■-6 「0」

 世界を渡り歩き、様々な物事へ触れる事は新鮮だった。触れた中にある幸福も恐怖も、特に朝霧にとっては貴いと思える様々な感情だ。彼の感情は今まさに色付いている途中なのかもしれない。
 零は朝霧の側を離れなかったが、必要以上に彼へ干渉する事は無かった。零は朝霧の自由を見守っていたいだけに過ぎず、朝霧もまた零を拒まなかった。
 次は何処へ行くか迷いながら、別世界同士を繋ぐ歪みの発生地を訪れる。世界によっては駅のように歪みの整備がされていた。行き先の一覧を眺めていると、新しく書き足されたように全く褪せていない文字を見付ける。
「常世の国?」
 留まった視線に気付いた零が呟き、朝霧は頷く。仰々しい名前が気になったが、説明を見るのは好奇心に従ってやめておいた。
 歪みが整備されている場所では大抵管理費として渡航料を取るが、殆どが安価だ。二人もまた料金を支払い、歪みへと足を踏み入れた。



 歪みを通り抜けた先には野原が広がり、看板が立っていた。看板の小綺麗さからして土地が整備されていると窺える。
 看板に込められた魔力で言語の自由を得てから、石で整えられている道を歩き始める。少し歩けば着く距離に町が見えた。
 零の外見は世界的に見れば奇妙なものではないらしく、その世界の住人に怯えられた事もごく僅かだ。一方で死して動く存在は滅多におらず、中でも記憶をその侭引き継いでいるのはあまりいない事も解った。様々な印象を持たれたが、朝霧自身はどのような感想も純粋に受け止めるだけだった。
 町へ着くと、前にいた世界で金銭から換えた宝石類を売り、この世界の金銭を得る。多少価値は変動するが、世界渡航の際に両替をする普遍的な方法だ。
 改めて町を見回すと様々な種族が暮らしているように見えるが、それだけだった。世界の名に常世とあるが、何を以て永久とするのかは解らない。
 朝霧の好奇心に従って、ひとまず食事処を探そうかと歩を進めようとした時だ。脇の小道から小さなものが転がってきたので、朝霧が屈んで拾い上げる。此処の通貨だった。
「あぁ、有り難うねぇ」
 小道の方角から聞こえた声は和やかなものだ。振り向くと、大きな蝶の翅を持った人物がこちらを見ている。翅は全体的には黒だが、細かい粒子が青や緑に煌めいていた。蝶は走り寄ろうとしていたが、不意に何かへ気付いたように足を止める。
「どうした」
 朝霧が静かに呼びかけると、蝶は我に返って締まりの無い笑みを浮かべた。
「ごめんねぇ、ちょっとびっくりしちゃって」
「何かおかしな事しちゃったかしら?」
 零が問うと、蝶は首を横に振る。仕草は何処か幼ささえあった。
「うぅん。覗き見するつもりは無かったんだけど、貴方の生命力が見えちゃって」
「此処に不都合だったか?」
 朝霧が眉根も動かさずに問うと、蝶は微笑みを崩さずに答える。
「いやいやぁ。だって私達も似たようなものだからねぇ」
 奇妙な言い回しへ二人に疑問が浮かんだところで、蝶は続ける。
「お礼とお詫びに、私の邸でこの世界を紹介させてもらってもいいかなぁ?」
 朝霧は零と顔を見合わせ、一つ頷いてから蝶へ向き直った。
「宜しく頼む」
「ふふっ、こちらこそ宜しくねぇ」
 案内される中で聞けば、蝶はこの地を治める伯爵らしい。威厳の欠片も無いが、人当たりは良さそうに見えた。
「みんな鳳蝶って呼んでくれるから、貴方達もそう呼んでくれると嬉しいなぁ」
「それじゃ、別に名前があるの?」
 零の問いに鳳蝶は相変わらずの笑顔で答える。
「名前は思い出せなくって。ごめんねぇ」
 何処までものんびりとした口調は、ともすれば他者の警戒心を解いてしまう武器にもなるのかもしれない。先程まであった多少の緊張感が誰からも無くなっている事に気付いて、朝霧は密かに感心した。そうして互いに軽く自己紹介をする。
 邸に着くと、出迎えた侍従らしき人物から何事かを耳打ちされて鳳蝶が頷く。
「丁度良かったみたいだねぇ。出来れば一緒にいてほしかったし」
 先客がいるらしく、鳳蝶の知る人物のようだ。鳳蝶はその侭自ら二階の一室へと二人を案内し、扉を開ける。
「白蝶卿ー!」
 鳳蝶の呼びかけに席を立ったのは、同じように大きな蝶の翅を持つ人物だが、翅は半透明の白色をしていた。顔立ちも鳳蝶とは対照的に硬い。
「鳳蝶卿、と貴方がたは……旅人のようだな」
 言葉が若干淀んだのは、鳳蝶と同じように潰えた生命力を見た為だろうか。
「白蝶卿はすぐ隣の領地の子爵でね、私は甘えっ放し」
「貴方が無理ばかりするからだろう。……紹介にあずかった、通称を白蝶という」
 優雅な中に生真面目さが見える一礼に、白蝶の不器用な人柄が窺える。互いに挨拶を交わしたところで、白蝶へ鳳蝶が目的を告げた。
「白蝶卿、この人達にこの世界を紹介したいと思ってね、ちょっと手を貸してくれないかなぁ」
「心得た」
 口数は少ないが、快諾である事は間違い無いだろう。全員が席に着いたところで、見計らったように先程の侍従が茶と色とりどりの菓子を運んでくる。鳳蝶と白蝶が侍従に軽く礼を述べるところに、二人の他者に対する情を垣間見る事が出来た。
「それじゃあ……この世界の名前、常世の国って名称から話したほうがいいかなぁ」
 言って、鳳蝶は小さな菓子を口に放り込む。応えながら朝霧も倣って菓子を一つ食べてみると、爽やかな酸味と甘味が感じられた。零に至っては菓子の造形に目を輝かせている。
「常世の国と名付けたのは私達。姿形が不定で不滅、私達はそんな存在なんだと……思い込んでいたからそう名付けたんだ」
「実際はどんな存在なんだ」
 朝霧の疑問に、鳳蝶は少し考える。
「少し難しいんだけど……機械的な命令で出来ている、生物ではない存在。命令文を書き換えれば姿が変わって、修復すれば傷も治る、単純な仕組みとして作られた存在だよ」
 自分達や世界が人工のものとは思わず、日々を悠々と過ごしていた頃を思い出し、鳳蝶は苦い心地へ寂しそうに笑った。
「私と白蝶卿が少し世界渡航をしていた時、偶然創造主の世界に辿り着いたんだよね」
 鳳蝶は白蝶を見遣り、白蝶は一つ頷く。
「そうだな。其処で、世界と我々が不滅ではない事を知った。創造主が永い時の中で劣化を止められなかったように、常世の国の全てもまた、緩やかに劣化の一途を辿る存在だ」
「じゃあ、いずれ全部壊れちゃうの?」
 零の寂しげな問いに、白蝶は淡々と告げる。
「そうなるだろう。だが、どのような世界もいつしか滅ぶ。常世の国と我々もまた、同じであるだけだ」
「そうね……。滅ばないものなんて、滅多に無いものよね」
 言いながら零は大きな瞳を朝霧に向ける。朝霧の滅ぶ時が来るのなら、其処で世界崩壊が起こる程度には大規模な滅亡が必要になるのだろうか。
「だろうな。そして我々は、来たる時に向かって懸命に生きるしかない」
「命が無い私達でも、生きられると信じながらね」
 言葉を付け足した鳳蝶が朝霧を見据える。
「貴方は命あって、失った存在に見えた。それと、貴方は気付いていないかもしれない事があるように見えたよ」
「それを教える気は無いんだな」
 朝霧の静かな言葉は単なる確認であり、それを理解した上で鳳蝶は悩ましげに首を傾げた。
「少し違うかなぁ。教えても私達では何も出来ない、と言ったほうがいいねぇ……」
 鳳蝶の言い回しに朝霧は次を待つ。
「でも、私達を作り出した世界の力なら、何か出来ると思うんだ」
 言われて朝霧は黙りこくる。抱いた感情が複雑で紐解けずにいた。
「迷いは、己の為のみではないのだな」
 白蝶に言い当てられ、隠れていた感情が顔を出す。もしも受けた怨みの、催花の願いを取り零しているのなら自力で気付きたいと願う反面、待たせすぎても申し訳無さが募る。初めて自身が我儘になっているのかもしれないと思い、その自由も催花から貰ったものであると気付いてから、漸く答えが出た。
「ああ。だけど俺は、あいつの事を……大切なやつの事を、知りたいだけだ」
 明確な意志へ鳳蝶は柔らかく微笑み、茶を一口飲んでから朝霧へ告げる。
「そんな気持ちは、私からも大切に見えるよ」



 鳳蝶と白蝶に見送られ、教わった場所を目指した。世界の正体を知った時に、直接創造主のいる世界と繋がる歪みが開いたのだという。
 町を出て程無くして、荘厳に作られた祠らしきものが見えた。側には石碑も設置されており、碑文を読むと世界説明だと解る。
「煌びやかな理想郷を手にする世界、シャンデ・グリ・アラ、ですって」
 読み進めると名の真意に辿り着いた。理想郷を手にする為に発展した学者達の世界であり、己にとっての理想郷を作り上げる事を目的とした人工世界だという。
「やりたい放題の世界って事か」
「丸ごと作っちゃうところでそうよね」
 言いながら臆するそぶりも無く、二人は歪みへ足を踏み入れる。暗い色の中を進んで抜けた先には、方々へ伸びた道が何本もうねっていた。誘う道が取り合いをしているように見えて、実際そうなのかもしれない。朝霧が小さく溜め息をついた瞬間、何処からか響く声があった。
「――あーあー、聞こえるかな。朝霧、零」
 言語が通じた上に名前を知っている事へ二人は驚いたが、声は引き続き告げる。
「ひとまずじっとしていてくれたまえ」
 声が聞こえた頃には硬質な触手まで伸びてきていたが、言われた通りにしておく。すると足元に違和感を覚えて、同時に目の前の光景が上に過ぎ去っていった。どうやら地面の一部が抜けて下がっているようだ。
「馬鹿共が済まんな。特に朝霧、お前のデータが欲しくて群がっていたようだ」
「俺はそんなに変わっているのか」
「まあな。此処には不死を研究してる奴も多くいてな、私もよく狙われる」
 暗闇を地面は更に下がり続け、ふと移動を緩める。止まった頃には薄明るく狭い場所に立っていた。道は四方に伸びていたが、左方にだけ足元に明滅する小さな灯りがあり、順路を示しているのだろう。
 光に沿って歩きながら、零が声へ話しかける。
「貴方も死んでるの?」
「いーや、その逆だ。私は不死鳥サエーナ、生きまくってるほうだな。お陰で言語もたらふく学んだ」
 光が止まったところで立ち止まると、目の前の壁が二つに割れた。広々とした向こう側には、人型が尊大に椅子へ腰かけている。顔と思しき箇所には一つ目と口しかないが、表情は豊かに見えた。
「ようこそ、レキエータ・スィーンのラボへ」
 若干目を白黒させた後、朝霧が呟く。
「不死鳥には見えない」
「だろうな。これはお前の最終的な目的の鍵でもある」
 今度こそ驚きが朝霧の表情に差した。レキエータは揺らめく四肢の内一つを、手の指のような形にして掬い上げる。途端に二人の前方の床が二箇所、膝丈にまでせり上がった。せり上がった箇所は途中で千切れ、宙に浮く椅子となる。
「はやる前に、座学の時間だ」
 レキエータが不敵に笑った。



 レキエータは着席した二人の前に椅子ごと浮いている。部屋には光る額縁のようなものが幾つも浮かんでおり、何処かの光景を映し出している。常世の国にいた辺りから二人を観察していたようで、名前と目的も会話内容から知ったものらしい。
「まず基本からだ。個々の自我や感情、記憶。つまり魂が何であるか、知っているか?」
「いや、知らない」
「全然知らないわ」
 嫌な顔もせず答えるだけの二人へ、レキエータは目を細めた。
「正直者で宜しい。答えだが、魔力にアクセスする電気信号の事だ。電気というのは、お前達の知るものでは雷がそうだが、自然発生した雷に魔力へのアクセスは無い」
 感心する零の隣で、表情を変えずに朝霧が質問した。
「魂の正体が解ったからって、どうなったんだ」
 単純且つ的確な質問に、レキエータは嬉しそうに笑う。
「そうさな、正体が解ったからといって、使いこなせるものではなかったんだよ。器だけ作って実験したやつのデータがあるが、膨大だし結論から言おう。電気信号は突然魔力へのアクセスを行った。魂は勝手に出来てしまい、結果として仕組みを解明出来なかった。私達にはまだ魂を自由に作り出す技術は無い」
 零は落胆したように俯くが、朝霧は前を向いていた。レキエータは対照的な様子を見ながら話を続ける。
「だがな。例えばお前達が世界渡航した時に、看板辺りから言語の自由を得るだろう。あれは整備が行き届いている証拠でな。つまるところ、魔力はアクセスし続けなければ力を継続しないものであり、魔力にアクセスする電気信号の途切れた時が魂の終わりだ」
 言葉を聞いて朝霧が勢いよく立ち上がり、傍らの零も驚いて顔を上げた。
「……私の言いたい事が解ったようだな」
 レキエータは文字通り腕を伸ばし、朝霧の喉に刺さる針を指差す。怨みの塊は、欠ける事も無い侭だ。
「お前の求めるやつは此処にいるのさ」
 指を引かれると、朝霧は脱力して崩れ落ちた。朝霧のものではない怨みが継続している事は、怨みの使用者が存続している事になる。催花はあの時からずっと、此処で朝霧を繋ぎ留めているのだ。
 レキエータの言葉に俯いた侭動かない朝霧の隣で、零が控えめに手を挙げる。
「あ、あの……レキエータ」
「レキでいいぞ」
「じゃあ、レキ……、朝霧の針から、あの子の……催ちゃんの魂を取り出したら、朝霧はどうなるのかしら……?」
 朝霧は怨みで存在を繋ぎ留めている存在である。繋ぎ留めるものが無くなり、朝霧はまた死へと戻ってしまうのではないかと零は危惧したのだが、レキエータは呆れたように首を捻った。
「おい。朝霧の体も同時に再構築してやればいい話だろうが」
「そんな事出来るのっ?」
 驚いた零の大声に、レキエータはわざとらしく人の耳がある部分を両手で押さえた。
「もおー、もっとがんばりましょう、ってスタンプ押してやろうかー?」
「何よそれっ」
 言い合いを他所に朝霧は暫く考えて、やはり結論が変わらない己へ素直になろうと決意する。徐に立ち上がり、レキエータを見据えた。
「レキ」
 向き直ったレキエータは別段姿勢を正さなかったが、表情には締まりがあった。
「借りは出来る事ならして返す、だから……だからもう一度、催花に会わせてくれ」
 ただ焦がれている無様さを晒す朝霧へ、レキエータは表情から締まりを消して満足そうに笑った。
「ふむ、何でもはしないか。しっかりしていて気に入ったぞ」



 レキエータは不死にこそ興味は無いが、身体の再構築については積極的に研究しているらしい。朝霧へ協力するのも実験を兼ねたものに過ぎないようで、対価として充分だという。腕は確からしく、不死の存在であるレキエータ自身の体を再構築する事に成功した頃には、この世界基準でも高度な技術を身に付けていたようだ。
「知り合いにも再構築が得意なやつがいるが、あいつはコピー専門だし、何処にいるか解ったもんじゃないからな」
 別室へ向かう道中でレキエータが補足した情報に零が首を傾げる。
「コピーって?」
「世界中の生物の身体データを収集しているんだよ。あいつが作った世界は丸ごとデータバンクだが、放浪癖もあってな。見付けるのは骨が折れる上に、催花のデータがある保証も無い」
「おまえに任せるほうが確実なんだな」
「そういう事だ」
 やがて辿り着いた場所は行き止まりに見えたが、レキエータが近付くと壁は左右に割れた。実験室である其処には様々な装置が雑然と置かれており、二人もレキエータに続いて中へと入る。部屋は広めだが、照明は控えめにしてあるらしく薄明るい程度だ。
 レキエータは片隅にあった筒状の装置の一つを弄り始める。大小様々な筒はどれも透明で、硝子のように見えた。レキエータが弄っているものは丁度人一人が入る大きさだ。
「朝霧、お前にはこの中に入ってもらう。こいつは身体から精神まで洗いざらい解析する装置でな、入ったら液体を流し込むが、息を止める必要は無いぞ。話も出来る」
 点検が終わったらしく、レキエータがボタンを一つ押すと筒の表面に入り口となる大穴が空く。衣服も関係無いらしく、着の身着の侭で朝霧は中へ入った。穴が塞がると同時に、水色に煌めく液体が足元から湧いてくる。瞬く間に全身を包んだ液体に浸かっている感覚はあまり無い。呼吸を必要としているかは自身でも疑問なのだが、息苦しさも無いので気にせずにおいた。レキエータの体調確認にも普段通りに応える。
「おっ、来た来た」
 レキエータが中空で光る図面を見ている。零も覗き込んだものの、用語らしきものの洪水に目が痛くなりすぐにやめた。レキエータの表情からして、無事に解析されているようだ。
「お前が受けた怨みが一番濃度が高いようだな……いや、正確には濃度を保っていると表現したほうが正しいか」
「それじゃあ、他のやつらは」
 怨みを受けたのはあの古城周辺にいた殆どだろうが、レキエータは軽く息をついて首を横に振った。
「全員死んでいるだろうな。死者は怨みの濃度が足りないし、生者に対しては少量でも猛毒だ」
 図面を興味深く見ていたレキエータは、ふと表情を歪める。そしていつになく静かな声で呟いた。
「成る程な……これは大問題だろうな」
 不安げな二人の視線を他所に、レキエータは腕を組んで重々しい溜め息をつく。
「私から宣告させてもらおう」
 レキエータは朝霧に向き直り、淡々と告げた。
「朝霧、お前は催花と零、どちらか選ばないといけない」
 言葉に朝霧が零を見る。そして思い当たり、思わず表情を歪めた。
「そう、ね。考えたら、そうよね」
 零も宣告の意味を悟って俯いた。朝霧は零を見詰めた侭、苦しげにレキエータへ問う。
「もし、催花に零を組み込まなかったら、どうなる」
「怨みだけが色濃く顕現して、怨みの侭に暴走する。お前の針には怨みの部分だけが残っていたが、催花の魂の核になるから外しようがない。足りない部分は、零に譲られたんだろうな」
「そうか……」
 やがて液体が無くなり、筒に出口が出来る。濡れてもいないが、必死に泳いだ後のように体が重く感じられて足に力が入らない。液体の作用ではないと自覚するしかなかった。
 催花の魂は、零を含めて完全なものとなる。零の存在は催花から抜け落ちた欠片だと解っていた筈であり、二者択一になると思わずにいたのは全く愚かなのだろう。
「私個人としては、こういった選択は大嫌いだが。こればかりは技術の限界だ」
 レキエータは学者として悔しさを滲ませる。我儘を貫く為に技術を身に付け、技術により我儘を実現してきたレキエータにとって、諦める選択肢は唾棄すべき愚物だった。
 答えが見付からずに立ち尽くす朝霧を見てから、零は口を開く。
「レキ。やって頂戴」
「零」
 弾かれたように振り向いた朝霧へ、零は微笑んだ。
「私は催ちゃんの中に戻るだけ。形は無くなっちゃうけれど、ずっといるのよ。それにね、私も催ちゃんに会いたいの。だから……」
 零は朝霧を指差して、確かに告げる。
「催ちゃんの事、宜しくね」
「……ああ、約束する」
 覚悟を決めた言葉に、朝霧は深く頷いた。



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