■-7 「1+2」

 横目で見た傍らには、同じように数々の装置に囲まれた台で寝ている零がいた。既に意識が無いのか、眠っているように見える。
「お前達にとっては一瞬だが、後で少しは労ってくれたまえよ」
 冗談めかしてはいるが、言葉からして再構築に関する作業は容易ではないらしい。
「ああ。後は、頼む……」
 急激な眠気に襲われ、朝霧も意識を失う。装置で二人の様々な状態を確認しながら、レキエータは愚直なまでの素直さへ苦笑した。



 呼び声に気付いて顔を上げると、鮮やかな色が見えた。言葉を聞く内に朦朧としていた意識が戻る。
 長く話した。己のこれまでと、相手のこれまでと、自分達が迎えるこれからの話だった。これからを手にする事へ納得出来なかったが、相手は望みを以て包み込んでくれた。
 相手の望みに、沈みきっていた己の望みを引き上げられる心地だった。その望みを叶えてもいいのだと、叶えてほしいのだと告げられる。
「きっと大丈夫。行きましょう、催ちゃん」
 蹲っていた自分へ、前にも告げた言葉で立ち上がる力をくれた。



 眠気に襲われて目を閉じたのも束の間だったが、直前の言葉を思い出して感覚が実際と違う事を思い出す。意識はまだ靄がかっており、茫然と薄暗い天井を見るしか出来なかった。
 あれからどうなったのか、情報は何も無いが不思議と不安も無い。考える内に意識が鮮明になるが、やはり不安は湧かなかった。
 身を起こして周囲を見ると、小さな部屋にいる事に気付く。寝ていたのも柔らかな寝台であり、まるで宿のような造りだ。其処まで見て、ふと自身の体に意識が行く。長らく空いていた胸の大穴は塞がっており、喉の針も無く、何処を見ても生きていた頃と変わらなかった。
「確認したか?」
 何処からともなくレキエータの声が聞こえる。
「外見はごく一般的な人間、元のものだな。だが一つ、お節介をしておいた」
「お節介かどうかは聞いてから決めたい」
 レキエータは短く笑ってから告げた。
「なに、少しばかり頑丈なだけだ。並の生物や武器では掠り傷一つ付けられん程度にな」
 丈夫でも硬い訳ではないようで、触ってみても前のように肉としての柔らかさがある。
「因みに、あいつも同じように再構築しておいた」
 唐突に出てきた第三者を差す言葉へ思考が熱くなった。急いて寝台を下り、そういえばと思い当たって見回しているとレキエータが呆れたように言う。
「服なら棚に入っているぞ」
「……済まん」
 いつになく焦っている自身を認めて、朝霧は疲れたように息を吐いた。身形を整えて部屋を出ようとした朝霧は、ふと足を止める。
「レキ」
「何だ、何か足りないか?」
「色々、本当に有り難う」
 声が暫く止まる。面食らっているのかもしれないと思うのは、レキエータの人柄に触れたからだろうか。
「……結果を見てから言うもんだぞ」
 監視モニターの前でレキエータは困ったように笑った。
 廊下に出ると、足元の光が導く。少し離れた壁の前で光は留まり、朝霧は壁に手を伸ばした。壁は触れる前に素早く左右に分かれ、内部を見せる。
 勢いよく振り返り、大きな青い一つ目が驚きに見開かれた。翡翠色の髪は鮮やかさを取り戻して輝いている。鰭のような部分の膜も色とりどりに広がっていた。
 唇が震えている。何と言おうか迷っているのだろうか。
 朝霧はゆっくりと歩み寄る中で、過去に願った事を思い出す。そして今は、それを言葉にしたかった。
「……催花」
 泣き出してしまった催花へ腕を伸ばす。抱き寄せてみるとやはり華奢だ。腕の中で催花は嗚咽して、確かに生きていた。
「ずっと、ずっと……もう一度、会いたかった」
「でも……でも、わたくしは――」
 顔を上げた瞬間、ものを言う事を朝霧に止められた。暫くして離れた朝霧も堪えきれなかったようで、初めて見る表情に催花は言葉を変更する。
「わたくしは……わたくしも……側にいたかったんです、朝霧……」
 催花のか細い腕が確かに朝霧の背を抱く。共にいながら離れていた頃が、途方も無く遠く感じられた。



「そっかぁ……」
 顛末を聞き、鳳蝶の微笑みに寂しげな色が混ざった。零個人の覚悟に対するものだ。
「貴方がたの生は、更に続きを描くのだろうな」
 白蝶に朝霧は茶を飲んで頷く。
「そうなるんだろう。全部続いているものだからな」
「もっともっと、色々なものを描けるようにしたいですね」
 催花の明るさも、託された思いに恥じぬものをと決意してのものだった。
「うんうん、素敵な目標だねぇ。私達も頑張らないとだなぁ」
「そうだな。せめて貴方がたの生活は支えたいものだ」
 常世の国に住まいを決めた二人への祝いでもある白蝶の言葉へ、朝霧は律儀に、催花は深々と頭を下げる。いずれ滅ぶ事が解っている世界だが、猶予の時は二人からすれば膨大である事や、別の世界でも条件が然程変わらない事が理由として挙げられ、何よりも世界全体の平穏さが決め手となった。
「鳳蝶と白蝶も有り難う……いや、これからは敬称を付けたほうがいいのか」
「そうでした、失礼ですよね」
 焦る催花へ白蝶が答える。
「個々人の柄に合わせてもらって構わない」
「いいんですか?」
「そうしよう」
 催花を見ながら言うと、鳳蝶が小さく笑って朝霧へ告げた。
「やっと笑ったね」
「楽しいって、解るからな」
 遠い昔に零と笑い合った時を思い出しながら応える。あの時も楽しく、今も楽しく思っており、己の素直な感情は零や催花から支えられているのだと再確認した。



 朝霧は最初こそ木材を切り出す作業をこなしていたが、ある時同僚からの提案に従って木を彫ってみると繊細な模様を彫り出した。その腕を活かさないかと工房に誘われ、今は木工職人として腕を振るっており、現在その作品は小さな装飾品から建築物の一部まで多岐に渡っている。精密な作業に没頭出来る集中力と手先の器用さという要素は、自身を開拓して見付けた新しさだった。
「なあ朝霧。そろそろお前に無理難題を出そうか」
 工房の長である師から告げられ、朝霧は作業の手を止める。言うには、今進めている作業を止めてでもこなすべき課題らしい。
「無理難題?」
「職人としては非常に難しいやつだ」
 束ねた長い髪の毛先に灯る、炎のような光が揺れるさまに朝霧は師の悪巧みを察したが、口には出さないでおいた。
 そうして出された課題に、朝霧は少し考えてすぐに作業に取りかかる。思わず面食らう師に振り向きもしなかった。
「早いな」
 取りかかりは早いが焦ってもいない事は、手付きを見れば明白だ。
「あいつしかいないし、これしかない」
 行動の訳を告げて作業へ没頭する姿が、全く底知れないものに見えた。



 手際良く縫い針を扱い、服が仕上がっていく。細やかなレースをドレスの裾へ縫い付ける作業も終わりが見えてきた。
 硬質な見た目に反してしなやかに動く手先は器用であり、衣服を特注せねばならない身にとって裁縫は非常に役立つ特技だ。経験も徐々に深まり、複雑な構造の服を任せられる事も増えてきた。
 自然と共働きになったが、催花は自宅で作業をしている。休日以外は家事があまり出来ない事を朝霧から謝られたが、懸命に工房で作業をしている姿を知っており、実直な彼を支えられる事も催花にとっては喜びだった。
 作業を進め、注文の品も出来上がり、ふと気付けば夜になっていた。偶に夕方ではなく夜に帰る事もあるので、別段異常ではないのだろう。それでも待つ事には胸中が疼いた。焦がれながら、現在の幸福を噛み締める。もしも叶うならと願うだけの微かな夢でしかなかった、共に過ごす時間がある事はまさに夢のようで、まだ驚くべきものだった。
 夕食は胃に優しいものにしようかと考えを巡らせていると、玄関が軽く叩かれる。
「ただいま」
 まだ言い慣れない、聞き慣れない言葉は荒い息に揺れている。何を焦ったのか気になり急いで鍵を開けると、やはり走って帰ってきたのだろう、肩で息をする朝霧が立っていた。
「おかえりなさい、何かあったんですか?」
「いや……」
 朝霧は俯き、迷った末に口を開く。
「少し、落ち着きたい……」
 願うように頼んで、ひとまず水を飲んでから寝台に腰を落ち着けるが、今度は突っ伏してしまいたい気分になり、朝霧は多大なる混乱を自覚した。すぐ目の前の椅子に座る催花を直視出来ないのは、これからに対する不安の所為なのだろうか。
「催花」
 堰き止められずに言葉が零れ、あとは一気に崩壊する。
「朝霧っ……」
 催花が焦るのにも構う事無く溢れる涙が恨めしく、今は怖いと感じているだと納得もさせ、事実は少しばかりの勇気をくれた。
 朝霧は乱暴に腕で涙を拭うと、催花へ向き直った。
「渡したいものがある」
「なん、ですか……?」
 朝霧はごく小さな布袋を取り出すと、掌に中身を出して催花に見せる。白色をした木で作られたそれは、二輪の花を象った小さな輪だった。首にかけて身に付けられるように紐が通されている。
「これは……」
「今日、師匠から課題を出されたんだ」
「お師様は、何と?」
「大切な人に贈るものを作ってみろって……先を越されたと思ったけど、それで良かったかもしれない」
 今頃悪巧みの結果を笑われているのかもしれないが、悪い気はしない。
「催花。受け取ってくれないか」
 誓いの証に、催花は思い出していた。初めて朝霧が花瓶に挿したのがこの花だった。鮮やかな色は今でも浮かぶ。そして花があの時と違い二輪であるのは、内に眠る存在への想いも表しているのだろう。
 催花はゆっくりと指輪を手に取る。いつの間にか泣いていたので、濡らさないように細心の注意を払った。
「ありがとうございます。ずっと大切にします。だから……ずっと側にいてください、朝霧」
 すると朝霧は微笑んだが、困ったようでもあった。
「催花……それは俺の言う事だ」
「あ……、そう、なんでしょうか、どうしましょう……」
 泣きながら慌てる催花を、ふと朝霧が抱き寄せる。そうして笑い合えた二人の時を、時計が静かに刻んでいた。



Previous

Back