手を取るにおいて
■-2
この地が随分豊かになったとはいえ、他の世界と比べれば充分な栄養のある食事はまだ遠いといえる。此処に無い栄養と美味とを知るユーズトーリュからすればもどかしさもあるが、此処にしか無い喜びを想うが故であるのもまた事実だった。
買い出しに訪れた店先で店主に挨拶をすると、商品の奥にいた店主が気付いたような声を上げる。
「あっ、ユーズトーリュさん」
「なに か き に なり ます か?」
尋ねると店主は笑いながら掌で大事では無いと示した。
「いえ、アローネ様が最近子供達とよく遊んでくださっていて。お忙しい中にと御礼申し上げましたら、不思議な事を仰っておられまして」
「ふしぎ です か」
「はい。子供達から学んでいる、と。何をとまでは解りませんでしたが」
ユーズトーリュにも心当たりが無かったが、少なくとも悪い事柄ではないのだろう。
「ありがとう ござい ます。きっと たがい に よい まなび なの でしょう」
「そうだと思います。しかしアローネ様は少々無理もなさるかた、ご自愛頂ければ良いのですが……」
言われて先日の稽古の姿がユーズトーリュの脳裏へ浮かび、一抹の不安が過った。
アローネの歩みは、突き進むものとは決して言えない。己の無力と外からの困難に苦悩しながら、一歩一歩を踏み締めていくものだ。其処に勢いと安定は無いが、背後には確かな道程となって足跡が残っている。その足跡に滲む血をも見てきたユーズトーリュは、願いの為に苦しみを厭わないアローネを支えてきた。だが時折、支えるしか出来ない己を恨めしく思う。身分差の生む隔たりを越えられない現実に打ちのめされながら、願いの脆弱さを見せ付けられるしかなかった。
夕方になり、外出しているアローネを一人待つ時間がユーズトーリュへ重くのしかかる。無事への願いすら一蹴されてしまいそうな感覚と、胸中に刺さる棘のような心細さが綯い交ぜになり、平静でいる事が難しくなるとは過去の自身は思いもしなかっただろう。
鳥もねぐらへと帰ったのか、外も静まり返っている。今やるべき事も全て終わらせてしまい、自身も静かにするしかなかった。一階の一室でスツールに腰かけ、窓を見遣ると硝子に夕日が煌めいている様子が見える。過ごす平穏の罅割れがいつ砕け散るか解らないとしても、輝きへ手を伸ばす事をやめられないユーズトーリュ自身を焦がすような光だった。
「ただいま」
控えめな声に即座に気付けなかったのはそれだけ動揺していたのだろう。席を立ち、アローネを出迎えようと玄関へ向かう足が速くなる。
「おかえり なさい ませ」
玄関に立っていたアローネがユーズトーリュへ気付いた瞬間、咄嗟に何かを後ろ手に隠すさまが見えた。アローネの面持ちは緊張していたが、見る者に不安を与えるようなものではない。
「ユーズトーリュ」
「はい」
改まって呼ぶアローネから意外な注文があった。
「ちょっとだけ、屈んでくれないかな」
「こう です か?」
そうしてユーズトーリュの頭が下がった瞬間アローネが手を伸ばし、何かがユーズトーリュの頭に乗る。
「これ は」
触れてみると植物のようで、輪になっていた。
アローネの指をよくよく見ると多少赤みがある。土は洗い流せただろうが、痛みまでは隠せなかったようだ。
「最近帰りが遅くてごめん、子供達に花冠の作り方を習っていたんだ。今日は一人でやってみて、遅くなっちゃったから、不格好だけど……」
ユーズトーリュの頬にアローネの手が触れる。伝わる指先の荒れが努力を物語っていた。
「お祝いは出来ないかもしれないけど、いつも有り難うって伝えたかったんだ」
ユーズトーリュは目をしばたたかせ、次にはアローネを抱き締めていた。
「アローネさま……、ありがとう ござい ます……」
不安や恐怖、悲しみさえも払いのける手がユーズトーリュの背を撫でる。その穏やかな温もりは幾度もユーズトーリュを救ってきた。時に傷付き、やがて枯れ果て、いつか消え去る手は、何よりも求めていたものだ。
「きょう の こと も、きっと わすれられ ない でしょう……」
「うん。僕もだよ」
だからこそ、忘れたくない。
「かべ かざり に して も いい です か?」
ユーズトーリュから告げられた花冠の使い道にアローネは驚く。
「えっ、すぐに枯れてしまうんじゃないの?」
「つるして かわかす と ながもち します」
聞けばドライフラワーにした植物は長くて一年は形を保っているらしく、壁飾りに用いる事もあるという。少しでも長く保ちたいとのユーズトーリュの願いはアローネの胸中を擽った。
忘れられない想いを抱える未来に、脆弱な願いだけが寄り添う。少しでも長きを望み、避けられない終末まで、手を繋ぎ続けている。頼り無いそれが全てだった。
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