無間の幽鬼


■-1

 泣きやまない内に出口らしき景色が見える。確かな足取りでその景色へと向かう。恐怖も期待も無く、ただ淋しさを抱えて、空間から出た。
 振り返ると、役目を終えたと言わんばかりに染みが縮んでいくさまが見えた。完全に消えるまで見届けたのは、その向こうを見ていたかった思いがさせたのだろう。
 周囲を見回してみる。太陽は青い空に一つ、昼間の明るさだ。雑草と土で出来た道が左右に続いている。少し遠くには森も見えた。葉の色は緑色、土は優しい黄土色をしている。見えるものの基準は前と変わらないが、酷く新鮮に見えた。
 足を動かすと、砂利が小さく音を立てる。痛くはない。久々に聞いた音だった。
 フレイアルトは手で強く目をこすると、涙を漸く止めてセメンツァに向き直る。
「行きましょう、何処か、何かあるでしょうから」
 セメンツァは一つ頷く。口数は化け物と同じか、少ないか。どちらにせよ彼女が彼女である事は変わり無い。
 ふと視界の端に捉えた立て看板に奇妙なものが書かれていた。最初は何が書かれているか解らなかったが、見ていると段々歓迎の言葉が読めてくる。
「セメンツァ、あれ読めますか?」
「ようこそ、せかいエテイアへ……、よめる……」
 正体は解らないが看板には言語を伝える力があるようで、便利だと単純に感心した。



 暫く進むと前方から、がたがたと硬い何かがぶつかる音が響いてきた。襲われる事を考えて、フレイアルトはセメンツァを連れて脇の茂みに身を隠す。苦心して様子を窺っていると、音はすぐ近くまで来た。
「其処の奴ら! 出て来い!」
 突然怒鳴られる。姿は見えていない筈なのだが、気配とやらでも感じ取られたのだろうか。全く聞いた事の無い言語の言葉が解るのも先程の看板の力だろう。
「三秒待ってやる、過ぎれば射抜く」
「はーい、何なんですかいきなり」
 取り敢えず返事をして、セメンツァに目配せしてからゆっくりと立ち上がる。見えたのは人と、大昔にあるような大きな馬車だった。
 声の主は、弓を構えている若い人の男のようだ。男のような人物を、此処でも人間と呼ぶのだろうか。
「どうした、追い剥ぎにでも遭ったのか」
 弓を構えつつも、男は動揺したかのように顔を顰める。何一つ、衣服すら身に着けていなければそう思われても仕方無いのだろう。
「酷い目に遭いました」
 肯定もせず、否定もせず、そして話を合わせておく。
「何だい?」
 女の声が馬車から聞こえる。そして姿を現すと、女の体は爬虫類と人間を組み合わせたようなものと解った。頭の形は人間だが、肌は鱗がある。別段驚かなかったが、そのほうが却って良かった。女は二人を見るなり声を上げる。
「あらぁ、こりゃどうしたよ」
「姐さん、せめて服でもやってくれないか」
 自然な遣り取りを見て、フレイアルトは自身の体が何も怪しまれていない事を確信する。この好都合は使える。
「そんな格好見捨てたらうちの名が廃るよ。其処のお二人さん、中においで」
 素直に返事をして、弓の男に頭を下げつつ馬車に入る。内部は思ったより狭い。そう感じるのは物で溢れかえっている所為か。数人同行者がいるらしい、こちらを見る目には人とそうでないものとが混じっている。
「名が廃るって、どういう意味なんですか?」
 相手の素性を簡単に知る為、当たり障りの無い質問をする。女は物を漁りつつ答えた。
「うちは商売人だからね。ああ、お前さん達から金は取らないから安心しておくれよ。一体何が遭ったんだい」
「済みません……、あんまり思い出したくないです……」
 勝手に推測してくれるのは有り難く、悪い方向へ想像されるのはもっと有り難い。嫌な事を思い出したくない、で話が通る。
「ああ……、ごめんよ」
「いいんです、こうして助かりましたから」
 感謝の意をついでに伝えておく。すると馬車内にいた女らしき人物が長であろう女を呼んだ。
「姐さん、町に連れてってやろうよ」
 同情を買う事に成功したか。長の女は提案をすぐに受け入れた。
「いいんですか?」
「いいよ、これに乗ってお行き」
 フレイアルトは傍らのセメンツァに笑いかけてから、頭を下げて礼を言う。あくまでも下手である事を心がけた。
「有り難うございます!」
「ありがとう……」
 か細い声でセメンツァも礼を言う。衝撃で力無くしていると受け取られてくれるだろうか。
「さて、まずは服だね」
 長は言うなり、商隊の者に声をかける。その一人から毛布一枚を渡された。二人で毛布に包まると、セメンツァの温もりに身を任せてしまいそうになるが、まだ警戒は解けない。
「ほんと、お人形さんみたいだなあ」
「可愛い子達よね、幾つなのかしら」
 勝手な話にも一応耳を傾けておく。聞き逃しがあっては不味い。
 不意に、先程の提案をした若い女がこちらに近付く。じっと見詰められたが耐えた。
「二人共綺麗な髪ね、髪飾りの方が野暮だわ」
 女は笑う。
 暫くすると、荷物の奥へ呼ばれた。



 長の女は呆れ顔でこちらを見ている。
「あんた達……」
「だって姐さん、凄く似合ってるじゃないか」
 言い合いの中、フレイアルトは自身とセメンツァとを見る。
 赤い羽根に縁取られたコート、深い緑のワンピース、装飾が施されている深い青のレギンス。フレイアルトの今の格好だ。一方、セメンツァの格好は、薄い紫色のドレスに、フレイアルトは服の名前が解らなかったが、紫色のビスチェを胸のリボンで留めている。ドレスの裾には縁取りがされていた。腕にはカフスまである。
 服の所為だけではないが、フレイアルトはセメンツァに意識を取られる。きれいだな、とごく自然に思った。
「だからって、それは確か舞台衣装じゃなかったかね」
 お人形扱いも此処まで来ると凄いものだとフレイアルトは内心呆れる。しかし流石衣装といったところか、着心地はさておき良い素材だろうとは思った。



 馬車に揺られて、頃合いを見計らいフレイアルトが尋ねた。
「町って、何処にあるんですか?」
 馬車内で寛いでいる長の女が、何の抵抗も無しに答えた。
「此処を道沿いに行った先さね、明日には着くから安心しなよ」
 その笑顔に血の筋が入ったのは何秒後だっただろうか。頭を鋭い指で貫かれた女は横に倒れ、静かに脳漿を垂れ流す。
 悲鳴が上がるのを聞いて、フレイアルトは笑った。体が一瞬消え、次には馬車を破ってばけものが姿を現す。セメンツァはその掌に乗っていた。
 彼の服を持ったセメンツァを素早く下ろし、馬車に拳を叩き付ける。折れる音と水っぽい音が鳴った。それを何度も叩く。
「俺がどれだけっ痛い思いしてっこんな髪になったと思ってるんですかっちくしょうっちくしょうっ」
 晴らせない恨みをぶつけていると、何かが風を切る音が聞こえて振り返る。
 視界が片方、痛みと黒に染まる。
「ぎっ、あああっああっいたいっいたいいいっ」
 叫び、何事かと片目で前を見ると、あの弓を持った男が、片足を失いながらも矢を放ったらしい、こちらに二本目を撃とうとしている。フレイアルトは憎しみに任せて左目の矢を引き抜き絶叫した。
「何するんですかあああっ」
 男を潰そうとした時だった。突如伸びた赤い触手が男の両腕を絞める。そしてもう一本やってきた触手は、早技とも言うべき動きで男の首をぐるぐると捩じった。
 赤い触手の根元、フレイアルトの後方にはセメンツァが立っていた。化け物の体を思い出す。あの化け物のような外殻と肉で出来た翼が、セメンツァの背から生えていた。翼部分と背を結んでいるものは筋のように見える。
 虹の髪は怒りに燃える炎のような揺らめきを見せる。顔からは一切の感情が消えていた。
「……セメンツァ、もういいですよ」
 男の首が切れるまで捩じっていたセメンツァに声をかける。我に返ったのか、セメンツァは悲しげな顔をして触手を引いた。全て収納はしないらしく、触手は少し垂れた侭だ。
 フレイアルトは姿を人型に戻すと、苦笑してセメンツァに語りかける。
「貴方には、こんな事させたく、なかったんですけれどね」
 セメンツァは悲しげに彼を見る。
「怖かったですか」
 それには首を横に振られた。行為への怯えかと思ったが違うようだ。
「ごめんなさい、フレイアルト……」
「え?」
 驚くフレイアルトに、セメンツァはとうとう泣き出して言葉を続ける。
「かくしていた……」
 言われて、何だろうと考え、答えに行き着く。
「もしかして、その体の事ですか?」
 何の抵抗も無しにこくりと頷かれる。
「わたしは……、おなじかたちで、いたかった……」
 ああ。たったそれだけの事を彼女は守ろうとしていたのだ。彼の為に。
 フレイアルトは優しく笑いかけて、セメンツァを抱き寄せた。
「優しい子ですね、貴方は」
「フレイアルト……」
「武器が無いと危ないですから、それは出しておいた方がいいですよ」
 しかし、セメンツァはまだ泣きやまない。その顔さえ、やはりきれいに見える。
「ああいうのは俺に任せてくださいよ」
 するとセメンツァが首を振る。そしてか細い声が訴えた。
「まもりたかった……、フレイアルトを、きずつけようとする、すべてから……、だから、このからだを、つくってくれた……」
 伝えられた真実に、フレイアルトは茫然としてから、困ったように笑う。セメンツァの頭を撫でながら、そのか弱い体の強さを感じた。
「貴方達って子は……。有り難うございますね、セメンツァ……」
 塵のような自分の為に、彼女達は全てを懸けていた。その事実が途方も無く嬉しく、フレイアルトはいつの間にか泣いていた。



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