もしも貴方を好きだったなら
■-1
もしも、というのは、遠すぎて届かなかった可能性の話である。
「うぅん……」
夜半、隣からまたも聞こえた苦しげな呻きがどうにも気になり、イングラートは眠気をその侭に寝返りを打って様子を窺う。隣の寝台ではこちらに背中を向けたヴィンコロが寝苦しそうに身動ぎしているが、今夜は特段寒暖が厳しい訳でもない。
暫くするとまたヴィンコロが動き出し、寝返りを打つ。そうして目を覚ましているイングラートを見るや否や、小さく驚きの声を上げた。
「わっ……、起きてたのか」
「一体全体どうしたのか気になってな」
欠伸混じりに告げると、ヴィンコロは目線をイングラートから逸らしてまたも小さく呻く。言いづらいとすれば悩みなのだろうが、次第に赤くなっていくヴィンコロの顔がその中身を半ば以上語った。
「その……なんか、溜まっててさ」
若い体には堪らなく厳しい感覚だろうとの思考は、イングラート自身の経験からである。老いるに連れて後始末の面倒臭さが勝ち、その方面へ手を出す事も無くなっただけだ。
「一人で処理出来んかったのかね」
問われてヴィンコロは縮こまるように俯く。
「今まではそれで良かったんだよ。けど、今日はなんか……苦しい」
恥じらいながらも正直に言ってしまうところは素直な性格によるのだろう。その道の者が聞けば平静を保てない程の言葉なのだとは気付いていないらしい。
「俺しかおらんようだが、俺じゃあ嫌だろうに」
やんわりと告げてみると、ヴィンコロは視線を泳がせた後、イングラートを上目で見た。あまりに無自覚な誘いだ。
「いや、いや……嫌じゃあ、ない、けど……」
絞り出すような声にイングラートも驚き、思わず目を見開く。自覚無き淫らさ程蠱惑的なものはないが、まだ踏み留まる事は容易だった。
「けど、というと心配事があるのかね」
其処からヴィンコロを諦めさせようとするのは何故なのか、イングラート自身もよく理解していない侭に尋ねてみる。ヴィンコロは毛布の端を弄りながら答えるが、その仕草で答えているようなものだった。
「あにさんが嫌かなって、思って……」
イングラートは自身こそ諦めるしかないと悟り、しかし最後に足掻く。
「俺が良かったら、いいのかね」
「うん……。あ、けど、叫んだりしたら、周りにばれるよな……」
足掻きも一蹴され、イングラートは一つ息をついた。身を起こすとヴィンコロへ歩み寄り、側で屈むとその顎に指を添えて軽く持ち上げる。ヴィンコロの長い睫毛を此処まで間近で見るのは初めてだった。
「もう少し自分の事も考えちゃあどうだい」
正面を向けさせられたヴィンコロは、赤くなった顔を隠そうともしないでいる。
「考えてるよ、考えてるから……自分の事だって、解るんだよ」
イングラートは己の浅はかさを軽く呪い、ヴィンコロの目元を拭うが追い付かない。
「俺が悪かったよ」
告げながら前のように頭を撫でると、ヴィンコロが甘えるように瞼を伏せた。
「やるからには、とびきりやるから覚悟しておけよ」
しおらしさが何処か艶やかに見えるのは、果たして状況の所為だけなのだろうか。
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