ある使用人のものがたり


■-5

 世継ぎの不在を惜しむ者はいたが、決して咎める事は無かった。実際に目にした者である程に咎める心を失ってしまった為だ。領民はただ見守る事を選び、選択を後悔する事も無かった。
 過ごす時を重ねる毎に想いは強くなるが、同時に滅びの足音も大きくなる。育む想いと同時に滅びゆく命だけは、どうしようもなかった。
「いずれ、君とは遠くなってしまうんだろう」
 求める手は崩れ去り、傍らに居る事すら敵わない。その時、彼女はどうなってしまうのだろうか。
「全てが尽きて、形を失っても、僕はきっと君に寄り添う。それだけで満足出来ないのは、きっと我儘が過ぎるんだろう」
 一人では抱えきれない淋しさを、ユーズトーリュは優しく包む。彼女でさえ抱えきれなかった。
「いいえ……。おもい の すべて こそ、いとしい の です から……」
 言葉で、これからを確信出来てしまう。
「想いがどんなに大きな呪いになっても、もう手放せない。求めるしか出来ない。それがとても……悲しいよ」
 ユーズトーリュは、未来に独りで取り残されるのだろう。どれ程悲しくても、自害さえ選べないかもしれない。苦悩する姿を想像出来てしまうのも、想いの深さだった。
 ユーズトーリュは優しく体を抱く。平穏の中で、互いの無念を慰めるしかない。



 死後に向けての手続きは大体を済ませた。四十九年の間、命を繋げた事はこの世界にしては上出来だ。そして此処までだった。思い残す事は一つだが、あまりに大きい。
「ユーズトーリュ……」
 無理に体を起こし、声すら力無いが、確かな意思を以て呼ぶ。
「はい。そば に……」
 倒れかかる体を抱くが、少し冷えているように感じた。変わりゆく彼を、当時の侭で彼女は想う。当時とは全く違う感情を溢れさせて、彼の側にいた。
「もしも、その時が、あるのなら……、僕はきっと、君の、ところへ……」
「はい……」
 果たせない約束は、結べさえしなかったかもしれない。滑り落ちる腕と共に涙が零れ落ちた。



 町外れの林には、知る者が見なければそうとは気付かない墓標がある。傍らには、常に一人がいた。居続けて三年になる。数えてしまっているのは自分自身だった。
 墓標へ祈りを捧げ、傍らを気遣う者もいたが、今は民の記憶から消えてしまったようだ。誰の姿も無くなり、独りの時を過ごすしかない。
 長い間雨晒しになり、服は擦り切れて裸身と然程変わりない。何も口にせず、ただ側にいる。
 今日は大雨を降らせる天を仰ぎ、久しく開いていなかった口で問う。
「せかい よ。いかり の てっつい を ふらせ ます か?」
 己が選ばなかったものへ問いかけながら、それだけは避けたいと願う。せめて此処に居続ける事を選び取っていたかった。
 不意に物音が聞こえたが、気力の無い体は動いてくれない。背後の気配はやがて語りかけてきた。
「貴方だな、ユーズトーリュ。悠久を歩み、留まった人よ」
 足音が近付いてくる。警戒こそ解けなかったが、悪意は感じられなかった。墓標の前で止まった足音は、其処で口を開く。
「私は貴方を、貴方の想いを、調べとして語り継ぎたい」
「きょうみ が おあり です か」
 疲れきった声でも強い意思があり、想いの強さを物語る。
「貴方と、そして貴方の愛するただ一人の人に」
 言葉に振り返ると、ユーズトーリュは決心した。今も尚続くと認められたものの為だ。
 訪れた詩人へ、語らぬものが残らない程に全てを語った。語る中で、形無く寄り添うものを再度感じ取る。
「ここ まで が、いま に いたる まで です」
 雨がやむまで実に七日間、足を運び続けた詩人は眉根一つ動かさず、真摯に語りを聞いていた。
「心から感謝する。魂へ響く詩となるよう、私も尽力を誓おう」
「ありがとう ござい ます」
 気付けば小さく溜め息が零れ、何もかもが零れてしまう。墓標に向き直り、涙を隠す事も出来なかった。
「アローネさま……」
 込み上げる感情の灼熱に悶え、極寒に震える。
「きっと とも に、さみしい の でしょう……」
 淋しさが己一人のものであれば、どれ程救われただろうか。だからこそ悲しみは深淵と化して苦しめる。
 ふと、声が聞こえた。幼い泣き声だった。
『さみしい』
『さみしいのなら』
『いってあげて』
 途端に体が重くなり、思わず呻いた。
「この声は……まさか」
 詩人を振り返る事も出来ず、頷く。
「こどもたち……」
 何とか顔を上げると、目の前が白く染まり始める。丁度木漏れ日が照らしていた。
『きっとわたしたちも』
『いっしょだから』
『いこう』
 怨嗟の呪縛がほどけ、留まっていたものが崩れだす。
「よろしい の です か」
 弱々しい声しか出なかったが、問いかけには優しく答えがあった。
『いっておいで』
 すべてを懸けた赦しに、すべてを懸けて応える。
「……はい」
 白い肌が蝋のように溶け、崩れては重々しく落ちる。落ちた欠片は土へ染み込んでいった。
 既に原型が無くなった体で、半ば程で落ちてしまった腕を伸ばす。先にあるのは白い光だった。その中で迷っていた手を、確かな温もりが包み込んだ。引き寄せられ、体を抱き留められる。見えたのは、ただひとりの光だった。それだけが望みであり、幸せだった。
 約束と共に存在は消えていく。何処かへと。



 不可思議な詩を歌う吟遊詩人がいる。語る噂の誰も、真実を知らない。
「此処に集うは、遥けき時に瞬いたもの。瞬きにして鮮烈なるもの」
 ある者は情緒的だと、ある者は単なる悲劇だと、様々な思いを抱く。幸福は感じ取られる事すら無いのかもしれない。
「影の中にあり、尚も輝く、ただひとつ」
 それでも、今日も語られる。
「ある使用人のものがたり」



 alone:英:アローン:孤独な、ただ一人の
 alóne:伊:アローネ:輝き、後光、栄光、光暈

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