死と生活
■-1
「白花・ラズラメ、調査開始します」
平原にて行われていた勝負が終了した直後、腕に付けた小型端末へ緊張感の無い声で告げた。足元の血溜まりには先程胸を一突きされた体が転がっている。敗北した側がこの業務の対象だ。
白花は目を凝らし、遺体を確認する。そうして要点を確認すると、また緊張感の無い声で通信した。
「調査の結果、異常あり。事前違反の疑いあり。解析班お願いします」
「了解」
通信を終え、白花は遺体をもう一度見遣る。常人には解らないだろうが、七年間見続けると白花にも解るようになった、憎しみとは別に悔しさが遺体に作る僅かな異常が表れていた。追い縋るような手は何か弱みを握られでもしたのだろうか。脅迫、薬物を盛るなどの申請した戦闘そのものに支障の出る行為は禁じられている。
しかしそのような泥沼の事情も白花にとっては仕事の一つに過ぎない。事情があればある程に残業せねばならなかった。
白花は深い溜め息をついてから顔を上げ、こちらを焦りの表情で窺う勝者を見る。言い訳の嵐を、聞いてもいないのに聞かねばならないだろう。違反者の大抵が饒舌だった。
不満の言葉を寸でのところで?み込む。同僚が同じ目に遭っていなければいい、そう考えるのは食事の約束からだ。
荒の国は戦の国である。あらゆる戦いは法のもと合法化されており、申請し承認されなければ一転して犯罪となる。規模も内容も様々な戦いは時に命を落とすが、それも同意があれば合法である。勝敗は国からの保証であり、確固たる結果は他の世界でも有効な例が存在する程だ。
しかし所詮は知恵ある者同士の戦いである。悪知恵で不正行為を働こうとする者は数えきれない。そうして必要とされたのが不正を見抜く人員である。特に遺体に触れる機会が多い事から、そして畏怖から遺体処理班と呼称されている。
死者、時に生者すらも、遺体処理班へ隠せる事実は無かった。
そしてこれらの説明に嘘は無い。都合の悪い部分は、全て人の噂の中だ。
暗い寒空が広がる頃に待ち合わせた店の前へ到着し、鳴桜は個人用の端末を起動する。やはり一つの連絡も入っていなかった。鳴桜へ連絡を寄越すような人物は一人しかおらず、恐らく現在も仕事中だろう。何と無しに眺める直近の会話履歴にあるのは、今日の約束とは関係の無い軽い文面だ。
空になって久しい腹を無意識にさすっていると、画面に動きがあった。
『今終わった、向かう』
続けざまにまた文面が追加される。
『見てるし』
即座に既読通知がされた事に対しての言葉へ構う気力も無かった。
『早く来い』
短文を送信し、端末を待機状態にさせてから顔を上げるとにやつく顔が目に入る。
「白花・ラズラメ、来ましたー」
不機嫌な半眼を向けられてもしゃあしゃあと言ってのけられ、鳴桜は白花の頬をつねった。それなりの痛みが白花を襲う。
「いででっやめろっ」
「来たなら早く言え」
舌足らずな抗議に鳴桜が厳しく告げ、指を離した。白花は解放された頬をさすりながら苦笑する。
「ごめんって。腹減ったし入ろ」
「それ。もう限界」
溜め息交じりの鳴桜の訴えには大いに同意するところだった。
幸い多少出来ていた行列もこの時間ではけており、二人で店の暖簾をくぐる。予約の受付など無い、至って庶民的な店だ。それこそが良いのだという趣味や価値観も白花とは合っていた。
注文から程無くして目の前に出された丼に垂涎する余裕も無い。小気味良い音で箸を割り、二人して早速濃色のスープに沈んでいる麺を啜る。香ばしさを持つ塩気が口内に広がり、続けざまに薄く切られた焼豚へかぶり付いた。
「……うま」
咀嚼の合間に鳴桜は思わず言葉を零す。安価で単純に思える料理だが、その実は価値を超えて奥深い。そしてその事実を小難しく考える必要も無く、ただ美味かった。
「見付けて正解だったな」
「ん」
鳴桜の短い同意に白花は軽く笑い、散り蓮華でスープを飲む。熱いスープはともすれば火傷しかねないが、その程度でなければ美味さは半減してしまうだろう。
偶然読んだ昔の記事で店の情報を知り、現在ならば大行列も収まっているだろうと踏んでの提案は当たりだったようだ。
一杯は深夜に重々しい食事であり、空腹の強請る追加注文を堪えて帰路に就く。同じ道を歩いて目指すのは一件の集合住宅だ。多少背の高い集合住宅の密集地であり、それ故に隣人ですら近所付き合いはごく僅かである。加えて町内会に入らずとも良い地域であるのは好都合だった。
荒の国の戦闘は明確に線引きされており、関係の無い者には何処までも関係が無い。自身の生活で忙しい者が他者の不幸や怨恨などに構っていられないとの実情は、荒の国に限らず何処であっても同じなのだろう。土地も職場を離れてしまえば平和な都市が広がっていた。
二階への階段を上がりながら鳴桜はポケットを探り、取り出したキーケースから家の鍵を摘まむ。キーケースに家の鍵以外は付いていないが、鍵を裸で持ち歩きたくないらしい。
辿り着いた玄関を開けて部屋へ入ると、断熱材の効果で温かさを保っている室温に包まれる。
「はーっ、寒かったー」
白花がコートを脱いで椅子の背もたれに放った。ポケットで小さく音を立てたのはこの部屋の鍵だ。白花は鍵を単体で持ち歩くのに抵抗が無いらしい。
白花と鳴桜が同居を始めて六年が経過していた。
始まりは、まだ遺体処理班の研修生だった頃になる。一年の研修期間は寮での生活だったが、正式に業務へ携わると共に寮から出ねばならない規定があり、それに悩まされていた。
なかなか見付からない住処と今後を考えると、飲んでいた加糖の缶コーヒーも酷く苦くなっていく。通常ならば暴力的な甘さだと思っていただろう。
脱力して自動販売機の傍らのベンチに腰かけ、項垂れた。
「めんどくせえ……」
言葉が二つ重なった事に驚いて顔を上げ、隣のベンチを見る。同じように缶コーヒーを手に、この世の終末を見たかのような顔色の相手が其処にはいた。相手を見た瞬間噂を思い出したが、それを煩わしく思うのも同時だったらしい。
「……めんどくせえよな」
悪戯めいた笑顔で鳴桜が告げた言葉に白花も笑う。
「だよな、めんどくせえ」
軽く交わした怠惰の言葉が互いを物語っていた。
風呂を済ませ、白花は居間のソファでだらしなく座り、端末で今日一日の出来事をまとめたニュース映像を観る。然程興味の無いニュースを茫然と観ていたが、明日は雪が降るかもしれないとの天気予報に思わず不満の声が出た。
「えー」
「何、どした」
風呂に入っていた筈の鳴桜の声に振り向くと、まだ下着を身に着けただけの姿で着替えを手に歩いているさまが見える。両性の体が作る胸元の豊満な膨らみと下腹部の膨らみを隠そうともしないが、白花もまた特に何も思わなかった。
「明日、雪降るかもってよ」
「えー、マジで」
同じように不満の声を上げながら鳴桜は台所へと歩を進め、マグカップに水道水を注いで飲む。喉の渇きに耐えかねたようで、通り道だった居間で漸く寝間着を着始めた。此処まで寒がらずに来られたのは暖房のお陰だ。
白花は徐に立ち上がり、部屋の隅にある大型キャビネットへ近付く。両開きの戸を開けると、湿気や害虫対策諸々を施し圧縮袋に入れておいた布団が二枚入っていた。他に起毛の敷きパッドも二枚あり、かこつけて出してしまおうと考える。
「布団追加する? あとパッドも出す?」
「あーうん、両方出しといて」
掛け布団一枚と毛布では今夜を越せないとの判断も一致したようだ。
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