死と生活
■-3
隣のベッドで起き上がった侭気怠そうに固まっている白花の表情は、不機嫌と苦悶に歪んでいた。
「どした」
身を起こした鳴桜が尋ねても白花は動こうとしない。今日は偶然非番の日が重なり、二人して昼前まで惰眠を貪っていた筈だが、白花は全く満足感の無い顔を漸く鳴桜へ向ける。首が蝶番だったならば不快な音を立てただろう程にぎこちなかった。そうして一言を絞り出す。
「……トイレ、長くなる」
「ああ、ああ?」
言葉に鳴桜は納得の声を上げたがすぐさま新たな疑問が湧き、また声を上げた。
六年間共に暮らす中で、性衝動を自身で処理する事は互いにあった。別段変わった事でもなく、前から互いに軽く流す程度である。鳴桜の疑問はその点ではない。
「そんなに?」
今まで見せた事の無い苦悶への疑問に、白花は苦しげに首を捻った。自身で制御するのは難しい感覚だが、珍しく振り回されているのだと鳴桜にも伝わる。
「今回のはなんかなあ。まあでもヌけばいいだろうし」
ベッドを降りようとした白花へ鳴桜から声がかかった。
「あのさあ」
「ん?」
ベッドに腰かける格好で止まった白花へ、鳴桜は何の気も無いように告げる。
「ヌく?」
其処に構ってやるとの提案である。白花は表情を変えずにいた。
「俺の噂、知ってるよな?」
「うん。でも理由はそれじゃねえし、って事は俺の噂は知らねえ訳だな?」
白花は苦悶を一旦忘れ、疑問に首を捻る。
「え、お前の噂って、両性だって事くらいじゃねえの?」
「あー、其処だけか」
鳴桜は笑いながら白花へ続けた。
「種無し卵無し、お前と半分おんなじなんだよ」
七年前、全く別の職に就いていた白花には恋人と名乗る人物がいた。軟派で派手好みの女であり、白花を何故か気に入って半ば強引に付き合いを始めたのだ。女は面倒極まりなく、白花はただ惰性で女との付き合いを続けていた。
白花と肉体関係を持った女はある時、避妊具へ細工をした。だが幾度細工を繰り返しても女は妊娠せず、自らの企みを棚に上げて白花を検査に向かわせた。そうして白花に子種が存在しないと解った直後、女は白花の許を去った。それだけならば何の問題も無かったのだ。
女は白花の体質を周囲の者へ流布し、周囲は白花を大いに蔑んだ。そのような環境に嫌気が差し、どうすべきか考えた結果、遺体処理班への転職を思い付いたのである。職業への恐れは少なくとも表立った罵倒に効果を発揮し、やがて陰口のみとなった。無理矢理目立つ事と比べれば陰口など可愛いものだった。
「でもさ、嫌じゃね?」
白花が陰気な眼差しで告げると、鳴桜は気付いたような声を上げた。
「あそっか、生えてんのと使い古しが嫌なら駄目か」
聞き捨てならない言葉に白花が反応する。
「使い古し?」
白花の疑問に鳴桜は平然と頷いて続けた。
「其処説明すんのはちょい長えけど」
「いや、聞くよ」
「そっか。じゃあ」
鳴桜はあくまでも穏やかでいる。それが却って不気味だった。
「俺、神の子だったんだ」
本来、神との名称は世界の創造神たる者の役職名に過ぎない。規模はどうあれ、世界創造は今では容易に行っている世界もある。だが鳴桜の言うそれには、奇怪で欲望渦巻く宗教の醸し出す饐えたにおいがあった。
「家族、怪しげな宗教家だったのか」
「そ。両性は神の御業とか言って、まず怖いくらい過保護にされた」
前置きの言葉はその後への否定なのだろう。
「で、大きくなったらいきなり、神の創造を、とか言い出しやがって。色んな奴が突っ込んだり跨がったりだったわ」
「何だそれ……」
白花が恐怖すら滲ませながら続けて呟いた。
「そいつらの目的キモすぎる……」
素直な言葉に鳴桜は悪戯めいて笑う。
「それ。ひたすらキモかったけど、逆らったら飯抜きにされてさ。体売って生活すんのは別に良かったんだけどさー」
「無いってばれたのか」
「うん。ばれた途端家追い出された。マジでなんにも持ってなくて相当めんどかったなー。で、遺体処理班に転がり込んで、今って訳」
白花は鳴桜へ向き直ると胡座を掻いた。
「今は大丈夫なんだな?」
「うん、自由の身を謳歌しまくってる」
「もー、良かったなお前」
心底安堵した声音で言われ、鳴桜は白花の人柄に支えられていると改めて感じる。白花は自身と同じく面倒臭がりだが、心根は優しい。優しいからこそ面倒事が付きまとうのだ。
「ほんと良かったよ。で、だ」
仕切り直す言葉に白花は忘れかけていた本題を思い出す。
「もうどうしようが自由って事で、どうする?」
不敵な笑みで座っている鳴桜の姿は、別段色気がある訳でも無く、魅力的にも映らない。
「それならいっかあ……」
ただ、この苦悶を預けたくなった。
緩々と目を開けると、傍らの白花がいないと気付く。台所から料理の音が聞こえ、時計を見ると夕方から夜になろうとする時間だった。昼食も取らずに耽り、その侭眠ってしまった為に耐え難い空腹が襲う。
起き上がり、脱ぎ捨てられた服を着ようとして体が拭われている事に笑いが零れた。その侭であっても不快には思わなかっただろうが、白花はそうした心遣いの出来る人物である。そうした部分を気に入っていた。
寝間着姿ではあるが身形を整え、片付けをしてからまだ寝惚け気味で寝室を出る。すると食欲を刺激する香りが居間に漂っていた。
「お、起きた?」
足音で気付いたらしい白花が声のみを寄越す。
「んー。ごめん、今日晩飯当番俺だったのに」
「あんだけ寝てたら起こせねえよ」
笑い混じりの白花の言葉を聞きながら、鳴桜は大きく伸びをした。疲れたような感覚だが、気分は大層良い。
やがて白花が出来上がった料理を居間の卓へ運んでくる。具沢山のオムレツは焼き加減も丁度良く、立ち上る湯気が芳ばしい香りで鼻先を擽った。小盛りのサラダと即席のカップスープを加え、主食に硬めのスライスパンを添えて今日の献立は完成のようだ。卓の下に敷かれたラグへ白花も腰を落ち着けると、鳴桜は早速オムレツに箸を付けた。大きな一切れを頬張ると、玉葱の甘みとじゃがいもの繊維質な舌触り、焼けた玉子の香ばしさが箸を止まらなくさせる。
「うまー、これも美味いんだよなあ」
嬉々として食べ進め、味を変える為にトマトケチャップを手に取った時だ。白花が尋ねてくる。
「そういや、俺の作るやつで何が一番好き?」
「えっ、えーっ……」
質問に鳴桜は悩ましげに眉間へ皺を寄せた。
「これも美味いし、でも偶ーに作ってくれる唐揚げもマジで美味いし、炒飯とかパラパラで最高だし……」
真剣な表情から次々に出てくる料理に白花は思わず吹き出す。
「お前それ、全部好きって事?」
「あー、うん、全部だなー」
「ははは、それはそれで嬉しいな」
六年間を過ごしても互いに知らない事はまだ多いが、それを楽しめるのはやはり根本が合うからなのだろう。
屋内の戦場で白花は二人の楽士を見詰めていた。譜面通りに得意の弦楽器を演奏し、一つでも音を間違えれば勝負が決する。二人の間では勝負が決した暁には楽士を引退するとの取り決めがされたが、それについては国の関与する事ではない。
老いた楽士と若い楽士は難解な楽曲を次々と演奏していたが、若い楽士は徐々に苦しげな表情を見せる。そろそろ限界が近いようだ。
そうしてある時、若い楽士が音を外す。
「過誤を確認、勝負あり。速やかに行動を終了してください」
アナウンスに若い楽士は静かでいる老いた楽士を一瞥すると、天を仰いで小さく嘆きの声を上げた。諦めと納得の表情は、最初から相手に勝てないと理解していた事を物語る。だが其処にある違和感を白花は捉えていた。微かに見たそれは、自身への怒りだ。
不意に若い楽士が表情を変える。白花が逸早く気付いたが止めるには遅く、若い楽士は弦楽器を弾く為の弓で首を掻き切った。白花はすぐさま通信を入れる。
「一名の自傷を確認、至急転送お願いします」
「了解。通信終了より三秒後、各自転送されます」
若い楽士は即座に医療設備へ空間転送され、白花と老いた楽士は戦闘受付の広間へと転送された。
小型端末へ通信が入り、了解を返して白花は老いた楽士に告げる。
「こちらへどうぞ」
白花は背を向けて歩き出し、老いた楽士はその後ろを付いて歩いた。暫く歩いて到着したのは処置室を見下ろす部屋であり、意識の無い若い楽士が懸命な処置を受けているさまが見える。
若い楽士を老いた楽士は冷徹に見下ろしていたが、やがて重々しく口を開いた。
「私は勝った、だから弱い」
その瞳に悔恨は無い。
「君には伸び代があった。そしてそれは未来に私を超えただろう」
それは若い楽士の怒りに対しての懺悔などではなく、酩酊したような自己満足の垂れ流しだった。
「けれども私は、我が身可愛さに君を叩き落とした」
老いた楽士は不意に微笑む。それは高慢な諦念だ。
「有り難う。私は君に、私の限界を見た」
言葉の途中で命の限界を見る。老いた楽士は運ばれていく遺体に背を向け、白花へ軽く頭を下げた。
「担当、有り難う」
白花は黙して頭を深く下げ、その侭老いた楽士が部屋を去るのを待つ。そうして誰もいなくなった室内で、白花は耐え続けていた舌打ちをした。
「どいつもこいつも……」
楽士どちらに対しても嫌悪感が募り、しかしあとは溜め息しか出ない。
戦闘においては厳格に規定が設けられるが、あくまでも戦闘そのものに関係する事柄に関してのみであり、戦闘後の自害は全くの管轄外だ。大目玉を食らう事柄ではないにしろ面倒事が増えるのは確かであり、職員全員から忌み嫌われていた。
「解んねえなあ」
夜、居間のソファで寛ぐ白花が端末を見ながら呟いた。
「何が?」
傍らに座っている鳴桜が問うと、白花は端末を見続けて答える。端末の画面では平和なニュースが賑やかに踊っていた。
「殺しを選ぶ理由」
遺体処理班の職に就いても解る事ではなく、疑問は寧ろ強くなっている。永遠の謎かもしれなかった。
鳴桜は膝を抱えてソファへ凭れ、天井を仰いで告げる。
「そんなもんお前に解ってほしかねえよ」
「なんで?」
解るか否か以前の問題に白花が首を傾げるが、鳴桜は白花へ不満げな顔を向けた。
「だって、解ったら殺しを選ぼうとするかもしんねえだろ。そしたらお前が死ぬ事だってあるかもしんねえし。そんなん困る、超困る」
白花は一瞬面食らい、それからむくれる鳴桜へ苦笑を向ける。
「そんなん俺も困るわ」
「だろ?」
鳴桜の無邪気な笑みにまた救われた気がした。
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