蝶々行路


■-4 翅は風舞う

 旅の形も様々であるが。
 中でも昨今は世界渡航が流行しているようだ。常世の国の外、全くの別世界を渡るものである。
 話によれば此処、常世の国は特殊であり、他の世界の者が渡航を試みても弾かれ、その原因も未だ解明されておらぬという。
 その中で、鳳蝶卿も私も、次第に外界へ興味を持ち始めていた。



「あらあら、鳳蝶卿、お持ちになるものはもう無くて宜しいので?」
 鳳蝶卿の邸の侍従長、ロゼッティーニの慌てぶりは私にも解った。
「うん、渡航先で役立つものはあんまりないだろうしねぇ。文化が混じっても良くないって言うし」
 換金出来るような品以外は身一つで我々は渡航する。そちらのほうがあまり問題も起こらぬだろう。
「それでは……、白蝶卿、お待たせ致しました」
「いや。こちらこそ、鳳蝶卿を少々借りる」
「あらあらあら、白蝶卿ったら。どうぞ宜しくお願い致します」
 ロゼッティーニの言葉の、なんと心を擽る事か。
「心得た」
「ふふっ、それじゃあ行ってくるよ。留守を宜しくね、ロゼッティーニ」
 鳳蝶卿はロゼッティーニへ手を振る。私もロゼリーニへ留守を任せたが、この二人であれば心配も要るまい。



 世界渡航は時空の歪みを使って行われる。時空の歪みの多くは一定の区画、期間で発生するらしく、駅まで作られている。駅は常世の国にも最近出来た。
 初の世界渡航となるが、不安は無い。これは鳳蝶卿と共にいるからなのか。
 程無くして発生した時空の歪みへ足を踏み入れる。歪みは異物をあまり好まず、侵入者を閉じ込めるという事態はまず発生せぬようだ。しかし歪みと共存する者もまた存在し、独自の流通の場、または戦の場と化している事もある。
 我々が通った歪みは何事も無く別世界へと渡し、開けた光景に鳳蝶卿が感嘆の声を上げた。今は夜らしく、街灯揺らめくその上に美しい星空が広がっている。
 情報が確かなら、此処は様々な種族の住まう世界だったか。元素の化身、様々な種の合わさった体を持つ者など多岐に渡るらしいが、我々とてそう変わりあるまい。
 ふと傍らを見ると、看板に何事か記述されているのが解った。
「我々の使用する文字ではないが……何故読める?」
 確かに文字は全く違うのだが、その文字が言わんとする事は翻訳されて伝わるのだ。確かに歓迎の文章が書いてある。不思議な感覚に鳳蝶卿も声を漏らした。
「其処のお二人さん」
 振り返ると、小柄な初老が我々を見ていた。その言葉も言語体系が違うのだが、それを越えて意味が伝わる。
「はぁい?」
「ああ、その感じだと別世界の人だね。ようこそ」
「有り難う、暫く厄介になる。ところで、不躾で済まないのだが……我々は何故言葉が通じるのだろうか」
「それは其処の看板を見たからさ。魔力が込められていて、一通り言語を教えてくれるんだよ」
「まりょく?」
 鳳蝶卿が首を傾げる仕草に、これは驚かれたのか。
「おや、魔力認識が無い世界なのかな。それでは少し大変だろうが、じきに慣れるさ」
 聞けば、此処から程近い場所に街があるらしく、別世界からの旅人も積極的に受け入れてくれるらしい。まずは其処を目指し、緩々と道を歩き始めた。



 持参した品の一部を売却して資金を作る。そうして情報収集を終え、我々は食堂の一席にいた。
 どの世界においても、魔力という物質が存在するらしい。疑念を持てばそれを使用する事能わず、主な作用は思いの具現化という、摩訶不思議なものだ。常世の国にも存在するのかもしれない。
 我々も使用を試したところ、魔力を知らぬ体が幸いしたのか、僅かな火を起こすなどに成功した。力は鍛錬により増すという。
「凄いねぇ、知らない事が沢山だねぇ」
 此処に来てから、鳳蝶卿は常に目を輝かせて周囲を見ている。眼前の料理も見た事の無い形や色であり、そして絶品だ。
「我々が全てを知る存在ではない事を、こう易々と知る事になるとは、世界とは広いものだな」
「そうだねぇ。それだけ知る機会があるのは、楽しみで嬉しいよ」
「全くだ」
 料理を一頻り食べてから、鳳蝶卿はふと悩ましげな表情を浮かべた。視線は定まらない。
「白蝶卿、訊きたい事があるんだ」
「……私の疑問と同じようだな」
 我々の視界には、実に様々なものが映る。光源によって映し出されるもの以外にもあるが、一つだけ腑に落ちないものが見えた。
「あれは何だろうねぇ。此処にいる全員に濃くあるのに、私達は全く無いね」
「料理は、無いものと微細にあるもので分かれているな」
「うーん……何だろう」
 謎の差違は何を表すものか、首を傾げる以外出来なかった。



 それからは様々な世界を満喫した。
 死した後に続く活動をも尊ぶ人々、己が精神を磨く剛毅達の住まう火山、常に戦いの中で生を全うする国。美しいもの、凄惨極まるもの、様々なものに触れた。
 そして我々は最後に一つの世界を目指した。科学と魔力を融合させた其処は、人の手によって作られた理想郷を目指す世界だという。
 時空の歪みを通るのも慣れてきた。この歪みには誰もおらぬようだ。
 抜けた先に広がっていたものは、増殖を続けた住処の集合体だ。技術の一つでも見聞したいところである。
 そうして歩を進めようとした、その刹那に聞こえた。
「辿り着いたね。ようこそ」
 唐突な声は我々を知っているのだ。でなければ確認などするまい。
「何か御用かな?」
「争いは望まぬところだ」
「話が早くて助かる。僕のラボへおいで、全てを教えよう」
 我々は知る。その人物の言う全てとは、全く知らぬ我々の全てだったのだ。



 シャンデ・グリ・アラ。人の手による、煌びやかな理想郷。己が探求心を以て、何処までも技と謎を追い続ける。それがこの世界だと聞いた。
 長い道のりをほぼ自動的に行き、そうして到着した大きな扉は音も無く消える。
「進んでいいよ」
 声に促される侭、我々は通路を行く。壁には何かが数多く映し出されており、一つを注視して私は初めて気付いた。
「常世の国」
「そう、だね」
 全ての映像は、まるで監視するが如く、観察するが如く。平和な常世の国の様子を映していた。
 予感がした。良いか悪いかまでは解らない。
「白蝶卿」
 ふと、通路を行く鳳蝶卿は正面の扉を見据えて告げた。
「あの向こうに、全てがあるのかな」
「恐らくは、全てがあるな」
 そして鳳蝶卿は決意を固めた。故に私も。
「行こう。全てを知りに」
「ああ」



 またも消えた扉の向こうには無数の映像が広がっていた。壁がいずこか解らぬ程に。
 そして眼前には、塊があった。有機物と無機物とを乱雑に捏ねたように見える。其処に多くの管が繋がれ、生命を維持しているのだろうか。
「やあ。やっと会えたね」
「待っていたの?」
 塊からは声がしない。代わりに、意識へ言葉を直接入れられるような、意思が伝わる。
「君達本人を待っていた、というのは語弊があるかな。検体ID、S-9035とS-9036がこちらに向かいそうで、其処からずっと追っていたら、遂に辿り着いた。これが真相さ」
「検体と言うからには、我々は貴方の実験材料であると?」
 塊は僅かに蠢いた。またはそう見えただけか。
「君達が常世の国と呼ぶものの全てを作ったのは僕だからね。僕からしたら、そうなる」
 事実を述べる言葉に侮蔑の心などは感じず、故に我々も冷静だったのかもしれない。塊もまたそれを察知したようだった。
「……こうして話をするのも久し振りだよ」



 塊は一人の学者であった。
 学者はある時疑問を抱く。感情とは何処から生まれ出づるものであるのか。
 そうして世界規模の研究を開始した。世界を作り、其処に空の器を幾多も作り、住まわせた。他の世界のものは遮断した、さながら箱庭だ。
「驚いた事に、感情の無いプログラム同士がふれ合って感情が生まれたんだ。何度も起きた。けれどこのギミックは解明出来ない侭、遂に世界は感情で溢れてしまった。ゼロから多数が生まれるなんて、興味深くない訳が無かった」
 そうして我々は独自の文化を築き上げるまでに至ったという。其処には、全世界に共通して存在する物質、即ち魔力の概念は生まれなかったようだ。
「君達は物理法則を超越していると考えているけれど、実際は逆だよ。有ると無いで作られた、物理も物理。書き足し、書き直される、学習プログラム。それが正体さ。だから、別世界で全員に見えて君達に見えなかったものは、生命力という事になる」
 事実へ衝撃は受けたが、それだけでもあった。
「我々の思い出す、生前の記憶とされたものとは?」
「それは劣化によるエラーさ。基盤としたものの情報が、劣化によって溢れてしまっただけ。オリジナルで何万と考えるのは大変だったからね」
 塊は相変わらず鎮座している。動けたならばどのような仕草をしたのであろうか。
「少し、訊いてもいいのかな」
「答えられる範囲なら、答えるよ」
「私達が不変を保てずに劣化しているのなら、貴方もまた、そうなのではないのかな」
 鳳蝶卿の問いに声は僅かばかり喜んだ。
「少しは聡くて助かるね。そう、君達も永いだけで有限、創造主たる僕もまた有限だ。常世の国と住民は、いずれ劣化によって消滅の一途を辿る」
 衝撃は先程の比ではないが、何故かごく自然に理解出来た。故に心は静かだ。
「その結果は貴方にとって、どんな感情?」
「悔しく、寂しいさ。求めた結果を出せずに終わる事は、研究者としては失格だ」
 本心からの、偽り無き言葉だったのであろう。
「あと一つ……いいかな」
「いいよ。何だい」
「貴方から見て、生物とは?」
 悩みもせず、その答えは返った。
「全く不思議なものだよ。丁度、君達のように」



 常世の国へ帰還した我々は、為すべき事を為した。持ち帰った映像と情報、そして我々の言葉を以て、皆に真実を伝えた。
 激しい悲しみ、動揺があった。だが、皆が薄々感じていた違和感は、それが偽りにあらずと皆の心を揺さぶり、納得もさせた。悲しみもやがて決心へと変わらなければならぬものだ。
 その時まで、時はある。即ち有限だった。



「私達は、いつまでも一緒なんだと思う」
 傍らの椅子に腰掛け、居眠り気味に鳳蝶卿は告げた。
「どちらかが先に潰えても、何処かにある記憶と想いは残してくれる。その人を、その人を感じた全てを」
「それは、何と表したものだろうか」
 私の問いに、鳳蝶卿は微笑んだ。
「そうだねぇ……。生きる、と言うんじゃあないかなぁ」
 眼前を蝶が気侭に舞う。
 私と、貴方と、何処へ向かうのだろうか。
 その時は共にいるのだろう。何処へ向かうとしても、きっと。



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