ある使用人のものがたり


■-1

 使用人は所詮使用人でしかない。入れ込むなど以ての外だ。
 彼女はその常識すら覆す、不気味が形を成したような侵食作用を持っていた。
 ある時は人智を超えた存在と言われたようだが、彼女を生み出したのは人であり、人智を超えていたのは人の欲望でしかない。人の知恵を脅かすものは人の欲望であると、禍々しい彼女の身が事実を垂れ流す。
 子守歌代わりに彼女の語りを聞いていて、おぞましさのあまり血の気が失せた。退屈な話とはとても表現出来なかったが、語った彼女は相変わらず微笑みを浮かべている。
「ふっふふ。だから こそ です」
 肉色の唇が、生々しい欲望を緩やかに紡ぐ。
「あなたさま にも、この よろこび を」
 おぞましい存在にならば、何をしても咎められないのだ。



 遥か昔、とある主のもとに、よく出来た使用人がいた。使用人を主は大層気に入っていたが、満たされてはいなかった。
「手が足りぬ。手を作ろうと思う」
 主の提案を使用人が断る事は無かった。やがて主から産み落とされた子は、まだ赤子の頃に使用人から問いを受ける。
「お前は何だ」
 宙を舞った子は答えられず、受け止められる事無く硬い床で砕ける。砕けた子はただちに瓶詰めにされ、使用人は嘆いた。
「答えられぬは、手にならぬ」
 ある時、七つの瓶詰めが並んだ部屋で八人目の子が宙を舞った。
「お前は何だ」
 舌足らずな答えがあり、使用人は満足して遂に生まれた手を受け止めた。
 子もまた優れた使用人に育ち、使われる事を至上の喜びとした。時には主に応えて自らの体を作り替え、求められる欲へも平然と応える。度重なる身体改造にも耐える体には、瓶詰めの中身が押し込められていた。中身は生への執着と嫉妬から怨みの念と化し、子の身に宿ると増殖を続け、その生命力をも増幅させるに至る。
 そうして何度も作り替えた子の体が奇妙になった頃だ。贄を差し出せとの通達があった。悪霊の怒りを買ったらしいが、欲望が支配するこの地域では珍しい事ではなかった。贄には子が立候補し、滞りなく受理される。贄は皆絶望に沈んでいたが、子は絶望に沈む振りをした。悪霊の、ひいては贄を選出した人々の嗜虐心を擽る為である。
 その中で、一人だけ野心に燃える贄がいた。贄が独り言つのを聞き、子は初めて驚いた。驚きの侭に野心を尋ねた。
「此処を出て、世界を巡ってやるんだ。世界は此処以外にも沢山ある」
 子は考え、決断した。
 野心を聞き終わると、歪になった爪で贄の喉を抉る。他の贄も、驚いてやってきた見張りの者も、全て引き裂き、へし折り、抉り取る。これをきっかけに、真に恐ろしきは生者であるとされ、生贄制度は廃止となった。
 一人逃げ出した子は、また使用人となった。幾度も使われては、その末路を見守り、次の使う者を求めて世界を彷徨っていた。



 現在はまた故郷の世界へと戻り、やはり使用人として此処にいる。
 柔らかく温かい、改造された体を蹂躙するも自由だ。男として求められた事もあるらしいと、乱雑な縫合の痕が物語っている。加えて肩幅も奇妙に広く、平たい胸は中身をくり抜かれたのだろう。喉元の傷跡は声を低く作り替えた際のものか。しかしあとは上物の女だった。中でも、女としての体は人のそれより更に具合良くされているらしい。実際に感触は極上で、高ぶらせてくる体液の作用も相まって非常に心地良いものだ。
「お前は、何だ」
 不気味そのものに侵食され、最早取り返しの付かないところまで虜になっている。
「ふっふふ」
 彼女は緩慢に語る。
「しよう と だいか」
 白すぎる、石膏色の指が胸元をなぞった。
「あなたさま。せかい の かけら よ。ユーズトーリュ を おつかい ください」
 心臓を握り込まれる心地だったが、既にそうなのだろう。



 世界に充満している魔力は、使用者の感情を媒介に形や作用を決める。善であれ悪であれ、魔力とは常に中立なる存在だ。
 彼女の場合は自身と身に宿る怨念、『子供達』とが混ざり合って使用者となり、過剰な生命力を生み続けている。生を妬み続け、何を企んでいるのかは推し量れなかった。
 しかし適任には違いないと、彼女へ一つ命じる事にした。
「読心の術を持つ女がいる」
 ある下流貴族の妻は、魔力を以て心を読む能力に長けていた。その力で他の貴族の穴を突いては引き摺り下ろし、果てに没落させた者も少なくない。
 彼女はやはり微笑んでいる。
「のぞむ けっか に なる でしょう」
 着衣に少し手を差し入れると、彼女は甘く吐息を零す。そうしやすくする為の衣装を優雅に着こなすのも、よく出来ていた。
「負けず劣らず、心を見透かす奴だ。存分に働いてもらおう」
「おおせ の まま に」
 返事は震えもしなかった。



「お前の心、壊させてもらおう」
 使用人風情が謀反を企てているかもしれない。そう話した貴族の心を読むと、確かな声が聞こえた。一体どうやって実現しようというのだろうか。女は嘲りを口の端に浮かべ、その侭件の使用人と対峙する。
「隠しても徒労ですのよ」
 使用人は微笑みを絶やさず、いっそ不気味だ。いざとなれば傍らの連れが対処するだろうと、意識を集中して使用人の精神をこじ開けた。
 最初は赤子の笑い声を聞いたが、徐々にそれは数を増し、大音響で響いた。紡がれる生への呪詛は女の精神を絡め取り、瞬時に掻き回して八つ裂きにする。女の精神は破壊され、其処に残ったのは狂人だった。ただちに女は自身の邸へ担ぎ込まれたが、すぐに自害したとの話が伝わってきた。
 これで退屈な平穏が戻ったと思われたが、因果は巡るもののようだ。酷い病に罹り、己が命の終わりも非常に早く訪れようとしていた。
「ユーズトーリュ」
 目が使い物にならなくなり虚空に腕を差し出すと、望んだ通りに彼女は其処へ収まる。
「はい。ここ に」
 彼女には動揺の欠片も無い。幾度と無く繰り返し、そのいずれにおいても何も思わなかったのだろう。
「お前との糸が切れる事、死が惜しい訳はそれだけだ」
 すると、特徴的な笑い声が聞こえた。
「ふっふふ。あなたさま は これから、せかい と なる の です。ユーズトーリュ は これから も、せかい に つかわれる の です」
 事実に甘美を感じた時には、意識は無へと落ちていた。其処には囁きだけが残される。
「ゆき ましょう、せかい へ」



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