微か確かに
■-1
転がり出た小さな赤い玉に受付の目が点になった。
「おっ! 大当たりー!」
福引きの特等当選は手持ちの鐘を勢い良く振られ、商店街中に響き渡る。周囲の通行人や、隣で別の福引きを引いていた客も振り返った。
「特等って、なんだ?」
景品の表をよく見ない内に福引きを引いたらしく、セイレーンの少年は首を傾げる。買い出し中なのか、その翼には多数の食材が入った袋を抱えていた。
「これだよ」
受付から差し出されたのは二枚の券だ。高級旅館との謳い文句に一泊二日の宿泊券と記載されている。
「坊ちゃんだとご両親に渡すがいいんじゃないかねえ、水入らずってやつさね」
「んー、そっか! ありがとな!」
少年の一瞬考えた時間が何を示していたのかは、受付の知る由も無い。
食堂の営業が一通り済んだ頃、ネイネイエから手渡された宿泊券にランドとレグレルグは一瞬目が点になる。そうして先に口を開いたのはランドだった。
「これっ舞羽々亭のやつじゃねえか! しかも最高級部屋だし!」
「まいはばてい?」
驚くランドに首を傾げるネイネイエへ、レグレルグは宿泊券を深刻な表情で見詰めながら説明する。
「羅々街の中でもかなり高級な旅館の一つですよ」
「へーっ、じゃあすっげえ良かったんだなっ。二人で行ってくれよ!」
喜ぶネイネイエの前で二人の面持ちが困惑に変わり、ネイネイエは再度首を傾げた。
「ランドもレグも、嬉しくねえのか?」
「いや、行けねえよ」
言葉にレグレルグも頷くがネイネイエにはランドの真意が掴めず、三度首を傾げる。
「なんで?」
「有り難いけど、店の事があるだろ。少なくとも俺は行けねえ」
「ごめんなさい、僕もランドさんと同じです」
最後にレグレルグがネイネイエへ告げ、二人が宿泊券を机に置こうとした時だ。奥の部屋から声が聞こえる。
「そんな野暮ったい事は言いなさんな」
「ウリュガさん」
食堂の店主であるウリュガにも話は届いていたらしく、続けて告げられた。
「ネイの気持ちもちょっとは汲んでやっていいんじゃないのかい」
「けど……」
迷うランドへウリュガは小さく呆れた溜め息をつく。
「店ならお陰様でちょっとやそっとじゃびくともしないよ。それに、あたしもネイとゆっくりしたっていいしねえ」
ウリュガの言葉は冗談でもないのだろう。ネイネイエはウリュガの言い分に頷きながら駄目押しに二人へ告げた。
「そうだぞ! 二人とも、水入らず、だぞっ」
「おやまあ、何処で覚えたのかねえ」
二人分の朗らかな笑いがランドとレグレルグの背を半ば突き飛ばすように後押しする。だが懸念点は他に大きくあり、ランドはレグレルグと顔を見合わせると怖ず怖ずと尋ねた。
「レグは……いいのか?」
レグレルグを無理矢理連れていく事は避けたいと願う。その願いこそ既に答えが出ている気もしたが、今は無視した。
「……はい」
若干頬が赤らんでいるレグレルグが小さく頷いたのを見て、ランドは無意味に確認してしまう。
「俺とだぞ? いいのか?」
「はい……」
「あんまり苛めてやりなさんな」
ウリュガから言われ、最も恐れているのはランド自身なのだと気付かされた。
舞羽々亭は羅々街の中心に近く、且つ高所に位置する。見晴らしの良さも売りの一つとした高級旅館であり、羅々街の住人が贅沢をしに行くにも懐に多少無理をせねばならない程だ。加えて建物の規模も大きいが、宿泊は常に争奪戦だという。今回の宿泊券も使用期限が限られており、その期間のみ貸し切りの扱いであるらしい。
最低限の荷物を持ち、早朝に店を出て二人は舞羽々亭を目指した。まず羅々街に点在する巨大な昇降機を使い、定刻通りに上がる。昇降機を下りた後は多少の傾斜が付いた上り坂と十数段の階段を経て、漸く舞羽々亭へと到着した。出入り口である門は整備が行き届いた小綺麗なもので、既に高級感が漂っている。
門をくぐり、まず目に留まったのは広々とした庭園の水場だった。庭園の中央に円形の白い器があり、その中心には翼の生えた女の像が両手で甕を抱えて立っている。甕から滾々と湧く清らかな水が像の膝辺りまで満たしており、水はやがて器の縁から細く落ちて地面の水路へと流れ、水場周辺を囲むように流れていた。
其処彼処に飾られた提灯の造形も通常とは違い細かなもので、まだ午前中の今は灯っていないが、夜になれば一層夜景を彩るのだろう。
「すげえとこ来ちまったなあ……」
白と黒を基調とした外観を見上げながらランドが呟いた。本来ならば縁遠い場所の筈だったが、舞い込んだ幸運はランド自身を、そしてレグレルグを何処へ導くのか見当も付かない。
「そうですね……」
レグレルグも同じように建物を見上げ、気圧されそうになる。その様子を横目で見付けたランドは、居た堪れずにレグレルグの片手を引っ手繰るように取った。そうして目を丸くするレグレルグの顔は見られず、ただ一言告げる。
「行くか」
「ふふっ、はい」
ランドは自身の顔の火照りを自覚したがどうする事も出来ず、レグレルグの小さな笑い声を擽ったく聞いた。
建物内は白と薄緑を基調としており、何処か温かな印象を与える。広々とした玄関を進み受付へと宿泊券を出すと、専属らしい係員に案内され小型の昇降機へ乗り込んだ。舞羽々亭の昇降機は逐一装飾がされており、操作盤一つ触るのも気後れしそうになる。
昇降機は最上階で止まり、降りてみると鍵の付いた引き戸だけが正面にあった。今回宿泊する最高級の続き部屋一室だけが存在するらしく、戸の向こう側に妙な威圧感さえ覚える。それを知る由も無い係員は待つ筈も無く、進み出るとすぐに戸を解錠して丁寧に開けた。
引き戸の向こう側には広々とした居間があり、鮮やかな薄緑色をした畳が仄かにい草の香りを漂わせている。置かれている木製の調度品にはどれも装飾が施されているが、華美すぎない程度で落ち着いた空気感をまとっていた。居間の左手には露台があり、夜景が楽しめるらしい。居間の奥には寝室があり、開かれている襖に小さく描かれている淡い紫の花が空間にそっと彩りをもたらし、引き戸を開く前までの印象とは違い全体的に穏やかな印象を与えた。
午前の日差しに照らされた室内で係員からこれからの説明を受ける。舞羽々亭の施設利用は全て無料であり、階下にある遊戯区画においても適用されるという。食事はこの部屋に運ばれ、風呂に関しては部屋備え付けの露天風呂があるらしい。
鍵と施設利用券、そして案内の小冊子を手渡して去る係員へ礼を告げ、二人で暫くは無言で立ち尽くしていたが、やがてランドが口を開いた。
「これからどうすっかな、遊戯区画ってのに行ってみるか?」
小冊子を見ると一階の一区画に該当するようだ。
「そうしましょうか。僕も気になってました」
レグレルグが微笑んで同意する。そうして持ち込んだ着替えなどの荷物を置こうとして、ふと備え付けの浴衣に気付いた。レグレルグが畳まれていた浴衣を持ち上げながら提案する。
「これに着替えてから行きますか?」
「そうすっか」
早速着ていた着物を脱ぎ、浴衣を着る途中でランドは無意識にレグレルグへ横目を遣りそうで遣らない自身に気付いた。普段ならば何も気にする事は無いのだが、今は異様なまでに緊張している。それが何故なのかの答えは胸中にあり、ランドは小さくかぶりを振った。
「ランドさん?」
呼ばれて振り向くと、既に着替え終わったレグレルグが不思議そうにランドを見ている。
「ああ、済まん」
浴衣もよく似合うとまで思ってしまってから、ランドは漸く帯を締めた。
遊戯区画は祭りを思わせる屋台が並び、どれも多くの宿泊客で賑わっている。その中でも空いている場所を探して歩くと、妙に人気の無い射的の屋台を見付けた。先客は少年が一人いるだけだ。二人は短く言葉を交わし、まずは此処で遊ぶ事にする。
「二人分、頼めるか?」
立っている係員へランドが券を見せながら話しかけると、係員は何処か気不味そうな表情で応対した。
「お客様、此処は……」
「いいよ、来なよ」
言い淀む係員の言葉に被せたのは少年だ。二人には目もくれずに射的用の鉄砲を構えて的をねめつけている。
好ましくない事態の予感にレグレルグは緊張した面持ちになるが、ランドはレグレルグへ微笑みかけると、次には少年へ向き直った。
「先達の言う事は聞いておくか」
少年は漸く二人を横目で見たが、それも一瞬で終わる。代わりに短く言葉が飛んできた。
「構えて」
少年の言葉に促されるように係員から鉄砲を手渡され、ランドとレグレルグも構えた。
挑戦者毎に仕切られた区画に木製の的が六つ配置されており、その位置はかなり散らばっている。的は大きさによって得点が異なり、最終的な得点が十点を超えればささやかだが景品もあるようだ。
ランドがふと右隣へ目を遣ると、仕切りの陰からレグレルグの不安げな表情が見えた。得手不得手への不安ではないのだろう。
「二度撃ちは無しで。三つ、数えて」
早撃ちをも要求する左隣の少年の声音には冷たさがある。それを聞いて係員がただ動くところ、少年の持つものを垣間見た気がした。
「では行きます。三、二、一……始め!」
三人が一斉に鉄砲を撃つ。ランドはまず正面中央の的に撃ち、倒して一点を獲得する。次は左手に上下二つ並んだ的へ撃つが、上の三点を外し、下の二点を獲得した。続けて上部中央にある一つを撃って三点を獲り、最後に下部の中央と右下にある的を撃ち、三点は撃ったが二点は外してしまう。
「終わりっ、当たんねえなあ」
計九点を獲得したランドが声を上げると、左隣から冷静な厳しい声が飛ぶ。
「遅い」
「えっ、お二人共早いですよ……!」
レグレルグが最後の的へ撃ちながら言うが、弾は大いに外れた。ランドは鉄砲を肩に凭せかけてレグレルグの枠を覗き込むと、合計八点を獲得しているさまへ朗らかに笑う。
「慌てたにしちゃあ上出来じゃねえか」
「あはは、有り難うございます」
其処に背後からまたしても静かに厳しい声が飛んだ。
「下手……」
言葉にランドとレグレルグは少年がいた枠を覗き込む。其処には倒れた六つの的があり、少年の腕前の高さを思い知った。
「凄い……!」
思わずレグレルグが零した言葉に少年は不満げに俯いてかぶりを振る。
「別に」
その言葉に初めてランドの眉根が寄った。
「お前、もっと誇れよ」
言葉が意外だったのか、少年が弾かれたように顔を上げてランドへ初めて真っ直ぐに目を向ける。瞳に何処か怯えるような色をランドは見付け、レグレルグもそれを見逃さなかった。
ランドはその場に屈んで少年と目線を合わせる。ランドの眼差しは不機嫌だが、怒りの色は無く穏やかささえあった。
「お前の当たり前に出来る事は、誰かの出来ねえ事なんだぞ。もっと誇っていい筈だろ、なのになんでしねえんだよ」
少年は気不味そうにまた俯き、ランドから目を顔ごと逸らす。逃げようとするように足がもどかしげに動いていたが、そのきびすは遂に返らなかった。
「変な事、言う……」
少年の絞り出した言葉からは悲しみさえ感じられ、ランドは眉間の皺を取った上で少年を見据える。
「別に変じゃねえよ。周りのやつは煙たがるかもしれねえけど、お前の中だけでもよくやったって思うのは悪かねえぞ、きっとな」
言葉に少年はランドへ向き直り、徐々に顔を歪ませた。其処に様子を見守っていたレグレルグが身を屈めて告げる。
「貴方の身に付けたものは、貴方を支えているとても大切なものの筈です。だからもっとそれを、貴方自身の事と一緒に大切にしてあげてください」
少年は頷きながら腕で涙を拭った。少年のこれまでには寂しさがあったかもしれず、その寂しさを誰かに認められたかったのかもしれない。その心は二人にも覚えがあった。
不意に係員が話しかけてくる。先程までの怖ず怖ずとした態度ではなかった。
「お客様」
「あっ、済みません……」
多少の揉め事と居座りすぎた事へ気付き慌てるレグレルグへ、係員は否定を首で示す。
「いえ、とんでもございません。それよりも、坊ちゃんを有り難うございます」
「坊ちゃん?」
如何にも上の立場を連想させる呼称をレグレルグが復唱すると、少年が不機嫌そうに爪先で床を幾度か突いた。嫌がっているが口には出せないらしい。だが係員は少年の仕草に気付きもせず言葉を続ける。
「はい。当館の支配人のご子息こそ、このかたです」
「そうだったんですか……」
応えながらレグレルグが少年へ目を遣ると、諦めたような俯きが見えた。
「つまりだ」
話にランドが割って入る。ランドもまた少年の仕草を見ており、多少だが苛立ちさえ込められていた。
「支配人は忙しくてこいつに構ってる時間がねえんだろうよ。んで、支配人の子だからって周りが腫れ物扱いしたんだろうな。遊具の扱いも、此処でずっと独りで遊んでたから上手くなった。違うか?」
「それは……」
係員は萎縮して言い淀む。代わって少年から言葉があった。
「合ってる」
肯定の一言は苦しげな声音だ。ランドは少年の肩を撫でて労い、係員へ言葉を続ける。
「まあ俺が怒ってもしょうがねえ。けど今のはこいつの本音だって、それくらいは伝えといてもいいんじゃねえかな」
「そのように致します。わたくしも坊ちゃんには心穏やかにお過ごし頂きたく存じます。この度は有り難うございました」
係員は深々と頭を下げる。その様子を見遣りながらランドはレグレルグへ告げた。
「レグ、付き合ってくれるか?」
ランドの言葉にレグレルグは微笑む。
「大丈夫です、多分同じ事を考えてましたから」
そうして二人で係員へ向き直り、ランドが堂々と宣言した。
「んじゃ、暫くこいつは借りてくぞ」
「えっ」
係員は驚くが焦りは無い。頭を上げた係員へレグレルグが穏やかに付け加える。
「念の為、他のかたへの連絡をお願いしますね」
茫然としかけた係員が辛うじて頷く中、少年が不安げにランドとレグレルグを交互に見た。
「いい、の?」
「お前が嫌じゃなかったらな」
ランドの言葉に少年は勢いよくかぶりを振る。その瞳に先程までは全く無かった活力は、少年の素直な思いを強く後押しした。
「遊びたいっ」
「ははっ、決まりだな。俺はランド、こっちはレグレルグ。お前は?」
快活に笑うランドから尋ねられ、少年は初めて抱いた焦りと気恥ずかしさを押し退け、一欠片の勇気を振り絞る。
「ヒカギ」
「宜しくお願いします、ヒカギさん」
レグレルグから呼ばれると、ヒカギはむず痒そうに身動ぎしながら口を開いた。
「さん、は……」
「じゃあ、ヒカギ君?」
今度は小さくだが頷きが返り、レグレルグも一つ頷く。
「解りました、ヒカギ君」
レグレルグの笑みに、ヒカギの顔から漸く全ての緊張が抜けた。
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