不愉快な自我
■-6
レグレルグが次に見たのは、夢工場に戻っているさまだった。辺りには泣き声が響いており、足元を見ると散らばる部品と見慣れないセイレーンの少年が座り込んでいるのが見える。身長はかなり低く、水色をした髪やその短さ、脚部の鱗の色がイセアセアラとは異なるが、翼の羽毛だけは同じ色をしていた。
「……ネイさん」
レグレルグの呼びかけに少年は涙を懸命に拭いながら頷く。
「ごめっ、ごめんな、ごめんな……」
止め処無く流れる涙に消されそうな声で謝るネイネイエへ二人は歩み寄ると、ランドは混沌を、レグレルグは手を差し出した。
ランドが安堵を滲ませながらネイネイエへ告げる。
「泣いててもいいから、人の手を借りてもいいから、立ち上がらないとな」
「うんっ、うんっ」
ネイネイエは幾度も強く頷いて翼を伸ばし、二人の力を借りて立ち上がった。それだけに込められた思いは、それぞれの挫けない強さだ。
傍らで様子を見ていたベンヴェヌートはふと頭上を見る。三人の魂が帰還してから光のボタンを弄り倒していたフィオリトゥーラは、ベンヴェヌートの視線に気付くとボタンを一つ操作してから口を開いた。
「解析完了したぞ」
フィオリトゥーラが目配せすると周囲の本棚から本が一冊飛び立ち、羽ばたいてベンヴェヌートの元へ来ると中身を見せる。内容にベンヴェヌートは驚いて目を白黒とさせた。
「うわ、こんなん出来るもんなの?」
本はランドの身体構造を映し出している。特に両腕の構造は希少な時間操作の力であり、科学者ならば垂涎ものだ。
「出来ているから仕方あるまい。さて」
フィオリトゥーラから目を向けられ、ランドは若干緊張した面持ちになる。レグレルグと泣きやみ始めていたネイネイエは見守るしか出来ない。
「ランド、少々質問をさせろ」
「ああ。何でも来い」
恐れは無いランドを見てフィオリトゥーラは目を細めた。
「では問おう。神為学において、構築した世界を消滅させる事が普遍的であると知っているか?」
「え」
淡々と告げられた事実にランドは固まり、フィオリトゥーラは軽く笑う。
「ふむ、やはり知らんか。では次だ。神為学に住まう精神体を、個々として識別する条件は知っているか?」
「それは、意識が分かれてるからだな」
「その意識が完全に隔たれている、いわば別人であるとの確証は何処で得る? 情報も何の隔たりも無く共有していた筈だぞ」
「それは……そういえば、どうやって……?」
言い淀むランドにフィオリトゥーラは満足そうに頷き、確かに告げた。
「世界神為学に存在するのはたった一人だった」
ランドの目が大きく見開かれるが、フィオリトゥーラは構わずに淡々と述べる。
「世界へ、とある一人の精神が流し込まれたのがあそこだ。様々に分かれたものが世界の住人となったが、やはり本を正せば一人に過ぎん」
フィオリトゥーラの言葉には迷いが無い。
「だが、例外が生まれた。当初は情報伝達の一部に欠けがある程度だったが、ある時遂に拒否を覚えた。やがて情報伝達も受け付けなくなり、世界の命令を聞かなくなった。神為学はこれを重く見た。例外的なものは異質だ、嘘を利用してでも消去するに限る」
予感にランドは思わず息を呑んだ。
「つまり、ランドランドール・ランドラ、お前は新たな一人だ」
ランドは自らの両手を見詰める。使えない両手が途方も無く大切に見えた。
「はは……。俺は、俺として、いたんだな……」
ランドは弱々しく笑う。疲れたような、それでいて喜びの笑顔だった。
其処にネイネイエから疑問が飛ぶ。
「でもっ、ランドは神為学のやつらに狙われてるんだろ……?」
神為学との繋がりが完全に切れたとはいえ、異質には違いなかった。フィオリトゥーラは余裕の笑みを浮かべながら答える。
「それについては先程確認しておいた」
「どうせハッキングしたんでしょ……精神体相手によくやるよ」
ベンヴェヌートの言葉は意に介さず、フィオリトゥーラは続けた。
「手に負えんので廃棄だそうだ。最早干渉する意志も無いらしいな」
ネイネイエの表情が明るくなり、レグレルグも喜ぼうとしたが、俯いたランドの表情が徐々に不安で満ちるのを見て止まる。
「ランドさん?」
「これでさ」
ランドは小さく溜め息をつき、無理に笑顔を作った。
「レグもネイも、目的は果たしたって事だよな。此処からは、それぞれで進んでいかねえとだよな」
喜ばしい事の筈だ。だが取り繕った明るさでは勝手な悲しみを隠せず、それ故に零れ落ちてしまう。
「俺も、一人でやっていかねえとな……」
「えっ」
意外だと言いたげにレグレルグが声を上げ、淋しさを隠さずに告げる。
「此処でお別れだとは、少しも思っていなかったんですけれど……」
「え」
今度はランドが声を上げ、ネイネイエがレグレルグに続いた。
「離れるの、淋しいぞ……」
言いながらネイネイエはランドの混沌を引っ張る。その様子にフィオリトゥーラが楽しげに笑った。
「ははは、なかなか睦まじいものだな。見ていて痒い、いっそ不愉快だ」
「別れる理由が無いなら一緒にいてもいいんじゃないかな」
ベンヴェヌートの言葉に三人は笑い合う。これからどうなるのかは解らないが、少なくとも淋しいものではないようだ。
「それでは、ランド」
フィオリトゥーラに呼ばれ、ランドは堂々とした面持ちで向き直る。今までにない晴れやかな表情だった。
「お前が望むならば、お前の身体置換作業を始めよう。部位の希望は把握してあるぞ」
「ああ。宜しくな」
ランドの体が光の柱に包まれ始める。この中で作業が行われるようだ。
「ランドさん!」
「ランドっ」
二人の呼びかけにランドは混沌を振って応えた。
身体情報が複雑怪奇だった分、置換には相応の時間がかかるらしい。ベンヴェヌートに案内され、レグレルグとネイネイエは光の帯で空間を移動し、別の場所に生成された光の床に降り立つ。ベンヴェヌートが合図すると何処からともなく椅子や机、茶器や器に入った菓子が現れ、さながら応接室のように配置された。
「これっ、食っていいのか?」
菓子を示したネイネイエにベンヴェヌートが頷く。
「いいよ、それ美味しいよ」
「やったー!」
すぐさま菓子を口へ放り込むネイネイエの隣で、レグレルグは茶に口を付けた。温かさに乗って柔らかな香りが鼻を抜け、落ち着きを与えられたような感覚になる。
「レグレルグ」
不意にベンヴェヌートから呼ばれ、レグレルグは茶器を置いて居住まいを正した。
「今のあんたになら見せてもいいかなってものがあるんだ」
「一体何でしょうか……?」
ベンヴェヌートは茶の水面を見詰めながら答える。
「あんたの製造者が、あんたの元の体に製造情報とかを残しててね。あんたに見る気持ちがあれば、それを見せていいかなって思ったんだ」
レグレルグは表情を強張らせた。己を戦へ投入し、廃棄処分とした製造者が何を思っていたのかをこれまで考えすらしなかったが、今は純粋に確かめたいとの心がある。そしてそれがどのようなものであろうと、今を進む強さは側にあった。
「レグ……」
ネイネイエが不安げにレグレルグを見上げている。
「きっと大丈夫です」
レグレルグはネイネイエへ微笑み、ベンヴェヌートへ向き直った。
「見せてください」
「うん。ゆっくりでいいからね」
そうしてベンヴェヌートが一冊の本を呼び、レグレルグの元に飛ぶとページを開いて見せる。浮かび上がったのは構成情報、そして日誌だった。
アドイーラ・マスヘム
Ds03AMにおける記録
世界シャンデ・グリ・アラの破棄物処理問題を解決する為、本製作に着手する。
収集や消滅のプロセスにおいて、無機物では難しい箇所が出た。
当該バージョンを以て有機物での製作に移行する。
外面や強度に多少の難あり。しかし万物を溶かし消滅させる性能は計画通り。
物質の識別用に僅かな知能を加えてみる。
出来れば、優しいものがいい。
研究の出資者が、処理装置を戦争へ投入しないかと提案してきた。
逆らえない。逆らいたくても。
装置が兵器として扱われるようになった。
それでは駄目だ。
戦争では確かに活躍したけれども。
泣いていたじゃないか。
知能があるばっかりに?
違う、単に僕が酷い事をしただけだ。
どうしたらいいんだ。
肥大化を制御出来ない。
周囲は危険だから早く処分してしまえと言う。
そんな事は出来ない。
僕の責任もあるけれど、それよりも、何よりも。
泣き声が頭から離れない。
何とか強硬派の情報を入手出来た。
此処に行われる物質分解までもう時間が無い。
知能と情報を詰められるだけ詰め込む。
行く先で困らないように。
出自にまつわる記憶を少しだけ改竄しておく。
僕の事を恨んだほうがまだましだ。
これが最後の記録だろう。
どうか、いい名前を貰えますように。
どうか、優しい誰かに出会えますように。
どうか、もう泣かないで良くなりますように。
最後に。これに気付いたのなら。
どうか僕よりずっと幸せになって、僕を嗤ってやってほしい。
「……とんでもない、ですよ」
レグレルグは本を撫でて呟くと、ベンヴェヌートに向き直る。
「有り難うございました」
「大丈夫みたいだね」
ベンヴェヌートの表情には安堵があった。レグレルグに真実を伝えるか否かを最後まで悩んでいたのだろう。
ふと、ネイネイエがレグレルグの顔を覗き込みながら尋ねる。
「レグ、悲しいけど、嬉しいのか?」
言われて初めてレグレルグは目元の湿りに気付き、指でそっと拭った。そうしてネイネイエへ微笑みかける。
「そうですね……。けれど、これからは嬉しい事をもっと増やしたいです。もっと笑えるように」
それが願いへの、レグレルグなりの答えだった。
フィオリトゥーラに呼ばれ、作業の終了を教えられる。再び光の帯を渡り空間内を移動すると、先程ランドを包んだ光の柱が見えた。まだランドは中にいるらしい。
「では、お披露目といこうか」
フィオリトゥーラが光のボタンを一つ押すと、光の柱がほどけるように消える。中から出てきたのは完全なる人型の体であり、下半身があった。頭も人型準拠に作り変えられ、白金色の髪が輝いている。最大の難点だった両腕も特殊なものではなくなり、全体の輪郭から受ける印象は元の侭だ。
閉じられていた瞼が眩しそうに開かれる。変わらない瞳の色が未だ闇色を思わせるのは、混沌から受けた印象の名残だろう。
ベンヴェヌートが姿見を呼び寄せ、ランドの眼前に配置させた。
「どうかな」
ランドは鏡の中を見詰めていたが、やがて不敵に笑う。
「上出来だ!」
「ランドっ」
ネイネイエがランドの元へ駆け寄り、その侭腰に抱き付いてきたのをランドは使えるようになった両腕で受け止めた。足は確かに立っており、よろめく事も無い。
「こら、こっちはまだ慣れねえんだぞ?」
ランドは困ったように笑いながらも何処か楽しげであり、ネイネイエは喜びを溢れさせた。
「だって、やっと出来るようになったんだぞっ」
ネイネイエの言葉には今までの我慢と漸く解き放たれた安心が滲む。それはランドにおいても同じだ。
「そうだな、だから」
ランドはネイネイエの頭を優しく撫でる。
「これから沢山こうしてやるよ」
ネイネイエが嬉しそうに笑うまでの様子を見ていたレグレルグは、何故か目頭が熱くなり、その侭容易く泣いてしまう自身をどうする事も出来なかった。
「あれ……」
何度も涙を手で拭うが止まらない。次第に恥ずかしくなり、手で顔を覆う。
「レグ」
いつの間にか側に歩み寄っていたランドとネイネイエに呼ばれてそっと手を外すと、先程と同じようにネイネイエがレグレルグへ抱き付き、ランドからは頭を撫でられた。すると涙がますます零れ落ちてくる。
「ちょっと、そんな……」
「やめるか?」
ランドから意地悪く言われ、レグレルグは泣きながら吹き出した。
「ふふっ、狡いですよ、もう……」
様子を見守っていたベンヴェヌートは、いつの間にか呼び寄せた菓子を摘まむ。
「利便性は落ちたかも知れないけど、それが生きやすいかって言われたら違う事もあるんだね」
フィオリトゥーラも触手で焼き菓子を摘まみ、口に放り込んだ。味は今を練り込んだように甘い。
「生きやすくある為には、まず自由でなければな」
菓子の味は少なくとも不味くはならなかった。
世界エテイア、羅々街。坂と階段で構成された商人の国であり、金銭だけでなく信頼もまた同等に重いとされる。独特の文化が発展し、国外からは衣食住全てが珍しく映るという。
その片隅にある一件の食堂は、以前まで閉店の危機に瀕していたが、最近になって持ち直した。評判は羅々街の坂と階段を駆け上がるが如く広がり、行列が出来る事も少なくない。
「ウリュガさん、終わったぞー」
夜遅くに閉店時間を迎えた食堂で、売り上げの計算を終えたランドは大きく伸びをしながら奥の厨房へ呼びかける。此処へ転がり込んだ当初では考えられなかった多忙に目が回る心地だが、日々への充足感もあった。
「はいよ、今日もお疲れさん」
店主であるウリュガが労いと共に両手に持った賄いを食卓へ置く。以前腰を痛めてしまい食堂を続けるのも困難だったが、其処にやってきた三人を雇い教育する事で食堂を立て直した。今ではランドも自在に包丁を操り、美味い料理を作れるようになっている。
「今日のも美味そうだなー」
賄いとして出されたのは鶏肉と根菜の煮物だ。漂う香りにランドは席に着きながら表情を綻ばせる。
「こっちも終わったぞっ」
掃除用具を片付けてネイネイエも席に着き、賄いに目を輝かせた。
「うわーっ美味そう!」
すると厨房から出てきたレグレルグが、自身とウリュガの賄いを運びながら苦笑する。
「まだまだかもしれませんけれどね」
賄いの調理もレグレルグによるものだ。基本的にはウリュガの調理法に忠実だが、最近ではレグレルグの考案したメニューも好評だった。
全員が席に着いたところで食べ始め、この国独特の調味料が織り成す美味に舌鼓を打つ。その中でふとランドがネイネイエを見ながら口を開いた。
「そういやさ、ネイの身長随分伸びたよな」
出会いから二年が経っており、ネイネイエの身長や体格はかなり成長を見せている。
「おう! 何処まで伸びっかな?」
「ふふ、育ち盛りというものなんでしょうね」
言いながらふとレグレルグは黙りこくっているウリュガに気付き、食べる手を止めた。
「ウリュガさん、どうしました?」
「……あんた達」
改まったような言葉に三人が若干身構えたが、ウリュガは気にせず続ける。
「ほんと、家族みたいだねえ」
もう少しで驚きの声を出しそうになったレグレルグとランドを尻目に、ネイネイエが首を傾げた。
「レグとランド、どっちがどうなるんだ?」
「どっちがどうなる、って?」
ウリュガの疑問にネイネイエは悩みながら答える。
「えっと、父ちゃんと母ちゃん、でもレグもランドもどっちも違うぞ?」
レグレルグと、今はランドも無性である事を指しての事らしい。
「えっ、えええっ」
動揺するランドと驚愕で固まっているレグレルグを完全に置いて話が進む。
「まあ、そういうのは体がどうこうって話でもないしねえ」
ウリュガは言葉を一旦切ると、レグレルグとランドを見据えた。
「それで、その気はあるのかい?」
問いに二人は顔を見合わせ、徐々に顔を赤らめたが目を逸らさない。その様子にウリュガが納得したように軽く笑う。
「ふふ、成る程ねえ、これからって事かい」
「ううう……!」
悔しげにランドが呻くが、遂に何も言い返せなかった。
最初こそ雑魚寝だったが、今は三人揃って布団で寝ている。柔らかく温かな寝具の経験も初めてであり、今でも感謝は尽きなかった。
羅々街は夜も眠らない。提灯で照らされた街並みは幻想的とも騒々しいとも言われるが、三人は光溢れる景色を好いていた。
レグレルグはふと気配を感じて身を起こす。隣ではネイネイエがやや布団をはだけて寝ており、それを直してやりながら障子窓の方を見遣った。窓の傍らに座り込んだランドがじっと外を見ていたが、物音に気付いたのかレグレルグを振り返る。
「済まん、起こしたか?」
「いえ。ランドさんは眠れないんですか?」
「ちょっとな」
苦笑するランドの顔に深刻さは無い。レグレルグはそっと立ち上がるとネイネイエを起こさないように歩き、ランドの隣に腰を下ろした。
開けた窓の外は相変わらず賑やかだが、空は対照的に月が静かに輝いている。どちらを見ても美しいと思えた。
「僕はもしかしたら、こんな風に何かを綺麗だとは思えなかったかもしれません」
レグレルグの言葉にランドはその横顔を見る。よく見えたのは明かりに照らされているだけなのか、よく解らなかった。
「もしかしたらって?」
「夢工場で、僕の元の体に残されていた製造情報を見たんです。もしかしたら僕は、単なるごみ処理装置だったかもしれなかったんです」
「じゃあ、魂が生まれてなかったかもしれねえのか」
その人物の感情や記憶等、その人物たる魂の生まれる仕組みは未だ解明されていない。知能を与えられたレグレルグに魂が生まれたのも全くの偶然だった。
「はい。前までの僕なら、装置のほうがまだ良かったと思っていたんでしょう」
レグレルグは胸に手を当てる。多くの悲しみもあったが、喜びを謳歌する事の楽しさを知った今は、悲しみさえも大切だった。
「けれど今は、こんな僕で良かったなって思えるんです」
「……じゃあさ」
微笑むレグレルグの肩を抱き寄せ、ランドは穏やかに告げる。
「もっともっと、良かったって思えるようにする」
誓うような言葉にレグレルグがランドの顔を窺うと、闇色の瞳の中に小さな、それでいて温かな希望を見付けた。
「はい」
伝わる温もりへ甘えるようにレグレルグは目を閉じる。その背後で目を覚ましていたネイネイエは、声無く笑ってまた眠りに就いた。
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