遠き赤と彼方の望み
■-2
朝の光でアユルスは目を覚まし、身支度をしようと着替えてから自室を出る。
同程度の時刻にナユルも目覚めている筈だが、家はやけに静まり返っていた。台所を覗いてもナユルの姿は無く、胸騒ぎを覚えたアユルスは念の為ナユルの部屋へと歩を進めると、部屋の扉を軽く叩き呼びかける。
「ナユル、寝てるのか?」
反応は無く、アユルスは恐る恐る扉のノブを掴み、ゆっくりと開けて向こう側を覗き込んだ。
開け放たれた窓からそよ風が入り、アユルスを怖気立たせる。ナユルは何処にもいなかった。
『ジダルド、応えてくれ……!』
突如アユルスから緊迫した思念が届き、ジダルドは思わず足を止めて通行人とぶつかる。相手の悪態へジダルドは軽く頭を下げつつ道の端へと寄ると、急ぎ思念を返した。
『大丈夫、今いいよ』
『良かった……届いた』
一縷の望みへ縋るような思念にはアユルスの動揺が表れており、ジダルドはアユルスを宥める事を諦めて尋ねた。
『どうしたの』
『朝起きたらナユルが何処にもいないんだ。変に部屋の窓が開いてて……今起こってる行方不明事件に巻き込まれたかもしれない』
『赤髪事件だね。ちょっとそっち行ってもいいかな』
『うん』
アユルスが返答するなり、その眼前にテレポートしたジダルドが現れる。ジダルドが見たアユルスの顔は蒼白であり、一欠片の余裕も無い。
「仕事の邪魔してごめん、有り難う」
それでいてジダルドの心配をするアユルスへ、ジダルドは思わず苦笑した。
「大丈夫だよ、あの事件についての依頼も受けてたしね」
依頼受注の理由は明かさないほうが良いと判断し、ジダルドは努めて明るく応えて言葉を続ける。
「此処がナユルちゃんの部屋?」
「うん」
多少悪いとの感覚に襲われつつ、ジダルドは室内を見回した。窓は開け放たれており、現場はその侭の状態であるらしい。争った形跡も無く、枕元にペンギンの縫いぐるみが鎮座している寝台はブランケットが多少乱れて置かれ、ナユルが使っていたであろう形跡が見られた。窓には内側からかける小さな錠があり、無傷で外側から開けるのは難しいように見える。
「どうやって窓開けたんだろうね、傷一つ無いし」
ジダルドが零した謎へ、アユルスがふと気付いたように声を上げた。
「あっ、スライム系とか幽霊系、あとは幻惑使いなら……」
不定形であるスライム系モンスターであれば、僅かな隙間から侵入し鍵を開けるだろう。実体を部分的にも消す事の出来る幽霊系モンスターであれば、窓そのものをすり抜けて内側から鍵を開けられる筈だ。そして幻惑の目は対象の意識を奪い、簡易に操る性質がある。操ったナユルに鍵を開けさせれば可能だ。いずれにせよ密室を外から破られた事象が不思議ではないとの事実がある。
「それじゃ、相手にどれかかがいるって思ったほうがいいね」
「うん。もしスライム系と幽霊系なら物理的な攻撃があんまり効かないし、炎に弱めだから対処は似たような感じでいいと思う。でもこんなに静かに攫うなんて、幻惑じゃないなら眠らせたりしないと無理だし……犯人とは別に目使いがいる可能性もあるよな」
事態を把握し始めた事によりアユルスは冷静さを取り戻したようだ。アユルスの言葉にジダルドは頷く。
「目使いが目玉系だと厄介だし、動きを止める方法があったらいいね」
幻惑や眠り等をもたらす目を持つ者がエスパーかモンスターかは定かではないが、特に目玉系モンスターは総じて魔力が高く、その目の力へ並みの者では抵抗出来ないだろう。ジダルドは特殊能力の一つを耐性能力で埋めるしかない。
「じゃあスリプルの書を持っていくよ、目使いの殆どには効くから」
アユルスが提案した催眠魔法にジダルドは頷いた。アユルスの強大な魔力を以てすればたとえ目玉系モンスターであっても抵抗出来ないだろう。攻撃魔法を取りやめたのは仮に街中で殺傷すれば罪に問われてしまうからだ。
「お願いね。それじゃ、すぐ動けるように準備してくるよ。五分後にまた此処で、ナユルちゃんにテレパシー送ってみよっか」
「うん。……有り難う、ジダルド」
改まって礼を告げるアユルスの瞳には強い意志が宿っていた。実直さにジダルドは軽くかぶりを振る。
「ううん、それは全部解決するまで取っといて」
「そっか。じゃあそうするよ」
応えて微笑むアユルスにジダルドは内心安堵した。アユルス一人で耐えるには酷な不安だろう。
「そうそう。何があっても絶対成功させようね」
「うん!」
アユルスの決意へジダルドは満足そうに頷きを返し、再度テレポートした。
社長室の扉をノックする音にソラザカは書類から顔を上げる。
「発魔部のグノリアです」
「どうぞ」
所属部署ではなく直接此処を訪ねる理由の深刻さを語るように、入ってきたグノリアの表情は普段とは違い緊張気味だ。
「どうしました?」
「アユルスさんから、今日休暇を頂きたいとの連絡が入ったのでお伝えに参りました」
「そう、ですか」
思いの外軽い理由にソラザカは顔をしかめかけたが、深刻さを増したグノリアの顔付きに止まる。
「……この件について、此処からは内密にしてほしいんですが」
「ただ事ではないようですね。解りました」
歩み寄ったグノリアがやや声量を抑えて続けた。
「アユルス君の妹さんが赤髪事件に巻き込まれたかもしれないんです。もしそうなら、今から救出に向かうらしいんですよ」
「救出に……!? そうだとしてもどうやって? ただでさえ未解決事件でしたよね」
目を丸くするソラザカへグノリアが続ける。
「ジダルドさんの事、覚えてますか? 彼のテレポートで、妹さんを座標にするそうです。この連絡を寄越したのも彼のテレパシーでして、社長よりはまだ応答しやすいだろうの事でした。解決したら一言くれるそうで、社長にも宜しく頼むとの事です」
エスパーがテレポートとテレパシーを同時に会得している事自体は珍しいに過ぎないが、あまりに今出来すぎた能力構成には驚くしかない。
「解りました、報告に感謝します。それとグノリアさん、またジダルドさんと連絡が付いたら伝えてほしい事があります」
「何でしょうか」
「全員無事ならささやかな祝勝会でも如何ですか、とね。グノリアさんはどうですか」
「そうですねえ、そうなったら一番いいなって事で参加したいですね」
ソラザカの興味と不安、そして願いの表れた提案へ、グノリアは楽しげに頷いた。
アユルスが事態に気付く、その少し前だ。
鼻を刺す汚臭と、体中を撫で回すような冷気を不快に感じた瞬間、意識が跳ね起きる。記憶が途切れる直前の光景を思い出し総毛立ったが、戦いを知る身は現状への対応を忘れさせなかった。
夜半、物音に目を覚まして窓の外を見遣り、暗闇に浮かぶ二つの光を発見したところで意識が無くなった事から、何者かから魔力を込めた目で睨まれたのだろうと推測する。光の数や大きさから、少なくとも巨大な一つ目である目玉系ではないと思われた。
倒れた侭で周囲の様子を窺うと、何処かの廃屋にいるようだ。壊れている調度品や壁の造形そのものは美麗であり、元々の絢爛さを思わせる分不気味に見える。閉め切られた分厚いカーテンが暗さを作り出しているが、漏れる光が夜ではないと知らせた。
背後に何人かの気配を感じ、ナユルは注意深く上体を起こして振り向く。部屋の隅には互いを避けるように間隔を空けて赤髪の少女四人が蹲っているさまが見えた。ナユルはすぐさま赤髪事件を思い出し、事件へ巻き込まれたのだと知る。
「あの……」
ナユルが小さな声で呼びかけると、一人の人間の少女が視線を寄越した。薄暗い中でも体を覆う幾多の痣が見て取れ、その目のぎらつきは果たして衰弱の為なのか判断が付かない。
「なあに」
弱々しい少女の声色には、何故か怒りが混じっている。
「いつから此処にいるの? 大丈夫?」
少女はナユルから目線を外すと、虚空を見詰めて続けた。
「もうすぐ、おうじさまがきてくれるの」
「え?」
妙な答えにナユルは思わず疑問の声を上げる。すると少女はまた俯くと、ナユルを無視して憎々しげに呟いた。
「まだかな、まだかな……どうして、なんだろう……」
意図の解らない発言にナユルは不気味さを覚えつつ、それ以上を諦める。
ナユルは扉へと近付くと慎重にノブを掴み開けようとするが、鍵がかかっているのか開かなかった。体当たりしても壊せるような扉ではなく、開ける手立てが無いと判断する。続けて窓の一つへと歩み寄り、注意深くカーテンを動かして隙間から外を覗くと、この部屋が高い位置であり恐らくは二階であると解った。周囲には家屋の建っていた痕跡が複数あり、生活感の消えた様子からはかなり前に滅んだ村であると窺える。林の向こうには塔が見え、此処はベーシックタウンの法も適用外となり、良くも悪くも戦闘に弊害が無かった。外に見張りの姿はひとまず確認出来ず、両開きの窓は軽く押すと容易く動く。
「……助けを呼んでくる」
ナユルの静かな言葉に掠れた厳しい声が飛ぶ。
「させない……おうじさまはわたしの――」
ナユルが振り向くのと、他の少女三人がその一人を取り押さえるのは同時だった。くぐもった声を上げて藻掻く少女を押さえ込みながら一人が言葉を絞り出す。
「お願い、行って……!」
ナユルは頷き、窓を開けると躊躇わずに外へと飛び降りた。
着地の衝撃で身が痺れるが、痛むまでは無い。以前に会得した特殊能力を行使し、ナユルは傷一つ無く建物を脱出する。痺れに耐えて立ち上がり、振り返るのも建物を確認するのみに留めて場を後にしようとしたところで、背後から大声が聞こえた。
「おうじさま! おうじさまあ! はやくつれていってええっ!」
あの不気味な少女の絶叫であり、事態に勘付かれるだろう。危機感に背を押され、ナユルは力の限り駆け出した。
現在ナユルが会得している特殊能力は、一時的に身体を頑強にする能力、瞬間的だが改変可能な未来を予知する能力、強力な冷気を吐く能力の三つである。催眠や幻惑などへの耐性は無く、注意せねばまた捕らえられる危険性があった。
塔の麓にあるベーシックタウンを目指して駆ける。ベーシックタウン周辺で他の町や村が栄える事は未だ難しく、塔より遠く離れている英雄の町が見えない事から、ベーシックタウンしか目指すべき場所が無かった。無法地帯であるこの場所から身一つでどれ程かかるのかは疑問だったが、助けを呼ぶ手段も他に残されていない。
不意に脳裏へ光景が過り、予知能力の発動を知る。左手の茂みから突如突き出された剣がナユルの胴を突き刺す一連が見えた。光景の終わりと共にナユルは茂みから距離を取るように右へ跳ぶ。空振りした剣の一突きが見えた事に背筋が凍ったが、止まっている余裕は無かった。茂みから剣の持ち主である人間と共に、骸骨系モンスターと蜥蜴系モンスターが姿を現す。
「ガキが一丁前に……」
人間が憎々しげに呟くところ予知能力に気付いたようだ。
「随分生意気だな」
ナユルを値踏みするように見遣りながら骸骨が嘲笑う。ナユルに多く戦闘経験があるとは考えていないらしい。
「まあオタノシミでチャラだ!」
蜥蜴が下卑た欲望を口にした直後、力強く地を蹴りナユルへ跳びかかった。ナユルは怯みもせず、体を横にして最小限の動きで蜥蜴の突進を避けると鋭く冷気を吐き出す。瞬く間に冷気で包まれた蜥蜴はその内部まで完全に凍り付き、重い音を立てて地に落ちた。絶命にも気付かなかっただろう。
「クソがっ」
骸骨が驚きと苛立ちを露わにするが、冷気の脅威から無謀に近付きはしない。だが人間は一歩前へ出ると、素早く鞭を振るいナユルを打とうとした。ナユルは咄嗟にボディアーマーを発動させ、鞭の先端を手で受け止める。その侭冷気で反撃しようとした瞬間、強烈な衝撃が全身を駆け巡った。
「ぎっ……!」
潰れた悲鳴も続かずその場へ倒れるナユルを二人が見下ろしている。辛うじて意識は手放さなかったが、鞭の電撃により息をする事も侭ならない。
「手こずらせやがって」
粘り気のある視線に、ナユルは覚悟も出来なかった。
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