手を取るにおいて


■-1

 そろそろ陽が夕日に変わる頃、視察も終わり、アローネが帰路へ就こうとした時だった。街角で遊んでいた子供達に呼び止められ、特段急ぐ用事も無くそれに応えるアローネへ、一人が中心にいた子供を紹介する。
「きょう、おたんじょうびなんだよ!」
 その子供を見れば花冠をしており、誰かからの贈り物のようだ。アローネは屈んで祝いの言葉を告げる。
「そうなんだ! おめでとう、いい一年になるといいね」
 言いながら、祝い事をする余裕がこの地に生まれていると知った。以前は子供達にさえあまり余裕が見受けられなかった事を思うと、随分平穏な地になったと考えて良いだろう。
 花冠を被った子供が照れた笑顔をアローネへ向ける。
「ありがとう、アローネさま!」
 そうしてまた遊びに戻る子供達へ手を振り、帰路へ就いた。邸に続く林を一人歩きながらふと一つ思い当たる。思い当たった先へ弾み始める感情につられて足早になり、それが幸福の一つであると思い知った。



「ただいま」
「おかえり なさい ませ」
 邸の玄関を開けるとユーズトーリュに出迎えられる。この一連も最早日頃のものとなったが、喜びが薄れる事は無い。
「みず を おもち しましょう か」
 顔に滲んだ汗を見たのだろう、ユーズトーリュが提案する。今日は一層暖かな気温であり、喉も渇ききっていた。
「うん。執務室にお願い」
 視察にて聞いてきた領民の要望を忘れない内にまとめなければならず、もどかしい思いが募るが辛うじて表面には出さないでおく。二階へ上がり執務室の席へ着くと、視察へ持参していた蝋板の本を開き、尖筆で記しておいた覚え書きを見ながら紙へ清書していく。昨今は衣料への関心が高く、特に衣服を刺繍で飾りたいとの要望が増えていると聞いた。荒れ果てていたこの地で最低限の衣食住に重きを置いてきたが、随分豊かになった今は衣料品の生産に趣味嗜好を加えても良いのかもしれない。
 書き始めて程無くして、執務室の扉が開く。
「どうぞ」
 ユーズトーリュが盆に乗ったグラスを机の隅に置き、一礼する。アローネは部屋を去ろうとするユーズトーリュへ焦りの侭に呼びかけていた。
「あのっ、ユーズトーリュっ」
「はい」
 向き直るユーズトーリュを見ると一気に緊張が走る。単純な自身にアローネは振り回されていた。
「ええと……、訊きたい事が、あって」
 アローネはペンを置き、体ごとユーズトーリュへ向ける。改まって尋ねる事ではないのかもしれないが、アローネにとっては重大な事柄だった。
「君の、誕生日って、いつ?」
 全身に拍動が響くのを感じながらやっとの思いで尋ねてみる。しかしユーズトーリュは若干困った微笑みを浮かべた。
「すみ ません、おぼえ て いません。おぼえ よう と しなかった の です」
 もう長く生きているとは聞いたが、長さが原因ではないだろう。自身について全く顧みなかった過去のユーズトーリュは、自身についての情報もまた無価値に感じていたのだ。それはアローネも同様であり、己の誕生日は曖昧だった。
「そっか……。ごめん」
「いいえ。なに か あった の です か?」
「うん。街で子供達が、誕生日のお祝いをしていてね。そういう事も出来たらいいなって思ったんだけど……」
 言葉尻がしぼんでしまい、アローネは俯く。小さな願いさえ潰えさせる過去は悲しいが、その過去ですら今に繋がっている。アローネは過去の棘を抱くしかなく、痛苦に耐えながら今を歩むしかなかった。
「アローネさま」
 呼ばれて顔を上げると、眼前に立っていたユーズトーリュが腕を伸ばす。優しく抱き留められると、沈んでしまった心を温められるようだった。
「ありがとう ござい ます。その こころ で ユーズトーリュ は、ここ に ある いのち を かんじられ ます」
 アローネはユーズトーリュの背に腕を回し、存在を確かめる。それは自身の存在を確かめる事でもあった。
「うん……」
 届かない事は多い。それを悲しむのも、今しか出来ない。



 前方へ顔と右足を向け、右手に持った細身の剣を一気に突き出す。仮想の相手を仕留めようと急所を狙うが、まだ正確に刺せた例しが無かった。持っているのは訓練用の模造刀だが、その重さにすら体が負けているのが主な原因である。運動さえほぼ出来なかった頃が恨めしいものの、今からでも鍛錬を積み重ねていくしかないだろう。
「そこ まで に しましょう」
 動きを何度も確かめている内にユーズトーリュから告げられ、全身が汗で塗れている事に気付いた。正しい姿勢はユーズトーリュから習い、時折修正もされているので無駄のある動きではないだろうが、それ以前に体力が追い付かない。
 全身から緊張感が無くなると途端に脱力し、アローネはその場にへたり込んだ。息も上がり、顔を下に向けると汗が滴り落ちる。傍らに屈んだユーズトーリュから柔らかな布で汗を拭われるが、礼の言葉すら息が切れて言えない。
「アローネさま。あせり は きんもつ です」
「……で、も」
 辛うじて出した言葉にユーズトーリュは小さくかぶりを振った。
「あせり は いそぎ たい こころ に しのび よる まもの です。まもの は やがて こころ の すべて を おびやかす でしょう。そうして つまずかせ、しんえん へと おとし ます」
 告げられた事へ何処か不満を覚える心には既に魔物が棲み着いているらしい。アローネは呼吸を整えると、魔物を吐き出すように深く息をつく。
「そうだよね……。ごめん」
 焦りが何の為かを考えると心が多少落ち着きを取り戻す。ただユーズトーリュを守りたい、その願いの為ならば何でも出来るとの覚悟は、アローネ自身でさえもねじ伏せてしまうようだ。
「有り難う、ユーズトーリュ」
 そうして思考へ浮かんだ言葉は、やはり正直な心だった。



 二人で邸へと戻りながら、アローネは思案する。
 武器を使えるようになったとして、立ちはだかるものがたとえ幼子であろうと迷わず殺せるだろうと即座に思える。過去見てきた死の淵と、其処から引き上げてくれた手の温もりは、願いの為に他者の生きる道を奪う覚悟を強固なものとした。そして奪わない努力を厭わない意志もまた強くある。最終手段までの道のりを歩む強さをくれたのも、また同じ手だ。
 せめてその手に何かを出来ないものか。不出来なりに考えるしかなかった。



 後日、視察を終えたアローネが街の片隅で休憩していると、子供達の遊ぶさまが目に入った。誕生日を花冠で祝っていた先日を思い出し、羨望すら募る。その中でふと自身の間違いに気付き、すぐさま覚悟を決めて子供達を呼び止めた。
「アローネさま、どうしたの?」
「なになに?」
 集まってくる子供達の前に屈み、アローネは懇願するように告げる。
「教えてほしい事があるんだ」



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