止まった。そうして残るのはこれからへの多大なる恐怖だ。
疲れきった少女達の中に希望は無かった。その筈だった。
ジダルドはアドベンチャーズギルドへ寄せられた数々の依頼書を見遣り、今日受注する依頼を探す。そうして流れるように見た新しく掲示されたであろう紙は、普段ならばあまり気乗りしない内容だったが、事件の名が強烈にジダルドの目を引いた。ベーシックタウンで此処最近頻発しているという行方不明事件に関しての調査依頼書には、事件名の由来にもなっている被害者達の共通点が書かれている。
依頼の受注は複数でも問題は無く、万が一を考えるとそれなりの正当性の下で動くほうが身軽でいられるだろうと、ジダルドは紙に付いていた小さな券を千切り取った。券をカウンターへ提出し、滞り無く依頼を受注するとジダルドは自身が無意識に息をついた事に気付く。不安を抱くなど久々の事だった。
休憩時間が訪れ、アユルスは席に着いて新聞を読む。職場共用のものであり、回し読みされた新聞はかなりくたびれているが読めない程ではない。今日の一面には最近頻発している行方不明事件の特集が組まれており、その事件名がアユルスの目を引いた。
赤髪事件と銘打たれた事件は、種を問わず赤い髪をした少女が被害に遭っているという。既に四人が行方不明となっており、一人目から六日間が経過しているらしく安否が危ぶまれるが、手がかりは未だに無いようだ。
「アユルス君」
軽く呼ばれ、アユルスはつい新聞を読み耽っていた事に気付く。振り向くと同僚の鳥人間系モンスターが傍らに立っていた。
「グノリアさん?」
「もうすぐ休憩終わっちゃうよ」
「済みません、有り難うございます」
新聞を几帳面に整えてから席を立つアユルスへ、グノリアは一面の内容を視界の端に捉える。
「最近物騒だよね」
「そうですね……。妹も赤い髪だから、心配で……」
アユルスの不安げな言葉にグノリアは過去、アユルスが殺害された現場にいた人物を思い出す。当時、赤髪のエスパーの少女が倒れたアユルスへ縋り付いていたが、その人物が妹なのだろう。だが其処へ言及する事は出来なかった。
「そっか……。早く解決するといいよね」
「はい……」
新聞を棚へ戻し、アユルスは不安を隠せない侭作業室へと歩を進める。今日ナユルは墓参りへ行く予定だが、帰りはそう遅くならない筈だ。
気を取り直し、席へ着くと再び作業へと取りかかる。魔法書を作る工程の仕上げとして、使用者の発した呪文に応える微量の魔力を込める作業だ。魔法書の円滑な発動はこの作業によって実現しており、これが無ければ発動にはより多くの魔力を必要とするだろう。作業量は個々人の保有魔力によって限界が異なり、並外れた魔力を持つアユルスの作業量は定められた最大数に早い時期から達している。初めは優秀な仕事振りが一部の反感を買ったが今は落ち着いており、異端者である赤い目の人間に対する忌避の念も多少収まっている。
作業へ没頭していると沈んでいた気分を幾分か忘れ、気が楽になった。
夕方になり職場を後にしたアユルスは、ふと自らの歩調が速くなっていると気付く。これまで無視していた不安を自覚するしかなく、思わず溜め息が漏れた。
夕日は街を赤く染め上げ、新聞で目にした事件の名称を思い起こさせる。何事も無いだろうと自身へ言い聞かせるしかないもどかしさに苦しめられ、思考から振り払うように小さくかぶりを振った。やがて見えてきた自宅をアユルスはいつになく観察するが、結局何も得るものは無く玄関へ辿り着く。持っていた鍵を鍵穴へ差し込み、開けようと回した際に音と手応えが返り、その事実のみで心底安堵した。
「ただいま」
「おかえりなさい!」
扉を開けたアユルスをナユルの声が迎える。室内には料理の香りが漂い、ナユルは台所にいるらしい。
一昨日聞いていた通り、父のルイセは遠方へ出る依頼を受けた為にまだ帰っていなかった。アユルスとナユルへ留守を任せる依頼を受けるようになったのもごく最近の事であり、それだけ余裕が出てきたのだろう。
「もうすぐご飯出来るよ」
「有り難う、すぐ行くから」
アユルスは自室へ入るとバッグを置き、魔法書の入っていたホルスターをベルトから外した。魔法書は護身用に持っているものであり、その必要性と使うべき場面を思うと恐ろしくなる。出来る事ならば使いたくないのが本音だった。
小さく息をつき、気を取り直してからアユルスは自室を出て台所へ向かう。既に料理は食卓へ並んでおり、今日の献立の主役であるオムレツの黄色と、オムレツに混ざっている刻まれた野菜の彩りが目に楽しさを与えた。
ナユルと共に席へ着き、早速食べ始める。オムレツの香ばしさにアユルスは思わず顔を綻ばせ、漸く幾許かの安心を実感したが、事件の話を黙っている訳にもいかなかった。
「ナユル、最近起こってる行方不明事件の事、知ってるか?」
食べる手を止めての問いにナユルも手を止め、表情を暗くして頷く。
「うん、お花屋さんに聞いた……。赤髪の女の子のでしょ」
墓参りの花を購入した際に聞いたらしい。アユルスは持ち出したくはない話題へ苦さを覚えながら続けた。
「そっか……。それで考えたんだけど、暫くは買い出しとか、必要最低限の外出にしたほうがいいと思うんだ」
「うん……」
事態の深刻さと身に降りかかるかもしれない危険性をナユルも理解してはいるのだろうが、淋しさは拭えない。アユルスもナユルの心を尊重したいが、今の侭ではかなわずにいた。
「淋しいけど、きっと待っててくれるよ」
「うん。そうだよね」
応えながらナユルは微笑む。願いはアユルスの優しさであり、信じる心でもあった。
食後、その日の雑事を全て済ませるとそれぞれが自室へと入る。
「おやすみ」
「おやすみなさい」
挨拶を交わして扉を閉め、アユルスは常夜灯の火を使いランプを灯し、机に置いた。そうして昨夜途中で切り上げた本を手に取り席に着く。そうしてページをめくるが内容は頭へ入らず、遂に本を閉じてしまった。不安に気を散らされ、重い溜め息がそれをまとめ上げる。いっそ事件が恨めしい。
諦めてランプの火を消し、アユルスは靴を脱いで寝台へ上がるとブランケットへ潜り込む。不安を押さえ付ける方法は眠りしかなかった。
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