有漏路の幽鬼


■-26

 泣き疲れてしまった事に気付いたのは、目を覚ましてからだった。少女の膝を枕に、化け物の触手を布団にして寝ていた。立った侭気絶したのか。
 少女はじっと自分を見下ろしている。紫色の瞳は、憂いこそあれ、やはりきれいだと思った。
 伝わる二人の温かさに、再び涙が滲む。顔が歪む。そんな自分を二人は責めない。
 湧き上がる感情が何なのか、まだ掴めなかったが、それが体験した事の無い安心をくれる事は理解した。腹も満たされない、疲れが抜けきった訳でもない、だがそんなものよりもずっと心地良いものだった。
「フレイアルト……」
 か細い少女の声に、うんうんと頷く。
「もうすぐ、わたしたちは、ここをでられる……」
「出られ、る……?」
「じくうが、ゆがむ……」
 空中に出来る染み、時空の歪み、別世界への出入り口。それが現れる時を察知出来るのだろう。
 別世界へ。一緒に。化け物の願いの塊である少女を連れて、この世界を去る時が、近付いてきている。そう思うと淋しくなった。嬉しさが浮かばない。化け物は再びひとりになってしまう。だが、化け物は願ったのだ。
「解りました……」
 一人で立ち上がる。重いものを背負う気は無かった。そして背負う事すら感じていなかった。
 少女が見ている方向を、じっと同じく見詰めた。やがて黒と緑に明滅する染みが、ぽつりと眼前に現れる。ゆっくりと広がる。無意識に少女の手を掴んでいた。
 人が一人余裕を持って入れる大きさに広がった染みへ、恐る恐る歩み寄った。一歩、また一歩。化け物との距離を酷く遠く感じた。それが淋しくて涙が止まらない。
 そして、いよいよ染みへ入ろうとした時、二人は振り返る。化け物はじっと、其処にいる。
「……さよなら」
 涙声で言って、最後に感謝を伝えたくなり、言葉を続けた。
「いってきます……!」
 歪む顔で笑ってみせる。
 これは別れではない、少し出かけるだけだ。帰ってくるから。思いの全てを瞬間に込めた。
 化け物が尻尾を振っている。その姿が見えなくなるまで笑みを消さなかった。
 そして、暗闇の中へ完全に入る。途端に顔から笑みを作る力が無くなった。泣きながら空間を歩く。少女はずっと手を繋いでいてくれた。
「俺……今、あの世界で、一番大切なもの、見ました」
 淋しくも嬉しかった。あの世界に存在していて良かったとさえ思えた。
「これからも、一緒にいましょう、セメンツァ……」
 これが、フレイアルトの歩みの始まりだった。



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